ELYSION

スノーマン

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第1章 はじまりの日

第10話『異形召喚の果て』

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「なっ、何をいってるんですぞ!」

 声を荒げたのは、意外にもネクラーノンだった。

「森が魔物化するなんて呪いの類……もはや手に負えませんぞ!」
「それでも、ここで逃げたらきっと後悔するんだ」

 ジークは、逃げようと言うネクラーノンを振り払った。
 決心が揺るがないよう、両手で自分の顔を強く叩く。
 
 じんと痛む両頬にかまわず、汗が流れる目元を乱暴にマフラーで拭った。
 周りの木々が集まり、ひとつの意志を持っているかのようにざわつく。

 その奥、力を集めた巨木の幹に囚われている三人の男女の姿が目に入った。
 痛みに耐える表情は苦しく、体の半分以上を養分として取り込まれつつあるレオンドールの王女らは、ジーク達の姿を捉えると大きな瞳を見開き、悲痛な表情で助けを求めて手を伸ばす。

 助けて欲しいと願う声があるのなら、応えてあげたい。
 ジークは彼らの目を真っ向から見つめ返すと、仲間達に向き直る。
 
 「俺は、助けられる命があるなら見過ごしたくないんだ」

 出来る事なら一緒に戦って欲しい、ジークはそう言いたいのを飲み込む。
 無茶なことをしようとしているこんな状況で、仲間を引き留める事は出来ない。

 三人は考えているのか、訝しげに互いの顔を見合わせている。ジークはその沈黙が辛く、不安を隠すように冗談交じりに強がって笑う。
 
「皆はこのまま逃げてくれよ。あ、あと無事に逃げ切ったらレオンドール王にも伝えてくれよ! 一人の人間が、王女と王子を救った……そうだ、英雄っていうのも付け加えておくれよな!」

 正直、勝てる見込みなんてどこにもないのだが勝手に舌は回る。こんな馬鹿を言いでもしないと心は怯えて動けなくなりそうだった。

「あ、あと――」

 ジークが話をたたむように、また馬鹿な話をしようとしたところで思わぬ言葉が返ってきた。
 
「ひとりで足りル?」
 
 いつもと変わらない優しい語り口のシャオロンは、右手の指で自身の横の長い髪を持ち上げる。
 柔らかいハニーブラウンの髪の下には、先の尖った耳が見えていた。

 一見、人間と変わらない見た目をしている彼が、ヒトと違う決定的な部分を明かしたのだ。
 人間の前で自らが亜人であると証明することは、二種族の力関係を知るならば信じられない光景であり、彼にとってはリスクでしかない。

 それでも――。
 
、も付け加えといてヨ!」
 
 人懐っこく晴れやかな色の笑みを浮かべるシャオロンは、そんなことなど承知の上でここに残ると言ってくれた。
 
「シャオロン……え、亜人? 亜人だったのかい⁉」

 ジークは彼が亜人なのだと知り、驚いてハツやネクラーノンを見るが、ハツは呆れたように溜息をついた。

「見たらわかるさろ! どこにこんな見た目とパワーの伴わん人間がいるさ!」

 ハツはシャオロンに首を鷲掴みにされた時のことを思い出し、嫌な記憶だと言うように視線を上に向け舌を出す。
 確かに、よく考えれば身長も一番低く、貧弱ではなくても小柄な体で怪力はおかしい。

 人間よりも体が丈夫で、力の強い亜人ならばわかる。

「そ、そうなのかい?」
「そうダヨ。僕は人間に混じる野良の亜人だヨ」

 さらっと皮肉を混ぜるシャオロン。前々から思っていたが、なかなかメンタルが強い。
 半分意識がなかったジークは、その場を見ていないのでいまいち信じられなかったが、船の上での出来事を思えば納得がいった。
 
 逆にどうしてここまで気付かなかったのか、というようにハツは呆れていた。

「まぁ亜人だの人間だの、俺様にとっちゃどっちでもいいんさ」
「ハツ……」
「こんな話をしている時間がもったいねぇさ」

 それに、と続けたハツは鼻の下を手の甲で擦りながら仏頂面で言う。

「最後に俺様が生き残ればそれでいいさな。けど、王族に恩を売るなんてめったにねぇさし……」

 そう言ったハツは話している間に塞がれてしまった道を一瞥すると、犬歯を剝き出しにして不敵に笑う。

「でも、それ以上にこんなおもしれーこと、見逃したらもったいねぇさなァ!俺様も混ぜろさ!」
「ハツ……!」

 シャオロンに続き、ハツまで残ってくれるという。ジークは二人に感謝して顔を伏せた。
 
「ほんで、ネクラの坊ちゃんはどーするさ?」

「コワーイ亜人に、毒殺犯がいるんだから逃げてもいいんダヨ」

「小生ですかな? 小生の心はとっくに決まっていますぞ!」

 挑発するように二人から視線を向けられたネクラーノンは、もちろん!と立ち上がると魔法の呪文が書かれた本を両手で抱く。

「王族を救わねば、貴族の恥。タテロル王女! ターマネギ王子、シチサン王子……今行きますぞ!」

 無礼を働いたことへの負い目なのか、仕える主に対しての礼なのか。

 ジークはそんなネクラーノンにも感謝しながら顔を上げる。

「ありがとう、みんな……!」

 森が意志を持って襲ってくるのがなんだ。
 ジーク自身は、魔法が使えるわけでも大した知識があるわけでもない。
 それでも、一緒に戦ってくれる仲間がいるだけでこんなにも勇気が湧いてくるのだ。


「行こう!まずはあそこに捕まっている奴らを助けるんだぞ!」

 ナイフを抜いたジークは、最奥に立つ巨木へと向かう。
 人間という養分を手に入れた木々は、それを奪われまいと四人の道を阻む。
 足元に這い寄る根で転びそうになるが、一本ずつ切っている暇はない。後ろに続くハツが鬱陶しいと舌打ちをする。

「植物に対する毒を作る。時間を稼いでくれさ!」
「なりませんぞ!」

 荷物の中から薬品を取り出したハツを、ネクラーノンの鋭い声が止めた。
 
「この術は魔法の中でも違法とされている異形召喚ですぞ。魔法使いの怨念が込められたこれは呪いであり、召喚者そのものと言えるのです!」

 ネクラーノンは魔法で追ってくる蔓を弾きながら、苦々しい顔をして言う。

「つまり、仮にココで嵐を呼んでこの木を枯らしたり切り倒したりしたラ、捕まってるあのヒトは死んじゃうってコト?」

 執拗に頭部を狙う枝をへし折ったシャオロンは、ネクラーノンに襲い掛かる蔓を切り裂いた。

 一瞬、何が起こったのか理解できなかったネクラーノンだが、すぐに気を持ち直すと本を開いてページをめくる。

「むろん! そんなことをすれば小生らも無事ではすみませんぞ!」
「じゃあどうすればいいんだい? 近寄れないんだぞ!」

 前に進めず、後退せざるを得ないジークは悔し気に唇を噛んだ。

「ひとつだけ、方法があるかもしれませんぞ」

 そんなジークに、ネクラーノンは本のページの一節を指でなぞりながら眼鏡の奥を光らせた。
 

 作戦を聞いたジークは、怯むどころか力強く頷いた。
 怨嗟とは人に恨みを持つ者、または死者が多かった場所に溜まる無念の悲しみや恨みの念である。

 怨嗟が染み込む大地から召喚された呪いは、それよりも深い恨みに惹かれて吸収し、そうして大きくなっていく。
 ようは、今はレオンドールの王女と王子の恨みを糧にして暴走している状態なので、それ以上の恨みや負の感情を餌にすれば、一時的に動きを封じられるかもしれないというものだ。
 

「よし、じゃあ俺がその呪いを……!」

 ジークは危険な役をやるなら自分だと、一番に名乗りを上げた。

「ノン! 怨嗟の呪いを引く役目は、小生とシャオロン殿が務めますぞ」

 反論する間も与えず、バン、と本を閉じたネクラーノンは驚いているジークに照れくさそうにフヒヒ、と半笑いで続ける。

「小生は魔法での援護しかできぬゆえ、攻撃された時に助けてもらわねばならんですからな!」

 つまりは護衛の為にシャオロンを指名したのだという。
 なんとも言えない理由だが、そう言われると納得してしまった。

「わかった、じゃあ俺とハツが必ず成功させるからな!」

 身軽なジークとハツは、二人が呪いを引き付けている間に救出するという事になる。
 
「これ、持ってけさ」

 欠けてしまったナイフの刃で向かおうとするジークに、ハツが武器を投げて寄越す。

 他人に対して警戒心の強いハツにとって、自分の獲物を人に渡す事は信用しているという気持ちの表れでもあり、これから背中を預けるに値する人間だと認めたことでもあった。
 


「恨みねェ……多分、キミのと違って年代モノでバチクソに腐ってるかもダケドいい?」

 再び奥へ向かっていくジークとハツを間延びした声で見送るシャオロンは、前を見て立ち尽くすネクラーノンに振り返った。

「かまいませんぞ。小生もそちらも、死者にはたっぷりと恨まれていますゆえ。歩く呪いと言ってもいいですからな!」

 本を閉じたままのネクラーノンは皮肉を返すが、シャオロンは興味がないというように相手にしなかった。

「呪いのコト、説明してあげるナンてずいぶん親切だネ」
「ええ! みなで協力して戦う事こそ、素晴らしいというもの!」

「元のキミに聞きたいんだケド」

 抑揚のない声で言葉を遮ったシャオロンに、ネクラーノンは吊り上げていた頬を下げた。

「わざわざ追ってきたってコトは、まだアイツの犬をやってるノ?」

「……」

 シャオロンはあの時のように、犬の鳴きマネをして煽る。


 ネクラーノンの顔から作っていた表情や感情が全て崩れ落ちていき、他人の視線を拒絶する眼鏡の奥の深い青色は暗く沈む。

 おどけて明るく、こだわりが強いレイズウェル・ネクラーノンの面影はどこにもない。
 
「……ルークの仕事はお前を殺す事。でもレオンドール王との問題は、父様も望んでいない」
 
 静かに話し始めた彼は、まるで音節を区切るよう無機質に淡々と答えた。

「だから、今は協力する」

 神経が冷たくなるような声でそう言ったネクラーノンは、話は終わったというように自身の腕を持っていたナイフで深く切り、呪いが染み込んだ地面に血を垂らした。

 何かを言おうとしていたシャオロンだが、今は話している場合ではないと言葉を飲み、ネクラーノンと同じように腕を切って負の感情が宿る血を落とした。
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