居酒屋ぼったくり

秋川滝美

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おかわり! 3

おかわり! 3-3

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「そうきたか……いつもありがとよ、ってことで、そのビーフカツとやら、俺にもくれ!」
「俺にも、俺にも! あと、ビールもな!」
「はーい。今日はビールが大人気ー」

 歌うように言いながら、馨が象牙色の缶を冷蔵庫から取り出した。美音は美音で下拵したごしらえが済み、揚げるだけになっていたビーフカツを油に泳がせる。
 牛肉なら豚肉ほど揚げるのに時間はかからない。むしろ、中まで火が通り切らず、ほんのりピンクぐらいがベストに違いない。現に、目の前に出されたビーフカツは理想的な揚げ具合……幹人はすぐに口に運んだ。

「うわ……さっくさく、しかもこの肉のジューシーさと言ったら……。こんなの食ったことないよ」

 サシがたっぷり入ったA5等級の肉とは思えない。それどころか、肉そのものはほとんどあぶらを含まない部位のようで、逆にそれが肉の旨味をより濃く感じさせる。
 本物のマグロ通はトロではなく赤身を好む、と聞いたことがあるが、牛肉にも同じことが言えるのかもしれない。じんわりと染み出してくる肉汁は、呑み下すのがもったいないと思うほど深い味わいだった。
 幹人と同じようにビーフカツを食べたシンゾウも唸っている。

「見事な肉だなあ……だがこれ、どうせびっくりするほどの値段じゃないんだろ?」

 それに答えたのは美音ではなく、ユキヒロだった。

「まあね。肉としてはすごく上等なんだけど、日本人って『牛肉はサシが入ってこそ』みたいなところがあるだろ? ここまであぶらがないと、買ってくれる人が少なくて、ほとんど処分大特価」
「やっぱり……じゃなきゃ、『ぼったくり』の品書きに載るわけねえよな。いや、ありがてえ。『加藤精肉店』様々だ」
「いやいや、あの肉をビーフカツにしようって思いついたのがすごいよ。親父は『これはローストビーフ一択だ』って言ってたのに……」
「ローストビーフには最適のお肉ですよね。実は私も最初はそうしようと思ったんですけど、今日はすごく暑いし、『マルエフ』も入ったからビールが売れるだろうなあ、そしたら揚げ物を頼んでくださる人が多いかもしれない、って……」
「なるほど、それでビーフカツか……でも、これはいい料理法だね。これならうちももうちょっと値を上げて売れる。『ビーフカツ』にぴったりですよーってね」
「やめてー! 値上げは困るー!」

 ユキヒロと美音の会話に、馨が悲鳴を上げた。切羽詰せっぱつまった声を笑いながらビールを注ごうとした幹人は、すでに缶が空っぽになっていることに気付いた。すかさず美音が声をかけてくる。

「幹人さん、ビールのあとはお酒でしたよね? なにかお好みの銘柄はありますか?」
「いや……実はあんまりわからないんだ。ビーフカツに合いそうな日本酒ってある?」
「いろいろありますけど、今日のおすすめは『純米酒 やまだい』です」
「どこの酒?」
「こちらは高知県香美市かみし土佐山田町にあるまつ酒造さんのお酒です」
「へえ、土佐山田町……それで『山田太鼓』?」
「私も名前の由来までは知らないんですが、おそらくそうだと思います」
「さては、今日の『ぼったくり』は高知デーだな? スジアオノリも高知、『山田太鼓』も高知。もうちょっと先の時季なら、目の前にはビーフカツじゃなくて土佐の戻りがつおがあったんじゃねえか? しかも土佐ポン酢とか添えてさ」
「うわーシンゾウさん、相変わらず鋭ーい!」
「俺の目は節穴じゃねえ、ってことで、俺にもその『山田太鼓』をくれよ」

 そこで美音がにやりと笑った。

「どうした、美音坊?」
「いえ……シンゾウさんの様子を見てたらつい嬉しくて……。シンゾウさんが呑んだことのないお酒もあるんだなーって」
「呑んだことがないって、なんでわかる?」
「だって、知ってるお酒ならもっといろいろおっしゃるでしょ? このお酒が酒米『松山三井』を六十パーセントまで削り込んで造るとか、ものがわの伏流水を使っているとか……ほどよい酸味で揚げ物の後味をすっきりさせてくれるとか……」
「それぐらい、ちゃんと知ってる。松尾酒造が百三十年以上続いている蔵だってことも」
「でも、シンゾウさんは呑んだことのないお酒について、知識だけを垂れ流すなんてことはしません。自分の舌で評判どおりかどうか確かめてから、ですよね?」
「そのとおり。ただ、惜しむらくは、これまで呑む機会に恵まれなかった。あーもう、負けた気しかしねえ!」
「はーい、そこまで! 勝ち負けなんてどっちでもいいじゃん。ビーフカツは冷めちゃうし、お酒はぬるくなっちゃうよ」

 幹人とシンゾウに酒を注ぎ終わった馨が、さっさと食べてとうながす。
 慌てて幹人が、ますの中に立てられたグラスを持ち上げると、たっぷり注ぎこぼされた酒が底からしたたり落ちた。カウンターやズボンを汚すわけにはいかない、とますも持ち上げ、そっと口を付けると、どこかでいだことがある香りが鼻の奥にすーっと届いた。

「おー香りがいいなあ。いい感じにれたメロンみたいだ」

 シンゾウも歓声を上げる。美音が自慢げに答えた。

「でしょう? 香りはもちろん、喉越しも抜群。すっきりして呑み飽きず、揚げ物だけじゃなく、焼き物にも煮物にもぴったり」
「まったくだ」

 その後しばらく、揚げ立てのビーフカツと酒を楽しむ時間が続いた。
 皿もグラスも空になりかけたころ、ミチヤが思い出したように言った。

「そういやユキヒロ、リカちゃんはそろそろなんじゃねえの?」
「ええまあ、もうすぐ出産予定日……ってか、明日」

 ユキヒロは困ったように頭の後ろを掻いている。ぎょっとしたのは幹人のほうだった。

「なんで言ってくれないんだよ! ユキちゃん、帰ったほうがいいよ!」

 それでもユキヒロは腰を上げようとしない。
 赤ん坊の出産予定日なんてあってないようなものだ。しかも、明日だなんて、いつ生まれてもおかしくない……と絶句する幹人に、ユキヒロは笑って言う。

「大丈夫だよ。今日も検診に行ってきたけど、まだ生まれそうにないってさ。それに、ちゃんとリカの了解は取ってる。むしろ『ぼったくり』なら安心、って言ってくれた」

『加藤精肉店』は目と鼻の先、急に産気づいたとしても駆け戻ることができる。美音や馨なら事情もわかっているし、料理や酒を放り出して帰ったとしても責めたりしない。なにより、子どもが生まれたらもっともっと忙しくなって、幼なじみとゆっくり話す暇なんてなくなるかもしれない。今のうちに会っておくほうがいい、とリカは言ってくれたそうだ。

「そっか……あ、もしかしてそれでノンアル?」
「まあね」

 産気づいたら病院に連れていかなければならない。運転は父か母、あるいはタクシーを使うこともできるが、酒臭い息で病院に行くわけにはいかない。我が子、しかも初めての子の誕生なのだ。
 ユキヒロ自身も、しっかりと見届けたい、と考えているのだろう。

「そうかあ……ユキちゃんも親父さんか……」
「俺も年を取ったもんだ」
「同い年なんだけど」
「ありゃ?」

 そうだったな、とユキヒロは大笑いしている。すぐに、ヒロシとミチヤの声が聞こえてくる。

「にしても、リカちゃんはいい女房だなあ……」
「ほんとだよ。うちにもあんないい嫁さんが来てくれたら、将来安泰なんだがなあ……」
「加藤さんとこだけじゃなくて、『豆腐の戸田とだ』も元気で働き者の嫁さんだし、孫も生まれた。うらやましい限りだぜ」

 ふたりとも息子がいて、しかも店を継ぐつもりでいると聞いた。親としては、あとはよき伴侶を、と思うのが当然なのかもしれない。
 ――この商店街の人たちは、どうしてもこうも当たり前みたいに家を継ぐんだろう。まあ、俺だって医者にはなるんだから、親のあとを継ぐって言えなくもないけど……
 黙って考え込んだ幹人が気になったのか、ユキヒロが声をかけてきた。

「どうした、みっちゃん? うちのことなら大丈夫だよ」
「あ、うん、それはわかってる。ただちょっと気になって……」
「なにが?」
「ユキちゃんは、いつ頃から親父さんの店を継ごうと思ってたの?」
「え……? いつ頃からって……ずっと前からだよ」
「なんの疑いもなく? 子どものころからずっとほかの道は考えなかったの?」
「一瞬、プロテニスプレイヤーになろうかと思ったことはあったけど、俺ぐらいじゃプロなんてお呼びじゃなかった。で、いさぎよく諦めて、あとは肉屋の跡取り一直線」
「ユキちゃんって、なんでそこまできっぱりしてるのかな……結婚も仕事も」
「単純なんだよ。それと、環境かな……」
「環境?」

 怪訝けげんな顔をする幹人に、ユキヒロはかなり真面目な顔で説明した。

「全国的にシャッター街一直線のところが多い中、この商店街はどこもびっくりするぐらいうまくいってる。土地柄がいいというか、客層がいいというか……とにかく不安がないんだ。滅茶苦茶金持ちにはなれないかもしれないけど、普通には暮らしていける。こう見えて、俺ってけっこう喧嘩っ早いんだ。気に入らないことがあったら取引先でも上司でも平気で楯突くだろうし、会社勤めをして首になったり、会社がつぶれる心配をするぐらいなら、店を継いだほうがいい」
「喧嘩っ早い……そうだっけ?」

 子どものころから今に至るまで、ユキヒロのことをそんなふうに思ったことはなかった。むしろ、部活でずっとリーダー的な位置づけで、仲間の調整役を務めていたような記憶しかない。
 だが、本人はともかく、周りもそうは思っていないらしく、シンゾウが笑いを堪えながら言う。

「実はそうなんだよなあ……。俺もユキヒロはおとなしい男だと思ってたんだが、『豆腐の戸田』の一件があってから、ちょっと考えを変えたな」
「奥さんが戸田のショウコさんにいじめられたとき、ユキちゃんが怒鳴り込んだんだよね」
「馨ちゃん、勘弁して……俺もあれはちょっとやりすぎだったと思ってるんだからさ」
「そんなことないよー。あのユキちゃんが! ってちょっとした武勇伝になってるんだから」
「そうそう、女房のために戦う旦那、ってんで、みんなして拍手喝采かっさい

 馨とシンゾウの両方からめられ、ユキヒロは照れくさそうに笑う。はにかんだ笑顔の中に、自分の妻を守れた誇りのようなものがうかがえた。

「どこの子も、たとえ一旦外に出ていったとしても、みんなここに戻ってくる。それだけここがいい町だってあかしだ。ま、俺のところは例外だがな」

 ちょっと寂しそうにシンゾウが言う。そういえば、シンゾウの娘のモモコは、シンゾウと同じく薬剤師になったものの、病院の息子と結婚して夫婦揃って親の病院の薬局に勤めている。おそらく、この町に戻ってシンゾウの薬局を継ぐことはないだろう。
 カウンターの向こうから、美音がなぐさめ口調で言う。

「モモコさんだって、この町に戻りたかったんだと思いますよ。学生時代は、私が『山敷やましき薬局』を継ぐんだ、って言ってましたもの。でも、その考えを変えたくなるほど素敵な旦那さんに出会った。それはそれで幸せなことだと思います」
「だな……俺もそう思ったから嫁に出した。うちのことなんざ気にすることねえ、ってな」
「あの……」

 そこで思わず幹人は口を挟んだ。シンゾウには息子もいるが、薬剤師にはなっていない。もしも娘が継がないのであれば、『山敷薬局』はどうなるのだろう。それが気になってならなかった。

「どうした、みっちゃん?」
「これ、ちょっと失礼かもしれないんですけど……」
「いいよ。訊きたいことはなんでも訊いてくれ」
「シンゾウさんが引退されたあと、『山敷薬局』は誰かに譲ったりするんですか?」
「ああ、それか。そうさなあ……どうするかなあ……」

 シンゾウは視線を天井近くに向け、かなり大きなため息をついた。
 しばらく沈黙が続いたあと、シンゾウが幹人に向き直った。

「ぶっちゃけ、うちの薬局をどうするか、俺はまだ決めかねてる。俺だってこの年だ。いつまでやれるかわからねえ。早く決めなきゃなあ、と思っちゃいるんだが、なかなか……」
「そうですか……」
「だがなあ……みっちゃん……」

 そこでシンゾウが、ひとり言みたいにつぶやく。

「医者と薬局は似てるようで違う。特にうちみたいな調剤をやらない薬局とは、全然違う気がするんだよ」
「病院と薬局は全然違う、ってどういう意味だ? どっちも近場にあってほしい場所ってのに違いはないじゃないか」

 ミチヤがじれったそうにたずねた。シンゾウはまたしばらく幹人を見ていたあと、意を決したように口を開いた。

「売薬なんざ、買い置きもできる。インターネットで買える薬もあるだろう。でも医者は違う。特に年寄りは、なにかあったときに駆け込める医者がないと困り果てちまう」
「そういう意味か。それなら、この町は太田先生がいてくれるから大丈夫だな」

 ほっとするミチヤに、ヒロシも大きくうなずく。

「うんうん。ここらの連中はみーんな、昔っから太田医院にお世話になってる。いつどんな病気や怪我をしてきたかもカルテにちゃんと残ってるから、若先生が代替わりしたあとだって、それを踏まえててもらえてる。これ以上の安心はねえよ」
「そういや、この間もタミさんが命拾いしたって言ってたな」
「そうだった、そうだった。タミさん、肩が痛いのが治らないって、シンゾウさんとこに湿布しっぷを買いに行ったんだってな」

 そこでシンゾウが苦笑いしながら答えた。

「ああ。ウメさんが、こないだシンゾウさんとこで買った湿布しっぷがよく効いた、って言ってたから、同じのをくれ、って……。そこに、たまたま若先生が通りかかって、これは整形外科の話じゃねえ、ってんでそのままでかい病院行き」
「もしかして……心筋梗塞しんきんこうそく?」
「お、さすがだなみっちゃん。そのとおり、発作寸前だったんだってさ。太田先生は普段からタミさんを診てるからな。あの年なのに肩やら腰やらが痛いなんて言ったことなかったし、まめに検査してたから、ピンときたんだろう。その場で歯は痛くないか、とも確かめてたな」
「ああ放散痛ほうさんつう……心筋梗塞の前触れで、奥歯が痛むこともありますね」
「そうなんだ。タミさんは、もともと歯が弱いから痛むのはそのせいだと思い込んでたみたいだけど、太田先生、顔色を変えちまって、とにかくすぐに大きな病院に行け、なんなら救急車呼ぶぞ、の勢い。あとで聞いたら最近、心電図に乱れが出てきてて、血液検査もいまひとつ。そろそろ本格的な検査をすすめなきゃ、と思ってたところだったんだってさ。速攻で太田医院に戻ってカルテをひっつかんで、タミさんの後を追っかけたとさ」
「さすがは太田先生!」

 とにかくよかった、とヒロシとミチヤはたたえる。シンゾウが改めて幹人に言う。

「そんなこんなで、タミさんは命拾いした。タミさんはひとりで店をやってる。客の合間にひとりきりで倒れたら、大変なことになってた。それもこれも、普段から見てもらってる医者が近くにいてくれたから。先生のほうも気軽に声をかけてくれてるからこそ、なんだ」
「なるほど、医者と薬屋は違うってそういう意味か……」

 ユキヒロも大いに納得した様子で、幹人の肩をパンと叩く。

「太田先生の次は、みっちゃんが俺たちを助けてくれるんだな。頼むぞ、みっちゃん!」
「……えっと……」
「もしかして迷ってるのか? いや、迷ってるんじゃねえな……もう太田先生の跡は取らねえって決めかけてる」

 違うか? とシンゾウにたずねられ、幹人は返す言葉もなかった。

「え!? そっか……。じゃあ、みっちゃんはこの町には戻ってこないってことか……」

 ユキヒロの肩がわずかに下がった気がした。だが、ただそれだけだ。ここで理由を問いただしたり、無理に説得しようとしたりしないところが、ユキヒロのいいところだ。だからこそ、長年の友情が続いているのだが、驚いたことにシンゾウも、幹人の考えをくつがえさせようとはしなかった。

「まあ、それもひとつの判断だ。みっちゃんにはみっちゃんの考えがある」

 シンゾウの言葉に、ミチヤもうなずく。

「うん。俺のところもヒロシのところも、わりとすんなり跡を取るって決めたようだが、だからといってみっちゃんもそうしなきゃならんって決まりはねえ。医者になるって決めてから今まで、いろんなことを考えた上でのことだろ? それならそれでいいさ。な、ヒロシ?」
「ああ。むしろ悪かったよ。当たり前みたいに、みっちゃんが戻ってくる前提の話をしちまって。そりゃあ、俺たちとしては寂しいし、太田先生たちはもっと寂しいだろうけど、だからってみっちゃんが決めたことにどうこう言えるもんじゃねえ」
「で、でも!」

 あまりにもすんなり受け入れられ、幹人はつい大きな声を出してしまった。

「おいおい、みっちゃん。なにをそんなにうろたえてるんだよ。まさか、町中の人間がよってたかって『太田医院の跡を継げ!』って詰め寄るとでも思ったのか?」
「いえ……でも……やっぱり、俺が継がなかったら困るんだろうなって……」
「あー……」

 シンゾウが天井を仰いだ。ついさっき、薬屋と医者は違うと力説したことを思い出したのだろう。

「すまん。うちには目下もっか跡取りがいない状態だけど、それでもなんとかなるって言いたくて、つい太田医院を引き合いに出しちまった。そんな話を聞かされたら、みっちゃんだって考え込むよな」
「だけど、通い慣れてて、自分の身体のことをよく知ってる医者が近くにいないと困るのは確かじゃないですか……」
「そのためにカルテってものがあるんだ。若先生――みっちゃんの親父さんが太田医院に入ったとき、先代の大先生が書いたカルテを片っ端から読んだそうだよ。とりわけ近所の人間のやつをな。診療を終えてくたくただろうに、飯だけ食って診察室に戻ってさ……」
「うんうん、あのころの太田医院は、いつまでも電気がついてた」

 てっきり夜間診療でも始めたのかと思った、とヒロシも笑う。そしてシンゾウは、結論づけるように言った。

「病院がなくなっちまうのは困る。だが、太田医院は設備が整ったいい病院だ。患者数だってけっこうなものだ。その上、先生夫婦は滅法人柄がいい。あの先生のとこなら、って働きに来てくれる若い医者はいないでもないだろう」
「そうだな。病院の子じゃねえ、かといって大病院は肌に合わないし、開業資金もねえって若い医者にとっちゃ、絶好の勤め先だ。求人を出したら、そこそこ集まると思う」
「あ、そういえば!」

 そこで口を開いたのは馨だ。なにごとかとみんなが注目する中、馨はヒロシの言葉を裏付けるような情報を開示した。

「あたしの高校時代の友だちがお医者さんになったんだけど、地元のクリニックに就職したよ。最初は大きな病院に入ろうと思ってたらしいんだけど、馴染めそうにないって。そこも跡取りさんのいないクリニックで、けっこうな倍率だったって聞いたわ」
「だろ? こう言っちゃあなんだが、世知辛い世の中だ。跡取り狙いはいくらでもいる。太田先生ならちゃんとした人を選んでくれるさ。だから、みっちゃんは安心して自分の道を進めばいい」
「跡取り狙い……」

 そこで幹人は、自分が大きな思い違いをしていたことに気付いた。
 両親と話したとき、父は幹人の考えを否定しなかった。父の達観したような様子に、幹人は、父は自分の代で太田医院を終わりにする気だと思い込んだ。
 だが、今の話を聞く限り、太田医院で働きたいと考える医者がいないわけではないらしい。それどころか、殺到する可能性すらある。父がその気になれば、太田医院はこれからも続いていくのだ。

「じゃあ……俺がたまに帰ってきたとき、うちで別の医者が働いてるってこと?」
「太田先生がその気になれば、って話だよ。もしかしてみっちゃん、それがいやなの?」

 ユキヒロの問いに、幹人は絶句する。なぜなら、今の自分はいやだとしか答えられないし、そんな考えは勝手すぎることもわかっていたからだ。
 ユキヒロは、呆然とする幹人を困ったように見ている。シンゾウたちもなにも言わない。


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