居酒屋ぼったくり

秋川滝美

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4巻

4-1

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 意地っ張りなサヨリ






 記念写真の背景は満開の桜、というのがかつての入学式の定番だったけれど、昨今の桜はせっかちでそこまで待ってはくれない。
 緑が混じり始めた桜の下で入学式を迎えた新一年生も、数日が過ぎ、なんとかランドセルに馴染なじんできた。いかにも重そうで、まだ背負っているというよりも背負われている感は否めないが、それでも学校からの道を元気よく帰ってくる。
 東京下町にある居酒屋『ぼったくり』の店主――美音みねは、そんな一年生たちとすれ違いながら『スーパー呉竹くれたけ』に向かう。仕込みを終わらせても店を開けるまでまだしばらく時間がある。そんなとき、買い物がてら『スーパー呉竹』までウォーキングをするのが美音の健康法のひとつだった。


 今日はいつもより時間がある。もうちょっと足を伸ばしてみようかしら……


 そう思った美音は、『スーパー呉竹』を通り越し、さらに駅のほうに向かって歩き続けた。
 春の陽気に誘われ、いつも駅に向かうときに乗るバス停も通り過ぎてどんどん進む。暖かい日差しは、せっせと歩く美音にはむしろ暑いぐらいだったが、汗をかいたほうがダイエットには効果的よね、なんて自分に言い聞かせる。さらに歩いて、時間もなくなってきたしそろそろ引き返そうか……と思ったころ、大きな工事現場に辿り着いた。


 あ、ここ、もう壊し始めたんだ……


 そこはかつて鉄鋼会社の社宅だったが、閉鎖が決まり、住民たちは皆転居した。
 近隣の住民は、不景気だから買い手がつかず当分そのままになるのではないか、と噂していたが、取り壊しが始まったところを見ると無事に売れたらしい。土地の周りに仮囲いが施され、中からは建設重機のうなるようなモーター音が聞こえてくる。
 簡易フェンスの切れ間からは、作業服の男たちが図面をのぞき込みながら何事か話し合っている姿が見えた。もしかしたらすぐにでも新しいビルが建つのかもしれない。
『ぼったくり』の常連客であるかなめてつが交じっていないだろうか、と美音は目をらしてみた。要も哲も建設関係の会社に勤めている。もしかしたらこの現場にも関わっているかもしれないと思ったが、目に入るのは知らない男ばかりだった。

「美音さん!」

 突然後ろからかけられた声に驚き、美音は振り返る。
 そこにいたのは『ぼったくり』で一番若い常連のリョウだった。

「美音さん、大変っす!」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「ここを買ったのは大手のチェーンストアっす! 下手すりゃここに、でっかいスーパーができちまう!」

 リョウが告げたのは、全国で大規模に事業展開しているグループ企業の名前だった。スーパー、コンビニエンスストア、百貨店、薬局、トラベル事業、さらには金融業にまで手を広げ、海外進出も盛んにおこなっている。
 あの会社が土地を買い上げたのならば、目的はショッピングセンターの建設に決まっている、そうなったら美音さんたちの商店街も影響をまぬがれない、とリョウは心配する。

「こんな中途半端な場所に大きなスーパーを建てたってだめでしょ」

 どうせならもっと郊外にばーんと建てればいいのにねえ、と美音は至って呑気に答えた。だが、リョウは中途半端だからこそだと言う。
 このあたりに大きなスーパーはないが、買い物をする人がいないわけではない。しばらく行った先に大きな団地がいくつかあるため、駅に向かう途中にあるこの界隈を通過していく人は多い。
 駅前にだって大きなスーパーはないのだから、ここに新しいスーパーができれば食品や日用雑貨を買いたい人たちは喜んで利用するだろう。

「それに、商店街あたりに住んでる人だって、新しくてきれいなスーパーができたらそこに行かないとは限らないっす!」

 いくら商店街が便利でも、アーケードひとつない通りである。雨でも降った日には、建物の中で全てがすませられるスーパーに行きたくなるのが人情というものだ。商店街存続の危機だ、とリョウは額に汗をにじませんばかりになっている。

「聞いてるんですか、美音さん! もうちょっと驚くとかなんとか、反応の仕方があるでしょう!?」

 黙り込んでいる美音にしびれを切らしてリョウが詰め寄った。

「あ、うん、聞いてる……」

 この近隣にスーパーのような商業施設ができる可能性があることは、要から聞かされていた。それを念頭に置いて情報を得るべくアンテナを張り巡らせておくようにと言われたが、あまり大事おおごとにして周囲の不安をあおってもいけない。だから美音は要の忠告を、町内会長のヒロシと、ご意見番であるシンゾウに告げるにとどめた。
 そんな美音にとってリョウの話は、やっぱりか……という感じだったのだ。

「ところでリョウちゃん、どうしてこんなところに? 今日はお仕事は?」
「さっきまで市場調査をやってたんです」

 今日はふたつ先の駅にあるビルの一室を借りて、アンケート調査をやっていた。それを済ませ、会社に戻る電車の中でスマホをいじっていて、偶然、この町についての情報を見つけたそうだ。小さな町だから記事になるようなことは滅多にないのに、どういうことだろう? と読んでみたら用地買収の話だったのだという。矢も楯もたまらず、途中下車して現場にやってきたらしい。

「やっぱり! 美音さん、これ見てください!」

 リョウは、そう言いながら工事現場の入り口に貼られた建設業の許可票を指し示した。そこには美音もよく知っている大手流通グループの名前があった。先ほどリョウが告げたのは、そのグループが展開するスーパーの店舗ブランドである。

「こんな大手が来ちゃったらもう一発アウトっす!」
「でも、ここにショッピングセンターができたら便利になるわね。きっと『スーパー呉竹』よりも遅くまでやってるだろうし」
「なんでそんなに呑気なんですか!」
「だって、こういうショッピングセンターに居酒屋は入らないでしょ?」
「『ぼったくり』は平気でも、買い物客をとられて他の店がつぶれちゃったらどうするんですか!」

『ぼったくり』は客まで全部含めて『ぼったくり』だ。商店街の店がつぶれて、シンゾウやヒロシ、ミチヤたちが来なくなったら『ぼったくり』の雰囲気が変わってしまう、とリョウは言う。

「ほんとにそうよね……。ありがとう、リョウちゃん」

 リョウが店を心配してくれる気持ちが嬉しくて、美音は心から礼を言った。

「そういうことじゃな……」
「お、美音ぼう、いいところで……なんでえ、誰かと思えばリョウじゃねえか!」
「あ、シンゾウさん!」

 そこに通りかかったのはシンゾウだった。リョウにしてみれば『強力な援軍登場』という心境だったのだろう。すがるような声の調子から、この呑気な人を何とかしてほしい、という気持ちが溢れてくるようだった。

「どうした? こんなところで雁首がんくびそろえて」
「シンゾウさん、聞いてくださいよ!」

 そしてリョウは、さっき拾ったばかりのニュースについてシンゾウに説明した。美音はそれとなくシンゾウの様子をうかがっていたが、やはり驚いた様子はなかった。おそらくシンゾウは、美音から話を聞いたあと、あの土地の買い主を調べたのだろう。

「そうか……じゃあ、あの話、ちゃんと決まったんだな」
「え、シンゾウさん、知ってたんすか?」
「ああ、こないだタクのとーちゃんに聞いた」
「タク……って、誰? そんな子いたっけ?」
「いやだ、リョウちゃん。猫のタクよ」

 ほら、リョウちゃんとアキさんが公園から拾ってきた……という美音の説明で、リョウはやっと思い当たったらしい。

「なんだ、そのタクか。じゃあ、とーちゃんって要さんのことっすね。シンゾウさん、どこで会ったんすか?」
「ここ」

 なんでも、先日たまたまシンゾウが通りかかったとき、仮囲いの中から出てきた要と鉢合わせしたらしい。

「俺が、なんでえ、あんたの縄張りかい、って言ったら、縄張りじゃないですけどね、って笑ってた。だが、ここの工事には関わってるみたいだぞ」
「え、要さんって……?」
「要さん、建設関係のお仕事してるみたいですよ」

 詳しいことなど美音も知らないが、妹のかおるに頼まれて野球場にお弁当を届けに行ったとき、要は哲の相手チームにいた。哲は「取引先」と説明していたから、おそらく建設関係だろうと推測したにすぎない。だから、説明できるのはその程度だったが、リョウはなるほど、と頷いた。

「そうか、要さんって哲さんと同じ仕事なんだ……」

 リョウの呟きにシンゾウはちょっと考えていたが、すぐに同意した。

「まあ、そうだな……たぶん同じような仕事だ」
「じゃあこのニュースを知ってるのは当然か……。要さんとこも、関係してるんですか?」
「いや、わからん。ご覧のとおり、まだ建物を壊してる段階だから、その関係なのかこれから作るほうの関係なのか……」
「そうっすか……」

 リョウはがっかりした様子で、情報とかもらえるかと思ったのに……と呟いた。

「無理だろう。それに、そんなことを聞いたところでどうしようもない。どんな風に建てるかは施主せしゅ次第だし、建設業者は言われたとおりに建てるまでだ」

 そう言いながら、シンゾウはにやりと笑った。

「それよりリョウ、お前、こんなところでいつまでも油売ってていいのか?」

 電車の乗り継ぎが上手くいきませんでした、では通らないぐらい時間が経っちまってるんじゃねえか、とシンゾウはリョウに注意をうながした。

「やべっ! じゃあ美音さん、また店で!」

 そしてリョウは、大慌てでバス停に向かって走っていった。

「落ち着かねえ奴だなあ、ほんとに」

 リョウを見送りつつシンゾウが苦笑いをする。

「そういえば、シンゾウさん。どうしたんですか、こんなところで?」

 平日の昼間である。夕方から店を開ける『ぼったくり』とは異なり、シンゾウの薬局はまだ営業時間内のはず。店番はどうしたのだろう、リョウちゃんに油を売ってていいのかなんて言ってる場合ではないのでは? と美音は不思議に思った。

「実は、ちょいと野暮用があって出かけてきたところだ。今日は娘が来てるから店番は頼んできた」
「モモコさんが戻ってきてるの!?」

 早く言ってくださいよ! と美音が大きな声を上げたのにはわけがある。
 シンゾウにはオサムとモモコという、既に独立し、家庭も持っている子どもがいる。下の娘であるモモコは美音よりも十歳ほど年上だが、彼女は小さいころから美音を妹のように可愛がってくれた。
 モモコは、自分が読み終えた本や飽きてしまったおもちゃを気前よくくれたり、勉強を教えてくれたり、それ以外にもあれこれ面倒を見てくれた。そんなモモコが美音は大好きで、彼女が結婚してこの町を出ていったときは本当に寂しかった。
 モモコはいかにも薬局の娘らしく大学で薬学を学び、無事に薬剤師の資格も取った。誰もが、このままシンゾウのあとを継ぐのだろうと思っていたのに、卒業して間もなくお嫁に行ってしまったのだ。
 相手は地方から上京してきていた同級生。大きな病院の息子で、郷里に戻って院内薬局に勤めることになっていた。兄のオサムは薬学をこころざさなかったために、モモコはシンゾウの薬局をどうするか相当悩んだらしいが、結局『自分の幸せを取れ』とシンゾウにさとされ、後ろ髪を引かれる思いでこの町を離れた。
 遠く離れた町に嫁いだだけに滅多に戻ってくることもなく、戻ったところで美音自身が忙しくてゆっくり話す暇もない。それでも、モモコが戻っていると聞いたら一目でも会いたい。美音は思わず駆け出しそうになってしまった。

「美音坊、そんなに慌てなくてもモモコは逃げねえよ」
「だってモモコさん、忙しいからっていっつもとんぼ返りじゃないですか」
「それが、今回はちょいとゆっくりしてくそうだ」
「え……?」

 シンゾウの意外な言葉に、美音は走り出そうとした足を止めた。

「ちょうどいいや。美音坊、あいつの話を聞いてやってくれねえか。なにやら悩んでるようなんだが、俺たちには言いたくないらしくてよ」

 モモコは子どものころから典型的な優等生だった。プライドも高く、親の前ですらめったなことでは弱音を吐かない。これはウメから聞いた話だが、そのせいで、シンゾウ夫婦が扱いに困ったこともあったらしい。
 小さな大人そのものだったモモコのことだから、今回だって悩みを抱えて親元に戻ってきていても、素直に言い出せないのかもしれない。
 だが幼なじみで、しかもうんと年下の美音であれば、ちらりと本音をのぞかせる可能性も無きにしもあらず、とシンゾウは言うのだ。

「美音坊には失礼な話だが、あいつの中に『何にもわかってない子ども』って意識が残ってれば、独り言みたいに愚痴ぐちを漏らすかもしれねえと思ってさ」
「なるほど……それはあるかもしれませんね」

 まだ美音が小学生だったころ、モモコは通っていた高校でいじめにあっていた。優秀で教師の覚えが良く、男子生徒からも人気があったモモコをやっかんだ女子生徒たちの仕業だった。そのときもモモコは、教師にもシンゾウ夫婦にも告げずに耐え続けた。放課後、思い詰めたような顔で公園のベンチに座り込んでいたモモコは、たまたま入ってきた美音としばらく遊んでくれた。その間に、「あーあ、ドジ踏んじゃった」とか「いじめなんて最低!」とか呟くのを聞いた美音は、家に帰って母にたずねた。

「『ドジ踏む』ってなあに?」

 怪訝けげんな顔になった母は、その言葉をどこで誰から聞いたのか、それ以外にどんなことを言っていたのかを美音にき、モモコがいじめにあっていることを察した。そして、おそらく店にやってきたシンゾウにも伝えたのだろう。
 シンゾウ夫婦がどんな対応をしたかはわからないが、それ以後、モモコが思い詰めたような顔で公園のベンチに座っていることはなくなった。

「あのときみたいに上手くいくかどうかはわからないが、ダメ元で頼む」

 日頃からお世話になりっぱなしのシンゾウに、こんな風に頭を下げられて断れるわけがない。美音は、お役に立てるかどうかわからないけれど……と断りを入れながらも、シンゾウの頼みを引き受けた。


「モモコ、今帰ったぜ! そこで美音坊に会ったから連れてきたぞ」
「あら、美音ちゃん、久しぶり! 元気そうね」
「はい。おかげさまで。モモコさんもお元気でしたか?」
「おかげさまで私も元気よ!」

 元気そうなモモコの様子に、美音は思わずシンゾウの顔を見た。シンゾウは微かに目を細めたあと、明るく言い放つ。

「とりあえず、店番ご苦労さん。駅前で甘いものを買ってきたから、美音坊と一緒にちょいと目方めかたでも増やしやがれ」

 シンゾウが、そんなことを言いながら手にしていた紙袋を掲げると、モモコは呆れたような顔で答えた。

「やだ、お父さん、なんて言い方! そんなこと言われたら、私も美音ちゃんも食べるに食べられないじゃない!」
「食ったら太る。そんなの当たり前じゃねえか」
「身も蓋もないわね。まあいいわ、美音ちゃん、お茶にしましょう」

 そしてモモコは、美音を奥の部屋に誘った。

「ほんと、お父さんってちっとも変わらない。もうちょっと可愛げのある年寄りになればいいのに」
「大きなお世話でえ!」

 そう言い返したシンゾウに、モモコはあかんべえをした。子どもみたいな仕草のあと、もっと子どもみたいな嬉しそうな顔で紙袋を受け取り、奥の部屋に上がっていく。見送ったシンゾウの口から、俺の前じゃあ、いっつもこんなだ……という呟きが漏れる。
 美音の目にもモモコは以前と変わらないように見える。だが、シンゾウの話から考えるに、モモコはシンゾウに心配かけまいとして空元気からげんきを出しているのだろう。
 美音は「お邪魔しまーす」と言いながらモモコに続いて小上がりになっている部屋に入り、店との仕切り戸をすっと閉めた。


     †


 その日、『ぼったくり』にシンゾウがやってきたのは、いつもより少し遅い時間だった。
 モモコの話が気になるだろうに、あえて遅くやってくるところがいかにもシンゾウらしい。息せき切って、という感じは『いき』じゃないと判断してのことだろう。しかも、客が途切れそうな時間を見計らって来たようなのに、自分からはモモコの話に触れようとしないという念の入れようであった。

「今日のおすすめはどんな感じだい?」

 精一杯のやせ我慢で彼が口にした言葉に、いつもどおりの笑みを返し、美音は冷蔵庫から取り出した酒を注ぐ。

「サヨリのいいのが入りましたよ。山菜も珍しいのが……でも、まずは一杯どうぞ」
「ありがとよ。おっ、『満寿ますいずみ』か! 久しぶりだな、この酒は」
「自分でも不思議なんですけど、春になると、このお酒を入れたくなるんですよ。吟醸酒特有の香りと柔らかい甘さが春を思わせるのかもしれません」
「ああ、わかるわかる。前にしゃしゃり出てくるわけでもねえのに、ちゃんと吟醸酒だって感じさせてくれる。ふと気が付くとえ始めてる木の芽みたいだ」
「そうなんですよ!」

 美音は、うまく説明できなかったこの酒の印象を、シンゾウが的確に言葉にしてくれたことが嬉しくて、つい大声を出してしまった。

「よその蔵の大吟醸に匹敵しますよね!」
「『吟醸の満寿泉』って言われるぐらいだからなあ。吟醸酒にかける思いは深いだろうよ」

 シンゾウの言うとおり、『満寿泉』を作っている桝田ますだ酒造店は、まだ吟醸酒というものが脚光を浴びる前――昭和四十年代半ばから吟醸酒造りに力を注いできた蔵である。昭和四十七年以降は鑑評会の金賞受賞常連となり、全国にその名を知らしめている。
 日本酒愛好家の人々は大吟醸酒の素晴らしさを褒め称えるし、そのことについては美音も異論はない。だが価格が手ごろな上に、バランスのいい優れた味わいを持っている『満寿泉吟醸』は、庶民派『ぼったくり』にとって、とても頼りになる酒だった。

「この酒はなあ……ちょっとだけ冷やす、あるいはちょっとだけ温めるってあたりが一番旨いと俺は思ってる。だからこそ、暑すぎたり寒すぎたりしねえ春が、この酒には似合うのかもしれねえ。美音坊の言うとおりだな」

 俺は思ってる、という言葉に、シンゾウの酒に対する懐の広さがうかがえる。酒の呑み方はいろいろあり、造った蔵、あるいは売っている酒屋がすすめる呑み方を気に入る人ばかりとは限らない。それぞれが好きに呑めばいいが、自分はこの呑み方が好きだ、とシンゾウは言う。
 どんな意見も評価も、こうやって他人の思いに余地を残して表せば、押しつけがましく聞こえないし、喧嘩にもならない。
 目を細めてグラスに口をつけるシンゾウに、美音は今日もひとつ教えられた。
 ――シンゾウさんにはいつも教えられてばっかり。でも今日は、私がシンゾウさんの役に立てるかもしれない。
 そして美音は、シンゾウが気になって仕方がない話題を持ち出した。

「シンゾウさん、今日はありがとうございました。久しぶりにモモコさんとゆっくり話ができて嬉しかったです。カノンちゃんとも遊ばせてもらって、すっかり仲良しになっちゃいました」
「おう。やかましい孫の相手をしてくれてありがとよ。モモコも美音坊と話せて喜んでたぜ」
「それで……」
「で……」

 同時に口を開いたふたりの言葉がぶつかって、シンゾウと美音はどちらからともなく笑い出してしまった。

「だめだな、恰好つけたって親ばかは親ばかだ。モモコの様子が気になって仕方ねえ」
「当たり前じゃないですか」

 離れて暮らす娘が急に戻ってきた。しかも何か心配事がありそうだ、となったら気にならないほうがおかしい。美音の言葉に、シンゾウはすっかり開き直ったらしかった。

「そう言ってくれると気が楽になるぜ。で、うちのはいったい何が原因で出戻ったんだ?」
「え、モモコさん、出戻ったの?」

 突き出しの小鉢をシンゾウに出した馨が、驚いて頓狂とんきょうな声を上げた。慌てて美音が訂正する。

「違うわよ。シンゾウさんも、そういう言い方しちゃだめですよ」
「確かに。ほんとになっちまったら困るもんな」

 苦笑いのあと、シンゾウは小鉢の中のホタルイカを酢味噌に絡めてぱくりとやった。
 こいつが出てくると北陸も春だな、と呟いたあと、カウンターの向こうの美音を見上げて言葉を待つ。

「モモコさん、旦那さんとちょっとあったみたいです」
「言いたい放題でやっつけちまったわけじゃないだろうな?」

 末っ子の特性、とでもいうのだろうか。家族で一番年下の者はムードメーカーの役割を負いやすい。馨も同様であるが、その場を盛り上げたいばかりに、言葉を選ばず突っ込みを入れたりする。周りの者にしてみれば、いささか言葉が過ぎると思うこともあった。
 シンゾウから見たモモコは、まさしく『言いたい放題』だったのだろう。

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