居酒屋ぼったくり

秋川滝美

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ウワバミたちの女子会

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「かんぱーい!」
 トモの元気な声で、六個のグラスが高々と掲げられた。
 みんな酒豪だ、と言ったのは誇張でも何でもない。その証拠にアラサー女子が手にしているのは、ビールグラスでも酎ハイグラスでもなく、足つきの冷酒グラスだった。
 日本酒の乾杯から始まる女子会というのはかなり恐ろしい。
 彼女らは常日頃から忙しいため、時間のやりくりに慣れているようで、集合時間は定刻きっちり五分前。
 この時間から始めます、とトモが知らせてきた午後七時ちょうどに乾杯の声が上がった。
 なるほど素晴らしい、と美音は感心させられた。
『ぼったくり』で宴会が開かれたことこそなかったが、過去の経験上、こういった宴会は多少の遅れで始まるのが常だ。
 特に社会人ともなれば、仕事が上手く終わらなかったとか、クレームが飛び込んできたとかで、誰かしら遅れてきたりする。その場にいる人間も、来ていない人間を待つべきかどうか判断が付かず、何となく時間が過ぎていく。
 それなのに、このメンバーはひとりの遅れもなく、早すぎる到着もなく、定刻ちょうどに宴を始めた。お陰で時間に合わせて用意した茹でたての枝豆やら、揚げっぱなし豆腐やらは、ちゃんと温かいうちに彼女らの口に運ばれた。絶対大丈夫だからとトモが保障したとおりだった。
 
「うわー枝豆が甘いし、このお豆腐の香ばしさと言ったら! トモちゃんの話どおりね!」
 と、ルミがトモをよしよしと撫でる。
「これもすごく美味しい!」
 ヨシノが囓っているのはつくね。
 鶏の胸肉と腿肉、両方の挽肉を合わせて塩と黒胡椒で味つけしてある。
 口当たりが滑らかなのは、つなぎに卵と片栗粉を入れてあるからだ。焼き上げるときに塩をふるのではなく、あらかじめ生地自体に軽く味つけがしてあり、好みでかける梅ダレもそえてある。生地の中に見えている緑色は言うまでもなく刻んだ大葉。梅との相性なんて説明不要だ。
「柔らかそうな生地なのに、よくこんなにきれいに焼けますね?」
 ヨシノの質問に、馨がちょっと自慢げに説明をした。
「ラップにくるんで生地の形を整えてから、軽くレンジでチンするんです」
 呑み好き、食べ好きの女六人が一斉に馨を見た。
「レンジで、チン?」
「そう。ぱさぱさにならない程度に固めて、それから串に刺して焼くの」
「なるほど……それなら生焼けにも黒こげにもならないわね」
 ミズホは感心したように頷くと、つくねに梅ダレをかけ口に運んだ。
「ああ……これぞ、日本!」
 この梅ダレは、自家製の塩だけで漬けた梅干を使っている。細かく刻んだあとすりつぶし、みりんと酒でのばして作るのだ。ハーブはふんだんにあっても大葉はない、プラムの種類は限りなくあっても梅干はない。そんな国から戻ってきたばかりのミズホには嬉しい味わいとなるのでは……と選んだメニューだった。期待通りにミズホが喜ぶ姿を目にして、美音は胸をなで下ろした。
 
「このお酒、名倉山ですよね……?」
 これだけは絶対外さない、と言わんばかりにキョウカが酒の名を確かめている。
 十七年連続で東北鑑評会の金賞に輝いたこの酒は、美音がキョウカのために誂えたようなものだ。瓶ごと出さず、あえて中空に氷を入れることの出来るタイプのデキャンターに移して出したのは、ささやかな美音の挑戦状。
 その挑戦状をしっかり受け取って、美声の主は見事に中身を見破ってくれた。
「この甘さ絶妙ですよね? 辛口が好きな人でもこれだけはいけるって言ってくれるんですよ」
 キョウカはまるで自分が杜氏であるかのように自慢する。本当にあの町が好きなんだな……と改めて思わされる。キョウカは今、次々と起こる災害のために過去に追いやられそうになっている町で、真の復興に辿り着こうと努力している人々に寄り添っている。その気持ちは、季節の果物や冷凍の秋刀魚を取り寄せる自分と同じだと美音は信じたかった。
「ちょっとずつでも進むといいですね、いろんなことが」
 デキャンターの酒が残り少なくなっていた。冷やしてあった名倉山を注ぎ足しながら呟いた美音の言葉に、キョウカは黙って頷く。
 瞳の中に、負けません、がんばりますから、という強い気持ちが込められているような気がした。
 
「これはもしかして、けんか売られてるのかな?」
「そんなわけないでしょ。これはこれ、あんたのとこのはあんたのとこの」
 そんな言葉を交わしながら辛口の手羽先に挑んでいるのは、ルミとその親友のカヤノ。
 聞けばカヤノは、例の甘だれ仕上げの手羽先が名物である土地出身なのだという。
「悔しいけど、これはこれで認めざるを得ない!」
 などと言い放つあたり、いかにも漢前でさすがは海外進出寸前といった感がある。
「で、専務はニューヨークに戻ったの?」
「戻るわけないじゃん。親睦会の残務処理だの何だの言って、まだ居座ってるわよ!」
「よくそれであっちの本社が回ってるわね」
「時代が悪い。パソコンと携帯があれば何とでもなるんですって。だったら、私だって海越えてニューヨークくんだりまで行く必要ないと思わない?」
「まーそれが本心かどうかは聞かないでおいてやるわ」
 なんて美音にはまったくわからない話をしながら、ふたりは手づかみでどんどん手羽先を片付けていく。間にまるで水でも飲むような調子でグラスを呷る。
 美音の頭の中に、『肉食系女子』なんて言葉が浮かぶ。食欲も、呑むスピードも、言葉のやりとりまでもすこぶる小気味いい二人だった。
 
「キョウカさん、新曲ださないんですか?」
 どれだけ有能な女子の固まりであっても、芸能人とは一線を画す、とばかりトモが訊ねた。
 みんなの興味の核心をずばりとついた質問をするあたり、なかなか見事な空気の読みっぷりだった。
「ちょっと……難航中です」
「まさか御大へたれてるんですか?」
『御大』というのはキョウカがユニットを組んでいる作曲家のあだ名で、彼の態度があまりにも尊大だったために、皮肉をたっぷり込めて彼女が命名したものである。最初は陰で呼んでいたらしいが、彼と意見がぶつかって腹立ち紛れに立ち上げた『くたばれ御大』というブログのおかげで、全国に広まってしまったという経緯がある。
 ともあれ、『御大』は近頃ことさら多忙。コンサート活動や営業にかかりきりで曲を作る暇がないという噂だ。
「ちょっとぐらいへたれてくれたほうが楽なんですが、相変わらずくそ元気です。ばんばん曲作って、さあ歌え、すぐ歌え、今すぐレコーディングだってうるさいったらありゃしない。こっちはもう新曲なんて出す気はないんだからさっさと自分で歌えばいいのに!」
 そりゃあ無理だろう……とその場にいたみんなが思う。
 キョウカの歌唱力はずば抜けている。自分はまったく姿を見せず、声だけでオリコンを上り詰めただけのことはあるのだ。キョウカという希代の歌手を手元に置いて、歌うことを強いずにいろというほうが無理だ。ましてや『御大』は彼自身が非常に優れた歌い手であり、作曲家なのだ。キョウカの歌を世に出す使命感に溢れているのだろう。
 迷惑千万! と憤慨しながらも、『御大』の話をするキョウカはとても楽しそうだった。
 けんかばっかりみたいに言ってるけど、キョウカさんと『御大』ってけっこう相性良さそうふたりの新アルバム、早く出てほしいなあ……
 美音はそんなことを思いながら、つい、ふふふ……と笑ってしまった。
 
「で、ミズホさん、今回はひとりで帰国したんですか?」
「まさか。もちろん家族いっしょによ。じゃなきゃ、泊まるところもないじゃないですか」
 トモの質問に、ミズホがあっけらかんと答えた。
 ミズホの両親は既に亡く、兄妹も都内にはいない。彼女が帰国するというからには当然夫の生家に滞在となる。夫の生家にひとりで戻るのは、ミズホにしてみれば論外らしい。
「家族?」
 夫婦で、と言わなかったことに気が付いてトモが聞き返した。
「あれ、言ってなかったっけ? 子どもが生まれたんですよ」
「えーー!?」
 そんな話は聞いていない。聞いたのは、ミズホがドイツに行ってからまだ二年ぐらいしか経っていないということぐらいだ。もしかしたら、子どもはまだうんと小さいのではないか……
「まさか、乳飲み子置いてきたわけじゃ…」
 トモの一言に、美音はぎくっとして頭を上げた。
「授乳中なんですか!?」
 そんな人にアルコールをばんばん飲ませてしまったのか? と美音はつい焦る。
「そんなことしませんよ。だいたい授乳の必要な赤ん坊を、十二時間も飛行機に乗せるってどんだけですか」
「あ……そう、ですか。それならよかった……」
 と胸をなで下ろす美音を、小上がりから笑ってミズホは言う。
「離乳食とフォロアップミルクを置いてきたの。今頃、ヨシキは大騒ぎでしょうね」
「イクメンなんですか? ご主人って」
 メンバーの中で唯一母親業をやっていると判明したミズホに、他の面々はぐいっと詰め寄った。共通課題は『俺様とイクメンは両立しうるか』である。
「うーん……それは微妙な問題ですねえ……」
 ミズホは遠い目をしながら言う。子どもとの相性もあるだろうし、とも呟いている。
「男の子なんですか? 傍若無人な?」
 俺様の遺伝子は正しく息子の継がれたのだろうか。それは誰もが気になるところだろう。
「それが女の子」
「なんだ、じゃあミズホさんみたいな……」
 と、トモが言い終わる前に、きっぱりミズホが言い切った。
「ヨシキそっくりの女の子! 親馬鹿ながら顔はかわいいけど、中身は大魔神!」
 うわあ! とばかり、全員が手で目を覆った。
 ミズホの夫なる人物を知っているわけではないが『我が道を行く』男の様相は想像がつく。みんなして、頭の中に一人ぐらいはそんな男の見本を持っていた。
 それはアウトだ、大バトルだ。今頃ミズホの夫と娘は離乳食にまみれてとんでもないことになっていそうだ……
 たちまち気の毒な父親と、その娘に女たちの同情が集まった。だがミズホは平気の平左。
「いいのよ。たまには。自分以上に聞かない存在なんて初めてだろうから、多少は苦労してもらいたいものだわ」
 なんてきっぱり言い切ったあと、その手羽先私にも頂戴、とカヤノの前の皿から手羽先を一本攫う。肉食女子一名追加だった。
 
「ところで、ヨシノ。今日はどうやって抜け出したの?」
 どこかで呑もうと彼女を誘うたびに、あれこれ用事が入ってドタキャンばかりされている。そのたびにヨシノは額をすりつけんばかりに謝ってくるのだが、悪いのはヨシノじゃないことぐらい、トモは察している。
 ヨシノを自分の管理下から一ミリも出したくない彼女の上司は、ヨシノが出かけようとすると悉く邪魔をする。どう考えてもこじつけだろう、と思うような用事を作っては、彼女をその巨大な屋敷に留めようとするらしい。
 今日ももしかしたらそうなるのでは? と諦めに近い気持ちで待っていたら、ヨシノはちゃんと定刻に現れた。嬉しかったのは確かだが、ご無体な抜け出し方をして上司の反撃に巻き込まれるとしたら、それなりの心構えが必要だった。
「ああ、それは大丈夫。『女子会です』って言ったら、みんなが協力してくれた」
「総裁は知ってるの?」
「さあ? いなかったし」
「え……留守に抜け出してきたの?」
「だって銀行のお偉いさんと会食だって言うんだもの。私、いなくていいでしょ?」
 年がら年中、厳しい監視の目に晒されているヨシノ。同情した同僚たちが、滅多にない機会だと、ちょっと外を見せてくれた。
 トモが聞いているヨシノ日常から想像すると、つまりそういうことだろう。
「それならいいけど、こんなところに総裁御乱入は勘弁してね」
「ないって」
 ヨシノはけらけら笑いながら、今度はサラダに手を伸ばす。
 さっきからカヤノが抱え込むようにしていた大皿のサラダは、さくさくと噛み心地のよい素材が今時珍しいマヨネーズ和えになっている。緑のキュウリとピンクのハムはわかるけれど、この白い千切りは何だろう……トモがそう思っていると、カヤノの声がした。
「美音さん、これ何のサラダですか?」
 散々食べたあとでその質問か、と美音は力が抜けそうになる。
 正体もわからずに、そんなに食べてしまったのか……。それにしてもこの人はよく食べる、さっきまで手羽先を囓っていたはずなのに、もうサラダの大皿を半分ほど空にしていた。
「じゃがいもです」
「にしては、もっさりしてませんけど…」
 不思議そうに聞くヨシノに美音は説明する。
「生のジャガイモをものすごく細かい千切りにして、さっと湯がいてあるんですよ」
「へー、生のジャガイモ…」
 そんな食べ方があるんだ…とヨシノは驚いてしまう。
 同じぐらいの細さに切ったハムとキュウリ。でもそれぞれ食感が全然違って、口の中に入れて一緒に噛むとなんだかとても楽しい。幼稚園の庭みたいな感覚のサラダだった。
「ドレッシングはマヨネーズだけですか?なんか酸味が優しいんですけど」
「ああ、お醤油です。基本の味付けは塩胡椒ですがちょっとだけ入れるとマイルドになるんです」
「そういえば……」
 そのとき、ヨシノがちょっと遠い目をして言った。
「昔、家で生野菜に、醤油とマヨネーズをあわせたのをつけて食べたことがあります。それにちょっと似てますね」
「人参とか入れてもきれいですよ。今度作ってみて下さい」
「美音さん、相変わらず、惜しげもなくレシピを開陳しちゃって……」
 呆れたように呟くトモに、ヨシノが羨ましそうに言う。
「よっぽど自信があるんですね……羨ましいなあ」
 たとえレシピを提供したところで、同じ味には仕上がらない。そんな自信が羨ましい、と口々に言い募りながらも、女たちの箸が止まることはなかった。
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