いい加減な夜食

秋川滝美

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2巻

2-2

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「姫さんあんたは天使だ! 俺は一生あんたについてくぜ!!」

 緊急対策班班長の大澤伸行おおさわのぶゆきは来るなり佳乃をハグしようとした。当然、あるじの氷のような視線に射抜かれて渋々断念したが、親愛の情を表明することは惜しまなかった。
 原島財閥のために影となって働き続けることに、決して不満があるわけではない。むしろ、人生裏街道まっしぐらで人に言えないような経験を積んできた緊急対策班の面々は、日本という国の中にあってはおよそ得難い「経験を生かせる」仕事を与えてくれる俊紀に常に感謝していた。
 原島家と彼らの間にはお互いの利益尊重に基づいた共存関係がちゃんと成立していたし、原島家の後ろ暗い部分を一手に引き受けている緊急対策班は他では到底考えられないほどの厚遇を得ている。
 それでも、「慰労パーティー」などという形で表立って感謝を示されたことはなかった。たとえそのこころざすところが大規模な残飯処理だったとしても、そこで緊急対策班という存在を思い出してくれたことが嬉しかった。
 自分たちに食べさせるために、山本や松木を手伝って、せっせとあれこれ庭に運ぶ佳乃を見ていたら、やっぱりこれは一度ぐらいハグが必要だ、なんて思ってしまう。
 そんな大澤の気配を敏感に察知した俊紀が、警告を発した。


「大澤、佳乃に近付くな」
「ちょっとぐらい、いいじゃねえか」
「やかましい。いい加減にしないと強制退場させるぞ」
「うわーボス、それはあまりにも横暴だぜ。せっかく姫さんが呼んでくれたのに」
「佳乃じゃない、わ・た・しが呼んだんだ」
「あーはいはい、ボ・ス・が、魚屋とよろしくする姫さんが面白くなくて独断で買い物を打ち切った挙げ句、こういうことになったんだったな!」
「おーさわーー!!」
「おーこわ」

 傍若無人な緊急対策班班長と俺様総裁の掛け合い漫才はバーベキュー大会の見事な余興となり、参加者の笑いを呼ぶ。

「何であの人といると、社長はああなんですか?」

 佳乃は俊紀と大澤のじゃれ合いを見ながら、宮野にいた。
 俊紀は常に冷静沈着で、どんな相手に対しても失礼でこそないがビジネスライクとしか言いようがない態度で接する。部下に対してもそれは同様で、指示も命令もおよそ感情から遠いところにある。それなのに、こと緊急対策班相手となった途端、まるで学生の体育会系部員同士のようなやり取りになってしまうのだ。特に班長の大澤とは年齢が同じということもあってか、その傾向が顕著だった。

「幼なじみなんですよ。俊紀様と大澤は」
「え?」

 幼なじみ……ということは、やっぱりあの人にも幼い頃があったのか……と佳乃はつい失礼なことを考えた。あの難しい顔のまんま、あるいは、どんな女性でもたらし込める不敵かつフェロモン満載の笑顔のまんま生まれてきたと言われても、そうか……と納得しそうだ。
 そんなことあるわけがないでしょう、それはもう天真爛漫てんしんらんまんなお子様でしたよ、俊紀様は、と宮野に言われて、逆に驚いた。

「天真爛漫な子どもが、どこでどう間違ったらああなるんですか?」

 思わず突っ込む佳乃に、宮野は苦笑した。
 ……まあ、そうなのかもしれない。確かにあるじは人生の途中で何かを間違えかけた。責任を全うすることに熱中するあまり、自分を幸せにするという、人間として一番大切なことを忘れた。だが、その間違いはすでに佳乃が正したのだからなんの問題もなかった。
 宮野の目から見ても、今の俊紀は確かに幸せなのだと感じさせる雰囲気を持っていた。それは紛れもなく佳乃という存在が与えたものだ。
 大澤とのやり取りに、俊紀はいつになく楽しそうに笑っている。そういえばあの頃もこんな風に笑っていた……と宮野は随分昔になってしまった俊紀の子ども時代を思い出す。


「俊紀様と大澤は、しょっちゅうこの原島邸の庭で遊び回っていました。木に登って落ちたり、塀をよじ登って落ちたり、落とし穴を掘ったことを忘れて自分で落ちたり……」
「落ちっぱなしじゃないですか!」
「受け身は完璧でしたねえ、二人とも……」
「そういう問題じゃ……」

 あきれ顔の佳乃に、宮野は思い出し笑いを滲ませつつ語る。

「幼稚園の入園式で隣り合わせだったそうです。それで、初日から大げんかをなさって……」

 ああ、それならわかる、と佳乃は思った。
 俺様俊紀は、天真爛漫と言われながらも、きっと幼い頃から俺様要素をたっぷり持っていたはずだ。同い年でちょっと気に障る相手となら、あっという間にけんかを始めたに違いない。 

「そのときは、俊紀様が優勢だったようです。もちろん、先生に止められるまでは、ですが」
「まあ、そうでしょう」
「でも、大澤の方も相当負けん気が強かったらしくて……」

 帰宅してから、原島邸に乗り込んできたのだという。
 歩いて五分のところに住んでいた大澤は、俊紀が原島邸の坊ちゃんだということを知って、その巨大な屋敷の門前で叫んだ。

『はらしまとしきー!! さっきのけっちゃくをつけるぞ! いざじんじょうにしょうぶしろーーー!!』
「うわあ、面白い」

 首に風呂敷を巻き付けて、片手に木の棒を持ち、仁王立ちで叫ぶ幼稚園児。
 その姿をたまたま車で帰宅した孝史が見つけ、面白がって屋敷に入れた。孝史立ち会いの下、「いざじんじょうにしょうぶ」が始まり、力尽きるまでもつれ合った二人は、こういう場合のお約束で最後は友達になった。それから小学校を卒業するまで、二人はずっと親友だった。

「それからあとは?」
「大澤の家が引っ越してしまい、それきりになりました」
「ああ……なるほど」

 ふたりは別々の人生を歩むことになり、再会したのは大人になってからだった。

「大澤の転居は、どうやら夜逃げだったらしくて……」

 何が原因だったかはわからない。ただ、大澤の家庭はその後転落の一途を辿り、大澤自身も道を外した。悪い仲間に誘われ、ちゃちな悪事に手を染めて、やくざに目を付けられた。それから逃れるために海外に行き、その後は裏街道一直線。俊紀と再会したときにはすっかり暗い目の男になっていた。

「再会って……どこで?」
「存じません。俊紀様も詳しくはおっしゃいませんが、海外だったと聞いています」

 幼なじみのあまりにもすさんだ姿に驚いた俊紀は、このままでは命を落としかねないと大澤を無理矢理日本に連れ戻し、緊急対策班に入れたのだという。
 ずっと裏街道しか歩いてこなかったのならば、いっそそれを逆手さかてに取ればいい。裏街道を歩く途中で身につけた技能だってあるはずだ。それを原島のために生かしてくれないか。
 自分でも人生のやりように困っていたに違いない大澤は、俊紀にそう言われて、存外素直に従ったらしい。相手が子どもの頃の自分しか知らない俊紀だったのが幸いしたのかもしれない。
 そして大澤は原島邸の緊急対策班に入り、それから数年後、班長という地位についた。

「大澤の俊紀様への感謝の念と忠誠心は比類ないと思います。それでも、基本的に二人の関係は、幼稚園初日にとっくみあいをした日から変わっていません。だからこそ、あのお二人はああなのです」

 宮野は、依然として掛け合い漫才をしている俊紀と大澤を見ながら言った。

「なるほど、よくわかりました」

 再会した幼なじみが常にそばにいて、自分のために働いてくれるというのはとてもいい、と佳乃は思う。
 佳乃は幼い頃から世界各国を転々とし、幼なじみといえば田宮朋香たみやともかただ一人。しかもその朋香とも原島邸に入ってからほとんど会えていない。そんな自分から見れば、それはひどくうらやましいことだった。
 だが次の瞬間、後ろからかけられた声に佳乃は仰天した。

「佳乃!」

 この原島邸で自分の名をこんな風に呼ぶ人間は俊紀以外にいないはず。だが、その声はどう聞いても女性のものだ。慌てて振り向くと、そこにいたのはなんと今し方思いをせたばかりの田宮朋香だった。
 佳乃は朋香に抱きついて歓声を上げた。

「朋香! なんでここに!?」
「うん。すごくたくさん魚があって困ってるから食べに来ないか……って」
「誰が?」
「原島財閥総裁ご本人」
「えーーー!? み、宮野さんじゃなくて!?」

 あり得ない情報に、佳乃は言葉を続けられなくなった。そもそもあるじが親睦会あるいは仕事以外でこの原島邸に客を入れることなど滅多にない。しかもそれが女性であればなおさらである。それなのに、自ら電話までして誘い入れるとは……
 混乱して言葉を失っている佳乃に、朋香は笑って説明してくれた。

「この前はホテルから追い返すようなことをして申し訳なかった、ついてはうちのむくつけき連中と一緒で申し訳ないが、ちょっとした慰労会を考えているから時間の都合がつけば顔を出してもらえないか……って。そしたらきっと佳乃も喜ぶだろう……って」
「ああ……そういうこと……」

 以前にも一度、佳乃は俊紀から逃げ出したことがあった。そのとき下町の居酒屋経由でビジネスホテルに潜り込んだ佳乃を、俊紀はあっけなく見つけ出した。そして、佳乃と一緒にいてくれた朋香は、すぐさま自宅に帰らされた。彼女とはそれっきりになっていたのだが、緊急対策班の慰労会をすると言い出したとき、俊紀はそのことを思い出したのだろう。 
 そして、わざわざ自分で朋香に電話をかけて呼んでくれたのだ。宮野や佳乃がかけたのでは朋香が俊紀に気兼ねするのではないかと気にして……

「ものすごい俺様一辺倒かと思ったら、案外細やかだよね、あの人」
「そうだよ……そうじゃなきゃ……」
「惚れたりしないよね?」
「朋香……」

 朋香は、ほんとによかったね……と佳乃の頭をごしごしと撫で、二人の成り行きを喜んでくれた。
 そして佳乃は、招待してくれた方にご挨拶しないと……という朋香をつれて俊紀のところに行った。

「本日はお招きに預かりまして」
「いや。急にお呼びだてして申し訳なかった。仕事の方は支障なかったかな?」
「同僚に頼んでシフトを替えてもらいました。こういうところはシフト制勤務の強みですよね」
「なるほど、それはよかった。たくさん食べて、在庫減らしに協力願いたい」
「かしこまりました」

 ここに朋香がいて、しかも彼とこんな風に普通に話をしているなんて現実とは思えない……
 佳乃がそんなことを考えてぼんやりしている間に、二人の挨拶は終わったらしく、じゃあごゆっくり……と言って俊紀はまた緊急対策班が騒いでいる方に戻っていった。きっと、朋香とゆっくり話ができるように気を利かせてくれたのだろう。

「うーん……いい男。スーツ姿もいいけど、カジュアルもいいわねえ……」

 朋香はいかにもデパート店員らしいチェックを入れたあと、一瞬にして不安そうな表情になった佳乃を盛大に笑った。

「鑑賞してるだけでしょ。取ったりしないって。第一、あの人あんた以外全然目に入ってないよね。この美しい私が目の前にいるのに、注意は全部あんたにいってた!」
「え……そう?」
「そうなの。客商売してればわかるわよ、相手がどのお品をお気に入りかぐらい。それにね……あの人が私をここに呼んだのはきっと、あんたに外に出ていかれるよりは、私をここに呼んで会わせた方が余計なものを見ないって考えたからだよ。私に会いたいなら私だけを連れてきた方がいい、ここならよその男を連れてきたりできないもんね、あー知能犯! で、すっごくやきもち焼き!」

 朋香はそう言ってからからと笑った。

「よかったよ。あんたに鳥居とりいさんを会わせたかどで打ち首にされなくて」

 そういえばそうだ……でもまあ、きっと彼はあの一件があったからこそ今があるのだと無理矢理納得したのだろう。鳥居道広みちひろはある意味ひどく効果のある起爆剤だった。いずれにしても、俊紀が佳乃の親友である朋香に危害を加えるとは思えなかったが。

「じゃあまあそういうことで、在庫処分に協力しましょうか!」

 そしてふたりは笑いながら、原島邸の庭にしつらえられた大きなバーベキュー用の炉の方に歩いていった。
 炉の上では、各種の魚が盛大に焼かれ、案の定肉やら野菜やらも追加されている。松木が首を傾げたローストビーフもかなりの大きさのものが焼かれていた。

「わあ……たくさんあるって言ってたけど、これは本当にすごいわね」
「買いすぎちゃったんだよ。で、この企画」
「なるほど……でも、この勢いならまあ大丈夫そうだね」

 焼けるはしから、いやほとんどレアなままでも『新鮮だから』を合い言葉にどんどん口の中に放り込む緊急対策班員たち。彼らを見ながら、朋香は呆れたように言った。

「あの人たち、ある意味体が資本だから食べることも仕事のうちなんだよ、きっと」

 と、佳乃は精一杯の弁護をこころみるが、どう見ても今の彼らに「仕事」という概念はなさそうである。我ながら無理があるな……と思う佳乃。とどのつまり、仕事であろうが慰労であろうが目の前から魚介類が消えさえすればいいのだ、と気を取り直したところで、佳乃は山本に声をかけられた。

「ローストビーフ焼けたんだけどな……」
「けど、なんですか?」
「ソースがないのが気に入らない。何か見繕ってくるかな……」
「今からですか? もうお肉焼けているのに?」

 佳乃と違って、山本は本格派グルメシェフである。彼が今からソースを……なんて言い出したら何時間かかるかわかったものではない。佳乃は慌てて止めに入った。

「ソースなんてなくていいですよ。そこらの醤油でもぶっかけちゃえば……」
「いや、でも……」
「山本さーん……」

 それじゃあこの美味しそうなローストビーフはいつ私の口に入るの? とがっくりうなだれそうになったところで、朋香が意外なことを言った。

「あのさ、だったらこれ使えないかな?」

 そう言いながら取り出したのは、粉末スープのようなパッケージだった。表には、焼いた肉にソースをかけたイラストが入っている。

「フィックスのグレイビーソースだ!」
「フィックス? 格安航空券か?」

 佳乃の声に反応したのは、いつの間に現れたのか、相変わらず神出しんしゅつ鬼没きぼつあるじだった。一方、山本は、早くもパッケージの裏に書かれている作り方の説明書きに一心に見入っている。

「じゃなくて……インスタント食品です。粉末に水や牛乳を加えて作るスープってあるじゃないですか。あれって海外ではフィックスって呼ばれているんです」
「ああ……カップスープの鍋版みたいなやつか……」
「逆ですよ。鍋版がもっと簡単になったのがカップスープ。もともとはあのたぐいはみんな粉末だったでしょ? ああいうやつのバリエーションがすごいんですよ、海外って」

 グラタンや、焼いただけの肉や魚にかけるちょっとった感じのソースの粉末……そういうものが海外ではたくさん売られている。それこそ夫婦共働きが一般的な国ではバリエーションが豊富に用意されていて、女性も男性もそれを使って簡単に料理をしている。
 休日にまとめ買いし、平日は冷凍した肉や魚をレンジで解凍して、それらのソースをかけて食べる、といったことが普通だ。
 佳乃は海外にいるときにその種類の豊富さに驚いて、これだけあれば毎日色々な味を楽しめるなあ……と感心したことがある。
 そして同時に、日本にこういう商品が少ないことをとても残念に思っていた。

「これなら三分でソースが出来上がるな……ちょっと作ってみていいか?」

 山本はもうどんなものか試してみたくて仕方がないらしい。さすがグルメシェフ、インスタントといえども食分野の探求には余念がない。朋香は、どうぞどうぞと手で合図をしたあと、情けなさそうに佳乃に言った。

「あれ、もらい物なんだけど、作り方がわかんないのよ」
「え? だって裏に書いてあるじゃない?」

 と、言った途端、佳乃は軽く頭を叩かれた。

「誰でもみんな、ドイツ語とか英語とかが堪能だと思わないでよね! あの裏にびっしり書いてあるの、ぜーんぶ横文字よ! 私に読めるわけないじゃないの!」

 英語ぐらい読めよ……と思ったが、口には出さなかった。さっきは手のひらで叩かれたが、次はきっとげんこつが来るにちがいない。そんな危ない橋を渡りたくない佳乃は、話題を微妙にずらす。

「で、何でそんなもの持ってるの?」
「あれさ、瑞穂みずほさんがお土産にってくれたんだ」
「あー、あのドイツで商社に勤めてるって人?」

 いつだったか、朋香の誘いで行った居酒屋で、一緒に呑んだ女性たちの中に、ドイツから一時帰国してきているという人間がいた。そういえば彼女はミュンヘンに住んでいると言っていた。なるほど、お土産としてフィックスを持ち帰ったのか……さすがだな……と佳乃は感心した。

「インスタント食品が土産か?」

 俊紀がいぶかしげに佳乃を見た。お土産でインスタント食品をもらって嬉しいのだろうか……という顔をしている。そんな俊紀に佳乃は説明した。

「日本にはこういう粉末のあんまりないですから、珍しいじゃないですか。お土産の第一条件でしょ?」
「まあ、そう言われればそうか……珍しくて、便利で、味は?」

 と俊紀が言ったところで、山本が鍋を持ってやってきた。もうできたのか……と驚く俊紀に、山本はスライスしたローストビーフにグレイビーソースをたっぷりかけて差し出す。

「食べてみてください。インスタントにしてはかなりいい感じです」

 俊紀を始め、佳乃、朋香や宮野、松木もその味を確かめるようにゆっくりとローストビーフを味わった。

「これ、下手な料理店で出るインチキ臭いソースよりずっと美味しいよ」

 ローストビーフ自体の上等さはさておいて、と言いながら朋香は目を見張る。普段からインチキ臭くない正統派のソースを食べ慣れている原島邸の面々も、インスタントでこれなら相当なレベルであることを認めた。

「でしょ? これがあっという間にできちゃうんだから、すごいよね。昔よく、うちのお母さんも使ってた……」

 途中で口を閉じ、佳乃は考え込んだ。
 珍しくて、簡単で、しかも美味しい……これって……

「佳乃、どうした?」

 ローストビーフの皿を持ったまま考え込んでいる佳乃を見て、どこか具合でも悪いのか、と俊紀が声をかける。
 佳乃はもう一度皿の上のローストビーフとソースを見て、それから俊紀に言った。

「これ……日本で作れませんか?」
「ローストビーフをか?」
「じゃなくて、ソースの方。フィックスって本当は持ち込んじゃいけないんです。瑞穂さんもきっとこっそり持ってきたんだと思うんですけど……」
「ああそうか……輸入規制とかあったな」
「だからレアなんですけど、同じようなものを国内で作ったら売れると思いませんか?」

 株式会社原島の飲食事業は大きく二つに分けられる。一つは外食部門、そしてもう一つが家庭で使用される食材全般を扱う食品部門である。食品部門の中には、農水産品の流通販売と加工品の製造も含まれている。このところ、その食品部門の数字が振るわないのだ。それを俊紀が気にかけていることに、佳乃も気がついていた。
 長引く不況の影響で、働きに出る主婦が増えた。しかもギリギリまで人員が削減されているせいで、会社での各個人の負担は増える一方。くたくたになるまで働いて帰宅すれば、家で料理を作る気力など残っていない。手っ取り早くファストフードで済ませたり、ファミレスになだれこみたくなる気持ちは十分にわかる。
 佳乃や俊紀とて、もしも家にグルメシェフ山本の華麗なる食事が用意されていなければ、どんな食生活になっていたかわかったものではなかった。

「こういうフィックスのバリエーションがたくさんあれば、家でご飯作るのが簡単になって、しかも食品部門の売り上げも上がるんじゃないかなーって……」

 そう言いながら俊紀の顔を見た佳乃は、ぎくりとした。俊紀があまりにも難しい顔をしていたからだ。
 しまった……余計なこと言った……と、慌てて今言ったことを取り消そうとした佳乃の頭を、俊紀はぐりぐり撫でて言った。

「グッドアイデアだ! 確かにこういう手軽なものが使えれば疲れて帰ったときでも家で料理をする気になるかもしれない。それに簡単だから一人暮らしの男とかも使いそうだ」
「そう……ですね、お弁当男子とかも増えてるみたいですし」
「そのとおりだ。早々に食品部門の企画会議にかけてみよう」
「見本とかあった方がいいですか?」
「いや、大丈夫だろう……今食べたのでイメージは掴めるし……」
「見本ならこれ使ってください」

 そこに割り込んだのは朋香だった。どうやらもらったのはグレイビーソースだけではなかったらしく、鞄の中から同じようなパッケージをいくつも取り出す。元々全部佳乃に押しつけるつもりだったし……と渡してくれたものの中にはオランデーズソースやパスタソース、それから肉にまぶしてソテーする、揚げない唐揚げ粉のようなものもあった。

「うわーラッキー!! ありがとう朋香、今度一杯おごる!!」
「一杯?」
「わかった、二杯でも三杯でも奢る! デザートも二日酔いの薬も付ける! 翌朝のみそ汁用のシジミも!」
「シジミは欲しいけど薬はいらな~い」

 そして朋香は、じゃあまた今度「ぼったくり」にでも行こう。そのときは私、財布持ってかないからね、と宣言する。「ぼったくり」とは以前朋香と呑みに行った居酒屋の名前だ。いつ聞いても敷居の高そうな名前の店である。

「了解了解、ぼったくりでもふんだくりでも任せといて!」

 元気よくそう言いながら、佳乃は、朋香がくれたフィックスをそのまま俊紀に渡す。彼は大事そうにそれを持って原島邸の方に戻っていった。早速食品部門の担当者に連絡を入れるつもりなのだろう。
 これで少しでも食品部門の数字が上向けばいいな……と思いながら俊紀を見送り、佳乃はまた朋香とともに飲食にいそしんだ。


「姫さーん! そろそろケバブが焼けるぜー! 仲良ーく一緒に食おうぜ!」

 大澤が佳乃を呼び寄せようと大声を上げた。
 既に屋敷内から戻ってきていた俊紀が『ふざけるな』とばかりに、脇腹にパンチを入れる。そして、職人ごとレンタルした臨時ケバブ屋の屋台から、できたてのドナーケバブを受け取ると、追いすがる大澤を蹴り飛ばしつつ佳乃に近付いてきた。両手に持っているところを見ると、ちゃんと朋香の分も持ってきてくれたらしい。彼は二人に一つずつケバブを渡して言った。

「ほら。お待ちかねのケバブだぞ」
「姫さーん! ケバブはやっぱり、このじんわりじわじわ焼けてく肉を眺めながら食わないと!」
「うるさい!」
「そんな小うるさいボスなんざほっといて、こっち来なって。生ビールもあるぜー」
「お前が呑んで頭冷やせ!」
「ビールで頭が冷えるなら、ボスが一番に呑んで、そのラブラブ熱々あつあつ冷やしやがれってんだ!」
「お・お・さ・わーー!!」

 お互いが十数メートル離れても続行される漫才に、佳乃も朋香も息も絶え絶えになるほど笑う。終始和やか、そして時折馬鹿馬鹿しいほどの賑やかさでもって、原島邸大バーベキュー大会は無事終了した。 


「姫さん、ありがとうな」

 朋香を見送ったあと、庭で片付けをしていた佳乃のところに、大澤がやってきて言った。

「こちらこそ、魚とか綺麗に食べていただいて助かりました」
「いや、それもだけど……」

 他に何かあっただろうか、と手を止めて大澤の顔を見た佳乃に、彼は少し照れくさそうな顔で言った。

「ボスをさ、昔みたいな顔で笑わせてくれてありがとう。それと、いろいろあいつを助けてくれて……。あいつ、いい奴なんだけどけっこう意固地だし偉そうだし、あれこれ大変だと思うけどよろしくな」

 とっさに返す言葉が浮かばなかった佳乃を残して、大澤はじゃあな、と去っていった。
 佳乃は朋香の顔を思い浮かべ、やっぱりいいなあ、幼なじみって……と思いながら、大澤を見送った。


 その後、実際にドイツで大人気だというフィックスを見本に、企画会議が開かれた。水を加えて煮るだけという簡単さにもかかわらず、完成度の高い味、加えてその価格の安さに、俊紀も役員たちも食品部門の開発担当者までもが大いに驚き、即座に類似品の開発が決定された。


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