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第1章 はじまりの日
第3話『本日はお日柄もよく』
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どれくらい眠っていたのかわからないが、次にジークが目を覚ましたのは辺りも暗くなった夜中の事だった。
「あれ、いつの間にか寝ちゃったんだぞ……」
なんだかやけに静かな夜だ……それになんだか船の揺れも強くなっている気がする。
すっかり熟睡してしまったジークは、寝すぎた事によるけだるさで重い体を起こし、気分を変えようと医務室のドアを開けて出ていく。
やっぱり先に食堂で何か飲み物をもらおうか、なんて考えていたジークが甲板に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
こんな夜中だというのに、甲板には眩しいくらいに明かりが灯っており、乗客や船員が一か所に集まっていたのだ。
まるで何かに怯えるように一言も喋らず、張り詰めた空気の中でピクリとも動かない人間の塊は異様であり、言いようのない不安が襲う。
その中には昼間にジークを殴った女もいて、彼女の傍らにはポピィラビの女の子の姿もある。
波の寄せる音と船が進む鈍く低い音だけが響くこの空間。
これは一体、何が起きてるんだ?とジークが恐る恐る近付くと、不意に腕を掴まれて列に引っ張り込まれてしまった。
「ひっ……!」
わけもわからず暑苦しい船乗りのおっさん達の間に割り込まされたジークは、屈強な胸板を押しやると自分のスペースをこじ開ける。
ふと横を見れば見覚えのある大きな髪の触覚があり、腕をつかんでいたのはハツだった。
ハツは状況がわからず目を白黒させているジークに、自身の口に人差し指をたて、『静かに』と小声で伝える。
「なんでも、この船に亜人が密航してるらしいさ」
「え? それがこれとどういう関係が?」
何かが始まるのか?とジークが辺りを見渡した時、船長に案内されて二人の人間が前に立った。
顔全体を覆う白い狼の頭部を模した威圧感のある仮面をしていて表情はわからないが、暗闇でもわかる鮮やかな赤い髪と体系から若い男のように見える。
もう一人も仮面で顔はわからないが、左手には氷のような白い刃のナイフが握られていた。
物々しい空気を裂くように赤髪の男が口を開く。
「我々は東のルーク。依頼主の命により、この船に潜む亜人の処分に参った。おとなしく協力すれば貴殿らの命は取らないと約束しよう」
丁寧な言葉ではあるが、静かで、けれど言葉で支配する事に慣れた冷たい声だった。
この男が名乗ったルークという名は、ホワイトランドの四大貴族の一つであり、東の大地に住み世界の治安を支える……いわば、各地の裏の仕事を引き受ける一族の事だ。
荒事を引き受けており、狙われたら終わりだとも聞く。
当然、その名もホワイトランド中に響いており、慈悲もなく逆らえば殺されてしまうという。
金さえもらえばどんな仕事も受け、必ず遂行させる執念と確かな実力を持っていて、ホワイトランド中に情報網を張り巡らせているという恐ろしい噂もあって誰もが出会いたくないと願っている。
もはや、存在が死神。
記憶の一部は無くしても、ジークもそれくらいは知っていた。
「うぇえ……」
そのルークがわざわざこの船を調査しに来たというのだ。
亜人が逃げ出す事は度々あっても、すぐに解決するのでわざわざこんな大事になるのも不自然であり、調査というよりも嫌がらせか何かで、もうわかっているのにあえてこうして乗客乗員を集めて恐怖を煽っているのかもしれない。
貴族の、それも処刑人の考えている事なんて分からない。
朝から気絶して海に落ちた上、最低な場面に出くわすしで、なんてついてないんだ……。
自分の不運さに気分が悪くなったジークは、顔を下げて白目をむいた。
「さっさと亜人が見つかる事を祈るしかねぇさ」
ハツも疲れたというようにため息をついた。
赤髪の男が合図をすると、ナイフを持った方の仲間がひとり一人の耳元を確認していく。
耳にかかる髪を刃先で持ち上げては耳の形を確認していた。
「耳なんか見てどうするんだい?」
「なんか耳の形が違うんだとさ」
訝しむジークにハツが教えてくれた。
「うん? 亜人はみんな人間と見た目が違うから、そもそもここにはいないと思うんだぞ?」
そう、人間と亜人の決定的な違いは容姿だ。
亜人達はそれぞれの先祖の血を色濃く受け継いでいるので、動物のような見た目に近い。
人間と同じ容姿をした亜人なんて見た事も聞いたこともないし、いるわけがないのだ。
「まぁ、そうさな。マジでなんの為なんかわからんさ」
ハツは面倒そうに耳にかかったモッサリした髪束を持ち上げてそう言った。
次々と確認が済んでいき、自らが人間だと証明できた人間達はほっとしたような顔をしている。
とりあえずは疑いが晴れたので、間違えられて殺される心配がなくなったからだ。
ついにジークの前の列にさしかかった時、刃先が微かに耳に当たった屈強な汗だくの船員が『あふん!』と謎の艶っぽい声を出していたが、誰も反応しなかった……。
ジークがもう少しで自分の番だな、と思っていると仮面の人間の手が止まった。
ちょうどジークの目の前にいたフードを被ったヒ・ト・の前だった。
小柄な体なわりにはしっかりとした体つきをした彼は、自身の耳元に当てられたナイフの刃を握って止めると口元を解く。
「アイカワラズ、すごい情報網ダネー」
そう言ってわざと犬の鳴きマネをし、神経を逆なでするように嘲り微笑む。
「ホント、バチクソキモチ悪いヨ」
言い終わるや、ナイフを握る手に力を入れた。
だがその瞬間、足元が淡く光り、突然鋭い氷柱が飛び出してきた。
辺りにひんやりとした冷気が漂い、魔法を放たれたと理解するのに時間はいらなかった。
仮面の相手は、ナイフを引き抜くと血を払うように勢いよく床に白刃を突き立てる。
次いで放たれる氷の槍は鋭敏で先程よりも数が多く、確実にここで仕留めるという意志がこもっていた。
完全な不意打ち。それは、標的の亜人だけでなく後ろにいたジークも巻き添えにして襲いかかる。
「うぇえぇえ! いだだだ!」
何が起きていたのかジークからは見えないので、いきなり目の前に氷の柱が飛び出してきた事になる。
「いたた……これって魔法? 魔法って呪文かなんかいるんじゃなかったのかい?」
腕と足を切ってしまったジークは慌てて後ろに下がった。
幸い、そんなに深い傷ではなさそうなのですぐに血は止まるはず。
「知らんが、ルークの家系魔法は火のはずさが? ……お貴族様は容赦ねぇさな」
ハツもまさかこんな至近距離で魔法を使われると思っていなかったのだろう、驚いていた。
目の前の彼が亜人だというのだろうか……けれど彼が受けなければ氷の柱はジークに直撃して死んでいたかもしれない。
おそらく、亜人の彼も無事ではないだろう。
助かっていたとしても、致命傷は免れない……そう思っていた。
「だい……」
大丈夫かい?と言いかけたジークは口を閉じた。
亜人の彼はほんの少し顔を歪めると体中に刺さった氷柱を全て強引に引き抜き、溢れ出てきた血を軽く拭い払うと何事もなかったかのように立っていた。
完全不意打ちの魔法は、本来であればまず助からないし、急所を狙った事から手加減していたとは思えない。
体が頑丈なのも亜人の特徴なのだ。
けれど、人間と同じ姿をした亜人なんて存在するはずがない。
でも、もし……本当は人型の亜人がいるのだとしたら……?もしかすると、その場にいた誰もがそう思っただろう。
巻き添えを食らわないように、と周りにいた人間達は距離を取り、彼の周りには誰もいなくなっていた。
ざわざわと騒がしくなる声と、自分を見つめる人間の瞳には恐怖と大きな嫌悪と疑いが混じっていた。
その様子をちらりと見た彼は、俯いた口を固く結ぶ。
「そこまでだ。抵抗するのなら罪もない彼らごと船を沈めなければならないが、どうする?」
そんな彼に、赤髪のルークは淡々とした口調で言う。
依頼をこなす為には犠牲も問わないのが彼らのやり方なのだ。
いくら自分が助かりたいと思っていても、何の関係もない人間を傷つけていい事はない。
先程の魔法での不意打ちも、自分なら避けようと思えば出来た。
それでもそうしなかったのは、避ければ後ろの人間にもっと被害がいくからだ。
亜人の彼は、ふっと力なく笑うと深く被っていたフードを取ろうと手にかけた。
諦めが混じった目の端に、ふいに一人の人間の姿が映る。
「ちょっと待ったーッ!」
傷口を布できつく縛ったジークは、肩をいからせて大股で近づいてくると、ルークの二人を指さして盛大に鼻息荒く声を張り上げた。
「あんたら、さっきから何なんだい? いきなり襲い掛かってきて、その上この船を沈めるとかなんとか、何で脅迫してるんだい? この人が何をしたっていうんだ?」
しんと静まり返るその場で、ジークはさらに言葉を続ける。
「こんな脅迫に屈する必要はないぞ! 仮にこの人が亜人だとしても! 亜人も人もみんな平等なんだ、処刑人だがなんだか知らないけど、この人と話がしたいならその態度をやめろ! まずは話をするところからだろ!」
そこまで一気に言い切ったジークは、呼吸を整える為に深く息を吸って吐いた。
「我々は仕事をしているだけだ。死にたくなければ部外者は出てく……」
「巻き添えくらってる時点で部外者じゃないんだぞ!痛いし!」
赤髪のルークの言葉に重ねて言い返したジークは、理不尽のオンパレードにもう完全にブチギレていた。
そりゃそうだ、とハツは吹き出した。
今日一日で船から落ちて記憶を失くした上に、亜人の子を助けようとして返り討ちにあい、悪名高いルークの襲撃にあって巻き添えで怪我をしてしまったなんて、どんな運をしているというのか。
怒りたくなるのもわかる。
だが、ここまでだ。これ以上は本当にまずい。
今はなぜかジークのペースでいるが、奴らがその気になればジークなどいなかった事にされる。
ハツは船の手すりによじ登ると、さらにまだ何か言いたそうにしているジークを呼んだ。
「これ以上、お貴族様を怒らせたらまずいさ!ずらかるさー!」
「ハツ! え、あ? へぁあ!」
ジークはそこでやっと自分のやった事の重大さに気づいて顔面蒼白になった。
一般民が貴族の、それもホワイトランドの東を治める裏社会を管理する大貴族に逆らえばどうなるのかなんて明白だ。
想像しただけでも恐ろしいが、実に今さらである。
ジークは貼り付いたような気持ちの悪い苦笑いを浮かべると、逃げる為にすぐさま走り出した。
ここまでやってしまったらもう遅いが、捕まったら終わりだ。
全員の意識がジークに集中しているの見計らい、フードを深く被りなおした亜人は、一気に動いた。
身を低くして素早く後ろに回り、狙うは一点、人体の急所である首を、体重をかけて強烈に蹴り飛ばした。
鈍く、骨の砕ける音がするほど容赦のない一撃に、ルークの子は氷の魔法を使う間もなく床に倒れ込む。
「お返シだヨ!」
衝撃で外れて宙を舞う仮面を掴んだフードの亜人は、仮面で口元を隠しながら嫌味たっぷりに、にんまりと笑う。
「アイツに言っておいテヨ! イツカラこんなカワイイ犬を飼ったんダッテ!」
笑顔で残った赤髪のルークにそう皮肉を言い捨てたのだった。
そうして、必死に船の手すりによじ登ろうとするジークとハツに追いつくと軽々と登り切った。
「……起きなさい」
赤髪の男は、動かなくなった弟の青い髪を掴むと、確かに折れてしまったはずの首が微かに反応した。
背後に上がった炎を見たジークは、自分達に向けられた魔法の紋章を見て自分が完全に原因だと白目をむく。
逃がすくらいならば、と今まさに炎の矢が飛んできているので船の乗客も悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
モタモタしていたら人間に捕まって差し出されかねない。
「どうする? どうするどうする!」
「このままじゃぶっ殺されちまうさ! 逃げるしかねぇさな!」
完全にパニックになっているジークと冷静なハツ。
そうしている間に、穏やかだった夜空を分厚い雲が覆い、波は荒れていく。
どういうわけか、嵐が来ているのだ。
ガクンと船が揺れて、悲鳴は大きくなり波が襲う。
「色んな意味でどうするんだい!」
「……泳げるかさ?」
「ムリ」
真剣な顔をするハツにフードの亜人は挙手をした。
いつの間に合流しているのか、というのはおいておいて……。
そうこうしているうちに炎は勢いを増して襲い掛かってくるし、嵐は酷さを増していく。
こうしていても助からないのはわかっているのだが、やはり、だ。
「お、俺……さすがに二回目はちょっと……」
ジークは生き物のようにうねる波を見て顔を引きつらせ、ふひっと変な笑い声をあげる。
残っても地獄、進んでも地獄、どうしたって地獄だ。
「ほら、もうちょっと波が穏やかになってからでもいいとお……!」
「んなもん待ってたら死ぬさ!」
だが、最後まで言い終える前にハツによって暗い海へと突き落とされてしまったのだった。
「いぎゃぁぁぁぁぁぁ~ッ!」
ジークの悲鳴は強風にあおられる夜の海へと消えていく……。
本日はお日柄もよく、ジーク・リトルヴィレッジは二度目の海へのダイブを体験するのだった。
しかも今度は嵐の中というオプション付きである。
真っ暗な強風の中、海に飛び込んだジークは必死にもがいて泳ごうとしたが、息を吸う際に水を飲んでしまい意識を失ってしまった。
眩しい光にしわしわと目を開けば、潮の匂いとぬめっとした感触がした。
ジークが次に目を覚ました時には、温かい天国……じゃなくて生臭い海藻が顔に張り付いた現実だった。
「……あれ、ここは……くっさ!」
どこなんだろう、と言いかけた所でジークは自分が停泊中の船に引っかかって頭に海藻が乗っている事に気づいて剥がし、辺りを見渡す。
いつの間にか日が昇っているので、一晩中漂流していたのかと思うとげっそりしてしまう。
どうやらここはどこかの街の港のようで、どういうわけかあの嵐の中でここまで流されて偶然助かったのだとわかった。
マフラーが船に引っかかったことが幸運だったようだ。
ハツの姿はなく、あの亜人の姿も見当たらないので、もしかしたら流される途中ではぐれてしまったのかもしれない。
「とりあえず、助かってよかった……」
心の底から安心と疲労による溜息をつきながら、そろそろと泳いで陸に上がれそうな所を探す。
幸い、海の水は温かかったし、太陽も高く上がっている。
疲れた体にまとわりつく濡れた服は重かったし、ついでに吐きそうなので今はどこかで休みたい。
やっとのことで船を伝い、陸に上がると賑わう市場が見えてきた。
ここで獲れた魚や果物に雑貨などを売っているのだろうか。
ひとまず食べ物と服をどうにかしたいジークは、ふらふらと誘われるように向かっていった。
もう一つ幸運な事に、お金を落としていなかったので休む為の宿屋もすぐに見つける事ができ、ずぶ濡れで一晩中海を漂流したと話せば宿の女将は服が乾く間に温かい食事も出してくれた。
港街の宿を一人で切り盛りする、弾けんばかりにテカる筋肉と日に焼けた堀の深い顔が印象的な女将さんだった。
おかげですぐに回復したジークは、これからどうするか考えていられたのだ。
「うう、優しい……」
名産の魚介のスープを口に運びながら、人の優しさが身に染みたジークだったが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
もともと、故郷を出て旅をしながらお金を稼いでいたので何か仕事をしないと、と思っていた。
話を聞くと、この街はレオンドールからも近く、人の往来は多いのだそう。
小さいながらも、漁業と交易で成り立っているこのルルの街で働くというのもありだ。
ジークの今の持ち物といえば、このマフラーとお金が少しと、いつの間にか鞄に入っていた白い狼を模した何か怖い仮面だった。
仮面に至ってはどこで拾ったのかもわからないが、捨てると呪われそうな気がするので一応持っておこうと思っている。
市場を見物しながら歩いていると、エリュシオン傭兵団の募集のチラシがあちらこちらに貼ってある。ここは試験会場のレオンドールから近いので、立ち寄る人が多いのだろう。
何となく、チラシを一枚もらっていると、何やら面白そうな話が聞こえてきた。
「明日ついに始まるのか、傭兵団の募集!」
「エリュシオン傭兵団のだろ? 今回は亜人狩りがあるらしいから、募集人数が多いらしいぞ?」
通りがかっただけなので盗み聞きになるのかもしれないが、エリュシオン傭兵団という言葉にハツが言っていた事を思い出す。
ハツもエリュシオン傭兵団に入る事が目的だと言っていた。
ここへ来る時にはぐれてしまったので、どうなったのかはわからないがエリュシオン傭兵団に行けば会えるのかもな、とぼんやり考えた。
エリュシオン傭兵団かー、と心の中で呟いたジークはいやいや……と内心首を振る。
痛いのは本当にもうこりごりだし、エリュシオン傭兵団に入ったとしてうまくやっていける自信はない。
自分にできるわけはないから、何か別の仕事をしようと思っていた。
だがその夜、ジークにとって運命といってもいい出会いが訪れる。
誰もいない夕暮れの港をぼーっと散歩していると、温かい潮風に長い髪をなびかせた少女が佇んでいた。
遠くを見つめてどこか儚げで、それでいて意志が強そうな瞳をした女の子だ。
オレンジ色の陽に照らされた淡い桃色の髪をした少女は、自分を見ていたジークに気付き、驚いたように目を丸くした。
「あ、ごめん! 誰もいないかと思って……」
ジークがそう言って苦笑を浮かべると、少女はゆるゆると首を振り近付く。
「あなたも、明日のエリュシオン傭兵団の入団試験を受けるの?」
「え?」
「それ」
そう言った少女が指さしたのは、昼間にもらっておいたエリュシオン傭兵団のチラシ。
とりあえず、ともらっていたのでグシャグシャにしてしまっていたのが見えていた。
「あー、えーと、まだ考え中なんだ」
鞄からはみ出ていた事に恥ずかしくなりながらも、ジークはチラシを押し込みながらそう答えた。
すると少女はクスっと笑う。
「どこを希望するの? あなたはガード……じゃないわね。スペルでもない、トリートかしら?」
上から下までジークを見た少女は一人で唸っては納得していた。
馬鹿にしたふうでもなく真面目な少女だが、そもそもジークにはガードやスペルという話がわからない。
「ガードは仲間を前線で守る役目だもの。スペルは魔法使いだから貴族、トリートは怪我や病気の手当てをして衛生を保つのが役割。あとは伝令のコールかしらね」
それがわかっているのか、少女は歌うように説明してくれた。
ジークはエリュシオン傭兵団に入るつもりはなかったが、初対面の自分に対して屈託なく笑う彼女の笑顔が嬉しかった。
思えば、記憶を失ってから死にかけた事しかないので、女将さんの次に会った癒しだったりする。
目を閉じれば、宿屋の女将さんのたくましい筋肉が浮かぶ……。
「大変な事もあるけれど、きっと後悔はしないはずよ」
少女の髪の赤いリボンがふわりと揺れ、何と返していいかわからずジークは曖昧に笑う。
「私はフィア。もしエリュシオン傭兵団に入れたら、また会えるかもね?」
そう言ってにっこりと笑った少女、フィアはジークに手を振りながら帰っていった。
「フィア……」
ジークは彼女の後姿を見送りながら、自分が名乗っていなかった事に気付いた。
彼女がいなくなった静かな港に腰かけ、穏やかな潮風を胸いっぱいに吸い込んで吐き出し、フィアの言っていた事を思い出す。
傭兵団なんて自分には無理だろうと思っていたし、今でも受かる自信はない。
でも、ここで働いたとしても同じ場所にずっといたいわけじゃないのだ。
ジークは色々な景色を見ながら旅をして暮らしたいので、傭兵団に入ってお金を稼いだ方が気分的に楽なのかもしれないな、と思った。
つまりは、なんとかなるさ!だ。
そうして、すぐに宿に帰ると荷物をまとめて早朝にレオンドールへと向かう事にした。
考えなしといえばそれまでだが、自分のやりたい事を突き進む。
それがジーク・リトルヴィレッジなのだ。
意気揚々とレオンドールに向かう途中、道に迷いかけたが何となく同じ方向へ向かう人についていく事で無事に到着した。
だが、レオンドールでのエリュシオン傭兵団の試験にて、さらなる不運に襲われる事になるのだった……。
「あれ、いつの間にか寝ちゃったんだぞ……」
なんだかやけに静かな夜だ……それになんだか船の揺れも強くなっている気がする。
すっかり熟睡してしまったジークは、寝すぎた事によるけだるさで重い体を起こし、気分を変えようと医務室のドアを開けて出ていく。
やっぱり先に食堂で何か飲み物をもらおうか、なんて考えていたジークが甲板に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。
こんな夜中だというのに、甲板には眩しいくらいに明かりが灯っており、乗客や船員が一か所に集まっていたのだ。
まるで何かに怯えるように一言も喋らず、張り詰めた空気の中でピクリとも動かない人間の塊は異様であり、言いようのない不安が襲う。
その中には昼間にジークを殴った女もいて、彼女の傍らにはポピィラビの女の子の姿もある。
波の寄せる音と船が進む鈍く低い音だけが響くこの空間。
これは一体、何が起きてるんだ?とジークが恐る恐る近付くと、不意に腕を掴まれて列に引っ張り込まれてしまった。
「ひっ……!」
わけもわからず暑苦しい船乗りのおっさん達の間に割り込まされたジークは、屈強な胸板を押しやると自分のスペースをこじ開ける。
ふと横を見れば見覚えのある大きな髪の触覚があり、腕をつかんでいたのはハツだった。
ハツは状況がわからず目を白黒させているジークに、自身の口に人差し指をたて、『静かに』と小声で伝える。
「なんでも、この船に亜人が密航してるらしいさ」
「え? それがこれとどういう関係が?」
何かが始まるのか?とジークが辺りを見渡した時、船長に案内されて二人の人間が前に立った。
顔全体を覆う白い狼の頭部を模した威圧感のある仮面をしていて表情はわからないが、暗闇でもわかる鮮やかな赤い髪と体系から若い男のように見える。
もう一人も仮面で顔はわからないが、左手には氷のような白い刃のナイフが握られていた。
物々しい空気を裂くように赤髪の男が口を開く。
「我々は東のルーク。依頼主の命により、この船に潜む亜人の処分に参った。おとなしく協力すれば貴殿らの命は取らないと約束しよう」
丁寧な言葉ではあるが、静かで、けれど言葉で支配する事に慣れた冷たい声だった。
この男が名乗ったルークという名は、ホワイトランドの四大貴族の一つであり、東の大地に住み世界の治安を支える……いわば、各地の裏の仕事を引き受ける一族の事だ。
荒事を引き受けており、狙われたら終わりだとも聞く。
当然、その名もホワイトランド中に響いており、慈悲もなく逆らえば殺されてしまうという。
金さえもらえばどんな仕事も受け、必ず遂行させる執念と確かな実力を持っていて、ホワイトランド中に情報網を張り巡らせているという恐ろしい噂もあって誰もが出会いたくないと願っている。
もはや、存在が死神。
記憶の一部は無くしても、ジークもそれくらいは知っていた。
「うぇえ……」
そのルークがわざわざこの船を調査しに来たというのだ。
亜人が逃げ出す事は度々あっても、すぐに解決するのでわざわざこんな大事になるのも不自然であり、調査というよりも嫌がらせか何かで、もうわかっているのにあえてこうして乗客乗員を集めて恐怖を煽っているのかもしれない。
貴族の、それも処刑人の考えている事なんて分からない。
朝から気絶して海に落ちた上、最低な場面に出くわすしで、なんてついてないんだ……。
自分の不運さに気分が悪くなったジークは、顔を下げて白目をむいた。
「さっさと亜人が見つかる事を祈るしかねぇさ」
ハツも疲れたというようにため息をついた。
赤髪の男が合図をすると、ナイフを持った方の仲間がひとり一人の耳元を確認していく。
耳にかかる髪を刃先で持ち上げては耳の形を確認していた。
「耳なんか見てどうするんだい?」
「なんか耳の形が違うんだとさ」
訝しむジークにハツが教えてくれた。
「うん? 亜人はみんな人間と見た目が違うから、そもそもここにはいないと思うんだぞ?」
そう、人間と亜人の決定的な違いは容姿だ。
亜人達はそれぞれの先祖の血を色濃く受け継いでいるので、動物のような見た目に近い。
人間と同じ容姿をした亜人なんて見た事も聞いたこともないし、いるわけがないのだ。
「まぁ、そうさな。マジでなんの為なんかわからんさ」
ハツは面倒そうに耳にかかったモッサリした髪束を持ち上げてそう言った。
次々と確認が済んでいき、自らが人間だと証明できた人間達はほっとしたような顔をしている。
とりあえずは疑いが晴れたので、間違えられて殺される心配がなくなったからだ。
ついにジークの前の列にさしかかった時、刃先が微かに耳に当たった屈強な汗だくの船員が『あふん!』と謎の艶っぽい声を出していたが、誰も反応しなかった……。
ジークがもう少しで自分の番だな、と思っていると仮面の人間の手が止まった。
ちょうどジークの目の前にいたフードを被ったヒ・ト・の前だった。
小柄な体なわりにはしっかりとした体つきをした彼は、自身の耳元に当てられたナイフの刃を握って止めると口元を解く。
「アイカワラズ、すごい情報網ダネー」
そう言ってわざと犬の鳴きマネをし、神経を逆なでするように嘲り微笑む。
「ホント、バチクソキモチ悪いヨ」
言い終わるや、ナイフを握る手に力を入れた。
だがその瞬間、足元が淡く光り、突然鋭い氷柱が飛び出してきた。
辺りにひんやりとした冷気が漂い、魔法を放たれたと理解するのに時間はいらなかった。
仮面の相手は、ナイフを引き抜くと血を払うように勢いよく床に白刃を突き立てる。
次いで放たれる氷の槍は鋭敏で先程よりも数が多く、確実にここで仕留めるという意志がこもっていた。
完全な不意打ち。それは、標的の亜人だけでなく後ろにいたジークも巻き添えにして襲いかかる。
「うぇえぇえ! いだだだ!」
何が起きていたのかジークからは見えないので、いきなり目の前に氷の柱が飛び出してきた事になる。
「いたた……これって魔法? 魔法って呪文かなんかいるんじゃなかったのかい?」
腕と足を切ってしまったジークは慌てて後ろに下がった。
幸い、そんなに深い傷ではなさそうなのですぐに血は止まるはず。
「知らんが、ルークの家系魔法は火のはずさが? ……お貴族様は容赦ねぇさな」
ハツもまさかこんな至近距離で魔法を使われると思っていなかったのだろう、驚いていた。
目の前の彼が亜人だというのだろうか……けれど彼が受けなければ氷の柱はジークに直撃して死んでいたかもしれない。
おそらく、亜人の彼も無事ではないだろう。
助かっていたとしても、致命傷は免れない……そう思っていた。
「だい……」
大丈夫かい?と言いかけたジークは口を閉じた。
亜人の彼はほんの少し顔を歪めると体中に刺さった氷柱を全て強引に引き抜き、溢れ出てきた血を軽く拭い払うと何事もなかったかのように立っていた。
完全不意打ちの魔法は、本来であればまず助からないし、急所を狙った事から手加減していたとは思えない。
体が頑丈なのも亜人の特徴なのだ。
けれど、人間と同じ姿をした亜人なんて存在するはずがない。
でも、もし……本当は人型の亜人がいるのだとしたら……?もしかすると、その場にいた誰もがそう思っただろう。
巻き添えを食らわないように、と周りにいた人間達は距離を取り、彼の周りには誰もいなくなっていた。
ざわざわと騒がしくなる声と、自分を見つめる人間の瞳には恐怖と大きな嫌悪と疑いが混じっていた。
その様子をちらりと見た彼は、俯いた口を固く結ぶ。
「そこまでだ。抵抗するのなら罪もない彼らごと船を沈めなければならないが、どうする?」
そんな彼に、赤髪のルークは淡々とした口調で言う。
依頼をこなす為には犠牲も問わないのが彼らのやり方なのだ。
いくら自分が助かりたいと思っていても、何の関係もない人間を傷つけていい事はない。
先程の魔法での不意打ちも、自分なら避けようと思えば出来た。
それでもそうしなかったのは、避ければ後ろの人間にもっと被害がいくからだ。
亜人の彼は、ふっと力なく笑うと深く被っていたフードを取ろうと手にかけた。
諦めが混じった目の端に、ふいに一人の人間の姿が映る。
「ちょっと待ったーッ!」
傷口を布できつく縛ったジークは、肩をいからせて大股で近づいてくると、ルークの二人を指さして盛大に鼻息荒く声を張り上げた。
「あんたら、さっきから何なんだい? いきなり襲い掛かってきて、その上この船を沈めるとかなんとか、何で脅迫してるんだい? この人が何をしたっていうんだ?」
しんと静まり返るその場で、ジークはさらに言葉を続ける。
「こんな脅迫に屈する必要はないぞ! 仮にこの人が亜人だとしても! 亜人も人もみんな平等なんだ、処刑人だがなんだか知らないけど、この人と話がしたいならその態度をやめろ! まずは話をするところからだろ!」
そこまで一気に言い切ったジークは、呼吸を整える為に深く息を吸って吐いた。
「我々は仕事をしているだけだ。死にたくなければ部外者は出てく……」
「巻き添えくらってる時点で部外者じゃないんだぞ!痛いし!」
赤髪のルークの言葉に重ねて言い返したジークは、理不尽のオンパレードにもう完全にブチギレていた。
そりゃそうだ、とハツは吹き出した。
今日一日で船から落ちて記憶を失くした上に、亜人の子を助けようとして返り討ちにあい、悪名高いルークの襲撃にあって巻き添えで怪我をしてしまったなんて、どんな運をしているというのか。
怒りたくなるのもわかる。
だが、ここまでだ。これ以上は本当にまずい。
今はなぜかジークのペースでいるが、奴らがその気になればジークなどいなかった事にされる。
ハツは船の手すりによじ登ると、さらにまだ何か言いたそうにしているジークを呼んだ。
「これ以上、お貴族様を怒らせたらまずいさ!ずらかるさー!」
「ハツ! え、あ? へぁあ!」
ジークはそこでやっと自分のやった事の重大さに気づいて顔面蒼白になった。
一般民が貴族の、それもホワイトランドの東を治める裏社会を管理する大貴族に逆らえばどうなるのかなんて明白だ。
想像しただけでも恐ろしいが、実に今さらである。
ジークは貼り付いたような気持ちの悪い苦笑いを浮かべると、逃げる為にすぐさま走り出した。
ここまでやってしまったらもう遅いが、捕まったら終わりだ。
全員の意識がジークに集中しているの見計らい、フードを深く被りなおした亜人は、一気に動いた。
身を低くして素早く後ろに回り、狙うは一点、人体の急所である首を、体重をかけて強烈に蹴り飛ばした。
鈍く、骨の砕ける音がするほど容赦のない一撃に、ルークの子は氷の魔法を使う間もなく床に倒れ込む。
「お返シだヨ!」
衝撃で外れて宙を舞う仮面を掴んだフードの亜人は、仮面で口元を隠しながら嫌味たっぷりに、にんまりと笑う。
「アイツに言っておいテヨ! イツカラこんなカワイイ犬を飼ったんダッテ!」
笑顔で残った赤髪のルークにそう皮肉を言い捨てたのだった。
そうして、必死に船の手すりによじ登ろうとするジークとハツに追いつくと軽々と登り切った。
「……起きなさい」
赤髪の男は、動かなくなった弟の青い髪を掴むと、確かに折れてしまったはずの首が微かに反応した。
背後に上がった炎を見たジークは、自分達に向けられた魔法の紋章を見て自分が完全に原因だと白目をむく。
逃がすくらいならば、と今まさに炎の矢が飛んできているので船の乗客も悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
モタモタしていたら人間に捕まって差し出されかねない。
「どうする? どうするどうする!」
「このままじゃぶっ殺されちまうさ! 逃げるしかねぇさな!」
完全にパニックになっているジークと冷静なハツ。
そうしている間に、穏やかだった夜空を分厚い雲が覆い、波は荒れていく。
どういうわけか、嵐が来ているのだ。
ガクンと船が揺れて、悲鳴は大きくなり波が襲う。
「色んな意味でどうするんだい!」
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そうこうしているうちに炎は勢いを増して襲い掛かってくるし、嵐は酷さを増していく。
こうしていても助からないのはわかっているのだが、やはり、だ。
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ジークは生き物のようにうねる波を見て顔を引きつらせ、ふひっと変な笑い声をあげる。
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「んなもん待ってたら死ぬさ!」
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「いぎゃぁぁぁぁぁぁ~ッ!」
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本日はお日柄もよく、ジーク・リトルヴィレッジは二度目の海へのダイブを体験するのだった。
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ジークが次に目を覚ました時には、温かい天国……じゃなくて生臭い海藻が顔に張り付いた現実だった。
「……あれ、ここは……くっさ!」
どこなんだろう、と言いかけた所でジークは自分が停泊中の船に引っかかって頭に海藻が乗っている事に気づいて剥がし、辺りを見渡す。
いつの間にか日が昇っているので、一晩中漂流していたのかと思うとげっそりしてしまう。
どうやらここはどこかの街の港のようで、どういうわけかあの嵐の中でここまで流されて偶然助かったのだとわかった。
マフラーが船に引っかかったことが幸運だったようだ。
ハツの姿はなく、あの亜人の姿も見当たらないので、もしかしたら流される途中ではぐれてしまったのかもしれない。
「とりあえず、助かってよかった……」
心の底から安心と疲労による溜息をつきながら、そろそろと泳いで陸に上がれそうな所を探す。
幸い、海の水は温かかったし、太陽も高く上がっている。
疲れた体にまとわりつく濡れた服は重かったし、ついでに吐きそうなので今はどこかで休みたい。
やっとのことで船を伝い、陸に上がると賑わう市場が見えてきた。
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ひとまず食べ物と服をどうにかしたいジークは、ふらふらと誘われるように向かっていった。
もう一つ幸運な事に、お金を落としていなかったので休む為の宿屋もすぐに見つける事ができ、ずぶ濡れで一晩中海を漂流したと話せば宿の女将は服が乾く間に温かい食事も出してくれた。
港街の宿を一人で切り盛りする、弾けんばかりにテカる筋肉と日に焼けた堀の深い顔が印象的な女将さんだった。
おかげですぐに回復したジークは、これからどうするか考えていられたのだ。
「うう、優しい……」
名産の魚介のスープを口に運びながら、人の優しさが身に染みたジークだったが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
もともと、故郷を出て旅をしながらお金を稼いでいたので何か仕事をしないと、と思っていた。
話を聞くと、この街はレオンドールからも近く、人の往来は多いのだそう。
小さいながらも、漁業と交易で成り立っているこのルルの街で働くというのもありだ。
ジークの今の持ち物といえば、このマフラーとお金が少しと、いつの間にか鞄に入っていた白い狼を模した何か怖い仮面だった。
仮面に至ってはどこで拾ったのかもわからないが、捨てると呪われそうな気がするので一応持っておこうと思っている。
市場を見物しながら歩いていると、エリュシオン傭兵団の募集のチラシがあちらこちらに貼ってある。ここは試験会場のレオンドールから近いので、立ち寄る人が多いのだろう。
何となく、チラシを一枚もらっていると、何やら面白そうな話が聞こえてきた。
「明日ついに始まるのか、傭兵団の募集!」
「エリュシオン傭兵団のだろ? 今回は亜人狩りがあるらしいから、募集人数が多いらしいぞ?」
通りがかっただけなので盗み聞きになるのかもしれないが、エリュシオン傭兵団という言葉にハツが言っていた事を思い出す。
ハツもエリュシオン傭兵団に入る事が目的だと言っていた。
ここへ来る時にはぐれてしまったので、どうなったのかはわからないがエリュシオン傭兵団に行けば会えるのかもな、とぼんやり考えた。
エリュシオン傭兵団かー、と心の中で呟いたジークはいやいや……と内心首を振る。
痛いのは本当にもうこりごりだし、エリュシオン傭兵団に入ったとしてうまくやっていける自信はない。
自分にできるわけはないから、何か別の仕事をしようと思っていた。
だがその夜、ジークにとって運命といってもいい出会いが訪れる。
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遠くを見つめてどこか儚げで、それでいて意志が強そうな瞳をした女の子だ。
オレンジ色の陽に照らされた淡い桃色の髪をした少女は、自分を見ていたジークに気付き、驚いたように目を丸くした。
「あ、ごめん! 誰もいないかと思って……」
ジークがそう言って苦笑を浮かべると、少女はゆるゆると首を振り近付く。
「あなたも、明日のエリュシオン傭兵団の入団試験を受けるの?」
「え?」
「それ」
そう言った少女が指さしたのは、昼間にもらっておいたエリュシオン傭兵団のチラシ。
とりあえず、ともらっていたのでグシャグシャにしてしまっていたのが見えていた。
「あー、えーと、まだ考え中なんだ」
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すると少女はクスっと笑う。
「どこを希望するの? あなたはガード……じゃないわね。スペルでもない、トリートかしら?」
上から下までジークを見た少女は一人で唸っては納得していた。
馬鹿にしたふうでもなく真面目な少女だが、そもそもジークにはガードやスペルという話がわからない。
「ガードは仲間を前線で守る役目だもの。スペルは魔法使いだから貴族、トリートは怪我や病気の手当てをして衛生を保つのが役割。あとは伝令のコールかしらね」
それがわかっているのか、少女は歌うように説明してくれた。
ジークはエリュシオン傭兵団に入るつもりはなかったが、初対面の自分に対して屈託なく笑う彼女の笑顔が嬉しかった。
思えば、記憶を失ってから死にかけた事しかないので、女将さんの次に会った癒しだったりする。
目を閉じれば、宿屋の女将さんのたくましい筋肉が浮かぶ……。
「大変な事もあるけれど、きっと後悔はしないはずよ」
少女の髪の赤いリボンがふわりと揺れ、何と返していいかわからずジークは曖昧に笑う。
「私はフィア。もしエリュシオン傭兵団に入れたら、また会えるかもね?」
そう言ってにっこりと笑った少女、フィアはジークに手を振りながら帰っていった。
「フィア……」
ジークは彼女の後姿を見送りながら、自分が名乗っていなかった事に気付いた。
彼女がいなくなった静かな港に腰かけ、穏やかな潮風を胸いっぱいに吸い込んで吐き出し、フィアの言っていた事を思い出す。
傭兵団なんて自分には無理だろうと思っていたし、今でも受かる自信はない。
でも、ここで働いたとしても同じ場所にずっといたいわけじゃないのだ。
ジークは色々な景色を見ながら旅をして暮らしたいので、傭兵団に入ってお金を稼いだ方が気分的に楽なのかもしれないな、と思った。
つまりは、なんとかなるさ!だ。
そうして、すぐに宿に帰ると荷物をまとめて早朝にレオンドールへと向かう事にした。
考えなしといえばそれまでだが、自分のやりたい事を突き進む。
それがジーク・リトルヴィレッジなのだ。
意気揚々とレオンドールに向かう途中、道に迷いかけたが何となく同じ方向へ向かう人についていく事で無事に到着した。
だが、レオンドールでのエリュシオン傭兵団の試験にて、さらなる不運に襲われる事になるのだった……。
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