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第2章 フェアリーテイルの雫
第19話『フェアリーテイルの終わり』
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すでに夜に差し掛かろうとしているベレット村についたジークと、全員分の信じられない量の花を抱えたシャオロンは、今日の報告とゲルダさんを送るために村長の家に向かう。
ハツは今日摘んだ薬草を薬にする為、先に宿舎へ帰ってしまった。
それぞれが別のことをしている中、特にすることもないし寝るには早い時間なこともあり、ネクラーノンは一人で村の外に出ていた。
今夜は昼間の曇り空が嘘のように晴れていて、緑に混じった土と風の匂いが心地いい。
夜空には月が輝き、うっすらと見える雲が流れていく。
本当なら一人で夜に村の外に出るのは危険なのだが、ネクラーノンにはあまり関係がなかった。
何もない草原に仰向けで寝転がり、両手足を伸ばして大の字になる。
虫の声と、遠くで鳴く動物の声だけが聞こえる静かな世界。
おもむろに、分厚い眼鏡を外すと左手の指を遊ばせて魔法の応用で氷を作り出した。
冷気を帯びた魔力の氷は削られ、形作ったのは狼の氷像だ。
一族の象徴でもあるこの狼は、本来は家系魔法である炎を纏う獣である。
作り出した氷像を月に照らして眺めていると、近くで人の気配がした。
ネクラーノンが顔を上げると、そこには燃えるような赤い髪をうなじで結んだ同じ年頃の少年が立っていた。
余計な装飾がない仕立てのいい衣服を着ている貴族の少年は、地面に寝そべっているネクラーノンを睨むと口を開く。
「……お前、何やってるんだ?」
驚くでもなく瞬きしたネクラーノンは、スペルの制服のポケットからノートを取り出した。
「これ」
それだけ言ってノートを開き、少年に見えるように持ち上げたが、ネクラーノンが何かを言う前に叩き落とされてしまう。
少年は舌打ちをし、苛立ちを隠さずにネクラーノンの胸倉を強引に掴む。
「いい加減にしろッ! いつまでこの仕事に時間をかけてんだよ……兄さんや姉さんがお前を怪しんでる!」
「……トモダチやナカマだって言ってくれた。ごはんもくれる、ここにいてもいいって教えてくれた」
淡々と無表情で答えるネクラーノンは、胸倉を掴む彼の手を払う。
ノートを拾い、破れていないか確認をして書いてある文字を指でなぞる。
「人は、信じてもいいんだって教えてくれた」
「馬鹿じゃねぇのかよッ! そうやって他人を簡単に信じて、そいつらが本当にお前のことを受け入れてくれると思ってんのかよ!」
耳が痛くなりそうな声量で怒鳴られても、ネクラーノンはノートを抱きしめる腕を放さなかった。
歪んでガタガタの線で描かれたウシの絵の横には、『いのちは、たいせつ。たべない』と書かれていた。
「友達だって言ってた。友達が何かわからないけれど、いやじゃない」
「だから、ここでずっと仲良しごっこしてるつもりなのか⁉」
少年はネクラーノンの前髪を掴んで持ち上げ、自分と同じ顔の片割れに向けて声を荒げる。
「リズ!」
怒りに任せてというよりは、必死さを感じさせる声だった。
「お前は、人殺しだ! どんなに仲間だ友達だって言われても、結局はそっちの世界にはいられねぇんだよ!」
「命は、大切だから奪うのはいけないって聞いた……!」
逃れようと強く首を振る。
「優しさは、毒だ! 他人は、偽善だ! 結局、信じた分だけ後悔をする」
「『リズ』は、ここにいたい。ヒトがわかる人間になりたい!」
そう言って、凪いだ海のような丸い瞳で瞬きをした。確かな意志を持っているかのような姿に、少年の苛立ちが増す。
「いい加減にしろ! 夢見てんじゃねぇ!」
「いしを持ってもいいって知った!」
「仕事をしなきゃ、お前は廃棄処分にされるんだぞ! 頼むから、動いてくれよ……」
少年の最後の言葉は夜に消えてしまいそうなほどに小さく、懇願するように崩れ落ちていく。
片割れには、けして届かない言葉だとしても、それでも彼は声をかけ続ける。
「薬だって、もうずっと飲んでないだろ。どれくらい飲んでないんだ?お前は、レイズウェル・ネクラーノンじゃない事すらも曖昧になってる……」
その一言に、ネクラーノンだったヒトの、乏しい感情が微かに反応し、急に辺りを見渡し始めた。
「レイ? レイがいるの? 母様もいるの?」
そう言って、まるで誰かと人格が入れ替わったかのように表情も明るくなっていく。
ここにいない人を探すような虚ろな目が彷徨い、赤髪の少年は唇を噛む。
「もう、そんなこともわかんねぇのかよ……」
話の興味が次から次へと変わるため、成り立たない会話に心が疲弊していく。
「嵐龍王を殺せたら、父様と母様は褒めてくれるかな?」
「リズ」
キョロキョロと忙しく人を探す片割れを呼ぶ。
壊れた人形のようにピタリと動きを止めたのを見計らい、少年は喉の奥に用意していた言葉を並べた。
「そうだよ……父さんや母さんも、お前が戻るのを待ってる」
そう言い、震える手で白狼の仮面と小瓶を差し出した。
『リズ』は、少年から仮面を受け取り、愛おしげに抱きしめた。
「レイと母様に会えるのなら、何でもする!」
無表情な先ほどとは打って変わり、天真爛漫な子供のように表情を輝かせた。
「女神様も、いいことをすれば願いが叶うって本に書いてあった。だから、いい子でいたら母様も会いに来てくれるはず」
そう言って、笑った『リズ』は、すぐに小瓶も受け取り、中身を掌にひっくり返す。
「きれい。母様が作ってくれたのかな」
思い出に浸るように、中に入っていた無色透明の結晶を見つめ、大好物のお菓子のように次々と口に入れては飲み込んでいく。
「……ああ、そうだ。お前に食べさせたいからってさ」
少年は、そう言って口の端を吊り上げて曖昧に笑う。そうして、母親の愛情という甘い嘘で固めた神経毒の薬物を、何も疑わない片割れに食べさせる。
『リズ』は、子供のように声を上げて曇りなく笑う。
「れいとかあさまに会えるなら、それでいい。今度会えたらいろんな話をする。楽しみ! そうしたら、ずっと……ずっといっしょに、いられたらいいのになぁ……」
結晶を口へ含むたびに時々上がる笑い声は、徐々に弱く震え、最後には嗚咽へと変わっていくのを、少年は聞こえないふりをした。
片割れの痛々しい姿に胸が痛む。けれど、いまさら戻ることは出来ない。
「迷うな、逃げるな……俺もこちら側でしか生きられねぇんだから……!」
何が何でも二人で生き残る為に、薬物で脳を侵された幼い片割れさえも利用すると決めたのだ。
赤髪の少年――レイズウェル・ルークは、握った拳で自らの胸を叩きながら自分自身に言い聞かせるように呟いた。
その頃、何も知らないジークは、ゲルダさんを連れて村長の家のドアの前に立っていた。
「さて、と。ゲルダさん、今日はお疲れさまでした!」
言われたところへ大量のエダの花を運び、無事にゲルダさんの護衛も終えて文句なしの一日になった。
ハツとネクラーノンはさっさと帰ってしまったので、花の運搬を手伝ってくれたシャオロンに感謝だ。
家へ入る前、見送るジークとシャオロンに歩み寄ってきたゲルダさんは、しわしわの笑顔を返してくれると手を伸ばした。
「どうかしました?」
ジークはしゃがみ、ゲルダさんの手を取ろうとする。
ゲルダおばあちゃんの両手は固く、生きた証が刻まれた指はジークの首へと伸ばされ、優しく抱きしめてくれた。
今日は一日中、森や草原にいたゲルダさんは少し土の匂いがしたけれど、包み込むような温かさが心地よい。
たとえ、今日だけの護衛の仕事だったとしても愛情が込められているのがわかり、ジークは嬉しいような、気恥ずかしいような気分になった。
ゲルダさんはジークから離れると、シャオロンへと向きなおる。
「お弁当も美味しかったヨ!」
そう言ってしゃがみ、ハグを迎えていたシャオロンに、ゲルダさんは歩み寄らなかった。
ただ、シャオロンの瞳を見つめ、額に右手のひらをあてて深く頭を下げたのだ。
よく見ると、ゲルダさんの右手の甲には古い何かの傷の跡がある。
「なんのポーズだい?」
ジークは、てっきりシャオロンにもハグが贈られるのだと思っていた。
驚いたように数秒の間、息を止めていたシャオロンは全部を理解したというように力なく笑う。
「……そう、そういうコトだったんだネ」
シャオロンはそう呟き、ゲルダさんに視線の高さを合わせるとその両手を握り、ジークには聞き取れない言葉で何かを伝えた。
何を返すでもなく、ゲルダさんは微笑みながら頷き、しわの奥にある目からは涙が零れ落ちていった。
出迎えた村長に連れられて、ゲルダさんは最後までこちらを見ながらドアの向こうに消えていく。
「さっきは、何の話をしてたんだい?」
ジークは彼女を見送ったあとに、もう一度シャオロンに訊ねてみる。
シャオロンはジークを見上げて一瞥すると、腕を組み勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「マァ、徳の差だネ!」
「徳の差ってなんだい⁉ 俺の方が普段から貢献してるんだぞ!」
「そういえば、最近はイマジナリー彼女のこと呼ばないネ! 乗り換えたノ?」
聞き捨てならないと食いつくジークだが、相手にされていない。
これ以上やりあっても勝てる気がしないジークは、細剣を抜いて見せる。
「ぐぬ……フィアは、入団試験で俺に力を貸してくれてこの姿になったんだよ。きっとまた、話せるようになれたらいいな……」
そう言って、彼女を思い浮かべながらシャオロンの前に差し出した。
この剣を見れば、フィアが本当にいたんだと信じてくれるだろう。そう思っていたジークだが……。
「イイトオモウヨ。とてもセンス光ってルネ」
全く気持ちの籠っていないシャオロンは、死んだ魚のような目でムキムキのフィアを凝視していたのだった。
「違うぞ!これは俺が想像してしまってこうなったからで、本当のフィアは甘い花の匂いがして、可愛くて優しくて最高の女の子なんだぞ!」
ジークは、慌てて剣についているフィアの説明をするが、色々悪化している。
「イイトオモウヨ。とてもセンス光ってルネ」
それに対して、まったく同じ返しをするシャオロン。
「うん……」
そのまま何とも言えない雰囲気を引きずりながら夜道を歩いて帰ったのだった。
ところが、宿舎に帰るとハツが調合した薬の臭いが充満しており、ついでに隣のおばさんから呪いのスープも届けられていた。
薬草と薬草の臭いが融合して、ちょっとした事故が起きている。
「……うん、寝るんだぞ」
ジークはげんなりして、もう何も言う気になれなかった。
藍色の星が降る夜。
ゲルダさんが静かに、眠るように息を引き取ったと聞いたのは、朝になってのことだった。
ハツは今日摘んだ薬草を薬にする為、先に宿舎へ帰ってしまった。
それぞれが別のことをしている中、特にすることもないし寝るには早い時間なこともあり、ネクラーノンは一人で村の外に出ていた。
今夜は昼間の曇り空が嘘のように晴れていて、緑に混じった土と風の匂いが心地いい。
夜空には月が輝き、うっすらと見える雲が流れていく。
本当なら一人で夜に村の外に出るのは危険なのだが、ネクラーノンにはあまり関係がなかった。
何もない草原に仰向けで寝転がり、両手足を伸ばして大の字になる。
虫の声と、遠くで鳴く動物の声だけが聞こえる静かな世界。
おもむろに、分厚い眼鏡を外すと左手の指を遊ばせて魔法の応用で氷を作り出した。
冷気を帯びた魔力の氷は削られ、形作ったのは狼の氷像だ。
一族の象徴でもあるこの狼は、本来は家系魔法である炎を纏う獣である。
作り出した氷像を月に照らして眺めていると、近くで人の気配がした。
ネクラーノンが顔を上げると、そこには燃えるような赤い髪をうなじで結んだ同じ年頃の少年が立っていた。
余計な装飾がない仕立てのいい衣服を着ている貴族の少年は、地面に寝そべっているネクラーノンを睨むと口を開く。
「……お前、何やってるんだ?」
驚くでもなく瞬きしたネクラーノンは、スペルの制服のポケットからノートを取り出した。
「これ」
それだけ言ってノートを開き、少年に見えるように持ち上げたが、ネクラーノンが何かを言う前に叩き落とされてしまう。
少年は舌打ちをし、苛立ちを隠さずにネクラーノンの胸倉を強引に掴む。
「いい加減にしろッ! いつまでこの仕事に時間をかけてんだよ……兄さんや姉さんがお前を怪しんでる!」
「……トモダチやナカマだって言ってくれた。ごはんもくれる、ここにいてもいいって教えてくれた」
淡々と無表情で答えるネクラーノンは、胸倉を掴む彼の手を払う。
ノートを拾い、破れていないか確認をして書いてある文字を指でなぞる。
「人は、信じてもいいんだって教えてくれた」
「馬鹿じゃねぇのかよッ! そうやって他人を簡単に信じて、そいつらが本当にお前のことを受け入れてくれると思ってんのかよ!」
耳が痛くなりそうな声量で怒鳴られても、ネクラーノンはノートを抱きしめる腕を放さなかった。
歪んでガタガタの線で描かれたウシの絵の横には、『いのちは、たいせつ。たべない』と書かれていた。
「友達だって言ってた。友達が何かわからないけれど、いやじゃない」
「だから、ここでずっと仲良しごっこしてるつもりなのか⁉」
少年はネクラーノンの前髪を掴んで持ち上げ、自分と同じ顔の片割れに向けて声を荒げる。
「リズ!」
怒りに任せてというよりは、必死さを感じさせる声だった。
「お前は、人殺しだ! どんなに仲間だ友達だって言われても、結局はそっちの世界にはいられねぇんだよ!」
「命は、大切だから奪うのはいけないって聞いた……!」
逃れようと強く首を振る。
「優しさは、毒だ! 他人は、偽善だ! 結局、信じた分だけ後悔をする」
「『リズ』は、ここにいたい。ヒトがわかる人間になりたい!」
そう言って、凪いだ海のような丸い瞳で瞬きをした。確かな意志を持っているかのような姿に、少年の苛立ちが増す。
「いい加減にしろ! 夢見てんじゃねぇ!」
「いしを持ってもいいって知った!」
「仕事をしなきゃ、お前は廃棄処分にされるんだぞ! 頼むから、動いてくれよ……」
少年の最後の言葉は夜に消えてしまいそうなほどに小さく、懇願するように崩れ落ちていく。
片割れには、けして届かない言葉だとしても、それでも彼は声をかけ続ける。
「薬だって、もうずっと飲んでないだろ。どれくらい飲んでないんだ?お前は、レイズウェル・ネクラーノンじゃない事すらも曖昧になってる……」
その一言に、ネクラーノンだったヒトの、乏しい感情が微かに反応し、急に辺りを見渡し始めた。
「レイ? レイがいるの? 母様もいるの?」
そう言って、まるで誰かと人格が入れ替わったかのように表情も明るくなっていく。
ここにいない人を探すような虚ろな目が彷徨い、赤髪の少年は唇を噛む。
「もう、そんなこともわかんねぇのかよ……」
話の興味が次から次へと変わるため、成り立たない会話に心が疲弊していく。
「嵐龍王を殺せたら、父様と母様は褒めてくれるかな?」
「リズ」
キョロキョロと忙しく人を探す片割れを呼ぶ。
壊れた人形のようにピタリと動きを止めたのを見計らい、少年は喉の奥に用意していた言葉を並べた。
「そうだよ……父さんや母さんも、お前が戻るのを待ってる」
そう言い、震える手で白狼の仮面と小瓶を差し出した。
『リズ』は、少年から仮面を受け取り、愛おしげに抱きしめた。
「レイと母様に会えるのなら、何でもする!」
無表情な先ほどとは打って変わり、天真爛漫な子供のように表情を輝かせた。
「女神様も、いいことをすれば願いが叶うって本に書いてあった。だから、いい子でいたら母様も会いに来てくれるはず」
そう言って、笑った『リズ』は、すぐに小瓶も受け取り、中身を掌にひっくり返す。
「きれい。母様が作ってくれたのかな」
思い出に浸るように、中に入っていた無色透明の結晶を見つめ、大好物のお菓子のように次々と口に入れては飲み込んでいく。
「……ああ、そうだ。お前に食べさせたいからってさ」
少年は、そう言って口の端を吊り上げて曖昧に笑う。そうして、母親の愛情という甘い嘘で固めた神経毒の薬物を、何も疑わない片割れに食べさせる。
『リズ』は、子供のように声を上げて曇りなく笑う。
「れいとかあさまに会えるなら、それでいい。今度会えたらいろんな話をする。楽しみ! そうしたら、ずっと……ずっといっしょに、いられたらいいのになぁ……」
結晶を口へ含むたびに時々上がる笑い声は、徐々に弱く震え、最後には嗚咽へと変わっていくのを、少年は聞こえないふりをした。
片割れの痛々しい姿に胸が痛む。けれど、いまさら戻ることは出来ない。
「迷うな、逃げるな……俺もこちら側でしか生きられねぇんだから……!」
何が何でも二人で生き残る為に、薬物で脳を侵された幼い片割れさえも利用すると決めたのだ。
赤髪の少年――レイズウェル・ルークは、握った拳で自らの胸を叩きながら自分自身に言い聞かせるように呟いた。
その頃、何も知らないジークは、ゲルダさんを連れて村長の家のドアの前に立っていた。
「さて、と。ゲルダさん、今日はお疲れさまでした!」
言われたところへ大量のエダの花を運び、無事にゲルダさんの護衛も終えて文句なしの一日になった。
ハツとネクラーノンはさっさと帰ってしまったので、花の運搬を手伝ってくれたシャオロンに感謝だ。
家へ入る前、見送るジークとシャオロンに歩み寄ってきたゲルダさんは、しわしわの笑顔を返してくれると手を伸ばした。
「どうかしました?」
ジークはしゃがみ、ゲルダさんの手を取ろうとする。
ゲルダおばあちゃんの両手は固く、生きた証が刻まれた指はジークの首へと伸ばされ、優しく抱きしめてくれた。
今日は一日中、森や草原にいたゲルダさんは少し土の匂いがしたけれど、包み込むような温かさが心地よい。
たとえ、今日だけの護衛の仕事だったとしても愛情が込められているのがわかり、ジークは嬉しいような、気恥ずかしいような気分になった。
ゲルダさんはジークから離れると、シャオロンへと向きなおる。
「お弁当も美味しかったヨ!」
そう言ってしゃがみ、ハグを迎えていたシャオロンに、ゲルダさんは歩み寄らなかった。
ただ、シャオロンの瞳を見つめ、額に右手のひらをあてて深く頭を下げたのだ。
よく見ると、ゲルダさんの右手の甲には古い何かの傷の跡がある。
「なんのポーズだい?」
ジークは、てっきりシャオロンにもハグが贈られるのだと思っていた。
驚いたように数秒の間、息を止めていたシャオロンは全部を理解したというように力なく笑う。
「……そう、そういうコトだったんだネ」
シャオロンはそう呟き、ゲルダさんに視線の高さを合わせるとその両手を握り、ジークには聞き取れない言葉で何かを伝えた。
何を返すでもなく、ゲルダさんは微笑みながら頷き、しわの奥にある目からは涙が零れ落ちていった。
出迎えた村長に連れられて、ゲルダさんは最後までこちらを見ながらドアの向こうに消えていく。
「さっきは、何の話をしてたんだい?」
ジークは彼女を見送ったあとに、もう一度シャオロンに訊ねてみる。
シャオロンはジークを見上げて一瞥すると、腕を組み勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「マァ、徳の差だネ!」
「徳の差ってなんだい⁉ 俺の方が普段から貢献してるんだぞ!」
「そういえば、最近はイマジナリー彼女のこと呼ばないネ! 乗り換えたノ?」
聞き捨てならないと食いつくジークだが、相手にされていない。
これ以上やりあっても勝てる気がしないジークは、細剣を抜いて見せる。
「ぐぬ……フィアは、入団試験で俺に力を貸してくれてこの姿になったんだよ。きっとまた、話せるようになれたらいいな……」
そう言って、彼女を思い浮かべながらシャオロンの前に差し出した。
この剣を見れば、フィアが本当にいたんだと信じてくれるだろう。そう思っていたジークだが……。
「イイトオモウヨ。とてもセンス光ってルネ」
全く気持ちの籠っていないシャオロンは、死んだ魚のような目でムキムキのフィアを凝視していたのだった。
「違うぞ!これは俺が想像してしまってこうなったからで、本当のフィアは甘い花の匂いがして、可愛くて優しくて最高の女の子なんだぞ!」
ジークは、慌てて剣についているフィアの説明をするが、色々悪化している。
「イイトオモウヨ。とてもセンス光ってルネ」
それに対して、まったく同じ返しをするシャオロン。
「うん……」
そのまま何とも言えない雰囲気を引きずりながら夜道を歩いて帰ったのだった。
ところが、宿舎に帰るとハツが調合した薬の臭いが充満しており、ついでに隣のおばさんから呪いのスープも届けられていた。
薬草と薬草の臭いが融合して、ちょっとした事故が起きている。
「……うん、寝るんだぞ」
ジークはげんなりして、もう何も言う気になれなかった。
藍色の星が降る夜。
ゲルダさんが静かに、眠るように息を引き取ったと聞いたのは、朝になってのことだった。
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