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8巻
8-3
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「はあ……よかった!」
カウンターの隅に置いてある電話が鳴った瞬間から、話の成り行きに耳を澄ませていた馨が安堵の息を漏らした。ところが、ウメはなぜか複雑な顔をしている。焼酎の梅割りもちっとも減っていなかった。
「どうしたの、ウメさん?」
と、美音が訊いてみると、ウメはちょっと切なそうに言った。
「いやね、あたしももっと年を取ってぼけちゃったら『サツマイモの茎』って言うのかと思ってさ」
頭も身体も元気なウメにそんな日がくるなんて想像できなかった。けれど、こればかりは誰にもわからない。美音に言えることはひとつだけだった。
「もし、ウメさんがそうなっても、ちゃんとお届けしますよ。それこそ毎年、毎年、あおはずく幼稚園の園長先生にウメさんの分だってお願いして」
隣で大きく頷きながら、馨も付け加える。
「あたしが届けるよ! あ、もちろん焼酎の梅割りと一緒に!」
「馨、梅割りはどうなの?」
「あーいいねえ、梅割りとサツマイモの茎のきんぴら。それならぼけても安心だ」
「うん、安心安心!」
「えーっと、ごめんなさいウメさん、何が安心なのかしら?」
「さあ……なんだろ?」
三人はそこで大笑いし、ウメはまた小皿に少しだけサツマイモの茎のきんぴらを取る。
そして、この胡麻油の香りがどうにも……と本当に美味しそうに口に入れた。
†
「ところで、これはなに?」
カウンターの上に置かれた大ぶりな鉢を見て、要が訊ねた。ちなみに、鉢の中身はほとんど残っていない。いつもどおり要は閉店間際に来店し、常連たちが散々食べて帰ったあとだからだ。
「なんだと思われます?」
「なんだと訊かれても……蕗みたいだけど今は季節じゃないし、小松菜とはちょっと違うし、見当がつかないな」
「ご覧になったことあると思いますよ。学校とかで……」
「学校? いやもう、全然わからない。降参!」
「やけにあっさり諦めますね。実はこれ、サツマイモの茎なんです。好きなだけお皿にとってお召し上がりください」
自分で好きなだけ取る、という見慣れない提供方法を不思議に思った要は、美音から説明を聞いて驚いた。
「サツマイモの茎……しかもサービスなの?」
「ええ。召し上がったことおありですか?」
「いや……ない。でも、確かに学校で見たな」
知識として、食べられるということは知っていたが、食べたことはおろか、料理されたものを見たのも初めてだった。
「だと、思いました。もうあまり残ってませんけど、よろしければお試しください」
「ああ。でも……これ……」
旨いのか?
そんな言葉が顔に浮かんでいたのだろう。美音はクスリと笑って答えた。
「美味しいのか、ですか? さあどうでしょうねえ……。うちのお客さんたちは気に入ってくださってますけど……」
そして美音は、もう最後ですから……と残り少なくなった鉢の中身を全部小皿に移し、要の前に置いた。
――サツマイモの茎ねえ……
要は小皿の上の料理をマジマジと見つめた。
サツマイモの茎は戦時中、食べる物がなくてやむなく食用にされたと聞いたことがある。おそらく、美音が味について言及しなかったところを見ると、大して美味しくもないのだろう。積極的に食べたいものじゃない。
でも……と要はなおもサツマイモの茎を見て考える。
『ぼったくり』で不味いものが出されたことなどない。だからきっとこれも旨いはず。素材がどんなものであれ、美音の手にかかれば大変身なんて日常茶飯事……
そう判断し、要は箸でつまみ上げたきんぴらをえいやっと口に突っ込んだ。
「あ……胡麻油だ」
「要さん、お好きでしたよね?」
「ああ。それにこれ、すごくしゃきしゃきしてる!」
思わずそう言ってしまうほど、サツマイモの茎はしっかりとした食感を残していた。
蕗ほどの香りは立たない。むしろ香りとしては、炒めるのに使った胡麻油が圧勝ではあったが、なんとも言えない甘みがある。しかもその甘みは実に控えめで、サツマイモそのものとはまた違う。確かに一度知ったら癖になる味だろう。年に一度、この時期にしか食べられないとくれば、熱望する気持ちもわからないでもない。
一箸二箸と大事に口に運ぶ要に、美音がグラスを用意し始める。一杯目の酒は既に呑み干した。お代わりをすすめるタイミングだと思ったのだろう。
「どうせなら、お酒も九州のものにしましょうか」
「九州の酒……さては、サツマイモつながりで芋焼酎?」
近頃美音は、焼酎や泡盛の研究に余念がない。要も時々味見役を仰せつかるが、今日はあまり焼酎の気分じゃない。できれば続けて日本酒が呑みたかった。
「申し訳ないけど今日は……」
そう言いかけた要を片手で制し、美音はにっこり笑った。
「焼酎じゃありません。今日のおすすめは日本酒です」
そして美音が取り出したのは、緑の瓶に真っ白なラベル、そのラベルの真ん中に勇ましく赤い文字で『純米吟醸 熊本神力』と書かれた酒だった。
「熊本にある千代の園酒造という蔵のお酒です」
「へえー熊本……じゃあやっぱり甘いの?」
「まあ、呑んでみてください」
西の酒は甘くてしっかりした味わいのものが多い、と認識している。おそらくこの酒もそうなのだろう……と思いながら口に含んだ要は、そのコクとほのかな辛さに驚かされた。
サツマイモの茎のきんぴらはあまり主張の強い料理ではなかったが、酒の辛さが自然な甘みを引き立たせ、料理の印象を深くする。こってりした料理を酒がすっきりさせるというのは何度も経験していたが、その逆なんて初めてだった。
「なんとも粋な組み合わせだな……」
「でしょう? 阿蘇の伏流水で仕込んだお酒なんですって」
「阿蘇の伏流水か……聞くだに旨そうだな。神力って名前はどこから?」
「酒米の名前です。明治二十年から昭和十年ぐらいまで、西日本でよく使われていたお米なんですが、稲が倒れやすくて一反あたりの収穫量が少ないってことであまり使われなくなってしまったそうです。その神力を復活させて、新しいお酒を造ったのが千代の園酒造さんなんです」
「ぜんぜん知らなかった。今日は知らないものばっかりだな」
「よかったですね、新しい味に出会えて」
「まったくね」
そう答えた要の顔を、美音はじっと見る。きっと、要の腹具合を表情から読み取ろうとしているのだろう。
いつもよりずっと落ち着いている要の様子を見て、美音は安堵した。
「今日は、お昼をちゃんと召し上がったみたいですね?」
「ああ。ランチミーティングだった」
要の答えを聞いたとたん、また眉間に微かな皺が寄る。
珍しくちゃんとお昼ご飯を食べられた理由が、仕事がらみの昼食会……。相変わらず、ものすごく忙しいのね……と、ため息が出そうになった。
会社が忙しいのはいいことだし、要が兄や祖父から頼りにされているのもわかる。けれど、食事もままならぬほどの忙しさは、やはり心配としか言いようがない。
要は普段から帰宅が遅いし、出張も多い。一緒に住んでいるとはいえ、要の母親も息子の食事までは管理しきれないだろう。かといって、毎日『ぼったくり』で食事をするわけにもいかない。
美音は、要の普段の食事が気になってならなかった。
「もう、いっそ毎日ランチミーティングにしてもらったらどうですか?」
そうすれば、昼食だけでもまともな食事が取れる。そんな思いから口にした言葉に、要はぎょっとしたような顔になった。
「勘弁してくれよ。確かに取引相手との食事だから、けっこうちゃんとした料理なんだけど、打ち合わせしながらなんてちっとも旨くない。話をしてるうちに料理も冷めちゃって、熱いものを熱いままで食えることなんてほとんどないんだ」
「それは残念ですね」
「ってことで、なにか熱々で旨いものが食いたいな」
そう言いつつ、要は品書きに目をやった。
「おすすめは?」
「そうですねえ……千切り葱の豚肉巻、とかいかがでしょう? 焼きたてをお出ししますし、ピリ辛でビールにぴったりですよ」
千切り葱の豚肉巻は、五センチぐらいの長さの千切りにした葱を、薄切りの豚肉で巻いたものをフライパンで焼き、みりんと醤油と酒、そして豆板醤をまぜたタレを絡ませたものだ。一般的に豚肉で葱を巻く場合、そのままの太さで使うことが多いが、千切りを使うところが『ぼったくり風』である。
もっと寒くなれば、たっぷりの千切り葱と豚肉を小さな鍋でしゃぶしゃぶとして供したりもする。
千切り葱の豚肉巻はビールやウイスキー、しゃぶしゃぶは日本酒や焼酎にぴったり。いずれも軽く火を通した千切り葱の甘みと、しゃきしゃきした歯触りがたまらないと客たちに人気だった。
「お、いいね。じゃあそれ。あと、ビールは?」
「『飛騨高山麦酒』がおすすめです。ピルセナー、ヴァイツェン、ペールエール、ダークエール、スタウトの他に、瓶の中で二度目の発酵をさせたカルミナって種類もあります」
「ピルスナーじゃなくて、『ピルセナー』か……独特だね」
『飛騨高山麦酒』は、岐阜県高山市にある有限会社農業法人飛騨高山麦酒による地ビールである。美音があげたとおり、何種類ものビールがあるが、要が選んだのはやはり『ピルセナー』。
彼の、ビールはまずピルスナーありき、という、いかにも日本人らしい好みがありありと窺えた。
ほどなく、料理が出来上がった。
要は皿を目の前に置かれるやいなや、千切り葱の豚肉巻を頬張る。
「葱は甘くてしゃきしゃきだし、肉は熱々でピリ辛。このビール、ちょっと苦みが強いけど、それが本当にぴったり。やっぱりこういうのは出来たてに限る。いくらとびきりの和牛ステーキでも、冷え切ったら興ざめだ。さっきの話じゃないけど、ランチミーティングなんて何を食ったか覚えてないことのほうが多いんだ。そんな食事をするぐらいなら、いっそ腹を空かせたままでいい」
「それは大間違いです! 胃にも腸にも絶対よくありません! ……あ、ごめんなさい……」
心配のあまり、つい強い口調になってしまったことに気付き、美音は慌てて謝った。
「……いや、こっちこそ。心配してくれてありがとう」
君の気持ちはありがたいけど、現状では改善するのが難しい問題なんだ……と、ちょっと諦めたような顔で言ったあと、要はサツマイモの茎のきんぴらに話を戻す。熱々の料理を先に食べようとしたため、皿にはまだきんぴらが残っていた。
「そういえばさ。うちの爺も、サツマイモの茎の話をしたことがあったな」
相変わらず『爺』なのか……と苦笑しながら、美音は訊ねた。
「要さんのお祖父様は、サツマイモの茎なんて召し上がったことはないでしょう?」
なんとなくではあるが、サツマイモの茎は『困窮』という言葉と隣り合わせの存在のような気がする。そして美音には、佐島建設の創業者にそんな言葉は不似合いに思えた。だが、要はあっさり首を横に振った。
「それが、あるんだってさ」
「戦時中?」
「俺もそう思って訊いたんだけど、違った。なんか、どこかの田舎に土地買収に行ったときに、お茶請けに出されたんだってさ」
「農家の土地でも買いに行かれたんでしょうか?」
「たぶんね。で、食べてみたら旨かった。すごく気に入ったのに、それっきり食べる機会に恵まれないって嘆いてた」
佐島建設の会長様が、サツマイモの茎が食べられないと嘆くなんて……と美音は不思議な気持ちになる。でも、要がそんなことで嘘を言う必要なんてない。彼の祖父がサツマイモの茎を食べたがっているというのは本当なのだろう。
そもそも、ハルキの祖父にしても、どこでサツマイモの茎を食べたのかも、なぜ気に入ったのかもわからない。本人の記憶は深く沈んでしまい、もう取り出しようもないらしい。
それでも『食べたい』という気持ちだけが残っているのだ。人の記憶というものは全く不思議だと思う。それ以上に『これを食べたい』と思う気持ちが、どこからどのように湧いてくるのかが不思議だった。
いずれにせよ、食べたいものがあるなら食べてほしい。たとえそれが、つい最近とんでもない嫌がらせを仕掛けてきた相手であっても……
そう思った美音は、ふと空っぽの鉢を見て困り果てた。
「えーっと……どうしましょう?」
「なにが?」
「サツマイモの茎は、それで終わりなんです」
美音がそう言ったとたん、要は皿に残っていたサツマイモの茎のきんぴらを全部口に放り込んだ。
「要さーん!」
驚く美音を尻目に、要は口の中のきんぴらをしっかりと噛んでごっくんと呑み込む。
そして、してやったりという顔で美音に言った。
「あんなくそ爺に食わさなくていい」
「ひどい……」
咎めるように言ったあと、美音は笑い出してしまった。
おそらく要は、たとえ一箸でも要の祖父に味わってほしい、という美音の気持ちを読み取ったのだろう。微妙に渋い顔で、彼は言った。
「あの爺に美音の料理を食べる資格なんてない。いくら長年食べたがっていたサツマイモの茎でも。いや、食いたがってるからこそのペナルティーだな。君にあんな嫌がらせをしたんだから当然だよ」
「だってそれは、要さんを思ってのことだったんでしょ?」
「それにしたってだ」
「厳しいんですねえ、要さんは」
茶化すように言う美音に、要は苦笑いを浮かべた。
「おれは普通。君がお人好しすぎるんだよ」
そう言われればそうかもしれない。店を潰してしまうと泣きじゃくったくせに、その元凶である要の祖父になんとか好物を味わってほしいと願ってしまう。お人好しというよりも、ちょっと足りないのかもしれないと自分でも思うほどだった。でも、せっかく作ったのだから、食べたがっている人に食べてほしい。それはおそらく、食を商う人間の習性ではないかと美音は思っていた。
「まあ、サツマイモの茎のきんぴらは来年も作れます。そのときにお届けしましょう」
「もしも、あのくそ爺がこれ以上美音をいじめなければ、食わせてやってもいい」
「もうないんじゃないですか? 目的は達成したみたいですし」
要の本気度調べも、美音の人柄調べも終わったはずだ。ふたりが付き合うことについて、彼らがこれ以上の異議を挟むことはないだろう、と美音は考えていた。だが、次に要の口から出てきたのは、美音が予想もしなかった台詞だった。
「どうだか。今は収まってても、おれが君を佐島美音にするって言い出したら、どう出るかわからない」
――佐島美音……?
要は当たり前のように、その名前を口にした。
そして、それを既定の事実として、なおも祖父の悪口を言い続ける。
しばらくして、ようやく絶句している美音に気付いた要は、さらに美音が固まるようなことを言った。
「そういえばお袋に、家をどうするつもりだって訊かれたよ。あそこに住むのか、それとも別に探すのか、早めに決めてくれって言ってた。どうする?」
どうするもこうするも、私にはこの店があるし、まだ馨だっているし、あそことか言われてもどっちのことだかわかんないし、要さんの家にしたって部屋にしたってここに通ってくるには遠すぎるし、大前提として、申し込まれてませんから、な・ん・に・も!!
と、美音の頭の中は大混乱だ。
それなのに要は、あれ、まだ言ってなかったっけ? みたいな顔をしている。
「君がそばで見張っててくれたら、おれは毎日ちゃんと飯を食うよ。君がつくる飯をしっかり食えば、たまに昼飯ぐらい抜いても平気だろう。そしたら、君の心配も相当減るはずだけど?」
そして要は、にっこりと笑って言った。
「ということで、なるよね、佐島美音に?」
美音が手にしていた鉢が、洗い桶の水の中にばしゃんと落ちた。
カウンターの隅に置いてある電話が鳴った瞬間から、話の成り行きに耳を澄ませていた馨が安堵の息を漏らした。ところが、ウメはなぜか複雑な顔をしている。焼酎の梅割りもちっとも減っていなかった。
「どうしたの、ウメさん?」
と、美音が訊いてみると、ウメはちょっと切なそうに言った。
「いやね、あたしももっと年を取ってぼけちゃったら『サツマイモの茎』って言うのかと思ってさ」
頭も身体も元気なウメにそんな日がくるなんて想像できなかった。けれど、こればかりは誰にもわからない。美音に言えることはひとつだけだった。
「もし、ウメさんがそうなっても、ちゃんとお届けしますよ。それこそ毎年、毎年、あおはずく幼稚園の園長先生にウメさんの分だってお願いして」
隣で大きく頷きながら、馨も付け加える。
「あたしが届けるよ! あ、もちろん焼酎の梅割りと一緒に!」
「馨、梅割りはどうなの?」
「あーいいねえ、梅割りとサツマイモの茎のきんぴら。それならぼけても安心だ」
「うん、安心安心!」
「えーっと、ごめんなさいウメさん、何が安心なのかしら?」
「さあ……なんだろ?」
三人はそこで大笑いし、ウメはまた小皿に少しだけサツマイモの茎のきんぴらを取る。
そして、この胡麻油の香りがどうにも……と本当に美味しそうに口に入れた。
†
「ところで、これはなに?」
カウンターの上に置かれた大ぶりな鉢を見て、要が訊ねた。ちなみに、鉢の中身はほとんど残っていない。いつもどおり要は閉店間際に来店し、常連たちが散々食べて帰ったあとだからだ。
「なんだと思われます?」
「なんだと訊かれても……蕗みたいだけど今は季節じゃないし、小松菜とはちょっと違うし、見当がつかないな」
「ご覧になったことあると思いますよ。学校とかで……」
「学校? いやもう、全然わからない。降参!」
「やけにあっさり諦めますね。実はこれ、サツマイモの茎なんです。好きなだけお皿にとってお召し上がりください」
自分で好きなだけ取る、という見慣れない提供方法を不思議に思った要は、美音から説明を聞いて驚いた。
「サツマイモの茎……しかもサービスなの?」
「ええ。召し上がったことおありですか?」
「いや……ない。でも、確かに学校で見たな」
知識として、食べられるということは知っていたが、食べたことはおろか、料理されたものを見たのも初めてだった。
「だと、思いました。もうあまり残ってませんけど、よろしければお試しください」
「ああ。でも……これ……」
旨いのか?
そんな言葉が顔に浮かんでいたのだろう。美音はクスリと笑って答えた。
「美味しいのか、ですか? さあどうでしょうねえ……。うちのお客さんたちは気に入ってくださってますけど……」
そして美音は、もう最後ですから……と残り少なくなった鉢の中身を全部小皿に移し、要の前に置いた。
――サツマイモの茎ねえ……
要は小皿の上の料理をマジマジと見つめた。
サツマイモの茎は戦時中、食べる物がなくてやむなく食用にされたと聞いたことがある。おそらく、美音が味について言及しなかったところを見ると、大して美味しくもないのだろう。積極的に食べたいものじゃない。
でも……と要はなおもサツマイモの茎を見て考える。
『ぼったくり』で不味いものが出されたことなどない。だからきっとこれも旨いはず。素材がどんなものであれ、美音の手にかかれば大変身なんて日常茶飯事……
そう判断し、要は箸でつまみ上げたきんぴらをえいやっと口に突っ込んだ。
「あ……胡麻油だ」
「要さん、お好きでしたよね?」
「ああ。それにこれ、すごくしゃきしゃきしてる!」
思わずそう言ってしまうほど、サツマイモの茎はしっかりとした食感を残していた。
蕗ほどの香りは立たない。むしろ香りとしては、炒めるのに使った胡麻油が圧勝ではあったが、なんとも言えない甘みがある。しかもその甘みは実に控えめで、サツマイモそのものとはまた違う。確かに一度知ったら癖になる味だろう。年に一度、この時期にしか食べられないとくれば、熱望する気持ちもわからないでもない。
一箸二箸と大事に口に運ぶ要に、美音がグラスを用意し始める。一杯目の酒は既に呑み干した。お代わりをすすめるタイミングだと思ったのだろう。
「どうせなら、お酒も九州のものにしましょうか」
「九州の酒……さては、サツマイモつながりで芋焼酎?」
近頃美音は、焼酎や泡盛の研究に余念がない。要も時々味見役を仰せつかるが、今日はあまり焼酎の気分じゃない。できれば続けて日本酒が呑みたかった。
「申し訳ないけど今日は……」
そう言いかけた要を片手で制し、美音はにっこり笑った。
「焼酎じゃありません。今日のおすすめは日本酒です」
そして美音が取り出したのは、緑の瓶に真っ白なラベル、そのラベルの真ん中に勇ましく赤い文字で『純米吟醸 熊本神力』と書かれた酒だった。
「熊本にある千代の園酒造という蔵のお酒です」
「へえー熊本……じゃあやっぱり甘いの?」
「まあ、呑んでみてください」
西の酒は甘くてしっかりした味わいのものが多い、と認識している。おそらくこの酒もそうなのだろう……と思いながら口に含んだ要は、そのコクとほのかな辛さに驚かされた。
サツマイモの茎のきんぴらはあまり主張の強い料理ではなかったが、酒の辛さが自然な甘みを引き立たせ、料理の印象を深くする。こってりした料理を酒がすっきりさせるというのは何度も経験していたが、その逆なんて初めてだった。
「なんとも粋な組み合わせだな……」
「でしょう? 阿蘇の伏流水で仕込んだお酒なんですって」
「阿蘇の伏流水か……聞くだに旨そうだな。神力って名前はどこから?」
「酒米の名前です。明治二十年から昭和十年ぐらいまで、西日本でよく使われていたお米なんですが、稲が倒れやすくて一反あたりの収穫量が少ないってことであまり使われなくなってしまったそうです。その神力を復活させて、新しいお酒を造ったのが千代の園酒造さんなんです」
「ぜんぜん知らなかった。今日は知らないものばっかりだな」
「よかったですね、新しい味に出会えて」
「まったくね」
そう答えた要の顔を、美音はじっと見る。きっと、要の腹具合を表情から読み取ろうとしているのだろう。
いつもよりずっと落ち着いている要の様子を見て、美音は安堵した。
「今日は、お昼をちゃんと召し上がったみたいですね?」
「ああ。ランチミーティングだった」
要の答えを聞いたとたん、また眉間に微かな皺が寄る。
珍しくちゃんとお昼ご飯を食べられた理由が、仕事がらみの昼食会……。相変わらず、ものすごく忙しいのね……と、ため息が出そうになった。
会社が忙しいのはいいことだし、要が兄や祖父から頼りにされているのもわかる。けれど、食事もままならぬほどの忙しさは、やはり心配としか言いようがない。
要は普段から帰宅が遅いし、出張も多い。一緒に住んでいるとはいえ、要の母親も息子の食事までは管理しきれないだろう。かといって、毎日『ぼったくり』で食事をするわけにもいかない。
美音は、要の普段の食事が気になってならなかった。
「もう、いっそ毎日ランチミーティングにしてもらったらどうですか?」
そうすれば、昼食だけでもまともな食事が取れる。そんな思いから口にした言葉に、要はぎょっとしたような顔になった。
「勘弁してくれよ。確かに取引相手との食事だから、けっこうちゃんとした料理なんだけど、打ち合わせしながらなんてちっとも旨くない。話をしてるうちに料理も冷めちゃって、熱いものを熱いままで食えることなんてほとんどないんだ」
「それは残念ですね」
「ってことで、なにか熱々で旨いものが食いたいな」
そう言いつつ、要は品書きに目をやった。
「おすすめは?」
「そうですねえ……千切り葱の豚肉巻、とかいかがでしょう? 焼きたてをお出ししますし、ピリ辛でビールにぴったりですよ」
千切り葱の豚肉巻は、五センチぐらいの長さの千切りにした葱を、薄切りの豚肉で巻いたものをフライパンで焼き、みりんと醤油と酒、そして豆板醤をまぜたタレを絡ませたものだ。一般的に豚肉で葱を巻く場合、そのままの太さで使うことが多いが、千切りを使うところが『ぼったくり風』である。
もっと寒くなれば、たっぷりの千切り葱と豚肉を小さな鍋でしゃぶしゃぶとして供したりもする。
千切り葱の豚肉巻はビールやウイスキー、しゃぶしゃぶは日本酒や焼酎にぴったり。いずれも軽く火を通した千切り葱の甘みと、しゃきしゃきした歯触りがたまらないと客たちに人気だった。
「お、いいね。じゃあそれ。あと、ビールは?」
「『飛騨高山麦酒』がおすすめです。ピルセナー、ヴァイツェン、ペールエール、ダークエール、スタウトの他に、瓶の中で二度目の発酵をさせたカルミナって種類もあります」
「ピルスナーじゃなくて、『ピルセナー』か……独特だね」
『飛騨高山麦酒』は、岐阜県高山市にある有限会社農業法人飛騨高山麦酒による地ビールである。美音があげたとおり、何種類ものビールがあるが、要が選んだのはやはり『ピルセナー』。
彼の、ビールはまずピルスナーありき、という、いかにも日本人らしい好みがありありと窺えた。
ほどなく、料理が出来上がった。
要は皿を目の前に置かれるやいなや、千切り葱の豚肉巻を頬張る。
「葱は甘くてしゃきしゃきだし、肉は熱々でピリ辛。このビール、ちょっと苦みが強いけど、それが本当にぴったり。やっぱりこういうのは出来たてに限る。いくらとびきりの和牛ステーキでも、冷え切ったら興ざめだ。さっきの話じゃないけど、ランチミーティングなんて何を食ったか覚えてないことのほうが多いんだ。そんな食事をするぐらいなら、いっそ腹を空かせたままでいい」
「それは大間違いです! 胃にも腸にも絶対よくありません! ……あ、ごめんなさい……」
心配のあまり、つい強い口調になってしまったことに気付き、美音は慌てて謝った。
「……いや、こっちこそ。心配してくれてありがとう」
君の気持ちはありがたいけど、現状では改善するのが難しい問題なんだ……と、ちょっと諦めたような顔で言ったあと、要はサツマイモの茎のきんぴらに話を戻す。熱々の料理を先に食べようとしたため、皿にはまだきんぴらが残っていた。
「そういえばさ。うちの爺も、サツマイモの茎の話をしたことがあったな」
相変わらず『爺』なのか……と苦笑しながら、美音は訊ねた。
「要さんのお祖父様は、サツマイモの茎なんて召し上がったことはないでしょう?」
なんとなくではあるが、サツマイモの茎は『困窮』という言葉と隣り合わせの存在のような気がする。そして美音には、佐島建設の創業者にそんな言葉は不似合いに思えた。だが、要はあっさり首を横に振った。
「それが、あるんだってさ」
「戦時中?」
「俺もそう思って訊いたんだけど、違った。なんか、どこかの田舎に土地買収に行ったときに、お茶請けに出されたんだってさ」
「農家の土地でも買いに行かれたんでしょうか?」
「たぶんね。で、食べてみたら旨かった。すごく気に入ったのに、それっきり食べる機会に恵まれないって嘆いてた」
佐島建設の会長様が、サツマイモの茎が食べられないと嘆くなんて……と美音は不思議な気持ちになる。でも、要がそんなことで嘘を言う必要なんてない。彼の祖父がサツマイモの茎を食べたがっているというのは本当なのだろう。
そもそも、ハルキの祖父にしても、どこでサツマイモの茎を食べたのかも、なぜ気に入ったのかもわからない。本人の記憶は深く沈んでしまい、もう取り出しようもないらしい。
それでも『食べたい』という気持ちだけが残っているのだ。人の記憶というものは全く不思議だと思う。それ以上に『これを食べたい』と思う気持ちが、どこからどのように湧いてくるのかが不思議だった。
いずれにせよ、食べたいものがあるなら食べてほしい。たとえそれが、つい最近とんでもない嫌がらせを仕掛けてきた相手であっても……
そう思った美音は、ふと空っぽの鉢を見て困り果てた。
「えーっと……どうしましょう?」
「なにが?」
「サツマイモの茎は、それで終わりなんです」
美音がそう言ったとたん、要は皿に残っていたサツマイモの茎のきんぴらを全部口に放り込んだ。
「要さーん!」
驚く美音を尻目に、要は口の中のきんぴらをしっかりと噛んでごっくんと呑み込む。
そして、してやったりという顔で美音に言った。
「あんなくそ爺に食わさなくていい」
「ひどい……」
咎めるように言ったあと、美音は笑い出してしまった。
おそらく要は、たとえ一箸でも要の祖父に味わってほしい、という美音の気持ちを読み取ったのだろう。微妙に渋い顔で、彼は言った。
「あの爺に美音の料理を食べる資格なんてない。いくら長年食べたがっていたサツマイモの茎でも。いや、食いたがってるからこそのペナルティーだな。君にあんな嫌がらせをしたんだから当然だよ」
「だってそれは、要さんを思ってのことだったんでしょ?」
「それにしたってだ」
「厳しいんですねえ、要さんは」
茶化すように言う美音に、要は苦笑いを浮かべた。
「おれは普通。君がお人好しすぎるんだよ」
そう言われればそうかもしれない。店を潰してしまうと泣きじゃくったくせに、その元凶である要の祖父になんとか好物を味わってほしいと願ってしまう。お人好しというよりも、ちょっと足りないのかもしれないと自分でも思うほどだった。でも、せっかく作ったのだから、食べたがっている人に食べてほしい。それはおそらく、食を商う人間の習性ではないかと美音は思っていた。
「まあ、サツマイモの茎のきんぴらは来年も作れます。そのときにお届けしましょう」
「もしも、あのくそ爺がこれ以上美音をいじめなければ、食わせてやってもいい」
「もうないんじゃないですか? 目的は達成したみたいですし」
要の本気度調べも、美音の人柄調べも終わったはずだ。ふたりが付き合うことについて、彼らがこれ以上の異議を挟むことはないだろう、と美音は考えていた。だが、次に要の口から出てきたのは、美音が予想もしなかった台詞だった。
「どうだか。今は収まってても、おれが君を佐島美音にするって言い出したら、どう出るかわからない」
――佐島美音……?
要は当たり前のように、その名前を口にした。
そして、それを既定の事実として、なおも祖父の悪口を言い続ける。
しばらくして、ようやく絶句している美音に気付いた要は、さらに美音が固まるようなことを言った。
「そういえばお袋に、家をどうするつもりだって訊かれたよ。あそこに住むのか、それとも別に探すのか、早めに決めてくれって言ってた。どうする?」
どうするもこうするも、私にはこの店があるし、まだ馨だっているし、あそことか言われてもどっちのことだかわかんないし、要さんの家にしたって部屋にしたってここに通ってくるには遠すぎるし、大前提として、申し込まれてませんから、な・ん・に・も!!
と、美音の頭の中は大混乱だ。
それなのに要は、あれ、まだ言ってなかったっけ? みたいな顔をしている。
「君がそばで見張っててくれたら、おれは毎日ちゃんと飯を食うよ。君がつくる飯をしっかり食えば、たまに昼飯ぐらい抜いても平気だろう。そしたら、君の心配も相当減るはずだけど?」
そして要は、にっこりと笑って言った。
「ということで、なるよね、佐島美音に?」
美音が手にしていた鉢が、洗い桶の水の中にばしゃんと落ちた。
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