ELYSION

スノーマン

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第2章 フェアリーテイルの雫

第34話『辿り着いた先は』

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 崩れた壁に通したロープを伝い、東のルークの館に足を踏み入れたジークは薄暗さに驚く。
 
 ジークの知る限り、大貴族の館というのは金や銀などが贅沢に使われた富を象徴とするものだ。
 以前、入団式の時に立ち入ったレオンドール城は、目が痛くなるほど貴重な宝石が使われていた。

 それなのに、ルークの館は石造りの冷たく無機質な廊下が広がり、月の光以外には明かり一つとしてない。
 窓には格子が入っており、まるで必要でないものは切り捨てているような独特の息苦しさがあった。
 
「なんか、牢獄みたいさな」
 
 そう言ったハツは、持っていた草の実をすり潰した。すると、彼の手の中にある草の実から特殊な液体が滲みだし、白く光り出した。
 傭兵団に入るまで一人で過ごしてきたハツは薬草にも詳しく、彼が扱うのは医療に使えるものから日常で使えるものまでと幅広い。もちろん、こうして刺激を与えると発光するものまである。

「牢獄か、間違ってはねぇな」

 前を向くレイズは、辺りを警戒しながら魔法で明かりを灯し、ジークとハツに「付いてこい」と顎で合図をした。

 人の気配がしない廊下に、石の床を蹴る靴音だけが聞こえる。
 ルークの館は、かなり複雑な造りになっているようで曲がり角が多い。かと思えば、左右に道が分かれていたり地下へ降りる階段なんかもあったりする。
 
「……何でこんなに複雑な造りなんだい? 部屋もたくさんで大家族みたいなんだぞ」
 
 ジークは、ふと疑問を口にした。

「お前はバカか? 奥の住処に侵入者を真っ直ぐ辿り着かせるわけねぇだろ。それに、ここには仕事部屋もあるからな」

 平然とそう答えたレイズ。ジークは嫌な予感がしながらも訊ねた。

「仕事部屋って……」
「そういう部屋だ。聞かない方が身のためだぜ」
「う……」


 即答したレイズの眼鏡の奥が怪しく細められる。ルーク家の家業を考えれば、このたくさんの扉の向こうにある部屋が何に使われているのかなんて、想像するまでもないだろう。
 黙り込んだジークは大人しくついていく事にした。

 その時、唐突に一番後ろを歩いていたハツが声を上げた。

「なんか聞こえるさ」
「ん? 本当だ、何か聞こえるぞ」

 ジークは耳を澄ます。どこからか固い石を蹴る爪音がし、動物特有の荒い息遣いが近付いてくる。

「あれ! なにかいる!」

 辺りを見渡すジークは、前から燃える火の塊が迫ってきている事に気付き目を見開いた。
 火の塊だと思っていたものは、鋭い前足を使って飛び掛かってくる。
 ジークはフィアで防御したが、熱気で目がくらみバランスを崩してしまう。
 
「熱っ! 魔物かい!?」
「狼さ。魔法使いが自分の魔力を分け与えて生み出す、使い魔みたいなもんさ!」

 すぐにハツが助け起こし、彼は手の中にある光で前を照らした。
 燃える炎を宿した黒い狼は、侵入者を警告するよう鋭い牙を剝き出しにして唸る。
 
「ま、さすがにあの騒ぎじゃ気付くわな」
 
 こうなる事は予想出来ていたし、少々無理をして魔物をけしかけ壁を破壊したのは、騒ぎで兄達を分散させる為でもあった。

 冷静なレイズは、上着の裏に隠していたものを握る。
 いきなりエリオが出てくるのは驚いたが、出し惜しみはしていられない。
 今、目の前にいるのはルークの次期当主なのだから。

 やがて黒い狼は主人である男の横に控え、明かりに照らされ暗闇から姿を現したのは、四大貴族の一つ、東のルーク家の長兄であるエリオ・ルーク。
 
「レイ、どういうつもりだ? なぜお前がここにいる」
「はぁ? そんなもん決まってるだろ!」

 確かに始末したはずの末弟を静かに威圧するエリオは、ジークとハツを一瞥すると服の袖から一本の鋭い武器を取り出した。
 先端が尖ったそれはナイフとは形状が違い、対象に穴を開ける為に使われる錐だ。
 ジークはフィアの柄を握り、ハツは荷物を漁り始めた。
 
「俺は、フラクタを見捨てたアンタとは違う。リズを連れてここから出ていく!」

 従順な弟であることを捨て、何よりも自分が言いたい事を叫び、真っ向から兄を睨み返したレイズは走り出した。
 
「そうだ! レイズの兄さんか知らないけど、ここは通してもらう!」

 それに付いてジークも足を踏み出し、正面からの突破を試みる。

「お前は何も知らないから……!」
 
 聞き分けのない子供を叱るようにエリオは舌を打ち、腕を上げたその時。
 どこからか黄土色の煙と共に異様な臭いが立ち込め、悪臭と共に視界を覆っていく。

 気付けば、護衛の狼は泡を吹いて倒れており、エリオ自身も強烈な吐き気と目の痛みに手で鼻と口を覆う。

「これは……?」
 
 急襲にエリオは動きを止める。その隙をついてジークは走り抜け、レイズも続く。
 まさか、とジークが振り返れば、煙の中でお手製の防煙マスクを着けたハツが右手親指を立てていた。
 
「シュコー、シュコー……(ここは任せて行けさ!)」
 
 間違いない。頭全体を覆う防煙マスクのデザインは実用性を極めすぎて不気味だが、この毒ガスはハツが扱うものだ。
 表情はわからないし言葉を発することはなくとも「先に進め!」と言っているのがわかる。
 
「ハツ!」
「よくやった、ハーヴェン!」
 
 この間に横を抜けたレイズは、振り向きざまに握っていた銀色の引き金を絞り、燻っていた炎の魔力はそれに応えるように勢いをつけ、打開の一発を放つ。

 本体と同じ銀色の弾丸は強い反動を犠牲に打ち出され、風を切って四散しエリオの足元で破裂する。
 周囲に冷気が舞い、魔弾から飛び出した魔力は瞬時に青い魔法陣を描き閃光を放つ。
 わずか数秒のうちに、天井をぶち破る勢いで堅固な氷の壁が召喚された。
 
「ハツ……! あとで会おう!」

 ジークは振り返り、先を行くレイズを追いかけて走る。
 いや、ハツだけじゃない。この壁の外では、一人残ったシャオロンが魔物を抑えてくれているのだ。
 いちいち立ち止まってゆっくりしている暇はない。
 
「シャオロンも、一人で大丈夫なんだろうか……」
「あの程度で死ぬなら、亜人戦争の犠牲者は少なかっただろうな」

 仲間の心配をするジークに、息を切らせたレイズは短く答えた。
 ジークは少し考えた後、真剣な顔で訊ねる。

「……どういうことだい? 何か知ってるのかい?」
「お前はどんだけ鈍いんだよ! ただの亜人がその辺をプラプラしてるわけねぇだろ!」
「あだっ!」

 ツッコミついでに頭を銀の武器で殴られてしまったジークは、レイズの手に握られている物に気付いた。

「そうと、君は氷の魔法も使えたんだな! それはどういうモノなんだい?」

 そう言ってジークが指すのは、レイズの手の中に収まるサイズの銀色の筒状の武器だ。
 レイズは、どう答えていいのか考えながら言う。

「魔銃、というらしい。おば……ジゼルさんが持たせてくれた。魔法がほとんど使えない俺でも戦えるようにな」
 
 魔物の研究がメインであるジゼルだが、武器の研究も進めていたりする。そんな彼女から、覚悟を決めて戦いに出る甥への餞別プレゼントだ。
 仕組みとしては、魔力を溜められるロアル銀で出来た弾丸に他人の魔力を込め、使用者の魔力で撃ち出すというもの。

 彼女曰く、まだ試作段階だが威力は十分だった。

「魔銃? なんてカッコいいんだ!」

 目を輝かせたジークは、自分のことのように嬉しそうにしている。

 レイズとしては、貴族の血筋で魔法が使えないという事実に劣等感がないわけでもない。
 言い返す知恵はあるが、性格はハッキリ言ってひねくれている。

「……お前、マジでバカだよな」

 それでも、こうして素直な感想が来れば悪い気はしないというものだ。


 ――――

 ルークの館に侵入してどれくらいの時間が経っただろうか。途中、何の変哲もない床に落とし穴があったり鏡の中に道が繋がっていたりと予想もつかない道順が続いた。

 ようやくレイズが立ち止まったのは、館の離れにある小屋の前。彼は思うことがあるのか、ドアを開けるか迷っている。
 ふと、ジークが窓の外を見れば月に照らされた、金色のセイランの花が風に揺れていた。
 
「家の周りは荒野なのに、ここだけ花が咲いてるんだな」
「ああ、母さんが好きだった花だ。今は、誰かが手入れしているんだろうよ」
 
 花を眺めながらジークがそう言うと、レイズは決意したようにドアを開け、中へと進んでいく。

「待ってくれよ、っと……!」
 
 どんどん先に進んでいく彼に付いて入ったジークは、足元に落ちていたもので危うく転びそうになってしまう。
 レイズが明かりを灯してくれたおかげで下に目を向ければ、暗い部屋の中には空の瓶が散らばっていた。
 
 どれも中身は入っていないようだが、今まで誰かがここに住んでいたような気がする。
 開け放たれた窓から差す月光と相まって、寂しさを強調させていた。

 ジークは、破れたベッドの上に突き立てられたナイフを抜いて明かりに照らしてみる。
 鋭く尖った先端は少し欠けており、錆びのように見えるものは酸化した血液のようだ。
 
「これって……」
 
 ジークは、思わずそう呟いていた。
 改めて明かりを広げて見れば、この部屋の中が照らされていく。

 子供の背の高さに合った本棚やベッド、窓枠には紙を丸めて作られた笑顔の古い人形が並んで座っていた。
 クローゼットの横の柱には、背比べをしたのか二人分の身長が彫られている。
 おそらく、仲のいい子供が二人。ここに住んでいたのだろう。

 視線を下げれば、汚れた床には黒い染みのようなものが広がっていて、汚れが一番ひどい箇所には細い毛髪と見覚えのあるリボンが落ちていた。
 
「……」

 痛みを堪えるような険しい表情のレイズは、何も言わずリボンを拾うと固く握りしめる。
 
「レイズ、大丈夫かい?」
「……間に合わなかった」

 歩み寄ってきたジークは、今までにないくらいに震えた彼の声を聞いた。
 レイズにとって、リズと子供の頃に分け合ったこの青いリボンは、顔も知らない母親の形見だ。

 これだけが、二人がどんな時も身に着けていた絆だった。
 膝を落としたレイズの指先が、床中に転がる空き瓶を撫でる。
 
「アイツは、なにもかも全部捨てた……リズは、もう戻ってこれないかもしれない……」
 
 両手に握り込んだリボンを額にあてたレイズは固く目を閉じ、今にも消え入りそうな声でそう言った。
 
「レイズ! そんなことはまだ決まってない!」
 
 その言葉の意味がわかったジークは彼の肩を強く叩き、励まそうと声をかける。
 だが、ジークの心配をよそに、レイズは覚悟を決めたように顔を上げ、青いリボンを上着の裏ポケットにねじ込んだ。
 静かな決意は歩みを進める。
 
「……行くぞ。こんなところで時間を使ってる暇はねぇ」

 固い靴音を鳴らし、レイズは部屋を出ていく。
 言葉もなく、人を寄せ付けないような雰囲気に何も言えなかったジークが部屋を出ようとした時、子供の笑う声が聞こえた気がした。

 振り返って部屋の中を見るも、もうここには誰もいなかった。

 
 離れの小屋を過ぎてさらに奥へ向かった所で、二人は大きな扉の前に辿り着く。

 今まで通り過ぎて来た中でも重厚な両開きの扉を開ければ、真っ白なクロスのかかったテーブルが目に入った。

 テーブルに一定の間隔で置かれている三枚のプレートの上には、きれいに折られたナフキンが添えられ、磨かれた銀食器が用意されていた。
 同じく銀製の燭台には白い蝋燭が立ち、並べられたグラスが席の主を待っている。
 
 天井には、女神エリュシオンを模した装飾が吊るされており、テーブルの中央には先ほど庭で見たセイランの花が飾られていた。
 
 ここまで通った景色があまりにも殺風景だったからか、ジークの顔は自然と明るくなる。
 
「ここって食堂かい? 食器も本物の銀だし、女神様もすごいんだぞ!」
「ああ、ここを抜ければルークの人間が住む最奥に着く」

 食堂全体を照らすように明かりを天井高く上げたレイズは、誰かの視線に気付いて動きを止めた。
 同じく、ジークも何かの気配を感じてフィアを構える。

 暗闇から向けられるのは、どこから食らおうかと獲物を狙う捕食者のそれ。

「ジーク、逃げるぞ」

 そう言ったレイズが駆け出そうとした時。突然、一斉にテーブルの蝋燭に火が灯った。
 誰もいなかったはずの食堂内は一気に明るくなり、目が慣れていないジークやレイズは怯んでしまう。

「クソ……!」
「いきなり何が……!」

 腕で光を遮っていたジークは、後ろに強烈な殺気を感じて反射的に振り返った。
 先ほどの気配もこの男のものだろう。
 ここで待ち構えていたのか、鳴らす靴音は軽やかに。
 
「まさか、そちらから来るとは思いませんでしたかねぇ?」

 聞き覚えのある、喉の奥にかかるような独特な口調は跳ねるように。
 ピンと伸ばした左腕を曲げ、わざとらしい動作で礼をする男――虚ろのフラクタは、唇の端を吊り上げていた。

「ジーク・リトルヴィレッジ? 我こそに屈辱をお与えくださった罪、お忘れで?」
「アンタみたいなクネクネした変人、忘れたかったよ!」
 
 くつくつと喉にかかる笑い声をあげたフラクタへ向け、ジークはフィアを抜いた。
 剣の乙女を宿した細剣を握る手は、もう震えていない。

「リズはどこにいる!」
「その声、もしかしなくともクズのレイズウェルでは? 生きていたのでしょうかね!」
 
 レイズもまた魔銃を握り、宿敵とした兄へ向ける。
 銃口を向けられたフラクタは、ほんの少しだけ意外だというように目を見開き愉快だと嗤う。

「ヒョホホ! わざわざあのゴミクソの為に戻ってきたというのでしたかね? 反吐が出る愛でしょうかね!」
「何がおかしい! アンタは……!」

 怒りを露わにするジークは、何かが首筋をぬるりと這うような感覚に背筋が凍る。

「ジーク!」

 自分を呼ぶレイズの声がした瞬間――。
 咄嗟に腰を落としたジークの頭上を、音もなく振り払われた黒い刃が襲う。

 もし、レイズの声が少し遅かったら、もし、あと少しでも反応が遅れていたら……間違いなくジークの首は落ちていた。

「な……何が……」

 緊張から出て来た汗をマフラーで拭う。

 ジークは、一切の迷いなく急所を狙う暗殺者の事を知っている。長いとは言えない時間だが、一緒に困難を越えた仲間なのだ。間違えるわけがない。
 
 それでも、信じたくない気持ちを抑えきれない自分もいた。
 相棒のフィアを固く握りしめたジークは、暗殺者を見上げながら、混乱する頭でぽつりとその名前を呼んだ。

「リズ……!」

 名を呼ばれ、瞬きをしたリズの表情はなく、意志のない空虚な深い青はジークを捉えたまま濁っていた。
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