ELYSION

スノーマン

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第2章 フェアリーテイルの雫

第15話『ベレット村の日常』

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 見上げた空は青く、遠くの方で鳥の声が聞こえた。空に色を塗ったとはこの事を言うのだろうか。
 陽は温かく草木の匂いを運ぶ風が髪を遊ばせ、一面、畑に囲まれた細いあぜ道を歩く足も心なしか軽い。
 なのに、だ。

「はー……」

 自慢の灰色のマフラーを揺らして歩くジーク・リトルヴィレッジは、緩みきった頬で腹の底から脱力した声を吐き出した。
 エリュシオン傭兵団の試験に受かり、西の辺境の村に派遣されてから一週間。
 ようやく仕事にも慣れてきていた。
 
「今日の収穫も大変だったネェ、おすそ分けもらえたからいいケド」

 そう言ったのはシャオロンだ。亜人である彼は、エリュシオン傭兵団のガードの制服を着崩している。丈が合わないらしく、余ってしまった袖をバサバサと振る。

「つか、ここに来てからマトモな仕事してねぇさ」

 その隣でハーヴェン・ツヴァイ――ハツがぼそりと呟く。
 彼の背負うバッグには、畑仕事を手伝ったついでにもらった野菜がぎっしりと詰められていた。ゆったりとしたトリートの制服も、泥と土埃で汚れてしまっている。

 もちろん、もらいものの野菜はジークやシャオロンのバッグにも入っている。

「そうは言っても、ベレット村じゃ事件らしい事件も起きないんだぞ。何もなさすぎて魔物も寄ってこないから、夜間警備だって朝まで立ってるだけなんだぞ……」
「こんなド田舎で何が起きるってんさな」

 ハツはジークに同感だ、と頷く。

 ベレット村は、西のミラナ領と北のアルタファリア領との境にある小さな村だ。

 明かりや火などをつける、女神エリュシオンの『オチカラ』も届かないド辺境で完全に自給自足。
 何なら、村人は老人と中年と子供が数人しかいないので、亜人奴隷もいない。

 なので、エリュシオン傭兵団AHOU隊に寄せられる仕事といえば、畑の手伝いや家畜の世話、木の実集めや薪拾いくらいなもの。

 一応はジークが隊長なのだが事件らしい事件も起こらないので、もはや村の雑用受け付け係となってしまっている。ようするに、完全に雑用が仕事になっていた。
 
 最初こそ、はりきっていたジークだが、愚痴のひとつも出てしまう。

「なんか、こう、もっと野盗から村を守ったり、やりがいのある事がしたいんだぞ!」
「最初は慣れなかったケド、今じゃ手慣れてきてるもんネ……」

 シャオロンは乾いた声で笑う。

 徒歩で八日の距離を二日でここまで来た時の壮絶さもそうだが、やっとの思いで辿り着いた村での暮らしも、慣れなかった頃はこれまた壮絶なものだった。

「ネクラ野郎が、ニワトリにつつかれて逃げ回ってたのは爆笑モンだったさな」
「卵の収穫は、もう恐怖でしかなかったんだぞ」

 冗談めかして笑うハツにつられて、ジークも思い出して吹き出してしまう。
 一番最初に取り掛かった仕事で、ニワトリから卵をもらおうとして逆に追い回されてしまったのだ。あの時のニワトリの気迫は本当に怖かった。
 
「その時に比べたら、さすがにもう慣れたよ」

 な?とジークが振り返ると、シャオロンやハツと目が合う。……が、残りひとりの姿がなかった。
 そういえば、いつもはうるさいネクラーノンが静かなのは違和感があった。

「……ネクラーノン、いつからいなかった?」

 ジークが真顔で両手を叩くと、シャオロンは目を細めて歩いてきた道をジッと見た後、やっぱりネ、というように頷いた。

「今日は、結構はやい段階で転がってル」
「またかい!」

 思った通りの渋い展開に、顔面のパーツが中央に寄ってしまう。
 ネクラーノンが仕事の途中で倒れてしまうのは今に始まったことじゃないので、これももう慣れてしまっていた。

 亜人の視力でやっと見える大きさになってしまったネクラーノンを回収しに戻ると、ネクラーノンは地面に倒れたまま、干からびたミミズのような顔をしていた。
 
「しょ、小生……腹が減って、動けませんぞ……」
「それだけ話せたら大丈夫だよ」

 ジークはあっさりと流すと、荷物をハツに渡してネクラーノンに肩を貸してあげた。
 元々、肉体労働なんてしない貴族だからか、ネクラーノンはとにかく体力がない。
 今日みたいに畑の手伝いをした帰りなんかは、高確率で道に転がっている。

「お貴族様はしょぼい飯じゃやってけねぇんさな!」

 そんな彼をハツはせせら笑うが、ネクラーノンは唸るばかりで反論する気力もないようだ。

「でも、実際まともに給料はもらえないし、食料だって少ないからなぁ」

 改めて、酷い生活状況にジークはしょんぼりした。

 エリュシオン傭兵団の給料は、所属する街や村から支払われるので大きな街なら仕事も多く給料は多い。逆に、小さな村だと仕事は少ない。当然、支払われる給料も安い。

「デモ……」

 しばらく無言で歩いていると、一番前を歩いていたシャオロンがボソリと呟いた。

「もとはジークが王女を殴ったからだヨネ……」

 こういう時に、小さく痛い所をついてくるのがシャオロンだ。

「そ、そうだけど後悔はしてないんだぞ!」

 入団試験の時に、タテロル王女を殴ってしまった腹いせに嫌がらせを受けているのはわかっているので、ジークは何も返せない。
 
「俺様は面白かったさが……まぁ、ちげぇねぇさな」

 こういう時にハツはうまく話題を変えてくれるのだが、今日はシャオロンの味方をするようだ。

 ネクラーノンも同じく、というように腹を鳴らして顔を上げる。

「以前、小生が読んだ文学では殴り合いの末に始まる恋愛というものもあるようですぞ。そう、女神エリュシオン様のお導きで……」
「遠慮しとくよ」

 長々と話されそうな予感がしたジークは、食い気味に話を終わらせたのだった。



 
 見渡す限り草木か畑しかない光景をしばらく歩くと、ようやくベレット村が見えてきた。
 森の近くにある、魔物除けの木の柵で囲われた小さな村。

 自給自足の生活で不便なことばかりだが、数人ほどの村人は穏やかで優しい。
 ジーク達にも作った野菜を分けてくれたり、住む家を貸してくれている。

 畑仕事や家畜の世話をしていた村人たちは、四人が戻ってきたことに気付くと、にこやかに挨拶をして迎えてくれた。
 
 ジーク達も一人ずつに挨拶を返しながら、村で一番大きくて古い村長の家に向かう。

「じゃあ、明日の仕事のことを話さないとだから」
「どうせ、明日も雑用さろ」

 ジークはハツの軽口を無視してドアをノックすると、中からは老人の声が返ってきた。
 
 静かにドアを押すと、質素な作りのテーブルとベッドしかない狭い家でベレット村の村長と、もう一人老齢の女性が迎えてくれた。

「いい所に来ましたな。こちらは、ゲルダさんじゃ」

 白髭をたくわえた年老いた村長は、自分よりもさらに年齢が上であろう女性に手を添えて紹介した。

「あ、えと、エリュシオン傭兵団ミラナ領所属、AHOU隊の隊長、ジークです」

 ジークは、突然のことに緊張して舌を噛みそうになりながら名乗った。
 ゲルダさんと紹介された老婆は小さくて全身がしわだらけで、どこが目で鼻や口なのかわからないが、村長と比べると何年も生きてきたのだとわかる。
 
 ゲルダ婆さんは、にこにこと笑うだけ何も答えない。

「次の仕事は、星送りを行います。その時が来たら声をかけますな」

 そう言った村長は、ジークの肩を叩いた。

「はい、星送りですか?」

「星送りは、この村の大切な行事なのです。ぜひ……」

 聞きなれない単語に戸惑うジークを、村長は優しく促していく。

「女神エリュシオン様の導きにより、ご加護が得られますように。ぜひ参加を」

「わかりました。ぜひ参加させてください」

 星送りの内容を聞く前にジークは頷く。なんだかんだ言っても、自分達を迎え入れてくれたこの村が好きなのだ。
 ほっとしたように微笑む村長。ジークは、もう一つ言わなければいけない事があった。
 
 やはり、給料が安くて食料がないのは、この先を考えるとかなり厳しい。
 いかに村の人が親切で優しくても、仲間の為に隊長として伝える事は伝えないといけない。
 
「……その、言いづらいのですが、今日は仲間が空腹で倒れてしまいまして、少しでいいので給料を上げていただけないかと……」

 視線を落とし、ためらいがちにそう言ったジークは、おそるおそる目を上げる。
 そんな彼に、村長はわかっているとばかりに優しく微笑み返してくれた。

 
 結論から言うと、ジークは村長からウシを一頭もらった。
 
 結局、星送りがなんのことなのか聞く事もなく、ジークはもらったウシの綱を引いて帰ることになったのだ。
 茶色く長い毛の、つぶらな瞳のウシはジークの頭を食みながらついてくる。

 誰一人、何も言わない。ジークは仲間の三人を振り返ると訊ねた。

「……もしかしてこれ、貧困悪化してない?」


 ハツは目を合わせず、シャオロンは悟りを開いたような不気味な笑顔を返してきた。

「この生き物はウシというんですな?小生、初めて見ましたぞ!」

 ただ、ネクラーノンだけはウシに大興奮してノートに絵を描きなぐっている。
 どんな絵を描いているのかとジークが覗き込めば、ある意味とても芸術的な出来栄えなのだった。
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