居酒屋ぼったくり

秋川滝美

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3巻

3-3

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     †


「タクちゃん、元気にしてますか?」

 仕舞間際の客が二週間ぶりに現れたとたん、美音はそうたずねてしまった。
 ウメのおかげで、四匹の猫たちはすこぶる元気だと知った。それぞれの飼い主に可愛がられている様子がよくわかり、安心することができた。
 そのことで逆に残りの一匹、タクのことが気になってしまい、美音は要が来店するのを今か今かと待ち受けていたのだ。

「タク? ああ、元気にしてるよ」

 唐突に切り出された質問に、ちょっと驚きながらも要はスマホを取り出し、最近撮ったというタクの写真を見せてくれた。
 以前見せてもらった写真よりも、身体つきが少し成猫に近づいたようだ。だが実際に見ているわけではないので、具体的な大きさはわからない。

「大きさ、どれぐらいになりました?」
「これぐらいかな……」

 要が両手で示した大きさを、自分の手でつくってみて、美音はうんうん、と頷いた。タクの大きさはチャタロウとマツジの間、ちょうどクロと同じぐらいだった。

「じゃあ……みんなに追いついたのね」

 もちろんミクちゃんは別格だけど、と笑いながら、美音は酒のグラスを用意する。 

「最近、他の猫に会ったの?」
「ええ。ミクちゃんにちょっと運動させたほうがいいってことになって……」

 美音は要に、ウメの家でおこなわれた猫会について話した。興味があるのかしら……という心配に反して、要は猫たちの様子をあれこれ質問を交えて楽しそうに聞いていた。

「で、ミクは運動できた?」
「ええまあ、それなりに」

 ミクはマツジを威嚇して追い払ったあと餌皿の前に戻り、まさに女王の風格をかもし出していた。
 みんなが持ち寄った猫用のおもちゃにもあまり興味を示さず、たまに他の猫にちょっかいを出されれば少しだけ相手をするものの、自分から動き回ったりはしない。
 これでは意味がない……とみんなが眉をひそめたところで、猫会の本来の趣旨を聞いた早紀とリンが一計を案じた。
 日頃からアキラに散々遊んでもらって猫のおもちゃには飽きていると見て取ったふたりは、ウメから新聞紙とスーパーのレジ袋をもらった。ふたりの思惑どおりミクは、新聞紙やレジ袋が立てるかさかさ……という音に興味を示し、のっそりと立ち上がった。
 離れたところに投げたり、猫タワーの上に放り上げたりすることで、ミクをちょこまかと動き回らせる。そうなると他の猫が大人しくしているわけもなく、都合四匹が早紀とリンの周りを駆け回ることになった。
 大人たちは見ているだけで疲れてしまったが、早紀もリンも、そして猫たちも本当に楽しそうだったから、ウメが彼女らを呼んだのは大正解だったと言える。

「やっぱり若い猫の相手は、若い人間に限る」

 それがその場にいた全員の一致した意見だった。
 大人たちは、ふたりの猫使いと四匹の猫が織りなすショーを午後いっぱい楽しむことができた。おそらく、ミクも相当なカロリーを消費したことだろう。
 さらにウメはアキラに、この町近辺で仕事をするときはうちでミクを預かってもいいと申し出た。

「出かけに放り込んでくれれば、夜まで面倒見るよ。仕事が終わったら迎えに来てくれればいい。留守中、この子のためだけにエアコン入れっぱなしってのもエコじゃないしね」
「でも、ミクとクロがドタバタ始めたら、ウメさん大変だろ?」
「まあ、なんとかなるよ」

 そうは言ってもなあ……とアキラは返事に困っている。ミクのためにはそのほうがいいのはわかっているが、ウメには負担に決まっている。アキラは少しためらっていたが、ふと早紀とリンに目を留め、恐る恐るといった感じでウメにたずねた。

「これはちょっと、いやかなり勝手なお願いなんだけど、ミクを預かってもらうとき、このお嬢さん方に来てもらっちゃ駄目かな?」

 運動させるために預かったんだから、なんてウメさんに無理させるのも辛いし、このふたりなら楽しみがてら面倒を見てくれそうだ。お茶菓子ぐらいは俺が用意するし……というアキラの言葉に早紀とリンは顔を見合わせ、ウメの反応をうかがう。ウメはすぐさま、そりゃあいい、と賛成した。

「学校が離れても、たまには会いたいだろ? 都合がつくときだけでいいから、猫たちの相手をしに来てくれると助かるよ」

 それを聞いた早紀とリンは飛び上がって喜んだ。実際にふたりは手を取り合ってぴょんぴょん跳ね回る。

「ウメさん、それから、アキラさんもありがとう! 私たち、リンちゃんが転校しちゃったらどこで会おうって悩んでたんです」

 学校がかわったら休日しか会うことができない。早紀の家は夜勤明けの両親が寝ていたり、弟がいたりで落ち着かない。リンの家だって休日にお邪魔するのは忍びない。かといって中学生が外で友達に会うのに相応ふさわしい場所なんて思いつかない。ファストフード店に行くようなお金はもっていないし、駅前のショッピングセンターに出るにもバス代がかかる。
 勉強がてら図書館に行ってみたらどうだろう、とも思ったけれど、近所にあるのは自習室があるような大きな図書館ではない。机と椅子は図書館の本を読む人のためのものだし、そもそもあそこはおしゃべりするところじゃない……

「でも、やっぱりリンちゃんとは会いたいし、ずっと仲良くしていきたいし……」

 月に一度か二ヶ月に一度でいいから、ウメさんの家にお邪魔させてもらえればとても助かる、と早紀とリンは、ウメに抱きつかんばかりだった。
 そんなふたりを見てアキラが言った。

「本当に気の合う友達って案外見つからないし、見つけたときはうんと大事にしたほうがいい。会えなくなって、なんとなく離れちまうのってもったいないじゃん。ミクの面倒を押しつける俺が言うのもなんだけど、たまにでもウメさんちで会わせてもらって、ずっと仲良くしていけるといいな」

 ま、俺だって今こいつがいなくなったらけっこう寂しいしな、とアキラはカンジを見て笑った。
 カンジは照れくさそうに赤くなり、早紀とリンは大きく頷いた。そしてその後、悩みが解決したふたりは存分に猫たちと遊び回ったのだった。


「あのふたり、本当に仲良しだったらしくて、息もぴったり。まるで姉妹みたいでした」
「そうか。じゃあ、ウメさんの家は兄弟だらけだったんだな」
「そうですねえ。猫たちに、アキラさんとカンジさん、早紀ちゃんとリンちゃん……」
「それに、本物の姉妹の君たち……でも、猫たちに兄弟って自覚はあったのかな?」
「どうでしょうねえ……」

 夕方になって、客たちがそれぞれの猫を連れて帰ろうとしたとき、クロが玄関までついてきた。ウメが「おや、お見送りかい? 珍しいね」と言ったところを見ると、いつもは見送りなどしないのだろう。
 クロは客たちが抱えたケージを見上げて「みゃあ……」と鳴いた。そのか細く絞り出された声がなんだか寂しそうに聞こえたのは、美音の『そうであってほしい』という願望のせいかもしれない。

「『こいつら、前に会ったことがあるような気がする。もっと一緒にいたいな』なんて感じていればいいなあ、と思いました」

 三匹の猫は、ケージの中でクロの声に応えるように鳴いた。美音にはそれが、別れを惜しんでいるように思えたのだ。
 兄弟だと知らなくても、なんとなく一緒にいたい、支え合いたいと思う気持ち。人の場合、それは絆という言葉で表される。美音たち姉妹だけでなく、アキラとカンジの間にも、早紀とリンの間にも絆はきっとある。だからこそ、別れに戸惑い、一度結んだ絆をなんとか保とうとするのだ。同じような気持ちが、猫にもあるのかもしれない。いや、あってほしい――

「そうかもしれないね……」

 要の呟くような声が聞こえて、美音は自分だけが話し続けていたことに気付く。
 うわあ、ちょっとしゃべりすぎちゃった……と、顔を赤らめつつ、美音は要に声をかけられなかったことを詫びた。
 要はただ微笑んで頷き、参加できなかったことを気にしている様子は見せなかった。


 猫の話題に区切りをつけて、美音は冷蔵庫を開けて酒を選ぶ。
 要は、美音が取り出した酒瓶のラベルに目を留め、続いて自分の前に置かれている突き出しの小鉢をしげしげと見た。

「なるほど、そうきたか……」
「え?」

 なんでしょう? ととぼけたように応える美音に、要はにやりと笑った。

「酒は『群馬泉ぐんまいずみ』、突き出しは蒟蒻こんにゃくとネギ。本日は、上州じょうしゅうづくしだな」
目敏めざといですねえ……」

 ちょっと悔しそうにして見せたものの、美音は内心では『上州づくし』に気付いてくれたことに大喜びしていた。
 上州は群馬の旧名である。秋が終わりに近づき、群馬が産出量全国一位を誇る蒟蒻芋が旬を迎えた。昔は蒟蒻といえば生芋なまいもから作るものだったけれど、今では蒟蒻芋を粉末にしたものを使って作るので、一年中生産が可能。そのおかげで旬という概念はなくなったものの、美音はやはり蒟蒻芋が旬になる今時分が、蒟蒻の旬だと思っている。
 そしてネギは、蒟蒻と同じく群馬特産の上州ネギ。上州ネギは下仁田しもにたネギと長ネギを掛け合わせたものであるが、こちらも冬に旬を迎える。この二つを甘辛く炊き合わせた煮物が本日の突き出しだった。


 要は、お好みで、と添えられた七味をぱらぱらと小鉢に振りかけ、まずは蒟蒻を口に入れた。

「蒟蒻は不思議だな……」
「そうですか?」
「だってこれ自体には大して味もないだろう? 表面だってつるつるで調味料なんて寄せ付けない感じがする。それなのにこうやって煮物にすると、ちゃんと味を吸う」
「そういえばそうですね」

 ちょっと君に似てるな……と言いそうになる口を、要は必死で閉じた。いらぬことを言って怒らせて、また苦いゴーヤでも出された日には参ってしまう。
 蒟蒻は手ちぎり、あるいはスプーンで削り取ったのかいびつな形をしている。そのでこぼこの断面に調味料が上手く絡んでいる。穏やかな甘みは、砂糖ではなくみりんをきかせたからだろう。
 ネギの甘みが消えたあと、わずかに残る七味のぴりっとした味。それを追いかけるように酒を含んだ要は、予想外の味わいに面食らった。

「あれ?」
「どうかしましたか?」
「この酒……こんな味だったっけ……?」

 以前よそで呑んだときは、もう少し酸味が勝っていた。
 この酒を造っているのは島岡酒造しまおかしゅぞうという蔵だ。酒蔵に自然についている乳酸菌を使った『山廃造やまはいづくり』にこだわりつつ、酒造好適米こうてきまいの『若水わかみず』と井戸から汲み上げた硬度の高いミネラルウォーターを使って山廃独特の酸味を柔らかく抑えている。
 以前よそで呑んだときには、控えめとはいえ確かな酸味を感じた。ところがその酸味が今日の酒にはない。濃厚に感じたバナナのような風味も、ぐっと和らいでいる。
 瓶にもラベルにも見覚えがある。あのときと同じ酒のはずなのに……と首を傾げてしまったのだ。

「どこで召し上がりました?」

 女店主は、含み笑いでたずねる。

「どこって……確か、地元の店だったかな。出張のときかなんかで……」

 別に管理の悪い店じゃなかった。きちんと光が当たらないように処理を施した冷蔵庫に入れてあったものを、わざわざ新しく封を切っていでもらった記憶がある。独特の酸味はあるものの、酒としては十分旨く、変質しているような味ではなかった。

「なるほど、それで……」

 女店主は、なにやら訳知り顔で頷いている。わけがわからず、説明を待っている要に気付き、やっと理由を明かしてくれた。

「このお酒、開封してから一週間ぐらい経ってるんです」
「そんなに人気がないのか?」

 この店で封を切った酒が一週間も売れ残るなんて珍しいことである。好みは分かれるにしても、客全員から嫌われるような酒ではない。第一、そんな酒をこの店主が店に入れるわけがなかった。

「そんなわけないじゃないですか」

 案の定、女店主は怒ったような顔になる。おそらく彼女にとって、酒をけなされるのは何よりも許せないのだろう。

「封を切って、あえて売らずに置いたお酒です。このお酒はそれぐらい置いたほうが柔らかくなっていい、っておっしゃるお客さんがいるので……」

 たぶん、あの薬屋あたりだな……と要は思う。
 酒の味の変化をちゃんとわきまえていて、あえて開栓させて時を待つ。しかも、この酒の呑みごろに合わせて。
 要は、この『群馬泉 純米吟醸じゅんまいぎんじょう 淡緑うすみどり』は春から販売されるが、本当に旨くなるのは秋だと聞いたことがあった。絶妙のタイミングで開封させて、一週間後にそれを楽しむ。そんなことを言いそうな呑兵衛のんべえは、シンゾウ以外に思いあたらなかった。

「なるほど、よくわかった。おれにとってもこの酒は今の状態がベストだな」
「覚えておきます」

 酒に高評価を与えたことで、機嫌が直ったらしい。美音はやんわりと微笑んで、来年は要さんの分も勘定に入れて用意しますね……と約束してくれた。


「ところで、そのリンちゃんって子が住んでる社宅だけど……」

 ふと思い出したように、要が口を開いた。

「はい?」
「なんかけっこう大きな不動産会社が買い取るみたいだ」
「そうなんですか?」

 美音は、維持できなくなって処分するのだから、速やかに買い手がついてよかったと思う。
 人が住まなくなった古い建物というのは、ある意味気味が悪い。早々に直すなり壊すなりしてもらうほうが治安のためにもいいだろう。
 いいことじゃありませんか、と呑気に構えている美音に、要はちょっと渋い顔になる。

「それがそうでもないんだよ」
「どういうことですか?」
「全部壊して大きなビルを建てることを考えているらしい」
「マンションとかですか?」
「かもしれないけど、下の階に商店が入る可能性もある」

 街中でよく見かけるタイプの商業ビル。駅から遠いという立地を考えたら地下に大規模な駐車場も設置されるかもしれない、と要は続けた。

「よくご存じですね……」
「ああ、おれ、そういう関係の仕事だから」

 そういう関係ってどういう関係だ、とき返しそうになる。だが口を開く前に、美音は、あの土砂降りに見舞われた野球の試合を思い出した。馨の代理で、妹の彼氏であるてつにお弁当を届けにいったのは記憶に新しい。
 あのとき哲は、取引先との親善試合だと言っていた。彼は建築関係の会社に勤めているのだから、相手チームの一員だった要も建築に関わる会社に勤めているのだろう。新しく建てられるビルの情報を持っていても不思議ではなかった。
 それにしても、そういう情報をこんなに簡単に話してしまってもいいのだろうか。会社で責任を問われたりしたらどうするのだろう、とちょっと気になる。

「要さん、それって外でしてもいい話なんですか?」
「あー……実は、おれもそういう計画があるって小耳に挟んだだけで詳しいことは知らない。あっちこっちで聞いた話をつなぎ合わせて、たぶんこの町のことだって思ったぐらい。憶測のレベルだから構わないだろう」
「なんだ……」

 美音は、もしかしたら、のレベルの話か、と安心しかけた。だが要の難しい表情は緩まない。

「ここらの人は、ちょっとお人好しすぎるから心配になったんだ」
「心配って?」
「このあたりにそういうタイプのビルが建つかもしれない、ってことを頭に入れておいてほしい」

 もしかしたら取り壊される予定の社宅の周囲の土地も買い上げて、ビルではなく中規模のショッピングセンターのようなものを造るかもしれない。テナントとして新しい店がいくつも入る。あるいは今、商店街にある店をそっちに移らせようとするかもしれない。
 商店街の人たちが正確な情報を踏まえて、そのほうがいいと決めるなら構わないが、適当に旨い話だけを聞かされてうっかり家を売ったり店を移転したりして、後悔することになっては大変だ。
 定かではない話にしても、そういう計画があるという前提でいろいろなところにアンテナを張っていてほしい――


「備えあればうれいなし、ってやつかな」
「そういうことですか……」

 この町は年寄りが多い。ウメのように一軒家にひとりで暮らしているものもいる。ウメはしっかり者だし近所に息子夫婦もいるから大丈夫にしても、みんながみんなそうとは限らない。一軒家を維持することに疲れている年寄りもいるだろう。
 そういった年寄りに、そろそろ家の管理も大変だろうから、とマンションへの移住を勧める。心配しなくても家はうちで買い取るからとかなんとか……
 新しくて便利、なおかつ治安の上でも安心だと言われればマンションに移りたくなるかもしれない。土地を手放す人がたくさんいて、大きなビル、あるいはショッピングセンターができれば、町並みが全然違うものになってしまうだろう。
 それを考えただけで、美音はちょっと背筋が冷たくなるような気がした。

「おれの勘違いかもしれないし、ガセかもしれない。でも、今みたいに情報過多の時代は、その気になって拾わないと逆に大事なものを見落としてしまう。そうならないように、気をつけてほしいんだ」

 さりげなく並べられた酒と料理を見て、一目で『上州つながり』を見抜く男。
 彼の頭の中には、さぞやたくさんの情報が収められているのだろう。しかも、それぞれがきちんと整理されている。
 そんな要の言葉には、他では感じられない重みがある。美音の口から自然に礼の言葉が出た。

「ありがとうございます。みんなにもそう伝えます」
「うん。むしろ勘違いだといいと思うけどね」

 そして要は、白く太いネギを口に入れ、奥歯でぐっと噛みしめる。
 少々濃いかと思った煮汁は、じわりと染み出す上州ネギ本来の甘みと相まって絶妙の味加減。
 さらりと喉越しのよい『群馬泉』がますます料理の味を引き立てる。
 最後の一口を呑み干し「もう一杯」と注文しようと頭を上げた要の目に、美音が掲げ持った緑色の酒瓶が飛び込んできた。すぐにげるように栓も外され、準備万端である。
 美音は、要がこの酒を気に入ったこと、もう一杯呑みたいと思ったこと、そして最後の一口を呑み干すタイミングまで見切っていた。
 この店主は、客に関しての情報なら取りこぼすことはない。だが、店の外のことには意外と無頓着なような気がする。のんびりと時が流れるこの町にだって、外からの脅威が忍び寄ることがある。
 シンゾウは頼りになるご意見番のようだが、彼以外にも警鐘を鳴らす人間がいてもいいだろう。
 そんなことを思いながら、要はよく冷えた酒をグラスに受けた。


 この町が変わっていくかもしれない。
 何十年と同じ町並みのまま、みんなが兄弟か親子のように助け合って暮らしてきた。そんな町であっても、永遠にそのままという保証はない。外からの力で変わらざるを得ないこともある。近隣に大きな施設ができるというのは、十分にそのきっかけとなるだろう。
 リンの住む社宅が閉鎖されるという話を聞いたときに、そのあとのことについて危惧する人間はいなかった。とりあえず「ああそうか」で終わってしまったのだ。
 美音にしても、要の言葉で初めて町が受ける影響に思いが及んだ。
『ぼったくり』に来るようになってからまだ日が浅い要だからこそ、この町が外から受ける影響について考えることができたのだろう。昔からの常連のように、家族のような絆で結ばれていないから。
 だが、みんながなんとなく抱いている『家の中にいれば大丈夫』という安心感は、むしろ危険なのかもしれない。そこにはなんの根拠もない。ある日突然、日常が崩れる可能性だってある。
 要がそのことに気付かせてくれたのは、とてもありがたいことだと思う。その一方で、美音は要の心配が杞憂に終わることを祈らずにいられなかった。
 ごちそうさん、また来るよ、と要が帰っていったあと、美音はれんをしまおうと外に出た。
 商店街を抜けてきた夜風が暖簾を揺らしている。この風がもっと強くなって、暖簾が飛ばされる日が来るのだろうか。
 そんなことを思いながら、美音はただ、揺れる暖簾を見つめていた。

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