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9巻
9-3
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ちょうどその前日の夜、ユキヒロはリカから「隣の女将さんがいろいろ教えてくださるんだけど……」と相談を受けていた。ヨシノリ夫婦にも話したうえで、今夜にでもヨシノリが隣に話をしに行く予定にしていたらしい。ユキヒロは当初、自分の妻のことだから、と自分で話しに行くつもりだったようだが、隣との関係を荒立てないためにも俺に任せろ、とヨシノリに言われ、下駄を預けることにしたようだ。ところが、リカの涙を見たとたんに頭に血が上り、そのまま豆腐屋に突撃してしまったのだという。
「かっこいいなあ……さすがユキちゃん!」
馨は手を叩かんばかりに喜んでいる。小さい頃からかわいがってもらっていたこともあって、馨はユキヒロの大ファンなのだ。
「いい男に仕上がったもんだ。ま、てなわけで、ユキは怒鳴り込んじまった。若嫁さんは豆腐屋の婆の性格だってわかってるし、それが原因で難癖つけられたら商売に障ると思ったんだろうな。原因は自分にあるんだから自分が謝りに行くって、上等な饅頭持って隣へお出かけだ」
ウメは、そこまで気配りのできる嫁さんに、よくも難癖つけられたもんだ、と呆れまくっている。だが、シンゾウはにやりと笑って言う。
「でもな、考えてみりゃ、それで痛手を食らったのはあの婆さんのほうだぜ」
シンゾウの言葉に、ウメは一瞬きょとんとした。そしてしばらく考えたあと、ぱあっと顔を輝かせる。
「そうか。度量の違いを見せつけられたってことだね!」
「そのとおり。ま、若嫁さんをいじめてたことも含めて、あの婆さん、当分顔を上げて歩けねえぞ」
「じゃあ安心。これで一件落着だね。これ以上なんかあったら、豆腐の桶も堪らないだろうし」
「うわー、想像しただけでゾッとする! もう桶の話はやめようよ!」
馨が悲鳴を上げ、そこで肉屋対豆腐屋の話は終了となった。
さてさて、とばかりにシンゾウが訊いてくる。
「で、美音坊、この酒は?」
「ああ、ごめんなさい。なんだと思います……って訊くまでもないですよね?」
「このキレと、香りは……」
そこでシンゾウは、もう一口酒を含み、じっと考える。だがそれはただのポーズ、シンゾウはもうとっくにこの酒の銘柄を見破っているはずだ。なぜなら、この酒はこれまで何度もシンゾウに出しているし、彼のお気に入りの銘柄だからだ。
「このまろやかさと香りは、水芭蕉……うん、純米吟醸だな」
「はい、正解です」
『水芭蕉 純米吟醸』は群馬県最北部、川場村にある永井酒造が醸す酒である。尾瀬の大地に濾過された水と兵庫県で契約栽培された山田錦、そして明治十九年以来伝えられてきた技術によって造られるこの酒は、まろやかな甘みと果物を思わせる吟醸香が持ち味である。
ただこの『水芭蕉 純米吟醸』は一年を通じて販売されており、『ぼったくり』の冷蔵庫の常連でもある。晩秋から冬に入ったばかりのこの季節、美音としては同じ『水芭蕉 純米吟醸』でも季節限定の『ひやおろし』をすすめたいところだった。だが、今、冷蔵庫の中に『ひやおろし』はない。
残念な思いが顔に出たのか、シンゾウがくすりと笑った。
「『ひやおろし』を出せないのが悔しいのかい?」
「……そのとおりです。ごめんなさい」
実のところ、美音は今年『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』を確保できなかったのだ。
今年の夏以降、美音の身辺はとにかく賑やかだった。賑やかというよりも激動と言っていいほどである。
ひとりの客にすぎなかった要との関係が深まり、それに起因して賞味期限切れの鰻を使ったことをネットでさらされるという、店の存続を左右するような事件もあった。
その後も、常連客であるノリの介護問題、祖父にサツマイモの茎を食べさせたい少年、七五三のお祝いに悩むマサの孫娘の話……と心配事が相次いだ。中でも大きかったのは、要のプロポーズから始まった一連の騒動だ。あれはほとんど要の母である八重が引き起こしたようなものだったが、原因が美音の告げ口にあることは間違いない。要には本当に気の毒なことをしてしまったと、反省することしきりだった。
とにかく、そんなこんなで美音は心身ともに忙しく、気が付いたときにはすっかり秋が深まっていた。慌てて秋の酒をチェックし、発注しようとしたものの『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』はすでに売り切れ、美音は入手することができなかったのだ。
『ひやおろし』は、冬に搾った酒を春先に火入れし、涼しい蔵で夏を越させたあと出荷される秋限定のものである。一説には、蔵の温度と外気温が同じになるころに出荷されるとも言われているが、その出荷時期については蔵元に委ねられ、ボージョレヌーボーのように厳密な決まりがあるわけではない。
もちろんそれは酒の熟成を見極め、最高の状態で出したいからこそなのだが、仕入れる側にとっては少々辛い。常に情報に気を配り、注文しなければならないのだ。
特に、『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』は人気が高い酒で、あっという間に品切れになる。だからこそ毎年発売情報をこまめにチェックし、買いそびれないようにしているのに、今年はそれができなかった。それもこれも、すべて美音自身のせいだった。
「ごめんなさい。『水芭蕉』のひやおろし、来年は必ず入れるようにしますね」
「気にしなさんな。『水芭蕉』はひやおろしじゃなくても十分美味いし、秋は今年で終わりってわけじゃねえ。来年を楽しみに待たせてもらうよ」
「ありがとうございます」
シンゾウの言葉にほっとして、美音は深く頭を下げた。
「ってことで、酒のおかわりとなんかつまみをもらおうかな」
すかさず馨が『水芭蕉 純米吟醸』の瓶を取り出し、シンゾウのグラスに注ぎながら言う。
「シンゾウさん、今日のおすすめは、秋鮭のちゃんちゃん焼きでーす!」
「おー!! いいねえ、味噌をたっぷりのせてくれよ」
「あたしも同じのをもらおうかね」
「了解! 鮭のちゃんちゃん焼きふたつ!」
秋鮭が出まわるころ、美音は北海道の名物料理であるちゃんちゃん焼きを作る。
本来は、鉄板の上で、鮭の半身にもやしや玉葱、キャベツ、ピーマンといった野菜や茸をふんだんにのせ、みりんや酒、味噌の味つけで豪快に焼き上げる料理であるが、『ぼったくり』に大きな鉄板を持ち込むわけにもいかないため、大ぶりのホイル焼きに仕立てることにしている。
それでも、大きな切り身をふたつ使い、たっぷりの野菜、腹持ちのいいジャガイモまでのせてしまうちゃんちゃん焼きは、ボリュームたっぷり。ウメなどはご飯はいらないと言うぐらいだった。
「おまちどおさまでした」
美音は焼き上がったちゃんちゃん焼きを皿に移し、カウンター越しに差し出した。
普通のホイル焼きよりもずいぶん大きいため、焼き上げるのにも時間がかかる。シンゾウもウメもそれは承知の上での注文なのだが、やはり申し訳なく思ってしまう。
いつもの『お待たせしました』ではなく『おまちどおさまでした』と言う美音を軽く笑いながら、シンゾウとウメはホイルの折り目をそっと開いた。とたんにもわっと湯気が立ち上り、店内に味噌の香りが広がっていく。
「あーもう冬が来るんだねえ……」
湯気が疎ましくなくなったら秋。それを通り越して恋しくなったらもう冬は近い――
ウメは毎年、ちゃんちゃん焼きのホイルを開けるたびにそんなことを言う。
野菜から出た水分でちょうどよく緩められた味噌を鮭に絡め、酒と交互に口に運びながらシンゾウが呻く。
「うめえなあ……。寒くなるのは困りもんだが、やっぱり冬は旨いもんが多い」
「あら、夏ならではの美味しいものもたくさんありますよ?」
「まあな。とはいえ、燗酒はやっぱり冬だよ」
「シンさん、冷酒呑んでるのに、なにを言ってるんだか……。その点、梅割り一辺倒のあたしは夏でも冬でもござれ。ほんと、梅割りはなんにでも合うからいい」
ウメがご贔屓の焼酎の梅割りを褒めあげる。
味噌の柔らかい香りが漂う中、静かな夜が更けていった。
†
その夜、要が現れたのはいつもどおり閉店間近だった。
今日のおすすめがちゃんちゃん焼きだと知った要は、日本酒ではなくビールが呑みたいと言った。
「冷酒も捨てがたいけど、舌を焼くほど熱い料理って、やっぱり冷たいビールがほしくなるんだ。まあ、これは俺の場合で、人それぞれだろうけど」
そんな言い訳しなくてもいいのに、とおかしくなるが、これは要が『ぼったくり』が日本酒に力を入れている居酒屋で、美音も馨もことさら熱心に学んでいると知っているからだろう。
「ご心配なく。同じようにおっしゃるお客様はたくさんいらっしゃいますよ。たぶん、餃子と同じ扱いなんじゃないでしょうか?」
「あーそうそう、そういう感じ」
「でしょ? ちょうどちゃんちゃん焼きに合いそうなビールを見つけたところなんです」
そう言いつつ、美音は冷蔵庫から一本のビールを取り出した。
小ぶりな瓶に貼られているラベルは深い青。真ん中に『COEDO』というブランド名、その下に『Ruri』と書かれている。『COEDO』は小江戸を意味し、埼玉県川越市にあるコエドブルワリーが造っているクラフトビールである。
美音はこのビールに『スーパー呉竹』の店頭で出会った。その日は日曜日で、馨にせがまれて餃子をたくさん作り、餃子ならビールがなくちゃ! ということで、姉妹で『ショッピングプラザ下町』に出かけたのである。
家で呑むのだから手軽な国産で……と思っていた美音は、ショーケースに並んでいた目が覚めるような深い青に引かれて手に取った。てっきり外国産のビールかと思ったら国産、しかも関東で造られている地ビールで、これは是非とも呑んでみなければ! とそのままレジに運んだのだった。
期待一杯でグラスに注いでみると、ピルスナー特有のレモン色。味わいは思いの外フルーティで軽く、餃子にはぴったりだった。これならドイツビール、しかもピルスナーを好む要の舌にも合うだろうと考えて、改めて『ぼったくり』で仕入れたのである。
このビールには瓶と缶の両方があり、元々美音が買ったのは缶だった。あの深い青をそのまま店に置きたいと思ったけれど、やはり居酒屋としては瓶のほうが好ましい。缶しか製造されていないならまだしも……と泣く泣く店用には瓶を仕入れたが、その後も自分用にはずっと缶を買っている。美音にとってこの『COEDO Ruri』は中身が素晴らしいだけではなく、容器まで含めてもお気に入りのビールだった。
「これ……日本のビールだよね?」
「ええ、それが何か?」
「ドイツビールみたいにクリアで、ベルギービールみたいにフルーティだ。なんかすごいよ」
「でしょう!?」
美音は自分が選んだビールが要のお眼鏡に適ったのが嬉しくて、つい声を高くしてしまった。
要は目を輝かせている美音を尻目に、ビールとちゃんちゃん焼きのコラボレーションに夢中。その姿はさらに美音を喜ばせる結果となった。
お客さんが喜んでくれるのが嬉しいのは当然だけど、要が喜ぶ姿を見るのは格別だ。逆に、彼が悲しんでいる姿を見るのは辛いし、もしそんな状況になったら自分にできることはないかと考えるはずだ。
『加藤精肉店』のユキヒロが『豆腐の戸田』に怒鳴り込んだのも、そんな気持ちからだったのだろう。もしも要が誰かに虐げられ、辛い思いをしていると知ったら、美音だってできる限りのことをしたいと思うはずだ。もっとも、自分がショウコをやり込められるとは思えなかったけれど……
「どうしたの? 難しい顔をして」
要の声がした。ビールとちゃんちゃん焼きで人心地ついて、ようやく口を飲食以外のことに使う気になったのだろう。食べたいときに食べ、話したいときに話す。沈黙が邪魔にならない関係を築けていることに満足を覚えながら、美音は『豆腐の戸田』の一件について要に話してみた。
その底には、もしも自分がリカと同じような目に遭っていたら、要がどんな反応をするのか知りたいという気持ちがあった。
「ふーん……それはまた、大騒ぎだったんだね。普段あんまり争いごとを好まない人が、そこまでするんだから相当腹に据えかねたんだろう」
「でしょうね。私から見てもリカさんはものすごく辛そうでしたから」
「どこにでもそんな婆さんはいるからなあ……」
「要さん、もし私がそういう目に遭ってたらどうします?」
どう答えてほしいのか自分でもわからないまま、美音は要の答えを待った。
「隣の意地悪婆にいじめられてたらってこと?」
「まあ……そうですね」
「どうしてほしい?」
「質問に質問で答えるのはずるいです」
美音の言葉に、要は困ったような、少し面白がっているような顔で答える。
「じゃあ選択肢を出そう。三つの中から好きなのを選んで」
「はい?」
「その一、突撃して罵詈雑言を浴びせかけて、ぐうの音も出ないほどやっつける」
「ユキヒロさんと同じですね」
要がそれをやったら、ユキヒロの三倍は怖いかもしれない。たぶん、鉄壁の理論構成でやり込めまくるだろう。でもまあ、一番一般的、かつ手っ取り早い対応である。
「その二、裁判所に持ち込んで、誹謗中傷で訴える」
「う、訴える? そんなことで裁判沙汰にするんですか!?」
美音は、たかがご近所間のもめ事にそれはちょっと……と怯えてしまう。そんな美音を鼻で笑って、要はさらにひどい選択肢を示した。
「その三、正々堂々なんてかなぐり捨てて、闇から闇へ」
要の、右手を軽く首にあてすっと滑らせる仕草を見て、美音は仰天した。
「なんて物騒なこと言うんですか! それは犯罪ってものです!」
「蛇の道は蛇っていうだろ? 昔の仲間に頼めばそれぐらいのこと平気で……」
「だめです! そんなことしたら要さんが捕まっちゃいます!」
せめて笑ってくれれば冗談だとわかるのに、要の表情には一片の緩みもない。おそらく彼は本気なのだろう。さらに真面目な顔のまま付け加える。
「おれは、大事な人を傷つけられて黙っていられるほど温厚じゃない。たとえ周りの目には些細なことに映ったとしても、君が傷ついたと感じたならそれが真実だ。おれはそれを君に感じさせた者を許さない。どうあっても報復するし、そのための手段は選ばない」
「要さん……」
「この際だから言っておくけど、君は、自分が傷つくことなんか気にもせずに、どこにでも突っ込んでいく癖があるよね。でも、おれはそれがすごく心配だし、なにかあったらと思うといたたまれない。おれがそう思ってるってことを君にもちゃんとわかっててほしい」
あまりにも真剣にそう言われ、美音はゴクリとつばを呑み込む。
「わ、わかりました! わかりましたから、法律に触れるようなことはしないでくださいね!」
「本当にわかってる?」
「わかってます。了解です!」
だからその物騒な目の色を引っ込めて、と美音は全力で諫める。
要が自分を想ってくれる気持ちはありがたいが、いくらなんでもそれはやりすぎだ。
美音が何かに傷つくたびに、いちいちそんなことをされては、美音の社会生活は壊滅、普通に暮らすこともできなくなる。
要という人間の本質は、自分が考えているよりも遥かに恐ろしいのではないか。そんな気がして美音は背筋が冷たくなる思いだった。
一方要は、美音の怯えた顔に大いに満足そうだった。
「うん。それぐらいでちょうどいいよ。君が嫌な目に遭ったら、おれが何をするかわからないと思って、あんまり危ないことに首を突っ込まないこと」
要に念を押され、美音はこくりと頷いた。これでよし、とばかりに笑みを浮かべ、要は今度は美音に訊ねてくる。
「で、君は?」
「え?」
「君を傷つける者はおれが許さない。じゃあ、おれが傷つけられたら君はどうする?」
さっきの剣呑さはすっかりなりを潜め、今の要はまるで甘える子どものようだった。その変わり身の早さはいったいどこで身につけたの? と問い質したくなる。
ちょっと悔しくなってしまった美音は、あえて素っ気なく答えた。
「どうにもしません」
「うわあ……まさかの全力で放置?」
ううーっと呻いたあと、要はカウンターにつっ伏した。その芝居がかった仕草を笑いながら、美音は大ぶりの椀を彼の鼻先にとんと置く。味噌の香りにはっと頭を上げ、要は椀に見入った。
「アラ汁か!」
「ええ。ちゃんちゃん焼きのために鮭を丸ごと仕入れたら、アラがたくさん出たんです」
目に染みるようなネギの緑と、あちこちに覗く鮭の桃色。椀から立ち上る湯気の行方を要はしばし目で追う。そんな要に、美音はそっと囁いた。
「慰めてあげますよ」
ぼんやり湯気を追っていた目が、今度は美音に向けられた。
「私には、要さんみたいに相手をやっつける力はありません。でもちゃんと慰めてあげます」
「慰めてくれるの?」
「慰めて、癒して、傷なんて忘れさせてあげます。だから、もしもどこかで辛い目に遭ったら、迷わず私のところに来てください」
そして美音はにっこり笑った。
「もうその笑顔だけでいいような気がするよ……」
「そうですか? 簡単ですね」
からからと笑ったあと、美音は改めてアラ汁をすすめた。
「熱いうちにどうぞ」
要は慌てて箸を取り、汁をずっと吸い込む。
「あちっ!」
「大丈夫ですか? 火傷しました!?」
瞬く間に表情を変え、心配一色に染まった美音に、要は唖然としている。変わり身が早すぎるとでも思っているのかもしれない。
「なんかもうおれ、太刀打ちできそうにないよ……」
それは私の台詞です――
思わずそう言い返したくなった。
要はこれまで、美音自身がどうにもならないと投げ出しそうになった問題を、片っ端から解決してくれた。
どんな経験を積み、どれほどの知識を蓄積すれば彼のようになれるのだろう、とため息をつくばかりだった。今は、彼が歩んできた道のりもちゃんとわかっている。それでもなお、この人には敵わないと思わされるのだ。
だが、彼は今、とても満足そうにアラ汁を味わっている。こんなことで反論するには、無粋すぎる場面だった。
要は椀の中から大根を一切れつまみ上げ、じっくり眺めたあと口に入れた。
「ああ……味噌がよく染みてて、なんだかすごく懐かしい感じの味だ。このアラ汁さえあれば、身も心もぽっかぽかだな」
「じゃあ、私は用なしですね。今度要さんが落ち込んだときは、下手に慰めなんて言わずに、アラ汁を出すことにします」
そう言ったとたん、要が吹き出した。しばらく笑い続けたあと、彼は息も絶え絶えで言う。
「もしかして君、アラ汁に焼き餅やいてるの?」
「え……そんなつもりは……」
口ではそう答えながらも美音は、要の指摘は間違っていないとわかっていた。心のどこかに、アラ汁さえあればいいのね、という気持ちがあったからこそ、そんな台詞が口をついたのだ。
こんなに嫉妬深い性格ではなかったはずなのに……と落ち込みそうになるが、よく考えればこのアラ汁だって美音が作ったものなのだ。焼き餅なんてやく必要はない。
「アラ汁を作って出すことだって、慰め方のひとつ。どっちも私です」
半ば開き直りのような台詞に、また要の笑いが復活した。
「かっこいいなあ……さすがユキちゃん!」
馨は手を叩かんばかりに喜んでいる。小さい頃からかわいがってもらっていたこともあって、馨はユキヒロの大ファンなのだ。
「いい男に仕上がったもんだ。ま、てなわけで、ユキは怒鳴り込んじまった。若嫁さんは豆腐屋の婆の性格だってわかってるし、それが原因で難癖つけられたら商売に障ると思ったんだろうな。原因は自分にあるんだから自分が謝りに行くって、上等な饅頭持って隣へお出かけだ」
ウメは、そこまで気配りのできる嫁さんに、よくも難癖つけられたもんだ、と呆れまくっている。だが、シンゾウはにやりと笑って言う。
「でもな、考えてみりゃ、それで痛手を食らったのはあの婆さんのほうだぜ」
シンゾウの言葉に、ウメは一瞬きょとんとした。そしてしばらく考えたあと、ぱあっと顔を輝かせる。
「そうか。度量の違いを見せつけられたってことだね!」
「そのとおり。ま、若嫁さんをいじめてたことも含めて、あの婆さん、当分顔を上げて歩けねえぞ」
「じゃあ安心。これで一件落着だね。これ以上なんかあったら、豆腐の桶も堪らないだろうし」
「うわー、想像しただけでゾッとする! もう桶の話はやめようよ!」
馨が悲鳴を上げ、そこで肉屋対豆腐屋の話は終了となった。
さてさて、とばかりにシンゾウが訊いてくる。
「で、美音坊、この酒は?」
「ああ、ごめんなさい。なんだと思います……って訊くまでもないですよね?」
「このキレと、香りは……」
そこでシンゾウは、もう一口酒を含み、じっと考える。だがそれはただのポーズ、シンゾウはもうとっくにこの酒の銘柄を見破っているはずだ。なぜなら、この酒はこれまで何度もシンゾウに出しているし、彼のお気に入りの銘柄だからだ。
「このまろやかさと香りは、水芭蕉……うん、純米吟醸だな」
「はい、正解です」
『水芭蕉 純米吟醸』は群馬県最北部、川場村にある永井酒造が醸す酒である。尾瀬の大地に濾過された水と兵庫県で契約栽培された山田錦、そして明治十九年以来伝えられてきた技術によって造られるこの酒は、まろやかな甘みと果物を思わせる吟醸香が持ち味である。
ただこの『水芭蕉 純米吟醸』は一年を通じて販売されており、『ぼったくり』の冷蔵庫の常連でもある。晩秋から冬に入ったばかりのこの季節、美音としては同じ『水芭蕉 純米吟醸』でも季節限定の『ひやおろし』をすすめたいところだった。だが、今、冷蔵庫の中に『ひやおろし』はない。
残念な思いが顔に出たのか、シンゾウがくすりと笑った。
「『ひやおろし』を出せないのが悔しいのかい?」
「……そのとおりです。ごめんなさい」
実のところ、美音は今年『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』を確保できなかったのだ。
今年の夏以降、美音の身辺はとにかく賑やかだった。賑やかというよりも激動と言っていいほどである。
ひとりの客にすぎなかった要との関係が深まり、それに起因して賞味期限切れの鰻を使ったことをネットでさらされるという、店の存続を左右するような事件もあった。
その後も、常連客であるノリの介護問題、祖父にサツマイモの茎を食べさせたい少年、七五三のお祝いに悩むマサの孫娘の話……と心配事が相次いだ。中でも大きかったのは、要のプロポーズから始まった一連の騒動だ。あれはほとんど要の母である八重が引き起こしたようなものだったが、原因が美音の告げ口にあることは間違いない。要には本当に気の毒なことをしてしまったと、反省することしきりだった。
とにかく、そんなこんなで美音は心身ともに忙しく、気が付いたときにはすっかり秋が深まっていた。慌てて秋の酒をチェックし、発注しようとしたものの『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』はすでに売り切れ、美音は入手することができなかったのだ。
『ひやおろし』は、冬に搾った酒を春先に火入れし、涼しい蔵で夏を越させたあと出荷される秋限定のものである。一説には、蔵の温度と外気温が同じになるころに出荷されるとも言われているが、その出荷時期については蔵元に委ねられ、ボージョレヌーボーのように厳密な決まりがあるわけではない。
もちろんそれは酒の熟成を見極め、最高の状態で出したいからこそなのだが、仕入れる側にとっては少々辛い。常に情報に気を配り、注文しなければならないのだ。
特に、『水芭蕉 純米吟醸 ひやおろし』は人気が高い酒で、あっという間に品切れになる。だからこそ毎年発売情報をこまめにチェックし、買いそびれないようにしているのに、今年はそれができなかった。それもこれも、すべて美音自身のせいだった。
「ごめんなさい。『水芭蕉』のひやおろし、来年は必ず入れるようにしますね」
「気にしなさんな。『水芭蕉』はひやおろしじゃなくても十分美味いし、秋は今年で終わりってわけじゃねえ。来年を楽しみに待たせてもらうよ」
「ありがとうございます」
シンゾウの言葉にほっとして、美音は深く頭を下げた。
「ってことで、酒のおかわりとなんかつまみをもらおうかな」
すかさず馨が『水芭蕉 純米吟醸』の瓶を取り出し、シンゾウのグラスに注ぎながら言う。
「シンゾウさん、今日のおすすめは、秋鮭のちゃんちゃん焼きでーす!」
「おー!! いいねえ、味噌をたっぷりのせてくれよ」
「あたしも同じのをもらおうかね」
「了解! 鮭のちゃんちゃん焼きふたつ!」
秋鮭が出まわるころ、美音は北海道の名物料理であるちゃんちゃん焼きを作る。
本来は、鉄板の上で、鮭の半身にもやしや玉葱、キャベツ、ピーマンといった野菜や茸をふんだんにのせ、みりんや酒、味噌の味つけで豪快に焼き上げる料理であるが、『ぼったくり』に大きな鉄板を持ち込むわけにもいかないため、大ぶりのホイル焼きに仕立てることにしている。
それでも、大きな切り身をふたつ使い、たっぷりの野菜、腹持ちのいいジャガイモまでのせてしまうちゃんちゃん焼きは、ボリュームたっぷり。ウメなどはご飯はいらないと言うぐらいだった。
「おまちどおさまでした」
美音は焼き上がったちゃんちゃん焼きを皿に移し、カウンター越しに差し出した。
普通のホイル焼きよりもずいぶん大きいため、焼き上げるのにも時間がかかる。シンゾウもウメもそれは承知の上での注文なのだが、やはり申し訳なく思ってしまう。
いつもの『お待たせしました』ではなく『おまちどおさまでした』と言う美音を軽く笑いながら、シンゾウとウメはホイルの折り目をそっと開いた。とたんにもわっと湯気が立ち上り、店内に味噌の香りが広がっていく。
「あーもう冬が来るんだねえ……」
湯気が疎ましくなくなったら秋。それを通り越して恋しくなったらもう冬は近い――
ウメは毎年、ちゃんちゃん焼きのホイルを開けるたびにそんなことを言う。
野菜から出た水分でちょうどよく緩められた味噌を鮭に絡め、酒と交互に口に運びながらシンゾウが呻く。
「うめえなあ……。寒くなるのは困りもんだが、やっぱり冬は旨いもんが多い」
「あら、夏ならではの美味しいものもたくさんありますよ?」
「まあな。とはいえ、燗酒はやっぱり冬だよ」
「シンさん、冷酒呑んでるのに、なにを言ってるんだか……。その点、梅割り一辺倒のあたしは夏でも冬でもござれ。ほんと、梅割りはなんにでも合うからいい」
ウメがご贔屓の焼酎の梅割りを褒めあげる。
味噌の柔らかい香りが漂う中、静かな夜が更けていった。
†
その夜、要が現れたのはいつもどおり閉店間近だった。
今日のおすすめがちゃんちゃん焼きだと知った要は、日本酒ではなくビールが呑みたいと言った。
「冷酒も捨てがたいけど、舌を焼くほど熱い料理って、やっぱり冷たいビールがほしくなるんだ。まあ、これは俺の場合で、人それぞれだろうけど」
そんな言い訳しなくてもいいのに、とおかしくなるが、これは要が『ぼったくり』が日本酒に力を入れている居酒屋で、美音も馨もことさら熱心に学んでいると知っているからだろう。
「ご心配なく。同じようにおっしゃるお客様はたくさんいらっしゃいますよ。たぶん、餃子と同じ扱いなんじゃないでしょうか?」
「あーそうそう、そういう感じ」
「でしょ? ちょうどちゃんちゃん焼きに合いそうなビールを見つけたところなんです」
そう言いつつ、美音は冷蔵庫から一本のビールを取り出した。
小ぶりな瓶に貼られているラベルは深い青。真ん中に『COEDO』というブランド名、その下に『Ruri』と書かれている。『COEDO』は小江戸を意味し、埼玉県川越市にあるコエドブルワリーが造っているクラフトビールである。
美音はこのビールに『スーパー呉竹』の店頭で出会った。その日は日曜日で、馨にせがまれて餃子をたくさん作り、餃子ならビールがなくちゃ! ということで、姉妹で『ショッピングプラザ下町』に出かけたのである。
家で呑むのだから手軽な国産で……と思っていた美音は、ショーケースに並んでいた目が覚めるような深い青に引かれて手に取った。てっきり外国産のビールかと思ったら国産、しかも関東で造られている地ビールで、これは是非とも呑んでみなければ! とそのままレジに運んだのだった。
期待一杯でグラスに注いでみると、ピルスナー特有のレモン色。味わいは思いの外フルーティで軽く、餃子にはぴったりだった。これならドイツビール、しかもピルスナーを好む要の舌にも合うだろうと考えて、改めて『ぼったくり』で仕入れたのである。
このビールには瓶と缶の両方があり、元々美音が買ったのは缶だった。あの深い青をそのまま店に置きたいと思ったけれど、やはり居酒屋としては瓶のほうが好ましい。缶しか製造されていないならまだしも……と泣く泣く店用には瓶を仕入れたが、その後も自分用にはずっと缶を買っている。美音にとってこの『COEDO Ruri』は中身が素晴らしいだけではなく、容器まで含めてもお気に入りのビールだった。
「これ……日本のビールだよね?」
「ええ、それが何か?」
「ドイツビールみたいにクリアで、ベルギービールみたいにフルーティだ。なんかすごいよ」
「でしょう!?」
美音は自分が選んだビールが要のお眼鏡に適ったのが嬉しくて、つい声を高くしてしまった。
要は目を輝かせている美音を尻目に、ビールとちゃんちゃん焼きのコラボレーションに夢中。その姿はさらに美音を喜ばせる結果となった。
お客さんが喜んでくれるのが嬉しいのは当然だけど、要が喜ぶ姿を見るのは格別だ。逆に、彼が悲しんでいる姿を見るのは辛いし、もしそんな状況になったら自分にできることはないかと考えるはずだ。
『加藤精肉店』のユキヒロが『豆腐の戸田』に怒鳴り込んだのも、そんな気持ちからだったのだろう。もしも要が誰かに虐げられ、辛い思いをしていると知ったら、美音だってできる限りのことをしたいと思うはずだ。もっとも、自分がショウコをやり込められるとは思えなかったけれど……
「どうしたの? 難しい顔をして」
要の声がした。ビールとちゃんちゃん焼きで人心地ついて、ようやく口を飲食以外のことに使う気になったのだろう。食べたいときに食べ、話したいときに話す。沈黙が邪魔にならない関係を築けていることに満足を覚えながら、美音は『豆腐の戸田』の一件について要に話してみた。
その底には、もしも自分がリカと同じような目に遭っていたら、要がどんな反応をするのか知りたいという気持ちがあった。
「ふーん……それはまた、大騒ぎだったんだね。普段あんまり争いごとを好まない人が、そこまでするんだから相当腹に据えかねたんだろう」
「でしょうね。私から見てもリカさんはものすごく辛そうでしたから」
「どこにでもそんな婆さんはいるからなあ……」
「要さん、もし私がそういう目に遭ってたらどうします?」
どう答えてほしいのか自分でもわからないまま、美音は要の答えを待った。
「隣の意地悪婆にいじめられてたらってこと?」
「まあ……そうですね」
「どうしてほしい?」
「質問に質問で答えるのはずるいです」
美音の言葉に、要は困ったような、少し面白がっているような顔で答える。
「じゃあ選択肢を出そう。三つの中から好きなのを選んで」
「はい?」
「その一、突撃して罵詈雑言を浴びせかけて、ぐうの音も出ないほどやっつける」
「ユキヒロさんと同じですね」
要がそれをやったら、ユキヒロの三倍は怖いかもしれない。たぶん、鉄壁の理論構成でやり込めまくるだろう。でもまあ、一番一般的、かつ手っ取り早い対応である。
「その二、裁判所に持ち込んで、誹謗中傷で訴える」
「う、訴える? そんなことで裁判沙汰にするんですか!?」
美音は、たかがご近所間のもめ事にそれはちょっと……と怯えてしまう。そんな美音を鼻で笑って、要はさらにひどい選択肢を示した。
「その三、正々堂々なんてかなぐり捨てて、闇から闇へ」
要の、右手を軽く首にあてすっと滑らせる仕草を見て、美音は仰天した。
「なんて物騒なこと言うんですか! それは犯罪ってものです!」
「蛇の道は蛇っていうだろ? 昔の仲間に頼めばそれぐらいのこと平気で……」
「だめです! そんなことしたら要さんが捕まっちゃいます!」
せめて笑ってくれれば冗談だとわかるのに、要の表情には一片の緩みもない。おそらく彼は本気なのだろう。さらに真面目な顔のまま付け加える。
「おれは、大事な人を傷つけられて黙っていられるほど温厚じゃない。たとえ周りの目には些細なことに映ったとしても、君が傷ついたと感じたならそれが真実だ。おれはそれを君に感じさせた者を許さない。どうあっても報復するし、そのための手段は選ばない」
「要さん……」
「この際だから言っておくけど、君は、自分が傷つくことなんか気にもせずに、どこにでも突っ込んでいく癖があるよね。でも、おれはそれがすごく心配だし、なにかあったらと思うといたたまれない。おれがそう思ってるってことを君にもちゃんとわかっててほしい」
あまりにも真剣にそう言われ、美音はゴクリとつばを呑み込む。
「わ、わかりました! わかりましたから、法律に触れるようなことはしないでくださいね!」
「本当にわかってる?」
「わかってます。了解です!」
だからその物騒な目の色を引っ込めて、と美音は全力で諫める。
要が自分を想ってくれる気持ちはありがたいが、いくらなんでもそれはやりすぎだ。
美音が何かに傷つくたびに、いちいちそんなことをされては、美音の社会生活は壊滅、普通に暮らすこともできなくなる。
要という人間の本質は、自分が考えているよりも遥かに恐ろしいのではないか。そんな気がして美音は背筋が冷たくなる思いだった。
一方要は、美音の怯えた顔に大いに満足そうだった。
「うん。それぐらいでちょうどいいよ。君が嫌な目に遭ったら、おれが何をするかわからないと思って、あんまり危ないことに首を突っ込まないこと」
要に念を押され、美音はこくりと頷いた。これでよし、とばかりに笑みを浮かべ、要は今度は美音に訊ねてくる。
「で、君は?」
「え?」
「君を傷つける者はおれが許さない。じゃあ、おれが傷つけられたら君はどうする?」
さっきの剣呑さはすっかりなりを潜め、今の要はまるで甘える子どものようだった。その変わり身の早さはいったいどこで身につけたの? と問い質したくなる。
ちょっと悔しくなってしまった美音は、あえて素っ気なく答えた。
「どうにもしません」
「うわあ……まさかの全力で放置?」
ううーっと呻いたあと、要はカウンターにつっ伏した。その芝居がかった仕草を笑いながら、美音は大ぶりの椀を彼の鼻先にとんと置く。味噌の香りにはっと頭を上げ、要は椀に見入った。
「アラ汁か!」
「ええ。ちゃんちゃん焼きのために鮭を丸ごと仕入れたら、アラがたくさん出たんです」
目に染みるようなネギの緑と、あちこちに覗く鮭の桃色。椀から立ち上る湯気の行方を要はしばし目で追う。そんな要に、美音はそっと囁いた。
「慰めてあげますよ」
ぼんやり湯気を追っていた目が、今度は美音に向けられた。
「私には、要さんみたいに相手をやっつける力はありません。でもちゃんと慰めてあげます」
「慰めてくれるの?」
「慰めて、癒して、傷なんて忘れさせてあげます。だから、もしもどこかで辛い目に遭ったら、迷わず私のところに来てください」
そして美音はにっこり笑った。
「もうその笑顔だけでいいような気がするよ……」
「そうですか? 簡単ですね」
からからと笑ったあと、美音は改めてアラ汁をすすめた。
「熱いうちにどうぞ」
要は慌てて箸を取り、汁をずっと吸い込む。
「あちっ!」
「大丈夫ですか? 火傷しました!?」
瞬く間に表情を変え、心配一色に染まった美音に、要は唖然としている。変わり身が早すぎるとでも思っているのかもしれない。
「なんかもうおれ、太刀打ちできそうにないよ……」
それは私の台詞です――
思わずそう言い返したくなった。
要はこれまで、美音自身がどうにもならないと投げ出しそうになった問題を、片っ端から解決してくれた。
どんな経験を積み、どれほどの知識を蓄積すれば彼のようになれるのだろう、とため息をつくばかりだった。今は、彼が歩んできた道のりもちゃんとわかっている。それでもなお、この人には敵わないと思わされるのだ。
だが、彼は今、とても満足そうにアラ汁を味わっている。こんなことで反論するには、無粋すぎる場面だった。
要は椀の中から大根を一切れつまみ上げ、じっくり眺めたあと口に入れた。
「ああ……味噌がよく染みてて、なんだかすごく懐かしい感じの味だ。このアラ汁さえあれば、身も心もぽっかぽかだな」
「じゃあ、私は用なしですね。今度要さんが落ち込んだときは、下手に慰めなんて言わずに、アラ汁を出すことにします」
そう言ったとたん、要が吹き出した。しばらく笑い続けたあと、彼は息も絶え絶えで言う。
「もしかして君、アラ汁に焼き餅やいてるの?」
「え……そんなつもりは……」
口ではそう答えながらも美音は、要の指摘は間違っていないとわかっていた。心のどこかに、アラ汁さえあればいいのね、という気持ちがあったからこそ、そんな台詞が口をついたのだ。
こんなに嫉妬深い性格ではなかったはずなのに……と落ち込みそうになるが、よく考えればこのアラ汁だって美音が作ったものなのだ。焼き餅なんてやく必要はない。
「アラ汁を作って出すことだって、慰め方のひとつ。どっちも私です」
半ば開き直りのような台詞に、また要の笑いが復活した。
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