ELYSION

スノーマン

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第2章 フェアリーテイルの雫

第27話『道化師』

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「一体、何が起きたんだい⁉」

 空から敵意を持って降り注ぐ炎の矢を、女神像の陰に隠れてやりすごしたジークは、少し焦げてしまったマフラーをまき直し、目を吊り上げた。
 一瞬の出来事に思考が追い付かず、女神像の陰から出て辺りを見渡す。

 燃え盛る炎は逃げ場を奪い、熱を取り込んだ風が勢いを増していく。周囲を巻き込んで上がる紫焔の奥で、リズが地面に横たわっていた。
 
「リズ!」

 片割れを呼ぶレイズウェルは、髪や服が燃えて自身が火傷をすることも構わず炎の中をかき分けて行く。
 魔力の弾で頭を打ち抜かれたリズは、多量の出血をして意識を失っていたが体の全体を緑色の炎が包み、すぐに傷の再生が始まっていた。
 
 本来なら即死のところを肉体の特性のおかげで生きてはいるが、大きく胸を上下させて繰り返す呼吸は浅い。
 本人に痛みは感じなくとも、体は致命傷だと理解しているのだ。
 痛々しい生傷から流れた血がリズの目に入り、生理的に溢れた涙と混じって零れ落ちた。

「……」
 
 薄く開いた瞼を手で伏せたレイズウェルは、何も言わずにリズの力なく垂れた腕を掴み、抱きかかえた。
 火の手が弱くなったところを見つけたジークは、レイズウェルに駆け寄る。

「レイズウェル、君も無事でよかったんだぞ! リズは……?」
「あ……?」

 心配して声をかけたジークに、レイズウェルは驚いて固まった。
 何ひとつ細かい話をしなかった自分を信用し、歩み寄ろうとしてくれたジークを拒絶して悪態付いた。
 その自分が心配されるとは思っていなかったのだ。

「ウン、生きてはいるみたいダネ。かなり危ないケド」
「本当かい? よかったんだぞ! 今すぐ逃げなよ」

 横から覗き込んだシャオロンがそう言うとジークの表情が和らぎ、二人を逃がそうと火の回っていない辺りを探し始めた。
 
 その時、墓場の土と草が燃える臭いと煙の中、この場に不釣り合いな狂った笑い声が響いた。
 
 辺りに響く濁った声は徐々に大きくなり、『気色悪いさ!』とハツは吐き捨て、腰に装着していたナイフを抜いて構えた。
 
 ――やがて不気味な笑い声は止まり、暗闇の中で炎の明かりを反射して人影が浮かび上がる……。
 高温の炎熱をものともせず、発せられた言葉は悲劇の役者のごとく。
 
「あぁあ! 出来損ないの後を追えば、思わぬ獲物が釣れた!」
 
 燃える炎を引き裂き、跳ねるように軽い足取りで姿を現したのは、ルークの一族が扱う白狼の仮面を身に着け、象徴ともいえる赤い髪を短く歪に刈り上げた男だった。

 ゆらゆらと体の重心が定まらずに揺れる男は、高々と声を張り上げた。
 
「おお、おお! クズとクズの飼い主に人間のオキャクサマが一匹、二匹……ようこそ、ようこそォ‼」
 
 おおげさに芝居がかったような口調は、歌を奏でるように軽薄で。

「それも、ロディオールもいるときた! これは女神の幸運か⁉」
 
 ジークとハツ、シャオロンの三人を順に指さして楽しみだと頷く姿は、舞台で脚光を浴びる道化師のようにわざとらしい。
 
「……!」 
 
 ジークは、彼の黒衣からまだ新しい血の臭いがする事に気付き、得体の知れない恐怖を感じて反射的に細剣を抜いた。額に、嫌な汗が滲む。
 
「……東のルークの暗殺者、コイツらはリズウェルよりずっと厄介だヨ」

 いつもは余裕のシャオロンが険しい表情で言った。身を低くし、男から視線を外さずに戦闘態勢をとる。
 
「フラクタ……」

 レイズウェルはリズを落とさないように抱えなおし、険しい表情で兄の名を呼ぶ。
 
「あの、クズと一緒にしないでいただけないでしょうかねぇ?」
 
 喉の奥にかかるような独特な口調でそう言った黒衣の男は、レイズウェルの方を向くと掌を翻して手品のように炎を召喚し、両手で握る。
 披露をじらすように体をくねらせ、奇抜に踊りながら両の手を開くと、赤黒く燃える鞭が姿を現した。
 右手に握る凶器には、無数の刃物が仕掛けられ、返り血がこびりついている――。
 
「我こそは東のルークからお呼び出しの、虚ろのフラクタ。裏切者のクズ共と殺されてしまえば、苦しみは与えないですかね?」

 そう言ってフラクタは左手を腹の前にやり、恭しく礼をした。
 ――瞬間、ジークは何の躊躇いもなく顔面を狙った突きを繰り出した。

「ヒョアァ! 卑怯だと思わないのでしたかね! 東のルークである我に逆らうとは、どういう事かわかっておいでか?」
 
 甲高い悲鳴を上げて躱したフラクタを睨みつけたジークは、相手が四大貴族の東のルークだというのにも関わらず、一切怯むことなく声を張り上げた。
 
「んなこと知らないんだぞ! あんたはリズを……仲間を傷つけた! あとクネクネして気持ち悪いぞ!」
「そーさ! こちとら、もとから貴族が大嫌いでぇっきれぇでさァ‼」
 
 筋骨隆々の少女の飾りがついた剣を振り払い、再度フラクタへ向けるジークと並んで立ったハツは顎を突き出し、中指を立てしかめ面で凄む。

「お前ら……! 馬鹿っ、もういいから今すぐ逃げろよ‼」

 ハツだけでなく、ジークまでも戦おうとしている事に、レイズウェルはまた驚いていた。

 四大貴族はホワイトランドを治める大貴族、敵に回したらどうなるのかなんて簡単に想像がつく。
 ルークの報復から逃げ切れた人間はおらず、みんな必ず探し出して始末されている。
 なのに、ジークは退かない。退く気もない。

「卑怯上等! 仲間を守るのに、手段なんかどうでもいいんだぞ!」
 
 はっきりと言い切ったジークは、正々堂々の王道を外れることに抵抗がない。
 人としての礼儀や、情に脆い所はあっても、自分ではない他人の為に戦うならば、それなりの手段に出る。

「ロディオール!」

 レイズウェルは信じられないというようにシャオロンを見る。
 この状況で無名の剣士であるジークが、一族の暗殺者であるフラクタに挑むのは無謀なのだ。
 立場上、戦力差もわかっているであろうシャオロンに止めさせようと口を開いたその時。

「人の心配をするなんて、お前は本当にゴミクズですかね!」

 フラクタの放った鞭がしなり、音速の衝撃波がレイズウェルを襲う。

「……ッ!」

 今の自分では避けられないとわかっているレイズウェルは、何とかリズだけは守ろうと身をかがめた。
 目の前に迫る狂気の一撃。

 直後に、何かを打ち叩く音がした。

 痛みに備えて全身に力を入れていたレイズウェルは、おそるおそる目を開ける。

 レイズウェルの前に立ち、ギシリ、と軋みを上げる刃の鞭を握りしめていたのは、目を輝かせたシャオロンだった。
 
「ネ! 面白いデショ?」

 人間とは純粋な体のつくりが違う亜人は、物理的な攻撃には強い。特に、他の亜人よりも力のあるシャオロンにとって、人間の扱う鞭は虫が飛んでいるようなもの。
 少し力を入れて握ると、装着されていた刃は折れてしまった。

「ジークがバチクソバカなのは、今に始まったコトじゃないヨ!」

 久しぶりの活躍にシャオロンは、どさくさに紛れて嫌味たっぷりに、にんまりと笑う。

「コラー! 今バカって言ったの聞こえたんだぞ‼ 恐れ知らずも付け加えてくれよ!」

 すぐさまジークは抗議し、シャオロンと並んでレイズウェルの前に立つ。

「いや、お前……バチクソバカはいいのかよ……」

 思わずつっこんでしまったレイズウェルは、我に返りフラクタへ視線を移す。
 シャオロンにより鞭を破壊されたフラクタは、ガクガクと首を左右に振り、突き上げた両手を勢いよく下ろした。

「薄汚い亜人が! 先にお前達から殺してやる……!」

 先ほどの道化は消え、人間の動きとは思えない角度で体を捻るフラクタは、忌々し気にジークへ掴みかかった。
 奇声を上げて襲い掛かる姿は、恐ろしい化け物のよう。

「レイズウェル! 今のうちに逃げるんだ‼」
 
 リズとレイズウェルの二人を守るように立ちふさがったジークは、フラクタと掴み合いになりながらも剣を離さない。
 
 視界の端で足を引きずりながら逃げ出すレイズウェルを見送り、ジークは歯を食いしばった。
 体格差で言えばあまり変わらないくらいだが、やはり純粋な技量と筋力では負ける。
 ジークの首を掴んだフラクタが、狂気じみた地の底を這うような声で嘲笑う。
 
「ひゃはははは! これで、おしまいですかねぇ……」

 フラクタが低く囁くとジークの首元に赤い炎が上がり、マフラーと髪の毛先が焦げる。
 じりじりと顔に燃え移ろうとする炎に怯んだジークは、フラクタを掴む腕を放してしまう。

「すまん、待たせたさ!」
 
 このいいタイミングで、滑り込むようにハツが足払いを仕掛ける。
 思わぬ不意打ちに、バランスを崩したフラクタを振り払ったジークが後ろに飛ぶ。
 次いでその首めがけ、シャオロンが勢いをつけた蹴りを入れた。
 
 骨の軋む鈍い音がし、容赦のない一撃の止めだと言うように、ジークは細剣の先をフラクタの首元に突きつけた。

「これで終わりだ!」
 
 唯一の思い出のマフラーと仲間を傷つけられて平気でいられるほど、ジークは大人じゃない。
 けれど、自分自身に冷静であれと言い聞かせる。
 ハツは真っ黒い液体が入った瓶を、地面に腰をつけたフラクタに見えるように揺らした。

「見えるさか? これは少しでも傷口に入れば死に至る猛毒さな。周辺に、これをたっぷり含ませた罠を仕掛けてあるさ」

 そう言ったハツの指には、罠を発動させる為の透明な操り糸が掛けられている。
 さっきまでいなかったのはこれを仕掛けていたのだろう。毒物を扱った罠は、ハツの得意分野だ。

「下手に動くと、こいつをアンタの上に落とすさな」

 どうする?と言うように肩をすくめ、ハツは酷く冷たい目でフラクタを見下ろした。
 もう勝敗はついている。ジークはそれ以上のものを求める気はなかった。

「あんたを殺すつもりはない。ただ、この場から立ち去ってくれ」
「ふ……」

 静かにそう言ったジークに答えるように、フラクタは引きつった笑い声を上げる。
 
「ふ、ふふ……ふふふふ……痛い、痛い……忘れていましたかねぇ! 痛みとは、こうでしたと⁉」

 嬉々として上げる嗤い声は、壊れた人形のように途切れとぎれに。
 確かに折れた手ごたえがあったはずの首は滑らかに動き、フラクタは仮面の口元を晒すと青い舌を出し、自身の唇を舐めた。

「ルークに歯向かう荒く猛々しい気性、ここで殺してしまうのは忍びない……!」

 体中を走る痛みに酔いしれるように、フラクタは向けられた剣先を掴む。
 
「ジーク!」

 不穏な気配にハツは糸を引き、今すぐにでも毒を放とうと声を荒げる。
 
「待ってくれ、なんかおかしいんだぞ……」

 言いようのない違和感にジークは身構える。

「ジーク、といいましたかね? ロディオール共々、次にお会いする時を楽しみにしていましょう?」
「!」

 そう言ったフラクタがジークの握る細剣の先を自身の喉に押し当てた瞬間、ハツとシャオロンが合わせたように同時に動いた。
 
 指を弾き全ての罠を発動させたハツは、木々や墓の間に張り巡らせていた糸を介して毒を塗った細い針を解放する。
 無数の毒針が放物線を描いて落ちる前に、シャオロンは薄ら笑うフラクタの顔面を掴み、押し込むように地面に突き倒した。

 抵抗を許さない力業の直後、道化師の上に猛毒の針が降り注いだ。
 一瞬の事でジークは動けなかったが、二人がフラクタを倒したという事はわかった。

 ハツだけじゃなく、シャオロンも根本的には非情な部分はある。ただ、それが普段見えるか見えないかだ。

「な、なにも殺す事なかったんだぞ……」
「死んでないヨ。そもそも、本体じゃないみたいだしネ」
「気に入らんさ」

 口々にそう言った二人は、動揺しているジークに見るように促す。
 毒針が突き刺さったフラクタの肉体は、しばらく痙攣すると白い煙を上げ始め、やがて広がった煙は風に乗って消えてしまった。

 あとに残されたのは、血の臭いの染み付いた黒衣だけだった。

「本体じゃないって……」
「魔法で操った人形かなんかだったってことさな」

 言葉を失うジークにそう言ったハツは、指にはめていた特殊な糸を外し始める。
 静寂を取り戻した墓地を見渡し、ジークは溜息をついた。

 どうやら偽物だったらしいフラクタが消滅すると同時に、辺りを焼き尽くす勢いだった炎も消えていた。
 鼻に残りそうな焦げた草木と土の臭いだけが、東のルークの暗殺者である、虚ろのフラクタがいたことを証明していた。

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