ELYSION

スノーマン

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第2章 フェアリーテイルの雫

第38話『長い夜の果てに』

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 黒い灰が降り注ぐ荒野。今なお、勢いよく燃える炎は衰えることなく。
 五人に気付いた使い魔の狼が一斉に吠え、残骸に佇んでいたエリオは振り返った。
 
「エリオ兄さん……これは……」

 警戒しつつ、レイズは訊ねた。

「父上の魔力だ。ずっと精神の病に伏せていたが、さきほど女神の元に召された」

 エリオは静かにそう言った。

「はっ、よく燃えるもんだな」

 それに対し、レイズは表情一つ変えない。

「……?」

 状況が掴めないジークは眉をひそめる。
 
「ルークの一族は死すればその体は燃え上がり、やがてホワイトランドの地へと還る」

 ジークがよほどわかりやすい顔をしていたのか、風に流れていく煙を背に、エリオは口元に手を当て話す。

「還るって、それじゃあこの炎は死者そのもの……?」
「そうだ、長く人を殺め、両手を汚した我らに弔われる権利はない」

 釈然としないジークにエリオは落ち着いた低音でそう言った。

 代々、世界の裏側を生きている東のルークは感謝されることもなければ、人々から恐れられる存在であり続ける必要がある。
 彼らの歩く足にへばりついているのは、人の恨みや憎しみを煮詰めた負の感情だ。
 
 それらは、決して表に出してはいけないもの。
 亡くなれば、一族以外の誰にも知られずにひっそりと終わる。
 それが、裏の世界の一族として生きる彼らの宿命なのだという。
 
 ジークは、話を聞いて心の中に重りが落とされた気になった。
 人から聞く東のルークは金さえもらえればどんな汚れた仕事もこなし、人の心を持たない冷酷非情で無慈悲な集団なのだと、みんな口をそろえて彼らを言い表す。
 
 ホワイトランドの治安を裏から守っているのだといっても、結局は好んで人殺しをするものなのだと勝手に思い込んでいた。
 
 最愛の妻が亡くなった後、ルークの当主であるバリスは妻を死なせた運命と、妻のいなくなった世界を恨むようになってしまう。
 
 愛を忘れ心を失くした彼は、妻との間に出来た子供たちからも目をそらしてしまった。
 なによりも大切にしていた子供たちを、仕事の道具のように扱うようにもなっていく。
 
  少しでも失敗すれば酷い制裁を加え、いつしか子供たちは彼を恐れるようになってしまう。
 まだ赤ん坊だったレイズを抱えたエリオは、いつか憧れた人とは似ても似つかないほど変わり果ててしまった父親を止めることが出来なかった。

 ただ、暴力と怒声が絶えない日々を生きるのに精一杯だったのだ。

「以前の父上は穏やかな人で、いつも私達は家業がどんなに汚い事で人に恨まれるものだとしても、自分の心だけは正しく持つように、と教えられていた」
 
 エリオは昔を懐かしみ、焼ける館を見つめながら思い出を語っていく。

「私はそんな父上を信じ、尊敬して仕えてきた。だから母上を亡くしておかしくなっても支え続け、崩れていく家族を守ろうと思っていた」

 まだ幸せだった頃の家族は温かく、今もなお彼の心の中で輝いている。

「父上のやってきた事は認められるものではない。だがせめて、最期は母上の思い出と共に」

 思いを吐き出したエリオは、弟達へ灼熱色の瞳を向ける。
 
「……」

 リズは何も言わずエリオの目を見ていた。声を荒げたのはレイズだ。
 
「それでも、俺はアンタらを許しはしない!」
「レイ、お前ならそう言ってくれると思っていたよ」

 激高する弟を穏やかに迎えるエリオは一人ずつ語り掛ける。

「レイ、リズは大切かい? ここを出て自由になる気があるか?」
「当たり前だ! 俺はアンタとは違う。家名もいらねぇ!」

 レイズはわかりきっている答えを叩き付けて返す。エリオは微笑み、今度は片割れの子に訊ねた。

「リズ、レイは大切かい? お前の何を賭しても共に居たいと思うかい?」
「うん、レイは大切! 一緒に大人になるって約束した」

 目覚めたばかりのリズの自我は幼く不安定だ。けれど、嘘は言わない。

 静かに不穏な空気が漂う中、ジークやハツ、シャオロンは黙って行方を見守っている。
 二人の答えを聞いたエリオは瞼を伏せて頷き、指で使い魔を呼び寄せた。

「いいだろう。ルークは仕事の放棄、および逃亡を許さない」
 
 腕を一振りしたエリオの手に、銀色に尖る錐が握られた。
 伏せていた瞼を持ち上げ、ルークの当主となったエリオ・ルークは、凛とした声で二人に言い放つ。

「ここから先に進みたければ、当主である私を倒して行きなさい!」
 
 そう言うと片足を一歩下げ、臨戦態勢を取る。
 
「本気で言ってんのか?」

 レイズは信じられないと目を見開く。

「無論だ。お前たちを無条件で逃がすわけにはいかない」

 身を低くしたエリオは、何も構えていないレイズへと襲いかかった。
 
 横薙ぎに腕を振り、柔らかい脇腹を狙う。
 鋭い先が触れる間際、すでに動いていたリズがエリオの背後へ回る。

「リズ!」

 間一髪、防御壁を張ったレイズは、背後からエリオの首を狙う片割れを呼び、取り出した魔銃の弾数を見た。
 残りは一発。
 相手を自分の敵だと認識し、双剣を振るい致命を狙うリズには迷いがない。
 けたたましく吠えるエリオの使い魔は、主人を守るためにリズへと襲い掛かる。

 
「あぁ、何でだい? なんでこうも争うんだよ! 止めなきゃ、こんなのおかしいって!」

 ジークは居てもたってもいられず、もどかしさで頭を掻いた。
 フィアを手に飛び出していこうとした所で、マフラーの端を強く引かれて止められてしまう。

「あーっもう!」

 苛立たしげに足を踏み鳴らすジークは振り返る。
 この止め方をするのはシャオロンだ。
 
「黙って見てなヨ。面白いところなんだカラ!」

 二人を相手にするエリオを見るシャオロンは、好奇心に目を輝かせ笑みを浮かべている。
 
「何が面白いんだよ! 話し合いで解決したらいいのに!」
「そうもいかんさ。貴族は体面を気にする。形式上のもんでも、そう簡単に自由にしてはやれんのさ」
 
 喚き散らすジークだったが、仕方ないとハツがわかりやすいように教えてくれた。

「で、でも! もし二人が勝ったらどうなるんだい?」

 ジークがそう言った時――。

 激しい金属の弾かれる音がし、耳をつんざくような狼の遠吠えが響いた。
 
 エリオの使い魔を一匹残らず斬り倒したリズは、双剣に残る炎の残影を払い落し、切っ先を下にした。
 一方で、遥かに格上のエリオの猛攻を一人で受けていたレイズは、舌打ちをし構えていた魔銃を下ろす。

「……どういうことだ? アンタなら俺らなんざ相手にならねぇだろ」
「そうでもないさ。レイ、お前は強くなったな。リズも立派だ」
 
 どこか諦めを含んでいるような口調のエリオは両手を広げ、優しくレイズ、リズと二人を呼ぶ。
 次に何を言うかは、エリオの中で決まっていた。ごく普通の会話のように弟達に言う。
 
「私を殺して行きなさい。そうすれば、お前達はルークの家からは自由になれる」
「……っ」

 その言葉にレイズは唇を噛んだ。
 エリオは壊れていく家族を一人で支えようとし、大きすぎる絶望に勝てず全てを諦めてしまった自分と、ひとつも諦めずにリズを支え切ったレイズを比べていた。
 フラクタを見捨て、大切なことを見失っていたエリオ自身と、最初から最後までリズを守り抜いたレイズは対のようにも見える。

「私は、お前達を守らなかったことを償いたい。今まで、本当にすまなかった」

 そう言ったエリオは凛とした口調とは裏腹に、言葉端から酷く疲れているのがわかり、彼の心の中は悲しいほどに空になっていた。

「そんなこと……今、言うなよ……アンタは、だって……」

 今まで見たことがない兄の顔にレイズは言葉を失う。
 
「何で、今そんな事を言うんだよ。なんで、クソ野郎のままでいてくれねぇんだよ!」
 
 記憶の中のエリオは、厳しい所もあったが家の中で唯一優しくしてくれていた存在だ。
 その兄のこんな姿を前に動揺が隠せない。
 何も言えなくなってしまったレイズに代わり、リズが口を開いた。
 
「……わかった。それを望むのなら叶える」

 重苦しい空気の中、そう言ったリズは固く剣を握り、躊躇いなく向かう。

「いい子だ、すまないな……」
 
 エリオはそんなリズに感謝して目を閉じる。

「待て! リズ!」
 
 冷たい刃が振り払われ、レイズの悲鳴にも似た声が上がった。

「――ッ!」
 
 目を閉じていたエリオの首に冷たい感触が走り、次いで胴体に何かがしがみ付いているような衝撃もかかった。
 
 投げ捨てられた剣が、月光を反射し白く輝く。
 
「……?」

 慣れない感触にエリオが眼を開くと、胴体に腕を回したリズが小さな子供のようにしがみ付いていた。
 先ほど首にあたった冷たい感触は、この子の髪なのだと気付く。
 
「リズ、お前……なにしてんだ?」

 見ればレイズも驚いていた。
 剣を捨て、兄に寄り添うリズは肩に頭をグリグリと押し付けながら言う。

「エリオ兄さんはご飯をくれた。だから、リズはエリオ兄さんを殺せない」
 
 相変わらず無表情のリズだが、「ぐっ」と腕に力を入れてエリオから離れようとしない。
 
「お前は……私を、赦すというのか……?」

 予想外のことで反応に戸惑うエリオ。リズは子供が母親に甘えるように頷いた。
 
「ん。リズは昔のことをあまり覚えてない。でも、ご飯をくれた事は覚えている」
 
 理由としては本当に単純で理解しがたい。
 それでも、自分なりの答えを伝えたリズは、これでも足りないのか? とエリオの胴体を締め付けている。

 状況が混乱しかけた時、乾いた笑いが上がった。
 最初は風に砂が巻き上げられるような小さなものでも、こらえ切れなかった笑い声は徐々に大きくなっていく。
  

「……ふ……ふっ、はははっ! そんなことで……?」
 
 そんなリズを見下ろしたエリオは、思わず声を出して笑ってしまった。
 本人は大真面目なのに、あまりにも予想の斜め上を行くリズは「ムフーっ」と満足げに息を吐く。
 
「ああ……あぁ、お前は本当にルークの暗殺者としては失敗作だな。とんだ馬鹿者だ」

 頬を緩めたエリオは呆れたようにやんわりと苦笑すると、リズの不揃いの青髪を優しく撫でながらそう言った。
 もとから体温の低いリズに触れる指は、声と同じでどこまでも優しい。
 
「エリオ兄さん。俺も、アンタを殺して自由を手に入れたいわけじゃない。理解して欲しい」

 そう話すレイズは、正直に思いを伝える恥ずかしさを誤魔化すためにメガネの端を落ち着きなく触っている。
 
「……レイズウェル、それにリズウェル。本当にすまなかった」

 そんな二人に囲まれ、エリオは深く頭を下げた。
 彼の足元に一粒の涙が零れ落ちたが、夜の闇が隠してくれていた。
 顔を上げたエリオは、静まりつつある炎を見つめ、大きく深呼吸をして二人に語り掛ける。

「どうやら私は、また間違えていたようだな」
「……エリオ兄さん?」
「住処もなくした今、これで我がルークは最初から出直しだ」

 聞き返す弟に、エリオは憑き物が落ちたようにさっぱりと答える。リズの髪を撫で、自分から目を逸らさないレイズに笑みを向けた。

「だが、お前たちは自由だ。家のことは忘れて幸せになりなさい」

 驚いたリズは目を丸くして片割れを見た。レイズは、腕を組んだまま仏頂面で溜息をつく。

「いや、四大貴族がたった二人でいいわけないでしょう。せめて、四人いれば貴族家としてのメンツが保てます」

 そう言ったレイズは、「それに」と続ける。

「さっき家名はいらないと言いましたが、よく考えたら四大貴族の身分は今後もまだ利用出来るので使い続けます。だから、なおさら兄さんには生きていてもらわないと!」

 意識して淡々と言うようにしていたレイズだが、最後の一言だけは感情を隠せなかった。

「俺の名は、レイズウェル・ルーク。四大貴族、東のルークの序列第三位です。これは変わりません」

 自分で言って恥ずかしくなってしまったのか、後半はやや早口だったものの口調は柔らかく、レイズ自身もエリオを赦していた。
 その証拠に、当主に対する礼儀として敬語を使う。そんな様子を見ていたリズも左手を上げて宣言する。
 
「リズウェル・ルーク。序列はなし」
「いや、お前はいいんだよ……」

 とりあえず言っておこうの精神で宣言したリズに、レイズは呆れて笑ってしまう。
 互いに理解し、対等に並ぶ二人を見ていたエリオは目に涙を滲ませる。
 
「ありがとう、フラクタも亡き今、必ず私が一族を再興させる。もう二度と、お前達のような悲劇が起こらないように……」
「あ、いや、生きてるわ。フラクタ」

 目頭を押さえ、力説している兄に思わず突っ込んでしまったレイズは、後ろで見ていたジークを睨んだ。

「あ? え、あ! そう、いるんですよね! コレが!」

 突然話を振られてしまったジークは、気まずさで目を泳がせながら『芸術的なポーズ』で気絶しているフラクタを連れて見せた。
 なんとなく、紹介の仕方が店先で商品を実演販売する店員のようにわざとらしいが、ジークにうまい演技を求めてはいけない。

「フラクタ……! なぜ、お前はこんなにも悩ましい体勢でいるのだ!」
 
 なぜか頭にセイランの花冠を乗せられた、乙女ポーズのフラクタを見つめるエリオは声を震わせた。

「すみません、台車から落ちたらこうなっていました」
 
 対して、馬鹿正直に答えるジーク。
 シャオロンとハツは必死に笑いをこらえている。
 笑ってはいけないシーンだが、真顔でいるにはあまりにも辛い。

「弟達を救ってくれてありがとう。君たちにも迷惑をかけてしまってすまない」

 白目を剥いて気絶しているフラクタとの再会を喜ぶエリオに、何か言葉をかけたいジークは思い浮かんだままに話す。
 
「俺、実は昔の記憶がないんですよ。犯罪者だったのかもしれない。でも、人は強いんです。だからこそ悩み、転んでも立ち上がれるんだと思います」

 そう言って、ジークは冗談を混ぜて屈託なく笑う。

「……そうか、君だからあの子達は信じられたんだな」
 
 エリオはそんなジークをじっと見つめ、納得がいったというように口元を緩めた。
 
「ジーク! こっちこいさ、なんかコイツ目を覚ますっぽいさ!」
「なんだって!」
 
 もう少し話したかったジークだが、ハツに呼ばれてフラクタの方へ向かう。
 
 エリオは返す言葉を考えていたが、不要だと緩く首を振り、シャオロンの前に片膝をついた。
 相手が人間でも亜人であろうとも、中立を貫くのがルークであり、エリオは礼儀を尽くそうと頭を下ろす。
 
「亜人の王よ、数々の非礼をお詫びします」
「大したことじゃないヨ。ただ、に暗殺者として未熟な子供を遣わせるなんテ、よほどの人でなしだと思ったケド」

 首を傾げ、皮肉を交え笑うシャオロンは、自分達に背を向けフラクタの世話をしているジークを一瞥する。

「……これは失礼。ちょうど手が空いているのが、あの子とレイしかいなかったもので。ひとまずは、あなたに対する依頼は破棄させていただきます」
 
 仲間と話す時とは違う雰囲気で圧をかけるシャオロンに、エリオは片目を引きつらせつつ笑顔で皮肉を返す。
 どことなく似た者な雰囲気が漂い、シャオロンはニッコリと笑った。
 

「ん? みんな、朝だぞ!」
 
 目を覚ましたフラクタを背負ったジークは、辺りが明るくなってきた事に気付き声を上げた。
 この長い夜の果てに迎えた朝は、とても新鮮で体中に温もりと活気を与えてくれる。

 館が燃え切った跡の消えかけた小さな火を、エリオは大切に手の中に握り込み、父や母の思い出と共に弔う。
 朝日が荒野を照らし、やがて希望が訪れる。

「なんか、すんげぇ疲れたさな……」
 
 げっそりと目の下にクマが出来ているハツも、目が慣れないうちは手で影を作っている。

「しっかりしろよ! 帰るまでが遠足だぞ! 帰ろう、ベレット村に!」
 
 ジークはそんな彼を元気づけるように背中を強めに叩く。
 
「ああ、ちなみに帰りも同じ道を通るからな。近道なんざねぇわ」

 すかさず現実に引き戻すレイズ。
 
「なんでだい! あんな所、もう嫌なんだぞ!」

 ジークは、来た時の苦労を思い出して心の底からゲンナリしてしまう。

「この俺が感謝して案内してやるんだからな、別にお前らの為なんかじゃ」
「君、本当に口が悪いし、何が言いたいのか意味がわからないんだぞ」

 もはや、お決まりとなりつつあるジーク&レイズのやりとりの横でハツは半分寝ているし、リズはマイペースにシャオロンからもらった隣のおばさんの薬草スープを食べている。

 決して静かではない別れに、エリオは苦笑して見送っていた。

 この夜までのわだかまりは消え、五人は他愛のない会話を交わしながら歩き始める。
 
 朝焼けに染まる荒野を背に、エリオとフラクタに手を振ったジークと仲間の四人は、ジゼルが待つベレット村へと帰るのだった。
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