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しおりを挟む果たして声をかけられた人物が、するりとドアの隙間から研究室に入って来る。
少女だ。
年の頃は十七、八くらいだろう。
シナモンの色をした癖のない髪は肩にかかるほどの長さで、ハーフアップに纏めている。
真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下、赤味の強い大きな瞳が印象的だ。
華奢ではあるが、何故か良く飛び跳ねそうな小鹿を彷彿させる。
けれどそんな印象より。
「……対策班?」
行儀良く身体の前で組まれた少女の左手には、黒手袋。
そしてクリーム色のワンピースの上に、黒いロングコートを羽織っている。
対策班と調査班に支給されるコートは、厳密には細部に若干の違いがある。
金糸での縫合や袖口の金釦は対策班専用であり、対して調査班はそれらが全て銀になるのだ。
関係者であれば、この細部の違いで所属を判断することが出来る。
微笑んだまま、少女はレンの問いに頷いた。
「はじめまして。一応、対策班所属の、アルエット・セルバークです」
「はあ、どうも」
微妙に気になる言い方を無視して、レンは簡単に名乗り返してからミーティアを見た。
彼女はにやにやと笑っている。
「え、何ですか? 何で対策班の子連れて来てんです?」
財団の対策班は、所謂Rデータ対処のプロである。
かつて教会や退魔師が行っていたようなことを、博士の対処システムを元に行う集団だ。
彼らは高い感応力を持った、Rデータ保有者で構成されている。
Rデータの保有というものは、高い感応力を有した人間がRデータを処理する際にごく稀に運が良ければ起こる現象だ。
Rデータを文字通り保有し、その現象を自身の能力として扱うことが出来る。
それがRデータ保有者である。
つまりはただでさえ少ない感応力持ちの中で、更に運の良いほんの僅かな人間しか所属出来ないのが対策班。
故に財団内でも一目置かれ、非常に手厚く扱われている。
対策班あっての財団。
内部においての発言権も主任の比ではない。
つまり、対策班が関わる話だということは、割と面倒な重い話を覚悟しなくてはいけないだろう。
ミーティアはレンの覚悟を見透かしたように、憐れみを孕んだ瞳で問いに答える。
「まあ、何だ。彼女、大変問題ありでね」
どういう意味合いにしろ、ぶっちゃけすぎではなかろうか。
だが問題ありの当人は涼しい顔で、人形のようにドアの前に立っている。
ミーティアは右手をひらひらと振って、更に続けた。
「今年度入って来たばかりの新人。ぴっちぴちの十七歳なんだが、研修を終えて結局セットが決まらなかったそうなんだよ」
対策班はその業務上、安全のために必ず相方と二人組での活動が規則として定められている。
財団ではそれを「セット」と呼び、基本的にはセットがいないと対策班では活動が出来ない。
「いや、希望者もいたみたいなんだけど、彼女と一悶着あったようでね。同期はみーんな彼女とは組みたくないってさ。挙句指導員も仮セットを辞退する始末だと。いやはや、いじめかよってね」
ミーティアは可笑しそうに笑ったが、正直なところ笑い話ではない。
指導員含めということは、アルエットという少女は対策班から排除されたと同義だろう。
「いや、待って下さい。研究区で彼女を請け負ったとか、そういう話ですか?」
額を軽く押さえたレンに、ミーティアは殊更ゆっくり首を振って見せた。
「違うんだな、レン君。対策班は、絶対に彼女を手放したくない。何故ならアルエット・セルバークは、『データ憑き』だからだ」
その瞬間でさえ、少女の表情は少しも変わらなかった。
データ憑き。
レンと同じく、ごく幼少期にRデータを保有するに至った人間。
それは実際のところ一般的なデータ保有者とは、絶対的な差異がある。
「データ保有者がレベル1の魔法使いだとしたら、あれだろう? 『データ憑き』ってのは、レベルマックスの召喚士みたいなものだ。そりゃあ、対策班が手放すはずがない」
ミーティアの例えは、概ね正しい。
Rデータを保有した人間は、そのデータをある程度引き出して扱うことが出来る。
だがその「程度」は、データ保有者と『データ憑き』とでかなりの差がある。
例えば、発火現象。
一般的なデータ保有者がこれを自身の保有データとして扱うと、頑張っても街路樹の太い枝が一本燃える程度。
それでも勿論途轍もない異能である。
けれどそれがデータ憑きとなると、平気で車一台くらい消し炭に出来る。
保有データの強度が、違う。
それは財団でも時として畏怖の対象になる力だ。
しかもデータ憑きの保有データは、往々にして類似データの少ない希少なものが多い。
五万人に一人生まれるか生まれないか、というデータ憑き自体の少なさもある。
ミーティアの言葉通り、対策班は少女を手放したくはないだろう。
「さてさて、頭の良いレン君はもうおわかりなんじゃないかな? 対策班じゃセットの見つからなかった、けれど超のつく期待の新人を、ここに連れて来たわけを」
何故か勝ち誇った表情のミーティアに、レンは言葉を返せなかった。
当然予想はついてしまうが、知らぬ存ぜぬで通しきりたい欲求で口が開かない。
けれどそこで容赦をしてくれる上司ではない。
ミーティアはようやくだらしない姿勢を正した。
「本部と対策班のお偉方は、君を彼女の相方に、ご指名なんだよ」
ほらやはり、割と面倒な重い話だった。
全く会話に参加しないアルエットは、相変わらず微笑んだままだ。
そこに、真に彼女の感情と呼べるものは見て取れない。
自身のセットの話だというのに。
たっぷり十秒以上沈黙してから、レンは軽く両手を挙げた。
「……えっとそれ、ホントに俺、指名なんですか? そもそも」
「そうだ、レン君。そもそも、対策班には致命的に向かない君をご指名なんだよ」
先回りして答えたミーティアは、ほんの一瞬だけ笑みを引っ込めた。
レンも、本来は『データ憑き』として対策班に配属されるはずだった人間である。
それが巡り巡って第二研究区の研究員をしているのは、ひとえにレンの保有するRデータが対策班の活動に、全く、適さなかったためである。
対策班の最重要任務は、Rデータの対処。
その対処法は、主に二種類ある。
一つは、言葉を用いた解体法だ。
「存在証明」と呼ばれるその行為は、Rデータの正体を暴きその変異性と神秘性を剥奪することで、データの解体を齎す。
もう一つは、単純に自身の保有データで破壊する方法である。
前者は古の退魔法と似てやり方さえ知っていれば、効能の差はあれ意外と誰でも出来てしまうが、対処法としては攻撃性にやや欠ける。
対して後者は、保有データによる直接的な破壊でかなりの効果が見込めるのだ。
基本的にはRデータの情報収集も兼ね存在証明が優先して試されるが、それで対処しきれなかった場合には保有データによる破壊が行われる。
だからこそ対策班の人員は、データ保有者に限られる。
けれど『データ憑き』でありながら、レンの保有データは肝心の「直接的な破壊」に致命的なほど向いていない。
それはミーティアの思考を借りて言うならば、治癒に特化した法術士に、大剣持って前線で戦えというようなものだ。
完全に、適性の問題である。
「ああ、それとね、一応『仮』だから。さっきも言ったけれど、この件に関しては、私も反対の立場でね。条件付きの仮セットってことで渋々承諾したわけだ」
「本人に確認取る前に承諾してどうすんですか!」
「そうは言ってもねー。私は名ばかりの主任で、本部ではあまり発言権がないんだよ!」
さらりと自虐的なことを言ってのけたミーティアに、レンは「でも」と食い下がる。
「俺に対策班の活動しろってのは、無理な話です。てか、何で俺なんですか!」
「そりゃあ、君が彼女のセットに相応しい『データ憑き』だからじゃないかな? こればっかりは私もね、ああ、なるほどとしか言えなくてさ」
それはきっと、アルエットの「大変問題あり」な面に関わる話なのだろう。
レンはその先の言葉を待ったが、ミーティアより先に口を開いたのは、アルエットだった。
「『データ憑き』なの?」
少しおっとりとした、けれど意外にも芯を感じさせる涼やかな声だった。
彼女は上辺だけの微笑みを引っ込めて、レンを見つめている。
恐ろしいほどに存在感がなかったのが、嘘のようだ。
「ほんと? オーバーシティの対策班には『データ憑き』が三人いるって話だけで、全然会ったことなくて。私、自分以外の『データ憑き』と会ったの、初めてだよ」
「本当、だけど。あんまり期待されても困る。俺の保有データは」
語尾がどんどん勢いをなくす。
ドアの前にいたアルエットがワンピースの裾をさらさらと揺らして、レンの眼前まで一気に迫って来たからだ。
思わず、デスクチェアの背凭れが軋むほど仰け反る。
窓から射し込む柔らかい陽光で、少女の瞳は赤い宝石のように煌めいた。
「私、私のRデータはね、アンリエッタっていうの。仲良くしてほしいな」
差し出された両手は、明らかに握手を求めていた。
それを突っぱねる理由は、差し当たり見当たらない。
半分勢いに呑まれながら、レンはそれに応じるために手を差し出す。
「あー、レン君。ちょっと待ちたまえよ」
視界の隅でミーティアがソファから腰を上げるのが見えた。
ほぼ同時に、アルエットの華奢な両手がレンの手を握る。
手袋に覆われていない右手は、ひやりとして不安になるほど柔らかい。
白い手だ。
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