司祭の国の変な仲間たち2

ひしご

文字の大きさ
上 下
3 / 11
第十八章

司祭の再契約

しおりを挟む
 ロシュの頰についてしまった堕落の証を消す方法に頭を抱えていたオーギュは、更に上の立場の大司聖が居を構える聖座の間へと足を踏み入れていた。
 普段は高齢の為に滅多にお目通りが出来ないが、臨時を要する案件の為に急遽面会を願ったのだ。
 ロシュはその付着した証を公衆の面前で晒す訳にもいかず、塔に缶詰状態でデスクワークを強いられている状況。
「完全に外に出られないとか鬼ですか!」と言いながら、彼は半泣きで溜まった仕事に専念していた。
 別に鬼のつもりでそう命じた訳では無い。
 むしろ、自分が勝手に操られていたのだから責められても困るのだ。
 あなたが悪いんでしょうと突っぱねた後、結局は彼の尻拭いの為に自分が動くしか無い事に嫌気が差していた。
 大聖堂の最奥に位置する聖座の間は、立入禁止区域の範囲内にある。
 部屋に繋がる廊下は白を基調とした柱が立ち並び、柱と柱にの間には頑丈なガラス窓が組み込まれていた。汚れの無い窓の外側の景色は手厚く手入れをされた草花が咲き誇り、さながら楽園を思わせるような様相だ。
 滅多に敷地外に出ない大司聖の為を思い、職員達は毎日欠かさず花を咲かせているのだろう。
 部屋に繋がる廊下ですらピカピカに磨かれていて、歩行も躊躇しそうになる位艶やかなのだから。
 長い廊下の先にある大扉の前に立ち、オーギュは軽く深呼吸をした。
 …なかなか顔を見ない相手に若干緊張してくる。
 初顔合わせでは無いものの、やはり自分よりかなり高い立場の人なので無礼の無いようにしなければならない。
 一息吐いた後、彼は落ち着いて眼前の分厚い扉をノックする。厚みのある扉なので高齢の大司聖の耳にしっかり伝わるか不安だったが、しばらく間を置いた後でどうぞと嗄れた返事が聞こえてきた。
 意外にもしっかりした声音で驚く。
「…失礼致します、大司聖様」
 顔を上げ、オーギュはドアノブに手を掛けた。

 数時間後。
 オーギュの発言を受け、ロシュはぽかんと呆けたような顔で「わ、私は魔導師に戻るんです??」と口走っていた。
「…一時的に、です。ただ周りには知らせないように。司聖が堕落の証を晒すのは体裁も悪いので、しばらくこの薬剤で消して貰います。一旦魔導師に戻り、再び司祭としての再契約をするのです」
「ほぁー」
 何だその気の抜けた返事は、とオーギュのこめかみがぴくりと動く。
「薬で消せるなら問題無さそうな気もしますが…」
「常に塗るのですよ。効果は一日のみですし、大司聖様がわざわざあなたの為に作って下さった薬です。毎回作らせる訳にはいきませんよ」
「そうなのですね…再契約かあ。でも魔導師に戻るのも滅多に無い経験だろうし何か違う事をしてみたいなあ」
「またいらない事を考えて…」
「魔法を使い放題でしょう。それならリシェに魔法だって教えてあげられますし」
「そう言って、あの子に変な事をするんじゃないでしょうね?そうはいきませんよ」
 日頃の行いのせいか、あからさまに疑う視線を向けるオーギュ。ロシュはつい飛び上がり「何て事を言い出すんですか!」と抗議した。
「わ、私はリシェを可愛がっているだけです!」
「ああ、はいそうですか」
 全く心がこもっていない返事をする。
「あのう…リンデルロームから随分と当たりが強くないですか、オーギュ…?私が何をしたって言うんです…」
 しょんぼりするロシュに、オーギュは散々やらかしたくせに覚えていないのかと心の中で毒を吐いた。
 冷静になれと自分を落ち着かせ、通常を装いながら「それはそうと」と話題を変える。
「リシェの新しい武器は作っているのですか?」
「んっ?…ああ、はい!次はもっと丈夫なのをお願いしてますよ」
「そうですか。早いですね」
「そりゃあもう…壊れた事にショックを受けてましたし」
「なるべく早めにお願いした方がいいのだろうと思いましたからね。帰った直後に書簡で注文したんですよ。本当は直接お願いした方がいいんでしょうけど…」
 現在のロシュの状態を思えば書簡で頼んだほうがいいだろう。
「それならあの子も安心でしょうから、懸命な判断ですよ」
 そう言いながらオーギュは、大司聖からロシュの為に作成して貰った薬剤入りの瓶を机の前に置いた。瓶の形はまるで婦人用の香水を思わせるボトルで、中身は透明。肌に良く伸びそうなジェル状になっているらしく、水疱が含まれていた。
 ロシュは預かったボトルを興味深そうな面持ちで様々な角度から見る。
「大司聖様って化粧品とか作るのお好きでしたっけ?」
「ん?…さあ、そこまでは知らないですけど。どうしてですか?」
「この瓶とかどこから仕入れて来るのかなあって」
 そっちかい…と肩を竦める。確かに女性受けしそうな形状ではあるが、そこまで考えていなかった。
「外出する際に頬に塗るといいですよ。一応お試しで塗ってみてもいいかもしれませんけど。使う際にはがっつり塗りたくるのではなく、薄く使いなさいと言ってました」
「ふむふむ」
 ロシュはその瓶を手に一旦洗面台のある脱衣所へと姿を消した。
 臨時とはいえ彼の頬の証を隠せる手段が見つかったので一安心だったものの、まだやらなければならない事もある。彼をまた司祭に戻す為に段取りを立てていかなければならない。
 本人の与り知らぬ所で司祭の資格を失ってしまったのは不運極まりないが、リンデルロームの件は自分も関わっていたので無視出来ない。
 ちょっとばかりの責任は感じていた。
 数分後、ロシュがウキウキした様子で室内に戻って来た。不思議にも黒く目立っていた堕落の証の姿は消え失せ、元通りの美貌の青年に戻っている。
 オーギュは目を細めながらほう、と感心した。
「やあ、これは凄いです。きれいさっぱり消えましたよ!さすが大司聖様だ。微かに花の香りもするんですよこのお薬!」
 彼が言うように、確かに爽やかさと甘い花の香りを感じる。完全に化粧品じゃないか、とオーギュは苦笑いするが、相当な効果があったようだ。恐らく薬品の他に、魔力の効果もあるのだろう。薬剤だけでは完全に賄えないような気がする。
 大司聖クラスの高魔力ならばその位の事は容易なのだろう。
 良かったですねと言いながら、まず最低限の対処はクリア出来た事に安心した。
「これなら普通に外出出来ますね」
「ええ、ええ。助かりましたよオーギュ。ありがとうございます!」
 ずっと部屋に缶詰なのも体に悪いだろう。
 仕事を申し付ける度に嘆かれても困る。
「とりあえず、あなたをまた司祭に戻す為に準備をしないと…じゃないとその堕落の証も付いたままですからね」
「あれだけ模様が広がるなんて思いもしませんでしたよ。顔半分位の規模でしたからねぇ…今なら闇の力によって片目が疼くかもしれません」
 意味不明な発言をする司聖に対し、慣れたようにオーギュは「良かったですね」と冷めた言葉を投げつけた。
 あまりにもつれない発言に、ロシュはぐぬぬと唸る。
「付き合い悪い…」
「あなたの変な発言にわざわざ付き合ってる暇はありませんよ。とりあえず、あなたを元に戻さないと」
「再契約でしょう。まあすぐに終わらせてきますよ」
 余裕をかましながらロシュはそう言うものの、オーギュは不思議そうな面持ちで「では同行する司祭はレナンシェ殿で宜しいので?」と問う。
 その名を耳にしたロシュは、笑顔を固定させながら停止した。
 契約の際は、大聖堂内で特別な儀式を経て初めて認められるものだが、それに当たって自分より能力の高い司祭の同意が無ければならないという決まり事がある。
 司祭の上位に居たロシュの場合、本人よりも能力が高い司祭の数は更に少なく、同じように司聖の候補にまで上がっていたレナンシェか、更に上の大司聖に限定されてしまうのだ。
 流石にまた大司聖にお願いする訳にはいかない。
「…は、はい…??れ、レナンシェ?」
「はい。レナンシェ殿です」
「他は…?」
 固まった笑顔のままでロシュは問うが、オーギュは「居ると思いますか?」と鼻で笑った。
「あなたは?」
「私は職種が違いますよ」
 オーギュは完全に魔導師なので、いくら高魔力の持ち主でも同行を制限されてしまう。元々司祭になる気も無く、その手続きというのにも興味が無いのだ。見てみたい気もするが、異なる職業に関しては首を突っ込んではならない場合もある。
 その辺りは自分の立場を弁えていた。
 自分が付き添った事でいらぬ揉め事を起こしたくはない。
「えぇえええ!?」
 一方で、てっきりいつものようにオーギュが同行してくれるものだと思っていたらしいロシュは素っ頓狂な声を上げてしまった。
 じわじわと湧き上がる汗の存在を感じながら、ロシュは弱々しくなっていく。
「じゃあ…じゃあ、私は」
「お願いしておきましたからレナンシェ殿と一緒に行って下さい」
「そ、そんな」
「何がそんなに嫌ですか。ちょっとの時間でしょう」
「そこをなんとかあなたにしておいて下さいよ!」
 無茶振りを言い出す彼に対し、何言ってるんですかと突き放す。
「それだと私が怒られるじゃないですか、嫌ですよ」
 もう呼んでますから数日後には大聖堂に来て下さいますよと無情に答えると、ロシュはうぅううと呻いた。
 彼はどうしてもレナンシェに関しては変に拒否感を覚えるらしい。彼は紳士的な印象なのだが、ロシュには違うのだろう。
 事情はどうあれ、本人がまた司祭に戻る為にはこればかりは我慢して貰うしか無い。
 オーギュは軽く溜息を吐いた後、我慢して下さいとだけ返していた。
「ちなみに、今司祭としての魔法は完全に使えない状態なのですか?」
「んっ?」
「いえ、ちょっと興味があって。一応魔法は使えるのかなと思いまして」
 オーギュの質問を受け、ロシュは自らの手を握ったり開いたりを繰り返しながら「それがねぇ」と答える。
「使おうとするといつもより魔法が出にくいんですよ。おまけに頭が痛くなります。まぁ…堕落してますからね、神聖な魔法に関しては拒否されてしまうのでしょう。何しろ私は堕落してしまいましたからね」
 やけに強調してくる。まるで当て付けのように。
 オーギュはなるほど…と理解した。
「そのままではどっちつかずという状況なのですね。まぁ、早めに戻れるように取り計らいましょう」
 いつまでも堕落してちゃいけませんしね、と追い討ちをかけるようにオーギュも返していた。

 あれ、いつもの剣が無いんですね。
 ラスはそうリシェに声をかけていた。毎度大事に持っていた豪華な剣を腰に掛けていない事を指摘され、リシェは気まずそうに「ああ」と苦虫を噛み潰したような表情で答えた。
「リンデルロームに行った時に砕いてしまった」
 ロシュからの大切な剣だったのに、不慮の事故で砕いてしまったのを思い出してしゅんとする。
 彼は仕方ありませんよと優しく慰めてくれたものの、やはり念を入れて手入れを欠かさずしていた愛剣だっただけに眼前で砕かれた際はかなりショックだった。
 先日、新しい剣の作成の為に、ロシュと再び前回の剣を手掛けた職人を訪ねて依頼の手続きをしてきたばかりだ。
 次はもっと丈夫な物を作りましょう、と時間を掛けて剣のデザインから始まって強度の相談もし、尚且つ強力な魔法にも耐え切れるよう魔石の埋め込みも頼んできたので仕上がりは相応の時間もかかるようだ。
 新しい剣の出来上がりも楽しみだが、やはり馴染んできた今までの剣が無くなってしまったのが寂しい。
 ラスは凹んでいるリシェに「そうだったんですね」とちょっと寂しげに微笑む。
「でも新しいのを作ってくれるだなんて。良かったじゃないですか」
「…そうだな」
 支給されている宮廷剣士の剣と、リンデルロームの魔導師クロネから貰った小振りの杖が現在のリシェの護身用の武器だが、任務の際はほとんど魔法を使わないので杖は部屋に大切に保管していた。
 今まで手で直接魔法を放出していたので、杖を介して魔法を放つ事に慣れていない為に練習が必要なのだ。魔石の力を借りると威力は更に跳ね上がるらしいが、見習いのリシェには難しい。
「ほら、先輩。お昼休憩ですから何か食べに行きましょう」
 ラスはぼんやりしていたリシェに声をかけた。
 彼はハッと頭を上げ、時間を確認する。ちょうどお昼の時間だった。
「もう昼か」
「先輩ってば、久しぶりの座学で体が追いつかないんですか?」
 遠方への護衛で移動ばかりしてきた後の剣士としての仕事の為か、じっと勉強する状態に置かれると逆にぼんやりしてしまうらしい。
 リシェは「すまない」と椅子から立ち上がった。
 帰還後十分に休んだのだが、なかなか環境の変化についていけない。これではいけないと気を持ち直した。
 ラスはにっこり笑うと行きましょう、と彼の手を握る。
「大聖堂の中庭のカフェに新しいメニューが入ったんですよ。知ってます?美味しそうだから先輩と一緒に行きたくて」
 新メニューが出ている事も知らなかったリシェは、ふるふると首を振る。ちょうどいいですねとラスは明るく笑顔を見せた。
「じゃあ行きましょう、先輩!」
 同じく座学を受けていた剣士達も、それぞれ昼の休憩を始めようと動きを見せている。まだ成長過程に置かれている二人よりも、更に大柄な男達が出入りするので体格の差はかなり目立っていた。
 そんな彼らの間をすり抜けて座学室から出ようとする矢先、開けていたスライド式の扉の手前でラスは急に足を止める。
「うわ!」
「わっ!…な、何!?」
 突然湧いた叫び声。
「んん、スティレンかあ。ごめん、ぶつかる所だった」
 ばったりと鉢合わせた相手に、ラスは素直に謝った。
 室内から出ようとしていた二人を交互に見回しながら彼は「どこに行こうとしてるのさ?」と問う。
「大聖堂のカフェスペースだよ。先輩と一緒に行きたかったし」
 その言葉に、スティレンは眉を寄せた。
「はあ?俺を置いて行く気?」
 何より一人になるのが嫌なスティレンは、腕を組みながらラスとリシェをひと睨みする。
「そんなつもりじゃないけど…スティレン居なかったしさあ。何なら一緒に行く?」
「当然でしょ?」
 もう…とラスは苦笑いしながらもそれを受け入れた。
 スティレンはふふんと軽く鼻で笑いつつ、からかうようにラスに「本当はリシェと二人っきりで行きたかったでしょ?」と腕をつつく。
「そりゃあ…あまり無い機会だし」
「残念だったね」
 軽口を叩きながら、彼は悪戯小僧のように笑う。リシェとのわだかまりが解けて以来、スティレンは以前より態度が柔らかくなっていた。
 だが基本的には自分本位なのは変わらない。
「いずれにしろ見つかるかなーとか思ってたけどね」
 リシェは無言で二人の会話を聞いていた。
「全く、油断も隙もありゃしない。ほら、リシェ。ボーっとしてないでさっさと行くよ」
 ラスに負けじとスティレンもリシェの空いている手を掴むと、ぐいっと引っ張った。かくりと小柄な体が傾く。
「何だ、引っ張るな」
「お前がぼへーっとするからでしょ。ほら、さっさと動きな!」
「先輩は大切な剣が壊れて凹んでるみたい。ぼんやりしたくもなるって…」
「はぁん?剣?どうせ新しい物を作らせてるんでしょ。知ってるんだから。ならいいじゃないさ、贅沢な悩みしてるんじゃないよ全く!ほら、動く!」
 半ば引き摺られるように、リシェは二人によって引っ張られてしまった。
 休憩時間は長い訳じゃないんだからね、とスティレンは乗り気ではない従兄弟に声をかける。兵舎から大聖堂に向かって、三人の若者達はどうでも良い事を言い合いながら足を進めていく。
 眩しい太陽の光がアストレーゼン全域を照らす中、大聖堂はいつもの如く観光客や巡礼者の姿が行き交っていた。
「何だかこうして三人で居るのも久しぶりじゃない?」
 最近揃う事が無かっただけに、ラスは少し感慨深く口にする。
 確かに、リシェはリンデルロームへの護衛やらで兵舎に居なかったし、スティレンはスティレンで別の班への補充要員としてラスとは別部隊で動いていた。それぞれの休暇を経て、ようやく久しぶりに顔を合わせたようなものだった。
 スティレンはへぇ、と目を細める。
「寂しかった訳?」
「そういう訳でもないけど…」
 久しぶり過ぎて新鮮なだけだよと笑った。
 早足で大聖堂に繋がる石段を駆け上がり、中庭にあるカフェテラスを目指して進んでいく。この日は快晴で、ちょっとした催し物がある為か来客も多かった。
「今回の談話会にはロシュ様は出席されないんだね」
「ん?」
「ほら、たまにやるじゃないですか。お偉い司祭様が一般の人を集めてお話するイベント。結構出席してるイメージがあったから」
 大聖堂に居る際のロシュの仕事に関してはデスクワークの他、大聖堂関係者や一般人に対してのイベントや礼拝関係の仕事など多岐に渡るが、大半はオーギュが把握し行使している。自分は護衛が必要無い時には宮廷剣士としての任務が中心となっている為に、あまり彼の業務内容は分からなかった。
「ロシュ様は監視されながらひたすらデスクワークしてるよ」
「監視って、オーギュ様に?」
 リシェはこくりと頷いた。現在のロシュには分かりやすい場所に堕落の証が付いているというのもあり、他者には姿を見せる訳にもいかないのだ。
 国を象徴する司聖の顔に堕落の証明が付いたとなれば、大問題になってしまう。否応無しに彼の地位は転落し、追放処分になりかねない。
 彼が聡明で優しく愛されている故に、その反発は避けられないだろう。それが自分ではどうにもならない事故であっても。
「ふふ、少しでも動くとめちゃくちゃキレそうだよね、オーギュ様は」
 スティレンはオーギュが怒り出すイメージを脳内に起こしながら吹き出す。冷たそうな外見がそうさせてしまうのか、厳しい印象が強いようだ。
「むしろお前にも厳しいんじゃないの?」
 普段の顔を良く知っているであろうリシェに、スティレンは問う。
 大聖堂のお偉いさんの話は、滅多に聞く事も無いだけにラスも少しばかり興味があった。
「いや、そんな事は無い。逆にオーギュ様は周りに振り回されてると思う」
 今まで散々ロシュやヴェスカを相手に、彼が相当な苦労をしてきたのを思い出したリシェは、スティレンの疑問を否定した。
 あまりにも周囲が自由過ぎて、内心同情すらしてしまう程。
「へぇ…そうなの?あまり想像出来ないね」
 中庭に足を踏み入れ、目的のカフェテラスが立ち並ぶエリアへと向かう。来客者が多い分、それぞれの店ごとに注文待ちをする人波も見受けられた。
 スティレンはそれを見るなり綺麗な顔を顰めて「うへぇ」と面倒そうな顔を見せる。待つのがとにかく嫌なタイプの彼は、すぐに注文してすぐに食べたいのだ。
「この分だと注文するにも並ばなきゃいけないじゃない」
「当たり前でしょ。でも席取りしてくれるならスティレンの分も注文してくるよ」
 ラスは上手なスティレンの使い方をする。
 それを見ていたリシェはなるほどなと少し感心した。今までの付き合いで、自分だけは楽をしたい彼の性質を良く見抜いているようだ。
「じゃあ俺、場所取りするからさ。代わりに注文してよ」
「分かった。何にする?飲み物は紅茶でいいよね?」
 スティレンが席を探し場所を確保する間、ラスとリシェは共に目的の露店に並び注文待ちをする事にした。
 様々な人種が混じり合う人混みの中、ラスとリシェは店舗ごとのメニューを品定めして興味を持った露店の順番待ちに参加する。
 ラスは新作の巨大ホットドッグと銘打った商品をひどく気にしたようで、リシェに一緒に食べませんか?と誘った。
 ホットドッグは普段の一人用のサイズより二倍程長く、中のロングウィンナーも大きめで三本並べて入っている。
 おまけのようにマスタードにケチャップ、更にはチリソースも絡めており、なかなか食べ応えもある。
 一人で食べるには至難の業だが、二人で食べるなら代金も折半して安上がりになるのだ。
「お前、一番それが食べたかったのか」
「先輩と食べたかったんです」
 ラスは自分より小さなリシェの顔を覗き込むように見る。
「こうしてるとデートみたいじゃないですか、先輩?」
 まだ彼が好きなラスは軽く冷やかすような言葉を放っていた。リシェは少し困った顔をしながら馬鹿な事を、と呟いて自分の財布の中を確認する。
 あまり持ち歩く主義では無い彼は、最低限の金額しか入れていない。そもそも贅沢が出来る環境下に居ながら粗末な生活を強いられてきたリシェにとって、散財をするという概念は持っていなかった。
「お金に不安だったらいくらか多めに出しますけど…」
「いや、大丈夫だ。どの位持ってたか不安だっただけで」
「先輩って何にお金掛けるんですか?」
「俺か?」
 こくりとラスは頷いた。
 あまり贅沢をする訳でも無く、趣味は読書位の地味なリシェ。気に入った物をコレクションしているという話も聞いた事が無い。
 彼の私室に入った事があるスティレンから聞いた話によれば、部屋には大きめのクマのぬいぐるみをロシュから買って貰い添い寝しているという事だけ。
「あまり買い物をしないからな」
「欲しい物とかは無いんですか?」
「本は図書館で借りるし…困ったら服とか買う位かな…あとは研ぎ石とか」
 要はあまり物欲が無いらしい。
 しかも研ぎ石とか。いかにも剣士なリシェの言葉に、ラスはついふっと吹き出した。
「何か?」
「いや…先輩らしいなぁって」
 順番待ちの時間が徐々に減りつつあった。気付けばもう真っ正面に店のカウンターが迫っている。注文の準備と、他に目ぼしいものがあれば追加しようとメニューを探った。
 リシェはスティレンはどこで席を確保したのか気になり周辺を見回す。
「あいつは…」
 それ程遠くない場所で、堂々と陣取っている姿を確認し、あまりにも態度の大きさに呆れながら「何をするにも偉そうだな」とぼそりと呟いていた。

 その日の夜。
 一日の過程を終えたリシェが大聖堂内の司聖の塔へ戻り、いつもの様に主人に帰宅の挨拶をしに行くと、そこにはしょげている様子のロシュが書類の束に覆われた書斎机に突っ伏していた。
 オーギュは既に帰ったようだ。
「只今戻りました、ロシュ様…」
 ロシュはリシェの声に顔を上げると、お帰りなさいぃ…と脱力したように返事をする。その立場には相応しくないだらしない様相だが、これがロシュの普通の姿だ。
 何かあったのだろうかとリシェは首を傾げた。
「どうかされましたか?」
「頰の証は臨時で消せるようになりました」
 顔を上げた彼の顔は、朝方見た時とは違って元通りになっていた。リシェはわあ、と声を上げる。
「凄い。ロシュ様、消えています。良かったですね」
「ただね、司祭に戻り司聖に返り咲くには自分の司祭としての能力より上の人に協力が必要となるのです」
「はあ…」
 ロシュ以上の能力が上の人物?とリシェは目を丸くする。それならば、かなり制限されてしまうのでは…と頭の中で該当する人物を想像した。
 司祭で能力が高い者となれば、もう大司聖様位しか思いつかないリシェ。それが一般的な考えだった。
「本当はね、オーギュに頼みたかったんですよ。ですがあの人は魔導師でしょう?無理ですと突っぱねられましてねぇ…」
「でも他にいらっしゃるんですか?司祭としてって…」
「居ますよ。居るんですけどねぇ…レナンシェがね…」
「あの人ですか…」
 ベルトに付けられていた剣や小物入れを外し、身軽になったリシェは乗り気で無いロシュの心境を察すると、彼の気分を解す為に手洗いを済ませて紅茶の用意を始めた。
 司祭関係の話は素人の自分には分からないものの、同行する相手がレナンシェとなると若干不穏めいたものを感じてしまう。
 前に散々な目に遭わされたせいもあるかもしれない。
 過去に彼は自分を城下街外れの廃墟に誘い込むと、出られないように閉じ込めてきた前科がある。
 その行為が嫉妬からくるものだと分かったのは、ロシュが助けに来た際、彼が強引に唇を奪った時だ。レナンシェは昔からの付き合いであるロシュに並々ならぬ気持ちを抱き続けていた。
 だから隣国シャンクレイスから出て来た自分に対して離そうとしたのだろう。
 国家転覆を企てる危険性がある、と。
 確かに彼の言い分は分からなくも無い。隣国から出て来た人間を側に置き、しかも自分の護衛として役目を与えたロシュの神経も疑うだろう。
 過去の出来事を思い出し、リシェは目を伏せた。
 存分に温まったポットの湯に茶葉を入れてしばらく置く。
「ロシュ様」
「はい…?」
 芳しい香りに包まれながら、リシェはロシュの方へ顔を向ける。
「俺も同行してはいけませんか?」
「え」
「あの、そんなに不安でしたら…」
「いいのですか、リシェ?」
「はい」
 自分が同行する事で、レナンシェの自分に対する疑いも解消するかもしれないし、何より主人のロシュの不安も無くなるだろう。
 リシェはトレイに出来上がった紅茶のカップを乗せ、ロシュの元へ近付くと、どうぞと彼に勧めた。
「ありがとうございます、リシェ」
 甘い香りを堪能した後、ゆっくりと喉に通す。
「美味しいです」
 ある程度飲み込むとロシュは側に居るリシェを引っ張り自分の膝の上に乗せた。わわ、とバランスを崩しながらもリシェは彼の腕の中に包まれた。
「あの!ろ、ロシュ様」
「はい、リシェ?」
「多分、俺今は埃っぽいので」
 突然の密着に慌てるリシェは、すぐ目の前で見下ろしてくるロシュに対し首をひたすら振りながら両腕を前に突き出す。
 任務後なのでそれなりにくたびれた状況なのだ。
「大丈夫ですよ。ほら、最近こうして可愛がって無かったなあと…」
 旅先でもチャンスが無かったし、とやや拗ねる。
「えっ、いや、あの…やっ」
 拗ねながらロシュはぷちぷちとリシェの制服のボタンを外し始めていた。慌てるリシェは「駄目です!」と懸命に首を振る。
 確かに全くそのような行動はしていない。
 だがあまりにも突然ではないだろうか。
「紅茶がっ、冷めてしまいます!」
 密着しようとするロシュに、ついリシェは顔を真っ赤にしてしまう。その美しく整った顔を正視出来ず目を逸らしてしまう。
 そんな彼の服の中に手を忍ばせながら、ロシュは軽く額に口付けをした。
「や…やめ…っあ…」
 額に落ちていく唇は少しずつ移動していく。ロシュはリシェが淹れた紅茶を口に含んだ後、彼に口移しでそれを飲ませた。生温かい紅茶が口内に入り込み、リシェは軽く呻き声を漏らす。
 ぴくん、と眉を寄せながらそれを受け入れていくが、数滴唇の端から漏れてしまった。
「んく…っ、ん、んん」
 ふあ…と顔を紅潮させながら愛撫を受け入れて身を震わせている。
 ロシュは唇を離し、弱るリシェの様を見てゾクゾクした。
「もう…リシェったら。少し触れただけでもうここまで仕上がってしまうなんて」
「うぅ…っ!!」
 ひたすら我慢する小さな剣士。涙目のままでひくひくと震えながら不安げにこちらを見上げる様子に、ロシュはつい困ったように微笑んだ。
 そんなに怖がらなくても、と。
「別に食べようとしてる訳じゃないのですよ」
 すり、とリシェを引き寄せたまま頬擦りする。しかしリシェはきゅうっと目を閉じながら身を固くしていた。
 今まで数回は経験してきたのに、やはり慣れないようだ。
「寂しかったでしょう?」
 椅子を軋ませ、ロシュは更にリシェの体を探り始める。
 触れるたびに聞こえてくるリシェの甘い悲鳴を耳にしながら、ロシュは「全然可愛がってあげられませんでしたからね」と艶かしく微笑むと、慈しむように彼を抱き締めた。

 くったりとロシュの柔らかなベッドに寝かされ、全身の火照りを夜風を浴びながら鎮めているリシェは「その司祭の資格はどうやって取り戻すのですか?」と問う。
「専門外なので分からなくて」
 艶やかなバスローブを身に纏い、肩までの長い髪を後ろに縛ったロシュは優しい目を向けながら横たわるリシェの頭を撫でた。
「資格を取り戻す事は簡単ですよ。自分より能力が高い相手が良しとすれば認めてくれます。まあ、元々その過程は通過しているので何ら問題は無いんですけどね…むしろ手間取るのは司聖の方ですかねぇ…」
「そうなのですか?」
 数十分前までロシュに散々抱かれたせいもあり、声を上げ過ぎて喉に違和感を感じる。何度か彼の掠れた声を聞いたロシュはちょっと待って下さいねとリシェの額を撫でるとベッドから降りた。
「ロシュ様?」
「ああ、そのままでいいですよ。久しぶりにあなたに無茶をさせちゃいましたからねぇ…体もですが喉が痛むでしょう?」
 先程の情事を思い出し、リシェは全身が再び熱くなった。
 顔を真っ赤にしながら「そんな事はありません」と布団を上げて顔半分まで隠そうとする。体力には自信があったが、散々ロシュに弄ばれたせいかくたくたになっている。それなのに向こうは疲れ果てる所か、生気を得たようにかなりピンピンしていた。
 恥ずかしい記憶を思い出して布団の中で体を丸くしていると、やがてロシュの優しい声が頭上に降り注いできた。
「リシェ」
「は、はい…」
 リラックス効果が期待出来そうな香りが染み付く布団から顔を少しだけ出し、リシェはロシュの声に応じる。
「さあ、体を起こして。蜂蜜入りのレモンティーですよ」
 言われるがままに上体を起こしてロシュからカップを受け取る。程よく温かさと、甘酸っぱい匂いのする紅茶を数口飲み切った後、嬉しそうに「美味しいです」と呟いた。
 ロシュはリシェの体を抱き寄せ、彼の艶やかな黒い髪に指先を絡める。
「疲れたでしょう。ごめんなさいね、リシェ。あなたを見ているとつい強く可愛がってしまいます」
 彼を抱く度に反省するのだが、その甲斐なくロシュはリシェに無茶振りを強いてしまう。
 とにかく自分のものにしたくて盲目になりがちなのだ。
「前に魔書の処分に利用した場所があるでしょう?」
「魔書…ああ、大聖堂の地下にある泉ですか?」
 管理人がやたら喧しいイメージかある。
 浄化しに同行した際にゾロゾロ連れてくるなと怒鳴られた記憶しか無い。
 頑丈な格子で閉ざされ管理されているその先には、清らかな水が渾々と湧いているだけだった。
 その他に何かあっただろうか。リシェはどうにか思いだそうとしたが、水のイメージが強くて他に目立ったものが無いような気がした。もしかしたら、別のフロアに繋がる隠し通路があったのかもしれない。
「ロシュ様」
「何でしょう?」
 ロシュはリシェの頭をひたすら撫でながら聞き返した。
「思い出す限り、水しか無かった気がするんですが…他に何か通路とかありましたっけ…」
 狭いスペースと、そのフロアの中心で湧き続ける聖なる水。聖なる場とは言うものの、大聖堂の荘厳さとは打って変わって地味で質素な場所。
 頑丈に閉ざされた空間という印象を払拭出来ず、ロシュに疑問を呈する。
 にっこりと穏やかな笑みを浮かべたまま、ロシュは「ありますよ」と返した。
「あるんですか?」
「ええ。ぱっと見て分からないのも無理はありませんけどねえ。司聖になる為には、あの泉の奥に入らなければならないのですよ」
 そう普通に答えてはくれたが、リシェには全く理解出来なかった。その言葉を頭で吸収し、どうにか理解出来そうになった瞬間に彼は「……ん?」と改めて聞き返す。
「泉の奥?」
 やはり意味が分からない。中心部に石碑のようなものがあったかもしれないが、扉があった記憶が無かった。
「そうです。泉の奥…あの水の奥底にあるんです。司聖に戻る為には、再度そこに行かなければ完全にクリア出来ません」
 泉の奥というのはそういう意味だったのか。
 自分の予想を遥かに超えた答えに、リシェは口を大きく開いて驚いてしまった。
「あの水溜りの中にあるんですか」
「ええ、ありますよ。結構深い場所にあるんですけど、同行した司祭からの加護を受けて入るのでそこまで苦しさはありません。まぁ、少しばかり負荷がかかるくらいでね…」
「…あぁ…だからロシュ様のお力と同等の能力を持つ司祭が、それ以上の能力を持つ方がご一緒でないと無理なのですね」
 何故同行するのが他の一般の司祭ではなく、レナンシェなのかと思っていた。
「司祭の魔力に違いがあれば、与える加護の力も偏ってしまいます。あの人の能力は私以上ですから、その分安心して加護を貰えるのですよ。逆に与える方の力が弱過ぎると、泉の中で動ける時間が少なくなってしまう。自分より強力な魔力を持つ司祭から加護を受ける事によって、存分に泉の中で動きやすくなるのです」
「それは司祭様でなければいけないのですね」
「本当はオーギュにお願いしたかったんですけどねえ…彼は司祭でもなければ、泉に入る為の加護を与えてくれる魔法も持っていませんから。…はぁ」
 説明した後に、心底嫌なのかロシュは深い溜息を吐く。
 リシェはそんな彼の背中を優しくさすると「俺も付いていきますから」と慰めた。
 ありがたい言葉を貰い、ロシュはリシェの華奢な体を抱き締めて頬擦りをする。久しぶりにこうしていられるのがたまらなく嬉しかったのと、健気な彼の申し出が心に染みる。
「ありがとうございます、リシェ。嬉しいです…」
「俺もあなたのお役に少しでも立てられたら幸せです、ロシュ様」
 リシェもそんな主人を抱き返し、心地良さそうな表情で言った。

「おや…お久しぶりですね、オーギュ様。ようやくお仕事がひと段落したんですか?」
 リンデルロームから帰還後、溜まっていた作業や仕事を片付ける為にずっと司聖の塔に缶詰状態だったオーギュは、僅かな空き時間を作りアストレーゼン内の中庭にあるカフェテラスでお茶の時間を楽しもうとしていた。
 旧知の仲で、彼の性格も熟知しているものの延々とロシュの側に付いているのもきつい。恐らく向こうも同じ事を考えているに違いなかった。
 とりあえず休憩を入れましょう、と詰め込みすぎた作業を強引に止め、お互い休憩をする事にしたのだ。
 ロシュの堕落の証も臨時とはいえ消せる事も出来るし、いちいち見張らなくても済む。むしろあなたも外に出なさいと気分転換を勧めていた。
 一日位は完全に休暇の日を入れた方がいいかもしれないなと思っていると、露店の店主に声をかけられたのだった。
「ええ。お休みしていた分、少しでも仕事を消化しようと思っていたんですが、旅の疲れもあってか集中力が無くなってしまって。ロシュ様は泣き言しか言わなくなってきたのでこれはいけないと思いまして…まぁ終わりの目処が立ちそうな案件も出てきましたし」
「そりゃいけない。ずっと仕事ばかりだと頭も働かなくなるでしょう。今日は甘い物込みでコーヒーでも如何ですか?」
 恰幅の良い店主は、稀にだが立ち寄ってくれる彼の好みを十分熟知していた。普段仕事が立て込む場合が多くあまり店に立ち寄らないが、忘れた頃にふらっと来てくれるので逆に好みを覚えてしまうのだ。
 しかもロシュ同様、彼はぱっと見て人の目を引き付ける容姿を持っている。
 その冷たそうな外見の為に話しかけ難いが、遠くで眺めたくなる雰囲気。そんな彼は甘いものが好物で、コーヒーの苦味を味わいながらデザートを食べるのが好きなのだ。
 店主の提案を受け、オーギュはふふっと眼鏡の奥の切れ長の瞳を緩ませた。
「ええ、お任せしてもいいですか?」
「勿論ですよ。ではコーヒーもご用意しますね。いい豆が最近入ってきたんですよ」
「そうなんですね。ちょうど良かった、お願いします」
 新種のコーヒーを、しかも淹れたてで飲めるのは実に運がいい。オーギュは期待しながら席に着いて待つ事にした。
 こうしてゆったりとした時間を過ごせるのはいつ振りだろうか。
 自分の中に居るファブロスは、部屋の庭で日向ぼっこがしたいと言って朝から庭先で寛いでいて今は完全に単独行動を取っている。たまに何かに慌てながらこちらに話しかけてくる時もあったが、大抵何かのやり方が分からないとか、人間の生活に関わるものばかりだった。
 丁寧に解説を交えてきちんと対処出来るように教えていくにつれ、自分でも難無くこなせるようになっている。
 店主はコーヒーと一緒にデザート込みのセットをトレイに乗せながら「お待たせしました」とにこやかに席に近付いて来た。ふわりと漂う豆の香りに、オーギュはついいい香りですねと口元を緩ませる。
「お待たせしました。セットのケーキはフルーツタルトです。イチゴとキウイと桃にマンゴー、バナナ。あとはブルーベリーですね。仕入れによって中味が変化しますけど、今日は余分にイチゴが入って来たのでねぇ。オマケとしてホワイトプリンのイチゴソース掛けをお持ちしました」
「おや、宜しいのですか?お代、その分もお支払いしますよ」
「いえいえ。これはサービスですから」
 ガラスの器に入ったプリンは小さめのサイズだが、がっつりめのタルトと一緒に食べる分にはちょうど良い大きさだった。
 ここまでご馳走レベルのデザートにありつけるのもまず無い経験だろう。オーギュは店主にお礼を告げると、「それでは有り難くいただきます」と頭を下げた。
「ええ、ごゆっくりお寛ぎ下さい。食べおわったらそのままで構いませんよ」
「ふふ…お片付け位はさせて下さい」
 店主が仕事に戻って行くと同時に、オーギュはフルーツタルトにフォークを入れた。ややしっかりした生地で、若干力を入れて切り分ける。
 ずっしりとしたフルーツの山が土台から溢れるのを見ながら、オーギュはほうっと軽く溜息を吐いた。
 やはりコーヒーと一緒に食べる甘味は素晴らしい。
 渋みのあるこの香りにくっついてくる甘ったるいケーキの香りの組み合わせ。そしてそれぞれ口に入れた時の、コーヒーの苦味の後を追いかけるような甘酸っぱい味が堪らなく好きなのだ。
 こうしていると追われる日常の事を忘れられた。
 大聖堂内を行き交う人々を眺めながら、まったりとした時間を堪能出来るのがいい。何か本でも持ち寄れば良かったなと少し反省する。
 いい時間を過ごせそうだとコーヒーカップに唇を付けると同時に、「ヴェスカさぁああん!」という甘える女の声が耳に飛び込んできた。
 ぐっ、と飲んでいた液体を詰まらせる。
「ヴェスカさん、久しぶり!もぅ、最近こっちに来てくれなかったからどうしたのかなぁって心配してたんだよぉ」
 何でこっちに来ているのだろうか、と思いながら声がする方向から顔を逸らす。
 見つかるときっとうるさいだろう。
「おぉ、久しぶり!任務とか色々あってさ。ずっと兵舎に篭りっきりだったんだよ」
 何度かチラッと見ては、こっちに気付かないでくれとハラハラしながら願った。折角ゆっくり過ごしているのだ。いらない邪魔をしないで欲しい。
 宮廷剣士の黒い制服を、その大きな体できっちりと着こなしているヴェスカは、大聖堂お抱えの裁縫師専用の衣装を身に纏った若い女達に囲まれながら笑顔を向けている。
 こうして見れば、彼は女受けしそうな容姿を持っているなと思った。身長もあれば体型もがっちりしていて色黒。愛想も無駄にいいので異性にとっては非常に話しかけやすい要素を持っている。
 女性達に囲まれながら会話をしているのを見ていると、何とも複雑な心境に陥ってきた。
なんだあいつは、という妙に突っ掛かったような心境。
 早くどこかに行ってくれないものか。
 彼は無駄に謎の嗅覚も備わっているので気付かれる可能性も高い。ゆっくりコーヒーを楽しみたいのに、何故タイミング良くそこにいるのだと思った。
「今日はあたしとお話してくれるぅ?」
「ちょっと、何独り占めしようとしてんの?ヴェスカさん、うちらと一緒にお茶しよ?」
 …今までこうしてたらし込んでいたのだろうか。
 会話を聞きたくなくても、どうしても耳に入り込んでくる。軟派な性質だとは思っていたのだが、いい年して全く落ち着かない様子にオーギュは頭を抱えたくなってくる。
「うーん、今日はほら、単に昼のご飯の分を買いにきただけなんだ。最近忙しくてさぁ…気持ちは嬉しいけど、また後で頼むよ」
「えぇええ…折角会ったのにぃ」
 残念がる様子の声。ほいほい着いて行きそうな気がしただけに、その返事は意外だった。
 パラソルの下、オーギュはゆっくりとタルトのフルーツにフォークを立てる。このままこちらに気付かず何処かに行って欲しい、と思っていたその時。
 涼しげな風と共に、目の前に影が過ぎり暗くなった。
 ん?とフルーツを見ていたオーギュは顔をひょいと上げた。そして同時にぎくりと顔を引き攣らせる。
「オーギュ様!!」
 無言のままだったので、彼が自分に近付いてきたとは思いもしなかった。
 ヴェスカは囲いの女性らと一緒に目の前に立っていた。
「…何か御用ですか!」
 引き気味にヴェスカに言う。彼はやけに嬉しそうな顔で「会いたかった!!」と質問と噛み合わない言葉を言い放つ。
「大聖堂に戻ったら顔を合わせるのも限られてくるだろ?ロシュ様と一緒に仕事してるだろうし…なかなか会えなくてどうかしそうだったよ!!」
 こちらは折角の一人時間の邪魔をされてどうかしそうだと彼から顔を逸らして舌打ちする。
「わ…オーギュ様、ご機嫌麗しゅうございますぅ」
「ヴェスカ、オーギュ様と知り合いなのぉ?」
 周りの女性達には罪は無いが、ヴェスカを引き連れて何処かへ行って欲しい。
 華やぐ女性達の声に対しオーギュは営業用の笑顔を向けながら「彼には良く護衛を頼んでいるのですよ」と説明する。
 普段は間近で目にしない人間が眼前に居る事で、彼女らは目を輝かせて惚けた表情をしていた。
「そうだったの?もう、ヴェスカったら何も言わないんだからぁ」
 身をくねらせながら女性陣は口々にヴェスカに言う。
「いや、ほら、仕事だからさ。あまり口には出せないだろ?」
 一人で過ごしたいというのに何故ギャラリーを連れて近付いてくるのか。単独ならまだいいものの、人数が居るとかえって落ち着かない。
「…あの、ヴェスカ。私は休憩中なのでこの方達のエスコートはあなたがなさって下さいよ」
「そんな、俺はあんたと久し振りに会ってめちゃくちゃ嬉しいのにさ」
 こちらは休憩を楽しみたいんだっていうのに。
 話の通じない相手に対してオーギュは心の中で毒付く。他の連れ合いが居る為に強く邪魔だとも言いにくい。
 頭を掻きながら、丁寧にヴェスカに続ける。
「私は久し振りに単独で休憩したいんですよ。空き時間をようやく作って今ここで休憩をしているのです。何も考えずに休みたい時なんです。あなたはこちらのお嬢様方とお話しているのでしょう?寂しがらせてはいけませんよ」
 女性達を立てながら、分かりやすいように説明する。
 ヴェスカは彼女達に目を向けると、申し訳無さそうに「ごめん」と謝る。彼女達はヴェスカを見上げた。
「俺、オーギュ様と話したい事があるからさ。後で好きなだけ付き合うから外して貰ってもいい?」
 好きなだけ付き合う、という発言を受け、女性陣は「そーぉ?」と少しがっかりしたようだが埋め合わせをするという文言に納得したらしい。
「分かったわ、ヴェスカ。あとでちゃんと付き合ってよね!」
「絶対よぉ、ヴェスカさぁん」
 ええ…と話を聞いていたオーギュは嫌そうな顔をしていた。自分は彼女らを連れて何処かに行ってくれと言いたかったのだ。
 それなのに何故自分だけここに残ろうとしているのか。
 女性陣が大人しく引き下がったのを見送った後、ヴェスカは満面の笑みでオーギュの向かい側の椅子にどっかりと腰を下ろす。
「…何なんですかあなたは」
「んえ?」
 ロシュといいヴェスカといい、おかしな返事をするのが流行っているのだろうか。
「人の話を聞いてましたか?私は一人で過ごしたいのです。何であなたがここに残るんですか」
 不機嫌そうなオーギュに対し、久し振りに彼に会った事で上機嫌なヴェスカは「あんたと一緒に居たいからさぁ」と普通に言い放つ。
 やっと得た安らぎの時間なのに。
「私の意見とあなたの意見は全く合致しませんね」
「そうかぁ?あんたは俺に会えて嬉しくねぇの?」
「全く嬉しくありません」
 言いながらタルトのフルーツを口にする。機嫌悪そうな顔をしながら甘いタルトを食べるオーギュが妙に可愛く見えたらしく、ヴェスカはふふっと吹き出してしまった。
「何ですか」
「いや、オーギュ様って顔に似合わず甘い物好きなんだなあって…」
「いけませんか?」
「いいや、悪くは無いけど。ほら、意外だなって思ったんだよ」
 無言でキウイの断片を口に含む。
 ヴェスカはにこやかにその様子を眺めていた。
「気が散ります。どこかに行って下さい」
「そんな事言うなよ。散々抱き合った仲だろ?」
「……んぐっ!!!」
 突拍子の無い発言に、オーギュは食べていたものを喉に詰まらせてしまった。激しく咳き込み、身を少し曲げて呼吸を整える。
 いきなり通常の会話に練り込まないで欲しい。
 苦しさに涙目になりながら、オーギュは忌々しげにヴェスカを見上げる。
「…何なんですかあなたは!」
「んー?あまりにもあんたが突っぱねるからさ。あの時はめちゃくちゃ可愛げあったのになあって」
 なるべく思い出したくないのだ。
 懺悔室での一件といい、リンデルロームでの事といい。
 特に懺悔室での行為など、半ば強引にされたと言ってもおかしくはない。あれ以降、出来れば避けたい場所になってしまう位恥の記憶として頭に刻み込まれていた。
「可愛げなど無くて結構ですよ!」
 同性相手に何を言い出すのか。
 ふいっとヴェスカから顔を逸らし吐き捨てるように言う。
「オーギュ様」
 彼の呼びかけに、ぴくりとこめかみが動いた。
「俺さ」
「…何ですか」
「あんたを組み敷いた時にかなり興奮したんだ。ヤバい位。ほら、よく言うじゃん?支配欲だっけ。俺、めちゃくちゃドSなんだよ。だから分かる気がするんだけど、オーギュ様ってSっぽく見えても底抜けのドMだと思う」
 どぎつい言葉を受けたオーギュは、ヴェスカを前に顔を真っ赤にして言葉を失ってしまった。
 フォークを握っている手がカタカタと震えだす。
「な…っ、何…」
 司聖補佐の立場である自分に対して、相当失礼な発言だと思わないのだろうか。
 ヴェスカはやや照れ臭そうに「ほら」と笑う。
「図星じゃなきゃそんな反応しねぇぞ。めっちゃ動揺してんじゃん。俺の言う事が的外れなら、顔を真っ赤にしないからな」
「こんな場所で言う言葉では無いでしょう!」
「…そりゃそうだ。まあ、あんたさえ良ければいつでも抱いてやるよ。ファブロスだけじゃ物足りなかったらな。何なら二人がかりであんたをネチネチと可愛がるのも良いな」
「……!!!」
 その酷く強烈な発言に、オーギュは全身が熱くなった。
 一瞬だけ想像してしまい、甘美な欲望を抱いた自分を恥じる。それを払拭しながら顔を上げ、冗談じゃ無いですと拒否した。
「例えばの話だよ。間に受けんなよな」
 彼は軽い調子でオーギュが食べているタルトのマンゴーを摘み食いする。
 勝手に食うな、とオーギュは思った。
 セリフの過激さとはかけ離れたヴェスカの無邪気な笑顔。
「馬鹿にしてるんですか…」
 恥ずかしい。
 とにかく、真に受けそうになった自分が恥ずかしくなった。穴があれば入りたくなる程に。
「俺はあんたが好き。ファブロスもあんたを慕ってる。それならさぁ、もう妥協してあんたを一緒に好きでいいんじゃね?って思ったの。なら無駄にやきもちなんか妬かなくていい。ま、あんたは大変だろうけどな」
「変な事を言わないで下さい!」
 再びヴェスカの手が伸び、勝手にフルーツを持って行くのを見てオーギュは反射的に「食べるな!」と怒った。
 それでも全く気にしないヴェスカはまぁまぁと宥める。
「そういえばファブロスは?」
 いつもうろうろしているはずの召喚獣が居ない事を思い出し、コーヒーで口の中の甘味を消している主人に聞いた。
「部屋でのんびりしていますよ。私の中にずっと居るのも窮屈でしょうから、大聖堂に居るうちはなるべく分離しているのです」
 彼が戻ろうと思えば戻れるので、付くか離れるかは本人に任せていた。
「そっか。まぁ、ずっと中に居るのもきついだろうしな」
 その間、オーギュはコーヒーとタルトを完食する。
 御馳走様でした、と一言添えながらトレイを店側に持って行った。食後に一杯の冷たいミントティーのサービスを受けた後、再びヴェスカの元に戻って来る。
「はぁ、すっきりした。私はこれで失礼します」
「えええ、帰るの?」
 まだ帰りはしないが、何をしてくるか分からない相手と一緒に居たくないのが本音。
「…俺はまだ一緒に居たいんだけどなぁ」
「あなたも忙しいでしょうに。それにお昼ご飯を買いにここに来たんじゃないんですか?」
「そりゃそうだけどさぁ…」
 相変わらずの難攻不落っぷりを披露するオーギュに対し、ヴェスカは少し膨れた。とにかく相手は堅物で、ガードが強い。
 今までの自分の行動を振り返れば、彼が警戒するのも無理は無い気がするが。
 最初に抱いた際に付けられた背中の爪の跡は完全に癒えたが、記憶は顔を合わせる度に鮮明に思い出す。冷静な顔が羞恥と屈辱、快楽に支配され歪むのを目の当たりにすると、とにかく彼を抱き潰したくて堪らなくなった。
 自分の下に組み敷かれ、完全に弱まったオーギュを見たい。そう思うのは、流石に不躾で悪い事なのだろうか。
 あまり考えては、オーギュに失礼になる。ヴェスカは話を敢えて別の話に切り替える。
 このままだと彼を襲ってしまいそうで。
「今度またあの大聖堂から離れた高台に行こう」
「……え?」
「ほらぁ、行ったじゃんこの前。あんたは悠々と魔法で空飛んでったけどさあ。大聖堂から城下を見渡せるあの穴場だよ」
 何の事だろうかと思っていたオーギュだったが、ヴェスカに分かりやすく説明されて「あ」と声を上げる。そういえば大聖堂の外れに小さな高台があったなと思い出す。
 そこからの景色は、まるで自分達がアストレーゼンから切り離されているのではないかと思わずにはいられない程、全体が一望出来る素晴らしい場所だったのを覚えている。
 虫が苦手なくせに良く誘ってきたものだと思ったものだ。
 オーギュはふっと口元に笑みを浮かべると、「ええ」と返事をする。
「あの場所はとてもいい場所でした」
「だろ?また一緒に行こう」
 次は草だらけじゃなきゃいいけどなぁと苦笑いした。
「その時までどうにかして虫に慣れて下さい」
 虫を見つけるなりその体型に似合わない悲鳴を上げるのをどうにかしてくれれば、少しはマシになると思うのだが。オーギュの言葉に、ヴェスカは急激に萎縮する。
「それとこれとは話が別だと思う…」
 どうしても彼の虫嫌いはどうにもならないようだ。
 好き嫌いにも個人差があるので、こればかりはどうしようもないのは分かるものの、彼の虫に対する悲鳴だけはいただけなかった。
 とにかく喧しいのだ。
「あなたを持ってあの高台までは飛べませんからね」
「わ、分かってるって。ちゃんと階段上がっていくし」
 言葉を弱らせるヴェスカ。自分も飛べるものなら飛んで、鬱蒼とした草にまみれた階段をパスしたいのだ。
 ふ…と軽く笑いながらその辺は諦めなさいとオーギュは言った。
 その時、大聖堂に辿り着いた団体の旅行客が入って来る。
 遠方からこのアストレーゼンへ訪れる際には、危険を最小限にする為にそれぞれの街からまとまった人数でこちらにやって来るのがほとんどだったが、ちょうどこの時間に遠くの来訪者が到着したようだ。
「今日も沢山来客が来たようですね」
「ん?…ああ。そうだなぁ」
 見る所、フレンリッカ地方からの客人らしい。ガイドらしき職員の腕章の印で分かる。
 辿り着くと個別の行動となり、纏まっていた団体は散り散りに分散して行った。
「…おや。今日は単独行動かな、オーギュ」
 不意に聞こえて来た穏やかな低めの声に、オーギュは顔を即座に上げる。
 声の主を見るや、オーギュは丁寧に頭を下げた。
「レナンシェ殿。お早いご到着で」
「ロシュの一大事となればね」
 レナンシェは冗談混じりにそう言うと、一緒に居るヴェスカに目を向け、ふっと優しい目線を送る。
「こちらは君の知り合いかな?」
 自分よりも遥かに身分の高いであろう相手に、ヴェスカは椅子から立ち上がって丁寧に頭を下げる。
「ヴェスカ=クレイル=アレイヤードです」
「相当なベテランだとお見受けした。私はフレンリッカの教会で司祭をしているレナンシェ=アイシェス=エルゼリオといいます。今回はロシュの件でお邪魔しに参りました」
 お互い挨拶を済ませた後、オーギュはレナンシェに「宜しければ来賓用のお部屋までご案内しますよ」と申し出る。
 自分が思っていたよりも早くレナンシェが訪れたので、すぐに停泊する部屋の確保をしなければならない。
 彼が言うように、ロシュの一大事だからこそ早めに大聖堂まで来てくれたとすればそれなりの対応も求められる。
 ロシュが毎度言うように彼はとにかく掴みどころの無い性格をしていて、その心の内は何を考えているのか分からない節があった。
 常に軽い言葉使いをするが、立場では一般司祭の上の立場であり、その能力もロシュを凌駕する。にも関わらず司聖の地位に就く事無く一般の教会の長に就いた理由は、縛りのある生活を嫌ってとの事のようだが、ある方向からの噂では性格上に難ありという話も聞く。
 曇りの無い笑顔の裏側を知りたいとも思わないが、現状でロシュを救えるのは彼しか居ない。
 唯一頼れるのは彼だけなので、礼はしっかり尽くそうと思っていた。
「おや、悪いね…でもお話し中じゃなかったのかな?急に来てしまったこちらも悪い。図書館にちょっと寄ろうかと思っていたから、案内は後でも構わないよ」
「それではお部屋の手配をして参ります。レナンシェ殿が来られたらすぐお通しするように取り計らいますので、ごゆっくりと散策して頂ければ」
 気を使うオーギュに対し、レナンシェは相変わらずだねと軽く苦笑いすると「連絡も無しに早々と来てしまったのはこちらだからね」と言う。
「ゆっくり大聖堂の中を散策するよ。私の事は気にせずに休んでくれて構わない。休憩中だったんだろう?」
「もう少しで終わりますから、お気になさらずに…お荷物は大丈夫ですか?」
「ああ、大聖堂側の職員が私に気付いてすぐに荷物を預かってくれたからね」
 レナンシェはヴェスカをちらりと見ると、改めて軽く頭を下げた。
「お話中お邪魔して申し訳ありません。…では、私はこれにて失礼しよう」
 威厳漂う雰囲気に押されがちになり、ヴェスカはきちんとした返事をする事が出来ず若干硬直する。
 ロシュよりも明らかに年上で、しかも普通とは違うタイプの司祭だというのがはっきり分かるだけに、どう対応したらいいのか分からない。言うなれば、圧力に似た物だろう。
 何故か有無を言わさぬものを感じさせられる。
 ヴェスカはレナンシェに頭を下げたまま、意味の分からぬ重圧感を覚えていた。
「…っは…何なんだ、変な威圧感がしたわ。こっわ…」
 レナンシェが自分達から離れ、姿を消した後にヴェスカは胸元を押さえて思ったままの感想を述べた。
「あの人がロシュ様を治すって事?」
「ええ。あの方のご協力が無ければ、ロシュ様は司祭に戻れませんからね」
「へぇえ…やっぱり一般の人じゃ治せないのか…」
「まあ、レナンシェ殿は魔力に関してはあの人より高い力をお持ちですからね」
「だから変な感触がしたんだ。おっかねぇな」
 魔力を一切受け付けないはずなのだが、ヴェスカはレナンシェの内在する何かを感じ取ったのだろうか。
 そんな彼が、前回リシェを大聖堂外れの廃墟内に閉じ込めた事件の事をヴェスカが知れば、恐らく気分を害するに違いない。
 済んだ事を蒸し返す趣味も無いので、オーギュは言わないでおこうと思った。言った所で何のメリットも無い。
 喋らないでおくのが二人に対する礼儀だ。
「さぁ…私は先程言った通りあのお方のお部屋の手配に行ってきますよ。あなたはご自分の用を済ませては如何ですか?」
 軽食も済ませたのでもうここに居る用事も無い。オーギュはヴェスカにそう告げると、中庭内に設置されている大型の時計をちらりと見た。
「あぁ」
 ヴェスカも同じように時間を確認する。
 建物の壁伝いに設置されている時計は、中庭内に居る人々に良く見やすいように大きめの物を使っていた。司聖の塔から見える時計塔の物と全く同じデザインだが、それより一回り小さなサイズだ。
 金色の枠に囲まれ、秒針や刻まれている数字もデザイナーのこだわりが込められていて、実に洒落たデザインになっている。
 あと数十分で自分の休憩時間も終わりそうだ。早々と昼ご飯になる物を注文して兵舎に戻らなければ。
「そうだな。俺も戻らなきゃ…オーギュ様、また会おうな」
「………」
 また会おうと言われてもどう反応したらいいのか分からない、と複雑そうな表情をしていると、ヴェスカは「おいおい」と困った顔をする。
「もうちょっと反応してよ」
「どう返事をしたらいいのか分からなかっただけです」
「誰も居なかったらキスする所だった」
 どれだけ反応が欲しかったんですか…と呆れた。
 それでは、と一言添えてオーギュはそこから去って行く。
「何やるにも無駄に品があるのな…」
 その話し方といい立ち振る舞いといい、彼の育ちの良さを感じる。
 行動がスマートな彼の後ろ姿を見送るヴェスカは、名残惜しそうにしつつ自分との身分の違いを感じていた。

 休憩時間を使い、塔のすぐ真下にある厨房内で数種類のプリンを作って保存していたロシュは、部屋に戻りしばらく休んでいたリシェに対しそのプリンを持って来て貰ってもいいですか?と声をかけていた。
 ロシュは再び溜まったデスクワークの最中で、オーギュもキリキリしながら作業している。
 少しでも気分を上げようと作成していたのだろう。
 リシェは「はい、ロシュ様」と言うと早速部屋から出て行った。
 螺旋階段を降りて行く足音を聞きながら、オーギュは顔を上げてロシュに「休憩時間にわざわざデザートを作っていたんですか」と驚く。
 ロシュは目尻を緩ませながら頷いた。
「ええ。最近作っていませんでしたからね」
「てっきりお散歩とかしていたのかと思っていました」
「ふふ…大聖堂の催し物の参加予定を急遽キャンセルしてしまったようなものですからね。流石に表立って散歩なんて出来ませんよ。それに、甘い物は切羽詰まった気持ちを和らげてくれます。あなたも好物でしょうし」
 オーギュは作業していた手を止め、強張っていた全身を伸ばすために両腕を上げた。
 休憩の時間を得て気分転換したとはいえ、再び作業に入ると疲労が蓄積されてしまう。
「…頃合いを見て今日の業務を終わらせましょうか…」
「ご飯食べて行かれます?」
「…いえ、ファブロスが部屋で待っていますからね。昨日仕込んだローストビーフが食べたいから早く戻って来いって言ってますので」
 それは美味しそうだ、とロシュは微笑んだ。
 彼の話し振りからして、ファブロスは随分と人間としての生活に慣れきった様子だった。一つのちゃんとした人格として、十分に愛されているのだろう。
「ファブロスは幸せ者ですねえ」
「…だといいんですけど…むしろ窮屈ではないかと思ったりもするんですよね。そのうち健康診断もしておこうかと思うんですよ」
「健康診断…?」
 召喚獣として診て貰うのだろうか。
 一般的にはペットの枠組みになるのだろうが、類を見ないパターンだろう。ペットにしてはファブロスは大き過ぎるし、人に変化する事も出来る。
 …判別し難いのではないか。
「どこか診て貰う場所があるんですか?召喚獣だと専門のお医者様は居ないと思うんですけど…」
「一応元が獣なのでね…問い合わせしてみた所、一応診る事は可能らしいので動物系の方で診断して貰います。時間があればの話ですけど」
 警戒しやすい彼が、健康の為だからとはいえ診察を受け入れてくれるのだろうか。それが心配だ。
 召喚獣の健康診断など聞いた事が無いな…とぼんやり考えていると、階下の厨房へ向かっていたリシェが戻って来た。手にはしっかりとプリンが並んだ銀の器。そして、美味しそうなお菓子を目の前にしているには不釣り合いな位の不機嫌そうな表情を浮かべている。
「おかえりなさい、リシェ…」
 ロシュが椅子から立ち上がって彼を迎え入れるが、その背後に大きな背丈の男が一緒にくっついている事に気が付いた。
 ふっと優雅に微笑む司祭。
「やあ、ロシュ。君の様子を見に来たよ」
「随分と早い到着ですね。ありがとうございます」
「君の為なら居てもたってもいられなくてね」
 オーギュも突然部屋にやって来た来訪者を見るなり、すっくと立ち上がり頭を下げた。
「レナンシェ殿」
「相変わらず仕事の虫だね、オーギュ。この時間になっても真面目にロシュのお手伝いとは」
「ふふ、もうそろそろ引き上げますよ。もうちょっとで落ち着く仕事があるので」
 リシェは無言のまま器を保管出来る箱の中に突っ込んだ後、「戻る際に声をかけられたんです」とぶっきら棒に言った。
 彼が不愉快そうな様子を見せるのも、前回のレナンシェが起こした行動を考えれば無理も無い。
 どうしても嫌な記憶を思い起こしてしまうのだろう。
「俺、部屋に戻ります」
 リシェはチラッと来客に目をやったあと、ロシュにそう告げた。レナンシェはふっと微笑んだ後、おやおやと目を細める。
「目上の人に対する態度では無いねえ、リシェ君?」
 ちくりと突く言い方に、リシェは彼を見上げると警戒している様子で「どの口が」と小さく吐き捨てた。
「…積もるお話もあると思いますから」
 あまり顔を合わせたく無いのか、ふいっと彼から浴びせられる視線を回避するかの如く床に目を向け無難な言葉を返した。
 態度がどうとか指摘されたが、再会した際には最低限の挨拶はしたじゃないか、とリシェは思う。
 これ以上何の礼儀と尽くせと宣うのか。
「…レナンシェ。あまりリシェを刺激しないで下さい」
 見かねたロシュが彼を窘める。
 リシェを刺激しても何の得にもならないのに、いちいち突っかかってしまうのはどういうつもりなのだろうか。すぐに問い詰めたい衝動に駆られたが、ここはぐっと堪える。
「ふふふ、小さなライバルを刺激するのも大人げ無かったかな?すまないね、リシェ君?」
「………!!」
 反論したそうな顔をしていたが、リシェはぐっと堪えて「失礼します」と一言だけ告げて部屋から出ていってしまった。
 くっくっと笑いを堪えるレナンシェ。
「あなたはいつからそんなに性格が悪かったのですか?からかうのも程々にして下さいよ」
 あまりにも突っかかりが激しいので、むくれてしまったリシェのフォローをしなければならないではないか、とロシュは表情を曇らせた。
 レナンシェは少し意地悪そうに軽く笑うと、相変わらずだねと口にする。
「君の騎士様はまだまだお子様のようだ」
「いい加減にして下さいよ。あの子はあの子なりにしっかり大人になろうとしているんですから」
「おや…その発言から見るに、まだ君もあの子を子供扱いしているようだ。まぁ、あまり突っ掛からないようにしておこう。可哀想だからね」
 司祭同士の会話を聞きながら、オーギュは何故か溜息を吐いていた。
 わざと怒らせるように仕向けているかのようなレナンシェの発言に、ロシュは内心ハラハラしていたのだろう。
 リシェの立場上レナンシェに喧嘩を吹っかける訳にもいかない。天敵でもある相手からの嫌味を避けてさっさと部屋に戻ったのは、賢明な判断だと思った。
「…あなたも大概幼いと思いますけどね」
「可愛いからつい突いてみたくなるんだ。そこまで言うなら出来るだけしないようにしておこう。君の機嫌まで損ねたら大変だからね」
 ロシュは困った表情のままオーギュをちらりと見た。
「…ね?この人はこんな感じですから私は避けたかったんですよ」
「仕方無いでしょう?レナンシェ殿が一番の適役なのですから。一番信用出来るお方ですよ」
 能力の面に置いては、と心の中でオーギュは言った。
 性格上の面は自分には知った事ではない。この二人の過去にもそんなに興味は無いが、ロシュの方が後悔している風にも見えてくる。
 だが、それも自分の知った事ではなかった。
 レナンシェはロシュの思惑を知っていてか、わざと自分の姿を見せて反応を楽しんでいるようにも見える。実際彼のレナンシェに対する態度は一歩どころか数歩離れているかのようだった。
 性質はどちらも似たようなものかもしれない。
 ロシュは見ての通りだが、レナンシェも一目見れば彫りが深く渋みの増した紳士風の外見なのに、中身が変に残念だと思うのはどういう訳なのだろう。
 司祭の職に就いている人間はどこか変わっている傾向にあるのか、それともこの二人だけが特殊なのか。
 一括りにするのは司祭職に就いている者に申し訳無いので、とにかく彼らだけがおかしいのだと思いたい。
「オーギュは私を良く知っているね。ロシュを救えるのは私だけなんだから、ちょっとは遠方から来た来客に対して優しくしてくれてもいいのに」
「そういう事を自分から言う時点で信用出来ないんですよ。仮に何かしてくれたら、当然のように見返りを求めるでしょう…」
 げんなりとする様子でロシュは呟いていた。
「あなたもリシェに同じように見返りを求めるでしょう」
「それとこれとは話が違いますよ!」
 自分を棚に上げて声を張り上げるロシュ。レナンシェとは同列にされたくないのだろうが、結局同じだとオーギュは肩を落としていた。

 苛々する気持ちを落ち着かせようと、部屋に戻ったリシェはベッドに置いてあるクマのぬいぐるみを引っ張ると、しっかりと胸に抱いてそのままベッドに横になった。
 ふんわりといい香りと感触のそのぬいぐるみは、前にロシュが買ってくれたものだ。あまりにも柔らかく、抱き心地が良かったので気に入ってしまったものだ。
 ふっと瞼を伏せ、一息吐く。
 今のロシュを救えるのは自分ではなく、あのレナンシェしか居ないというのがもどかしい。今回の件でまた顔を合わせる羽目になるとは思わなかったが、ここはロシュの為に妥協するしかないのだ。
 いけすかない相手だと思っていても、自分なんかよりも立場は上で、しかもロシュの事を良く知っている。
「…うぅ」
 ぬいぐるみをぎゅうっと抱き締めながら呻く。
 思い出すだけで心が騒ついてしまう。あの廃墟に閉じ込められた際の棘のある物言いや、こちらを完全に敵視しているような扱いを忘れてはいない。
 自分がまだ未熟だからこそそのような態度に出ていたのだろうが、やられた側にとっては屈辱的だった。しかも目の前で最愛のロシュの唇を奪うとは、何と根性が悪いのだろう。
 完全に舐めている様子ではないか。
 もやもやしながらごろんとベッドに転がっていると、部屋の扉がノックされた。
「…リシェ、リシェ。開けていいですか?」
 その優しい声を耳にした瞬間、リシェはがばっと上体を起こして「はい!」と返した。
「リシェ、プリンを持ってきましたよ。あとはちょっとしたお菓子。温かいお茶もご一緒にどうぞ」
 こちらの気持ちを察しての事だろうか。ロシュは変わらぬ優しい微笑みと共に、先程自分が階下の厨房から持ってきたプリンや飲み物を持ち寄って入って来る。
「…ありがとうございます」
「こちらに置きますね」
 いつも読書用に利用している机の上にトレイごと置く。
 落ち着いたお茶の香りが室内に充満した。
「リシェ」
「はい、ロシュ様」
 ロシュは自分の前に近付いて来たリシェの頭を優しく撫でると、「ごめんなさいね」と謝る。
「?」
「あの人は他の人を揶揄う癖があるので…決して悪気があっての事では無いのです」
「…はい。悪気があるかどうかは分かりませんけど気にしないように心掛けます。あの人は俺がロシュ様の側に居る事が気に入らないようなので」
 つい自分も棘のある言い方をしてしまった。
 ロシュはきょとんとした顔を見せたが、ふふっと表情を緩ませる。
「…もう、あの人は仕方無い人ですね。あなたにここまで言わせてしまうとは」
「あのお方はまだロシュ様が気になってるんだ。俺にはそれが分かります。俺だってロシュ様が好きなんだから」
「あの人が、ですか?」
 こくりとリシェは頷いた。
 その一方のロシュは、昔からの付き合いですからねと穏やかに言う。
「昔からああいう感じなので特別な感情らしいものは無いですよ。誰にでもそんな風に言うんです」
 レナンシェに対して、ロシュはそこまで深く捉えてはいない様子だった。リシェはそんな、と困惑する。
 あれだけの騒ぎを起こしたのだ。しかもロシュに対して相当深入りした発言までしていたのに。
 わざと知らぬふりをしているのか、それとも完全に把握してスルーしているのだろうか。
「ロシュ様」
「ん?」
「あの廃墟の時の、あの人の行動が冗談だと思っているんですか…」
 リシェは俯きながらロシュに訴えた。
「あの人はあなたと一緒に居る俺が嫌いなんですよ。だってレナンシェ様はロシュ様が好きなんだ。昔馴染みとかそういうのじゃなくて」
「…リシェ」
 知らない風を装われるのも辛くなるだろう。
 そして目の前でその相手が別の人間に気を向けているのも嫌に違いない。逆に自分がそうされれば、自分だって相手が嫌になってしまう。
 レナンシェが自分をとにかく毛嫌いする態度を取り、喧嘩腰になるのも頷けるのだ。
「あの人は俺があなたと一緒に居るのを見るのも、喋っているのも内心嫌なんだと思います」
「………」
「俺、地下の泉にご一緒するつもりでした。でも、やめておきます。ご一緒出来ません」
 突然言い出すリシェの言葉に、ロシュはそんなと慌てた。
 華奢な彼の体を両手で支えるように添えながら、同じ目線になるように床に膝をつくと「どうしたんですか」と心配そうな様子で問いかける。
「俺はあの人が嫌いです。でも、あの人の気持ちを考えればあなたと一緒に居る事に抵抗を感じてしまう。逆に俺があの人と同じ立場なら、俺と一緒に居る事は苦痛だと思うんです。…あなたがあの人の気持ちに気付いていないから尚更だ」
 俺はそこまで無神経になれません、と続ける。
 ロシュは何故か突き放された気持ちになり、ショックを隠しきれない様子を見せた。
 そして穏やかな表情のまま「そうですか…」とリシェの頰を優しく撫でた後、スッと立ち上がる。
「私の事なのであなたに無理強いはしません。あなたはそこまで気に病む事はありませんよ、リシェ」
「………」
 すみません、と謝った。
「ちゃんとプリンを食べて下さいね」
 冷たくて美味しいはずですよと微笑むと、部屋から出ようとドアノブに手を掛ける。
 初めて護衛を断る形を取り、ロシュは自分に対して罪悪感を感じているであろうリシェの方をちらりと振り返る。
 目が合い、ぴくりと身を竦ませる小さな剣士。
 ふふ、といつもと変わらぬ笑顔を見せながら、ロシュはそんなに気に病まないで下さいと言った。
「むしろそれでいいのです。ご自分の気が進まない時はしっかり断ってくれた方が私も助かります。あなたにあまり気持ちの負担を掛けたくないので…今回は私とレナンシェで問題を片付けてきますよ」
「………」
「…まぁ。あの人の事は昔からあんな感じで、本気か嘘か本当に分からないのですよ。あなたがそう言うなら、きっとそうなのでしょうね」
 少し弱めの笑みを浮かべると、ロシュはゆっくり休みなさいねと一言添えて部屋を後にした。

 メイン聖堂の真下にある浄化の泉への入場の許可を求める為に、翌日の早朝から動いていたオーギュは、中庭の露店前の外付けされていた椅子でぽつんとモーニングメニューと食べていたリシェの姿に気付く。
 これは珍しい、と目を細めながら彼に近付いてみた。
 近付いてくる足音に気付いたリシェは、ふと顔を上げる。
「オーギュ様」
「おはようございます、リシェ。珍しいですね、ここで朝ご飯とは」
「…はい。たまにはいいかなと思いまして」
 ちょっとご一緒して良いですか?と向かい合うように椅子に座ると、彼の注文していたセットメニューを見て「ほう」と声を上げる。
 野菜とハム、卵がふんだんに入ったサンドイッチやちょっとしたサラダ、リンゴのデザートに牛乳。朝のメニューにしてはなかなか充実した内容だ。朝に利用する事があまり無かったオーギュは、モーニングを頼むのも有りかもしれないなと思った。
「聞きましたよ。珍しく同行を断ったようですね」
 リシェはこくりと頷いた。
 断ってしまった事で罪悪感を感じているようだと前もってロシュから聞いていたオーギュは、いつもと違って沈んだ顔をしたままのリシェに気にする事はありませんよとぶっきら棒に言い放つ。
 オーギュは足を組み、前に掛かった自分の法衣の裾を邪魔そうに軽く払った。長身なだけあってか、彼の足は長くしなやかに見えてくる。
「オーギュ様、おはようございます。珍しいですねぇ」
 その時、司聖補佐の姿を見つけ、露店の店主の一人がにこやかに近付いて来た。
 顔を上げ、オーギュは「おはようございます」とにっこり微笑んで返事をする。朝の準備で忙しくしていた様子だったが、店主は「何かお飲み物でもご用意しましょうか?」と問いかけてきた。
「そうですね、コーヒーをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
 用件を聞き、足早に店主が去って行くのを確認した後、改めてオーギュはリシェに顔を向ける。
「今回はあなたが同行してどうなるものでもありませんから。職業柄、全く関係の無い用件です」
「でも最初受けたのにお断りしてしまいました。俺の我儘で」
 かくりとリシェは肩を落とした。真面目過ぎる為に深く考えてしまうようだ。
「あの人とレナンシェ殿の関係に対して引っかかるものがあるのでしょう」
 いきなり核心を突かれ、リシェはぴくりと反応し顔を上げた。つい食事の手を止めたので、オーギュはくすっと吹き出しながら「いいですよ、続けて食べなさい」と勧める。
 非常に感情が分かりやすい子だと、自分を棚に上げて思ってしまった。
「昔からの付き合いですからね。そう思っても仕方無いでしょう。レナンシェ殿はああいう性格ですし、ロシュ様はそれに完全に慣れきっている」
「………」
「麻痺するんでしょう。馴れ合いの中でそういう関係になってもおかしくはない。しかもレナンシェ殿は子供の時からロシュ様に魔法や勉強を直接教えていましたしね」
 リシェは黙ったままグラスに入った牛乳を口にした。その時、露店の店主が温かいコーヒーが入ったカップをトレイに乗せながらお待たせしました、と声をかけてくる。
 煎れたての香ばしい香りを漂わせ、カップがテーブルに置かれるのを見ながら「ありがとうございます」とオーギュは主人に礼を告げた。
「お代は先にお渡ししますね」
「はい。恐れ入ります」
 店主が立ち去って行くと同時に、オーギュは真新しいコーヒーを一口喉に通すと、ふうっと一息吐きながら美味しい、と感想を述べる。
 そのままの状態で飲める事に、リシェは不思議がっていた。よく苦いままで飲めるなと。
「…ミルクとか入れないんですか?」
「ええ。あまり色々入れるのは好きではないのです。それに甘いケーキと一緒の組み合わせが好きなので」
「ケーキ…」
「極端な組み合わせがいいのですよ」
 飲んでみますか?とコーヒーを薦められるが、リシェはふるふると首を振り断った。
 流石に人様のを飲む訳にはいかない。
「話は戻しますが」
「はい」
「あなたはレナンシェ殿がロシュ様に対して好意を持っているのではないかと思っているのですか?」
 リシェの表情が曇った。
 そして目を伏せながら、こくりと頷く。
「俺、あの人に閉じ込められた時に分かりました。ロシュ様を誑かしているんじゃないかって疑うのはまだ理解出来たけど、あの廃墟は思い出の場所で、関係を持った場所だと別に知りたくも無い事も教えてくれた。そんな事を俺に今更言って何になるんです。俺にやった事は今でも許せませんよ。でも」
 一旦言葉を途切れさせる。
 オーギュは不思議そうにリシェを見つめた。
「あの人は俺と同じようにロシュ様が好きだから、あの時にさっさと引き離したかったんじゃないかって思ったんです。だから今回も常に一緒に居る俺を見るのが辛いんじゃないかって」
「………」
「それであなたは遠慮したという事ですか」
「はい」
 しばらく無言の間が開いた。
 ソーサーの上にカップをカシャリと置くと、オーギュは眼鏡を外して軽く眉間を指で押さえる。
 疲れ目を押さえつつ、そうですねと一言口にした。
「色恋には詳しくはありませんけども、あなたのその考え方は分からなくも無い。ただ、レナンシェ殿の気持ちを考えて自分は同行出来ないという理由は、あなたの傲慢さからくるものではないですか?」
「……え?」
 意外な返しに、リシェは驚いてオーギュを見上げた。
「俺が、傲慢ですか…?」
「いえ、私がそう感じただけですよ。見当違いかもしれませんけど…簡単に言えば、『自分は大好きな相手と常に一緒に居られるけれど、あなたはそうじゃないから今回は譲ります』。私は意地が悪いからそう受け取れてしまうんです。まぁロシュ様はあなたが好きで好きでどうしようもないようなので他の人からの目線なんて感じやしないでしょうけども」
「…やはり、同行した方が良かったんでしょうか…」
「ですから必要無いでしょう。そもそもあの人がレナンシェ殿と二人きりというのに抵抗を感じるからあなたに助けを求めただけであって、今回の再契約の件はあなたが居なくても成立するものです。多少嫌でも少しの間我慢すればいいだけの事。大体あの人はあなたに甘え過ぎなのです」
 ざっくりと言葉で抉られた気持ちになり、リシェは萎え気味になる。
 …確かに傲慢だったかもしれない。自分はロシュに愛されている自覚もあったから、どこかでレナンシェより優位に立った気分になっていたと思う。
 自分はロシュに選ばれているのだからと。
 もし自分がレナンシェの立場だったらと考える事自体、上から目線で見ているようにも感じられる。
 そう思うなり、リシェは自分が恥ずかしくなってきた。
「一番悪いのは、ロシュ様からはっきり拒絶しているにも関わらず、受け入れずにちょっかいを掛けてくるレナンシェ殿だと思いますけどね。…あなたはいちいち他の人の気持ちに成り代わって考える必要なんてありません。むしろ良くまぁそこまで考えられるものだ」
 半ば呆れながらも、リシェの優しさに関心した。
 優しさというか、要らぬお節介というか。
「…俺、何というか…凄く自分が情けなくなってきました」
 自分の発言を振り返り反省する。オーギュは自分で意地の悪い見方と言うが、そういう風に捉えられてもおかしくない。
 自分が気を使う必要も無い、という言葉に少しばかり救われたが、とにかく自分が恥ずかしい。
「あなたは普通にしていればいいのです。ロシュ様は別に怒ってもいないでしょう」
「はい」
「ならいいんじゃないですか」
 残りのコーヒーを一気に飲み干した後、空っぽになったカップをソーサーに軽く置く。
 人々が動き始める時間に差し掛かったようだ。大聖堂にはいつもの日常の通り、少しずつ来客が出入りし始めていた。
「さて、私はやる事があるので行かなければ…」
 椅子から立ち上がってカップを手にしていると、塔側の方向から呼び止める声が耳に飛び込んできた。
「オーギュ!」
 慣れ親しんだその声に顔を上げ、ふっと目を細める。
「ロシュ様」
「ここにいらっしゃったんですか」
 白い法衣姿の二人組は、流石に遠方から見てもかなり目立っていた。彼らに気付いた大聖堂の来客は、遠目で二人を確認するや感嘆の吐息を漏らす。
 まだ年若く、その姿形からして華やかなタイプのロシュと彼を指導していたレナンシェの組み合わせは滅多に見るものではない。
 レナンシェに至ってはあまり大聖堂に姿を見せないので尚更だった。彼らを知っている者からしてみれば、一緒に居るのを目の当たりにするのはレアケースなのだ。
 ロシュはこの時間から既に泉に向かう為に動こうとしていたようで、側にはレナンシェが同行している。
「早過ぎませんか?まだ手配してませんよ。急いで手配しに行かなければ」
「そうなんですか?あなたの事だからもう済ませているものだとばかり…」
 ロシュは普段ゆっくり動くタイプなので、そこまで急ぎの案件では無いと思っていたのだ。
 こうなれば走って浄化の泉の立ち入り許可証を求めに行かなければならないではないか、と困惑する。
「それなら一緒に行けばいいんじゃないかな、オーギュ?」
 それまで口を閉じていたレナンシェは、穏やかな表情を称えたままで提案する。
「え?」
 オーギュはそんなと首を振った。
 しかしロシュは「そうですね!」とぱあっと笑顔になる。
「ちょうど良いじゃないですか。一緒に行きましょう」
「わ、私は手続きだけで…それに、司祭の事に関して手を付ける訳にもいかないでしょうし」
 無関係な自分が顔を突っ込んではならないのは理解しているつもりだ。高位の職の裏側に立ち入る形になりはしないかと危惧してしまう。
 図々しい行為になりはしないだろうか、と。
「なぁに、簡単な作業みたいなものだから堅苦しい儀式なんてものでも無い。君さえ良ければ構わないよ」
 困惑するオーギュに、レナンシェは尚も続けると、その側に居るリシェの方にも目を向けた。
 ふっと目尻を緩める。
 視線に気付いたリシェは、顔を上げてレナンシェを見返すと自然に口元をぐっときつく閉じた。
「何なら君もどうかな、リシェ君?私達は一向に同行には反対しないけれど」
「………」
 悪意が無いのは分かっているが、どうも言葉の節々に棘を感じてしまうのは何故なのだろうか。
 リシェが相手に返す言葉を考えていると、頭に大きな手がぽんと乗せられる。何、と眉間に皺を寄せながら不思議そうに相手を見た。
「私に遠慮する事は無いよ。ロシュを戻せるのは私だけなのだから、ちょっと我慢すればいいだけの話だ。それとも、それすらも嫌と感じる位やきもち焼きなのかな?」
 まるで挑発しているような発言に取れたリシェは、レナンシェの手をぱしっと払うと苛立つ口調で「いいですよ」と憮然とした表情を見せて言い返す。
「分かりました。俺も同行させて貰いますよ」
 子供扱いされたく無いリシェは、嫌味には嫌味を込め「俺はそこまで小さな人間じゃありませんし」と顔を背ける。
 レナンシェはにっこりと邪気の無い笑顔を浮かべた。
 結果的にオーギュとリシェもいつものように同行するという事になり、ロシュは安堵の顔で「嬉しいです」と胸を撫で下ろす。最初は同行する予定をキャンセルされ、致し方ないとはいえがっかりしていたのだ。
 自分の我儘で彼を付き合わせる訳にもいかないので腹を括って我慢しようとしたものの、来てくれると嬉しい。
「とりあえず私は先に許可を貰いに行かないと」
 オーギュは少々お待ちくださいねと言い残し、大聖堂のメイン回廊の方へと姿を消した。リシェは残っていたサンドイッチを無表情のままでぱくりと口に含む。
 もしゃもしゃと無言で食べているのを見ながらロシュはくすりと笑った。
 良かった、と一言添えて安堵の様子で言う。
「今日の朝ご飯はいいですって言うから、どこか具合でも悪いのかと心配していたのですよ」
「…すみません、ロシュ様」
 流石に断った事によって気が滅入り過ぎて、大好きなロシュの顔が見れないとは言いにくい。残された牛乳をこくりと飲み込んだ後、小さく一息吐いた。
「色々考え込んでしまって」
 空っぽになった食器を見下ろして呟く。
「意外に繊細な子なんだね君は。もしかして私がロシュを盗ろうとしているのではないかとか、変な邪推をしていたのかな」
 リシェはややカチンとしてレナンシェを見上げるが、反論する気にもなれず「そんなんじゃありませんよ」とだけ言った。
 正直に相手にするだけでも無駄な時間に思えた。
 彼は自分を明らかに子供扱いをしてからかっているのが分かるだけに、冷静に対応した方が良いかもしれない。
「はぁ…いい加減にして下さい。あまりリシェを刺激しないようにしてと言ってるでしょうが」
「ふふ、どうもリシェ君を見てると可愛らしくてね。突きたくなってしまう」
 その話振りからして、ロシュもレナンシェの扱いには困っているようにも聞こえる。自分にとても気を使ってくれているのだと感じて、リシェは少しホッとした。
 使った食器類を持って返却口に戻そうと立ち上がる。
「君はどんな大人になるのか楽しみだねぇ」
「…どういう意味です?」
「ふふ、可愛らしい顔立ちだからね。大人になった顔は想像つかなくてね…さぞかし美しい騎士様になるだろうね」
 褒めているのか逆に揶揄いの延長なのか、レナンシェの心の内は読みにくい。
 困った顔をしていると、ロシュは「この子はこのままでいいのですよ」と微笑んだ。
「どんな大人になるのかはこの子自身に任せるよりないでしょう。きっと素晴らしい剣士になってくれます」
 馬鹿にされるのも困るが、褒められ過ぎるのも照れ臭い。
「ね、リシェ?」
 ふんわりと優しげな微笑みを向けられる。朝の日の光が差し込み、ロシュの茶色い髪が明るく照らされて金色に映えると、まるで違う彼の姿を見ている感覚に陥った。
 中性的な顔と線の細さ、そして穏やかな顔はリシェには非常に魅力的に見える。
 …惚れた弱味のせいもあるかもしれない。
 リシェは一瞬ぽわっと顔を赤らめると、俺には分かりませんと焦りながら食器を手にすると、露店の返却口へ走った。
「おやおや」
 照れ隠しをするように逃げ出したリシェの背に見ながらレナンシェは苦笑いする。
「君の騎士様は君に対しては素直に反応するようだ」
「あなたは年頃の子に対してお遊びが過ぎますよ…だからたまに変な誤解を与えたりするのです」
 過去の事を思い出し、お節介ながらも注意した。
 年端もいかない相手に甘い言葉を放つ性格はなかなか治らず、間に受ける被害者も多数居るのだ。昔からの悪癖と言えるレナンシェの性質を見通しているロシュは完全に慣れていたが、耐性の無い若者らは素直に受け取ってしまう。
 その為に余計な問題が起きてしまうのも無理も無かった。
 自分もその毒牙に嵌められた故に、出来る限りは注意をしているつもりだがそれも限界がある。
 昔は若気の至りであちこち手を付けていた彼だったが、地位もある現在は落ち着いている風にも見えた。
「まさかまだおかしなお遊びをしているんじゃないでしょうね?」
 疑いの目を向けるロシュに、レナンシェは「まさか」と一笑に付した。
「今はそんな気力も体力も無いよ。それに、私は本気の相手にしか手を出したりはしない。前回伝えたはずだけどね」
 意味ありげな目線をロシュに向ける。
「君は鈍感にも程があるよ。散々私はアプローチしてきたというのに」
 ふわりと風が舞い、両者の髪と真っ白な法衣が靡いた。
 ロシュは軽く首を振り、腰に手を当てながらあぁ、と一息吐く。
「あなたのそれまでの行いと、若い頃の私が鈍感だったからでしょうね。お遊びの延長にしか感じられないまま今まで生きてきたんです。あなたの本気が私には分からなかった」
 周りに気を配るタイプのレナンシェだが、不器用過ぎる一面もある。悪く言えば周りくどく、同時若過ぎたロシュには判別出来なかった。
「おや…気付いていたのかい?」
「今はね。…いつまでも鈍感じゃありません。私はもう二十八ですよ。いつまでもあなたが物事を教えていた十代の子供じゃないのです」
 そうか、とレナンシェは目を細めた。
 食器を戻し終えたリシェがロシュ達の元へと戻って来る。
「戻りました。…何か準備する物とかありますか?」
「大丈夫ですよ。大聖堂の中はご存知のように安全な結界が張られていますし、普段通りで構いません」
「分かりました。俺に出来る事があれば仰って下さい、ロシュ様」
 大人ぶって背伸びしようとする姿勢のリシェに、レナンシェは勇ましい子だねと微笑む。
 小さく儚げにも見えてくる容姿にも関わらず、彼は狂犬のような気の強さを持ち合わせているのは前回良く分かった。
 それは全て忠誠を誓うロシュの為だという事も。
 真っ直ぐに彼を見る純粋な瞳は、長く俗世界に塗れてきたレナンシェには懐かしさすら覚える。
 幼い頃にひたすら人間の嫌な部分を目の当たりにしてきた彼が腐る事もなくここまで立ち直ったというのは、ロシュとの出会いのおかげなのだろう。
 くすりと笑うレナンシェを見上げ、リシェは「…何か?」と問いかける。
「いや」
 自分を見て笑われたと思ったのか、あからさまに不愉快そうにするリシェに対して、彼は頼もしくてねとだけ返した。
「………」
 自分にとっては当然の義務なのだが。
 リシェは大切な任務なので、と一言だけ返した。
「それでは向かいましょうか。オーギュが許可を貰っている頃合いでしょうし、お待たせする訳にもいきませんからね」
 許可を得た後、彼は手間を省く為にこちらには戻らず現場へ向かっているはずだ。
 あまり時間を取らせてしまうのも申し訳無い。
「そうだね。では向かうとしようか」
 ロシュの堕落の証を早々に除去しなければ物事は進まない。関係者や、彼を象徴として慕う一般民にも知られる訳にはいかないのだ。
 敬われる立場にある司聖が、禁忌を破り堕落したというのはあってはならぬ事。対処方法が無かったにせよ、堕落した事は事実で、世間はそんなに寛容では無い。
 仕方無いで済ませられる程、軽い立場ではなかった。

 浄化の泉の入口付近で、許可を得て先に待っていたオーギュは三人に気付いて待ってましたよと声をかける。
 人を寄せ付けない雰囲気を纏うのは相変わらずで、管理人の男もオーギュと一緒に付き添っている。やはり不機嫌な様子を見せながら施錠された扉の前で突っ立っていた。
「またお前らはぞろぞろと連れ立って来やがって」
「えへへ…すみません」
 ロシュは彼の小言に慣れている為か、あまり悪いと思っていないニュアンスで謝罪する。管理人は舌打ちすると、今度は何をやらかしたんだと鬱陶しげに言った。
 レナンシェはちょっとした儀式をしなければいけないんですよと誤魔化し、ご面倒お掛けしますと穏やかな口調で宥める。
 司祭の事になると、部外者は口出し出来ない為に契約だの儀式だのと言っておけば、それで納得してくれるのか何も言われない。レナンシェはそれを理解しているので大抵はこうして適当に誤魔化していた。現にそれを聞いた管理人は仏頂面で早めに終わらせろよとだけ言うと、オーギュに鍵を放る。
「ありがとうございます」
 しっかりキャッチすると、改めて彼は礼を告げた。
 昔の型式の鍵なのでやや重たい。それを大切そうに手に包み、管理下に置かれている泉の前に立つ。
「さて。ロシュ」
 オーギュが施錠されていた扉の鍵を解除し、開くのを確認するとレナンシェが口を開く。ロシュは顔を上げ、素直に「はい」と返事をした。
「手早く済ませてしまおう。ここはやっぱり寒いからね」
 日の当たりにくい地下という事もあり、浄化の泉があるフロア内は外気の循環も重なり若干肌寒い。時間によって天井のガラス窓から外の光が差し込む場合があるが、まだその時間ではなかった。
 最後にフロア内に入ったリシェはゆっくりと扉を閉めると、司祭の再契約という普段見ないであろうイベントに少し緊張した顔をしていた。
「はぁ…これからこの中に入る人間に言う事ですか」
「ははは。それは仕方無いよ。済んだらオーギュに魔法で暖めて貰うといい」
「早く終わらせてきますよ。…ではレナンシェ、お願いします」
 泉の前に立ち、ロシュはレナンシェに頼む。
 彼はにっこりと微笑むと、再契約の際に使用する特殊な魔法の詠唱を開始する。その詠唱の文句はいつもの魔法とは違って特殊で、魔法に精通しているオーギュは元よりリシェには難解なフレーズが紡がれていく。
 それでも稀に理解出来る文言が含まれていたらしく、オーギュは腕を組みながら解読出来ないものかと考え込んでいた。
 詠唱が終わると、ロシュの全身にふわりと真っ白な魔法で作り上げられたベールが舞い降りていく。それは非常に美しく、精巧なレース素材を思わせる程見事なもので、リシェは目を大きく開いて刮目してしまう。
「君の契約に立ちあうのは久し振りだ。次もあるかな?」
 光のベールがロシュの体内に吸い込まれて行くのを見届けながらレナンシェは呟いた。
「流石に三度目は無いようにしたいですね…わざわざ来て貰うにも悪いでしょう」
 ロシュは泉の正面に立ち、水面に手を少し入れた。穏やかな水面に、波紋が広がっていく。
「やっぱり冷たいですねえ」
 仕方無いかぁ、とぼやきながらも石段に片足を乗せる。そしてくるりと振り返ると、心配そうにしているリシェに残念そうに言った。
「この機会に、魔法を教えられたら良かったんですがねぇ。そうも言っていられませんね」
「ロシュ様」
「では行ってきますね」
 軽い口調で言い残し、彼は何の躊躇いもなく飛び込む。
 水飛沫が周囲に飛び散った。オーギュは「全く」と言いながら角に置いてあるモップを手にする。
「もうちょっとゆっくり飛び込みなさいよ」
 甲斐甲斐しく床拭きを開始するあたり、彼の非常に几帳面な姿が垣間見えた。
「苦労するね、オーギュ」
 色んな人間の世話をしているが故に自然に染み付いてしまった悲しい習性に、レナンシェはついオーギュを労う。オーギュは苦笑しながら「慣れていますから」とひたすら床を拭いていた。
 ついでに他の目立つ汚れにまで手をかける始末。一目見れば気になってしまうのか、つい体が動く癖がついているのだろう。
 リシェはそこまでしなくても…と思ったが、何も言わないようにした。
「泉の中に司祭専用の部屋でもあるんですか?」
 オーギュの掃除を見ていたレナンシェに、リシェは質問する。魔書の浄化の時には底の浅い泉だと思っていたのだが、スティレンを突き落とした際に結構深さがあったのを思い出したのだ。
 レナンシェはリシェを見下ろすとこくりと頷くと、そうだねと一言告げる。
「司聖になる時にしか使わない特別な部屋があるんだ。さっきロシュにかけた魔法は、内部に入る為の許可証のようなものだ。それが無いとそのフロア内には通過出来ないようになっていてね」
「へえ…その魔法は誰でも使える訳ではないのですね」
「そうだね。司祭にも司祭のランクがあって、上級三位までの司祭がこの特殊魔法を扱えるんだよ。順位には変動があるけどね」
 掃除を終え、周囲を見回して満足したオーギュは「上位はそれほど変わらないでしょう」とレナンシェに問う。
「上がロシュ様でしょうが、あなたはそのロシュ様と変化無い位の能力をお持ちだ。それなのに司聖にならずに大聖堂外の街の教会長に就くとは」
 当時誰もが疑問に思ったものだ。
 年齢的にも能力的にもロシュよりも彼の方が相応しいという話もあった位なのに、と。
 悪い見方をする者は、彼の家柄の影響もあるのではと邪推する話もあった程。確かにロシュの家はアストレーゼン内では指折りの貴族の家柄だったが、同時に本人の魔力も天才的なのも知られていた。
 司祭になったからには、当然その上の位置を狙いたいという気持ちもあったのではなかろうか。
 レナンシェはふっと口元を緩ませる。
「…堅苦しいのは嫌いでねぇ。どうせなら誰にも文句を言われない立場になって悠々と暮らした方がいいと思って。それに」
「?」
「あの子は逆に魔導師になった方が怖い」
「………」
 オーギュはつい核心を突いたように言い放つレナンシェを見た。
「今回の件で良く分かっただろう、オーギュ?」
 …確かに。
 魔法の制御が外れ、暴走するロシュの魔法の力を目の当たりにしたオーギュはリンデルロームの出来事を思い出す。
 過去の怨念に乗っ取られたロシュを止めるのはかなりの労力を要した。彼を操っていた方も同じ術者の為に、更に上乗せされて余計困難極まり無かった。
 リシェやヴェスカ、ファブロスの加勢が無ければ、更に厳しかっただろう。運が無ければ全員死んでいたかもしれない。
「またあの人を止めろと言われても、もう無理ですよ」
 振り返り、オーギュはやりたくありませんと首を振った。高レベルの魔導師の代表格ですら弱気な発言をするのだから、いかにロシュが凶悪だったのが伺える。
 レナンシェは浄化の泉の前に腰掛け、だろうねと一息吐いた。
「レナンシェ殿。もしかして、あなたはあの人に司祭になるように誘導したのですか?」
 危険性のある才能を持つロシュに対し、制御出来る司祭という職種に導かせたのは、レナンシェが彼の魔力の暴走を危惧した為ではないのだろうか。
 あれだけの魔力を暴走させたのだ。リミットを完全に外したロシュならば、あれより更に破壊力のある魔法を容易に放つかもしれない。
 まだ生意気な頃のロシュを良く知るレナンシェなら。
 …その性質と性格を把握した上で進む道を導いたのは、非常に賢明な判断だと理解出来る。
 レナンシェはふっと微笑むと、道を選んだのはロシュ本人だよと言った。
「私は単に様々な選択肢を与えるきっかけを作ったに過ぎない。魔導師だけじゃなく、別の道を選んでもロシュならすぐに馴染むよ。あの子は私が見てきた人間の中で一番ずば抜けて器用だったからね。全く羨ましい」
「…あなたでも羨ましいとすら思うのですか?」
 意外な発言を聞き、オーギュは驚いた。彼もまた高魔力を持つ者の一人だというのに、嫉妬の感情を持ち合わせているとは。
 苦笑混じりに「そりゃそうだよ」と呟く。
 リシェは二人の会話を聞きながら、無言を貫いていた。
「こっちだって一人のちっぽけな人間だからね。あの子は教えた事をすんなり飲み込んでしまう。勉強にしろ魔法にしろ、素直に入り込む能力を持っているのだから。余程天から愛されたタイプなんだろうね。だからこそ司聖としてもいけるのではないかと思ったんだよ」
「………」
 泉の奥からごぼりと音が聞こえた。
 ロシュは目的の場所まで辿り着いたのだろうか。リシェは浄化の泉の中を覗き込む。
 水面は大気に揺れながらも、まるで鏡のように自分の顔を映し出している。美しく透明度の高い水の奥をじっと見つめていると、この奥に司聖になる為の施設があるのだとは信じ難かった。
「どうしましたか、リシェ?」
 じっと泉の奥を見ていたリシェに、オーギュは声をかけた。
「…この奥にロシュ様が居るのが不思議だと思って」
「ふふ、水の中ですものね。私達のように司祭職の携わらない者から見れば、ここは本当に珍しい場所です。浄めの場所かと思えば、司祭職に関して重要な役割を持つ大切な場所にもなる。この上はちょうど本聖堂ですから、恩恵も大きいのでしょう」
 なるほど、と水の中に手を伸ばした。
 水は先程ロシュが言っていたように冷たい。早く戻らなければ風邪をひいてしまうだろう。
無事に終わってくれたら…と揺らぐ波紋の広がりを眺めていると、奥底から黒い影が見えてきた。
「…ロシュ様?」
 リシェは少しだけ上体を前のめりにしながら彼の名を呼ぶ。
「まだ戻るには早いのではないかな」
 レナンシェもまた、体をずらし同じように背後の水面を見ると、ん?と眉を寄せた。
 水の奥の影を確認した後、レナンシェは「…違う」と口走る。同時にリシェの方に目を向けた後、引きなさい!と叫んだ。
 えっ、とリシェはレナンシェに顔を向ける。同時に目の前を何かが横切ったかと思うと、いきなり頭部を鷲掴みにされてしまった。
「!?」
 黒い澱みで出来た手。
「…何…!?」
 リシェはそれを外そうとするが、その手は自分の頭を押さえて離そうとしない。泉の方へ引っ張られてしまいそうになり、やめろともがいた。
「リシェ!!」
 オーギュは彼の元へ駆け出して引きずられそうな体を押さえるが、その澱みの力は強く更に引っぱる力が増す。
「レナンシェ殿!」
 これはいけない、とオーギュはレナンシェに声をかける。
「ロシュに何か起きたのかもしれない。中に引きずられるなら、喜んで向かいましょう。一時的に抵抗を和らげる補助魔法をかけますから少し待ちなさい」
「は、はい」
 オーギュはリシェを背後から抱き締める形で押さえながらもう少し頑張りなさいと声をかける。
 澱みの手に頭をホールドされたままのリシェは、このままで済ませるものかと正体を見てやろう思い目を動かした。
 澱みは手だけでは無い。
 …よく見れば、人の形をしているようだ。
 波打った髪を象り、体型もかなりかっしりしながらも細身でしなやかな体つき。肝心の顔までは靄がかかって判別し難かったが、リシェの目には、それはまるでロシュのようにも見えた。
 リシェはつい彼の名を呼んだ。すると相手も呼びかけに応じるかのように返事をする。
『…来なさい、リシェ。私と一緒に深淵の闇の中に』
 一瞬、靄が薄れて口元が見えた。
 薄く形の良い口元は笑みを称え、はっきりと言葉を紡いでくる。同時に頭部を掴んでいた手指に力が更に入ってきた。
「く…!い、痛…!!」
「リシェ君、落ち着いて。今から泉に中に入っても大丈夫だ。私が君達を中に案内するから」
 レナンシェの言葉の後、全身がふわっと暖かい何かに包まれる。
「わざわざ呼びに来なくても向かいますよ。退きなさい」
『………』
 澱みの影は、レナンシェの冷静な呼びかけに応じるかのようにリシェから両手を引いた。そして再び泉の奥へと沈んでいく。
 再び静寂を取り戻した浄化の泉の奥に目を凝らし、リシェは焦っていた気持ちを押さえつつ「何だったんだ」と呟く。まさかこのような神聖な場所で、禍々しさを思わせるような澱みを見てしまうとは。
 それはリシェを支えていたオーギュも同様だった。
「…これは一体どういう事でしょうか」
 レナンシェは自らの体にも魔法の膜を張りながら、簡単には再契約をしてくれそうもないようですねと若干がっかりした様子で答える。
 一度堕落した司祭が再度改めて同じ道に戻るのは、それなりにハードルがあるようだ。何となく予想はしていたが。
「ここで考えるよりも現地に向かった方がいい。少し苦しいだろうけど中に入ってみようか」
 至って普通に言い放つレナンシェに、オーギュは何の関係も無い自分達が立ち入ってもいいものかと抵抗を感じる。
「…大丈夫でしょうか?私達はある意味部外者ですが…」
「心配無いよ。私が責任を持とう。それに、ロシュを助ける為にはそれなりに人手が必要になるだろう」
 これは例外だよ、とレナンシェは微笑んだ。
「それにこの中にも興味があるだろう、オーギュ?」
「…そこまでこちらの心を見透かさなくても。分かりました。向かいましょう。リシェ、大丈夫ですか?」
 オーギュの問い掛けに、リシェはこくりと頷いた。
 大切なロシュに何かがあったのなら、護衛する立場である自分は必然的に救出しなければならない。それが自分の管轄外で起きた事であろうと。
 彼は真っ直ぐにレナンシェを見上げると、「俺も行きます」と凛とした表情で告げた。
 分かりやすい程に勇敢な態度を見たレナンシェは、彼の揺るがない姿勢に感心しつい口笛を吹きそうになった。
「これはこれは…流石ロシュに選ばれるだけある」
「当然でしょう?俺はロシュ様の専属の剣士なんだから」
 相当心酔しているのだろう。
 ロシュも罪な事をするな、と思わずにはいられない。それがいつか命取りになるかもしれないというのに。
「その向こう見ずな所が、却って君を滅ぼすかもしれないよ。気を付けなさい」
 レナンシェは危うい思考を持つリシェに対し忠告した。彼が命を落とせば、ロシュも黙ってはいないだろう。
 お互いがお互いを必要とするならば、自らの命を危険に晒す事は完全なる破滅をもたらす。
 リシェは分かっていますと言いながらレナンシェから目を逸らした。
「さあ、ロシュ様の居る場所まで向かいますよ。…とは言え、水の中ですからね…少し苦しくなるかとは思いますけど」
 澄み切った泉を見下ろしながら、やや不安げな顔をするオーギュ。
「君は泳げるかな?オーギュ」
「まあ、どうにか…ですが何年も泳いでませんからね」
 心得はある。
 だが泳ぐような機会など今まで無かったし、これからもその必要は無いと思っていた。それなのに、まさかこんな状況に置かれてしまうとは。
 何が起きるか分からないものだ。
「少しだけ我慢してくれれば、先に私が扉を開いて君達を誘導出来る。我慢出来るね、リシェ君?」
「出来ます」
 力強く答えるリシェに、レナンシェはそうかと微笑んだ。
 彼は浄化の泉の縁に立つと、真っ白な法衣の上から身に付けていた厚みのあるボレロを取り放る。
「さて。…案内しようか。私が入ったら追いかけるといい」
 魔法の膜を自分の周りに張り巡らせたままのレナンシェはそう告げると、泉の中へ飛び込んでいった。続けてオーギュはリシェの手を掴むと「行きましょう」と告げる。
 選ばれた司祭にしか入り込めない禁じられた場所に足を踏み入れるというまたとない機会だ。期待もあり緊張するが、自分達が入っても良いものだろうかと畏怖の念も抱いてしまう。
「はい」
 体に空気を取り込んで準備を整えた後、二人は意を決して水の中へ滑り込んだ。
 全身が一気に冷たい水に浸される。
レナンシェは手を伸ばし、リシェの手を引いたままのオーギュの腕を掴んだ。
 やはりロシュと似たような体力を持っているのか、レナンシェの自分達を引っ張る力が強い。こちらはうっかり気を抜けばすぐ浮上しそうな勢いなのに、彼の力は想像以上に強くがっちりと腕を掴んでいた。
 自分達の息が続くまでに目的地まで間に合って欲しいが、果たして大丈夫なのだろうか。下に行くにつれて暗く、更に水温も低くなっていく。体温も急激に低下していった。
 泉の奥へ引っ張られ、眼鏡を取った状態で沈むオーギュは僅かに目を開く。あまり良くは見えないが、底部に頑丈な扉のような物が確認出来た。
 あれか、と近付いて来た扉を直視していると、手を引っ張っていたリシェの息が続かなくなってきたのか一気に空気を吐き出してしまう。
 いけない、とオーギュは彼の身を引き寄せた。
 一刻も早く呼吸の出来る場へ向かわないと、とレナンシェに目配せする。
 すると彼も察したのか、引っ張る力を更に強めて一気に下降した。
「(もう少し我慢しなさい、リシェ!)」
 苦しそうに顔を歪ませる彼に、心の中で訴える。
 やがて魔法陣が描かれていた頑丈な扉の前に辿り着くと、レナンシェは早急に手をかざして魔力を送り込む。それに応じるかのように、それまで静かに佇んでいた壁が円陣をなぞるように青白い光を放つ。
 同時に、眼前に揺らめくようにぱっくりと入口が出現し、レナンシェは真っ先に引っ張っていた二人を中へ押し込んだ。入口はまるで何かの膜が張られており、そこを突き抜ける形で突破すると、普通に呼吸の出来る部屋になっていた。
「…はぁっ!…はっ、えっ、げほっ」
 苦しんでいたリシェは体内へ酸素を吸収する。激しく咳き込みながら体を丸め、苦悶の表情で呻いていた。
「り、リシェ…だ、大丈夫です、か?」
 オーギュの問いかけに対して、リシェは苦しみながらも大丈夫だと頷いた。思っていた以上に目的地が泉の深部にあった為か溜め込んでいた酸素が続かなかった。
 胸元を押さえ苦しんでいたが、しばらく間を置くとようやく呼吸も落ち着きを見せる。
 最後にフロアに足を踏み入れたレナンシェは、疲弊するリシェとオーギュに「大丈夫かな?」と声をかけながら扉を閉めた。
「ええ、どうにか…リシェはもう少し」
 はぁはぁと肩を震わせていた小さな剣士に、レナンシェはここは深い場所にあるからねと言う。泉の内部にある事もあり、酸素も地上よりは少なめで更に肌寒い。
 魔法の力によって人間が身動き出来る空間となっているが、内部の酸素は地上より極めて少なかった。
「この部屋は上から空気を取り入れているのですか?随分と重苦しさを感じますね」
「いや、ここは魔法で作られたただの空間だよ。試練を受ける為の場所だからね」
 今現在居るフロア内にはおかしい位に何も無かった。
 真っ白い空間のみで、祭壇でもありそうだと想像していたのにがっかりするレベル。
 ここで司聖になる為に何をしなければならないのか、逆に問いたくなってくる。その位何も無い空間だった。
「ロシュ様は…」
 オーギュは周りをぐるりと見回した。
 ひんやりとしたフロア内を、レナンシェは足音を立てながら徘徊する。魔法で作られた真っ白いフロア内は、壁も無く再現なくだだっ広さを保っていた。
「今のロシュの状況を思えば、どこかで魔力の干渉を受けて戻れなくなっているのかもしれないね」
「戻れないって…」
 リシェは愕然とした様子でレナンシェの話に耳を傾けていた。もしまだ気付かずにいれば、彼は永遠に戻れなかったかもしれない。想像するだけでゾッとした。
 自分を呼び込もうとしていたロシュに似た黒い淀みは、もしかして救い出して欲しいというメッセージだったのかもしれない。
「探さないと」
 ようやく呼吸も平常に戻り、リシェはゆっくりと立ち上がる。一瞬頭がぐらりときたが、特殊な環境に居る為なのだろう。
 オーギュはひたすら真っ白な空間を見回し、その異空間が醸し出す不思議な感触に身震いする。全身が何故か騒つくが、決して嫌な空気では無い。複雑な気持ちに陥っていた。
 司祭のみが入れる特別な場の為であろう。
 このようにまっさらな空間だからこそ、魔法の力を存分に引き出せるのだろうか。契約に関しても、こういった環境下に置かれれば誰からの邪魔も入らないはずだ。
「レナンシェ殿」
「ん?何だい、オーギュ?」
 同じようにロシュの姿を捜索していたレナンシェの広い背中に向け、オーギュは声をかけた。
「これだけ白くて何も無い事に意味はあるのでしょうか」
 その問いかけに、レナンシェはふっと微笑む。
「君なら良く分かるんじゃないかな、オーギュ?その身に召喚獣を宿しているなら、契約の際に似たような場所に連れて行かれただろうに」
 何処かで見た気がしていたが、彼の言葉でハッとする。
「…何故知っているのですか?」
「召喚獣については前に書物で読んでいたからね。どういった状況で契約に至るのか、どのような形状の召喚獣が居たのか軽く囓ったくらいだよ。彼らの存在なんて、伝説か何かだと思っていたんだけどね…」
 流石に自分に取り込む勇気は無いね、と苦笑いした。
「このように真っ白い空間だからこそ、何の干渉もされずに試練を与えられる。外部からの騒音も気にならないだろう。その為に作り上げられた特別な場なんだよ。冷静になって試練を受け入れるかどうか、立ち止まって考える場にもなるだろうしね。ただ、再契約になれば…どうだろうね」
「………」
 オーギュはちらりとリシェの方に目を向けた。
 彼は何も無い空間の一部をじっと見つめている。不思議に思い、どうしましたか?と声をかけた。
「いえ…俺に影が着いてるんです。この空間の中では、オーギュ様達には付いていないのに変だなって」
 え?と反射的にリシェの足元を見た。彼が指摘した通り、しっかりと足元には影が付いている。
 普通なら付いている事に違和感などは無いのだが。
 リシェが言うように、この異空間内ではオーギュやレナンシェの足元には影は存在していなかった。それなのにリシェの足元にはしっかりと影が付いている。しかもその影は何かが違って見えた。
 端正な顔を曇らせ、「おかしいですね」と呟く。
「この影、やたら黒くないですか?」
「………」
 確かに、自分の足元の影は薄っすらとした影ではなく真っ黒過ぎる黒色だった。オーギュに言われるまでは全く気にもしなかったが、ここまで真っ黒なのもおかしい気がする。
「影の色って、明るい場所だともう少し明るく見えた気がしますね」
 暗い場所ならともかく、お互いの顔を判別出来る程明るい場所なのに。
 そこへ、レナンシェは無言で近付くと自らの魔法で杖を具現化させた。ロシュの持つ杖と同じ系統の司祭用の杖は、光の粒子を纏いながら持ち主であるレナンシェの手の中にすっぽりと収まっていく。
 杖の頭部には透明な魔石が鎮座し、その周りには魔石を守るように金色の輪型の遊環に覆われていた。
 少し揺れるごとに、軽やかな音を鳴らしている。司祭専用の杖は邪気を払う為に装飾物を付けるケースが多いらしいが、彼の杖もまたその類なのだろう。
「レナンシェ殿?どうしましたか?」
 急に杖を出現させ物々しい雰囲気を醸し出してくる司祭に対し、オーギュは何をする気なのだろうと内心困惑した。
「いえ…リシェ君の言う通りだ。この影はロシュが何処に居るか教えてくれるだろうね」
 レナンシェはそう言うなり、リシェの足元の影目掛けて杖の下部で勢い良く突いた。杖の下部分は尖っており、ごつりと硬いものが打ち付けられる音がする。
 その瞬間、リシェの両足首がいきなり何かに掴まれたかのように固定されてしまった。
 うわあ!!と声を上げながら、リシェは体をがくりと傾かせた。バランスを崩し、尻餅を付く形で座り込む。自分の知らないうちに何者かにくっつかれていたようだ。
 いつからくっついていたのだろう。
 痛っ、と顔を歪ませてその足元に目線を配らせると、その影は徐々に澱みをきかせながら大きくなっていく。
「何だこれ…!?」
 へばりついてくる影を回避しようと両足を動かそうとするが、完全に纏わりついて離れようとしない。
「ロシュに付いた紋様の一部かもしれないね。ここは邪気が絡む物を寄せ付けない神聖な場所だ。契約するに当たって反発して出てきたものだろう」
 レナンシェは杖を床に着いた状態で詠唱する。杖で刺された状態のままの影は、そのまま詠唱によって発生した聖なる魔法陣に完全に捕らえられ激しく蠢きだした。
「堕落の証が出てきたって事ですか」
 まさか具現化されてくるとは。リシェの足元で抗う物体を緊張気味に見つめながらオーギュは息を飲み込む。
 レナンシェは「魔法が絡むと割と何でも有りになってしまうからね」と苦笑いしながら、影に対する魔法を更に強めていった。
「さて。本人はどこに行ったのか吐いて貰おうか」
 喋れるんだろう?と地面に固定された相手に問う。
「こんな形でも君はロシュの一部なんだからね」
 彼の発言にリシェは驚き、思わず顔を上げてレナンシェを見た。視線に気付き、ベテランの司祭はふっと微笑む。
「意外かい?これはロシュの体内から出てきた魔力の結晶のようなものだ。こんな結晶崩れでも、君への執着は凄いらしいけど」
 さっきも君を引き摺ろうとしてきたじゃないか、と続ける。リシェは再び足元の影に目を向けた。
 魔法陣の中に押さえられたそれは、時折反抗の隙を窺うように蠢いていた。
「いい加減何か喋ったらどうかな?」
 ひたすらリシェの足にしがみつこうとしてくる様子に、次第に飽きてきたらしい。レナンシェは更に魔法陣に力を込めた。真っ白な円陣は回転を早め、確実に影に対し追い込みをかけていく。
 聖なる力に押さえつけられ、苦痛を感じているのだろう。影は激しく波打つようにその身を上下させ、不自由な様子で反抗を続ける。やがて人の形に変化させながら低い声で唸り声を放った。
『邪魔をしないで貰えませんか』
 それはロシュの声だった。常に耳にする彼の声の雰囲気とは違い、暗く低い印象を受けたものの、明らかに彼のものだというのが分かる。
 澱み続ける黒い影はやがて人の形に変化し、リシェの足元を巻き込んではっきりとロシュの姿となっていく。
 リシェは固唾を飲んで変化していく目の前の物体を見つめた。
「邪魔をしているのはどっちだか…本体のほうはどこに隠したんだい」
 動きを完全に制御されたままの影は、稀に苦悶の表情を見せながら『さあ?』と意地悪な返事をした。
 オーギュは困りましたねとレナンシェに同意を求める。
「最初からしらばっくれる気ですか」
 自分も聖なる魔法陣を作成出来れば重ねて尋問出来るというのに、と少し悔やんだ。
 面倒な事で時間を割きたくは無かったのに。
『堕落した司祭が易々と再契約など出来るものか』
「あなたは何故出てきたんです。あなたはロシュ様の一部なのでしょう?」
 オーギュは影を見下ろしながら問う。
 最初は澱んでいた黒い影だったが、時間を追うごとに連れてはっきりしたロシュの姿に変化する。本人のウェーブがかった髪の揺らぎもきちんと再現されていたが、その表情は強気ながらもどこか卑屈っぽい印象を受けた。
 彼はオーギュの質問に対し『奴は私に負けたんですよ』と嘲笑する。
 ぴくりとオーギュのこめかみが動いた。
「なんですって?」
『だから、再契約するにあたって私の魔力の方が勝ったんです。堕落した者が再び契約するには、この内面から出てきた負の部分を消さなければならない。身綺麗な状態に戻す為には必要な事です。でも、向こうの魔力は相当減退していたようですね。あっさり力尽きてしまった。司祭として、もう再起不能なんじゃないですかねぇ?ああ、本当に残念な事です』
「ふざけるな!!」
 わざとらしく残念がる黒いロシュに対し、リシェは怒りを露わにする。
「ロシュ様はどこに居る!?お前には用は無い、返せ!!」
 絡みついたままのロシュは激高するリシェに対して若干驚いた表情を見せたが、すぐにふふっと嫌味に微笑んだ。
『私はあなたの望むロシュですが』
「違う!!」
『困った子ですね。常に優しく可愛がってあげているというのに…』
 未だに尻餅を着いているままのリシェに、黒い体を伸ばしながらロシュは近付く。ヒヤリとした冷たい感触が頰に触れた。
 うう、と呻くリシェ。
『はぁ…愛しい。やはりあなたは魅力的だ、リシェ。あなたの全身を舐めしゃぶった後に食べてしまいたい位』
「………!!」
 本質的には実物と何ら変わらないのは分かったものの、やはり違うとリシェは感じる。
 離せ、と彼の手を振り払った。
『おやおや、冷たい子ですね』
 その時、ロシュを捕らえていた円陣が更に威力を増した。急激な回転は彼の下半身に当たる部分をぎっちりと締め上げていく。
 苦痛を訴える叫びがこだました。
『何っ…をするんです!!小癪な!!』
 魔法陣を放ったままのレナンシェは冷たい目で影のロシュを睨んだ。
「おしゃべりが過ぎるね。こっちはそんな事を聞きたいんじゃないんだよ。ロシュは何処に居るかって聞いているんだ。時間が勿体無い。早く吐きなさい」
 痺れを切らしたのか元々短気なのか、レナンシェは徐々に力を増しながらロシュを脅す。司祭とは思えない行動だが、この場合は仕方無い。
 行動を完全に封じ込められ、尚且つ確実にダメージを与えてくる上級司祭を見上げてロシュは舌打ちした。
「あぁ、私もお手伝いしたかったのですが残念だ」
「気持ちだけで十分だよ、オーギュ。ここは君のような魔導師には恐らく場所が悪い。この堕落の証の欠片相手だと、下手すれば魔法が吸収されてしまうかもしれない」
 堕落の証そのものは魔導師としてのロシュの部分もある事から、迂闊に魔導師の魔法を放ったとしても無効化されてしまう恐れもある。
 しかもここは司祭のみが入れる特殊な場所だ。オーギュやリシェのように、攻撃的な魔法の使い手の入れる場所では無かった。今回は事情が事情なだけに、レナンシェが特別に魔法をかけて侵入出来ただけの事。
 ここは決して一般人は足を踏み入れるのは許されないのだ。
『仮にも司聖だった相手によくも…!!』
「都合が悪くなれば司聖という言葉を使うのはやめようか。昔からの悪い癖だ、ロシュ。さっさと本人を出しなさい」
 余程苦しいのか、ロシュはしなやかな身を捩りながら苦悶の声を上げた。やがて彼は弱々しく右手をかざすと、真っ白な空間が引き裂かれる。
 それまで白く染められていたものが、がらりと様相が変わって別空間が広がった。
「…何ですか、これ…」
 様々な色がマーブル状に混じり合い、暗く澱んだ異空間。見るだけで気分が悪くなりそうで、オーギュは不愉快そうな様子を剥き出しにする。
「随分と嫌なセッティングをするもんですね」
 影の姿のロシュはフン、と口角を上げた。
『堕落した者が更に堕ちる場所。これまで再契約に失敗した司祭崩れが最後に行き着く所です。別に私がセッティングした訳ではない。堕ちる場所に堕ちた者が悪い』
「…黙れ、ロシュ様を解放しろ!!」
 彼は好きで堕落した訳では無い。過去にどれだけ失敗した司祭が居るのかは分からないが、ロシュだけは絶対に堕ちたりしない。
 リシェは捕まれた足を必死に動かしながら怒鳴った。
 顔を真っ赤にして怒りを露わにするリシェですら愛しいのか、ロシュは恍惚の笑みを浮かべると『たまりませんねぇ』と溜息を吐いた。
『あなたもこのまま底に引きずってあげたい。その美しい体を永遠に愛でてやれたら…あぁ、私の精液で絶え間なく満たされたあなたの姿は、きっと最高の芸術品に仕上がるでしょうね、リシェ?』
 そのマニアックな言い回しも本人そのもの。
 リシェはヒクヒクと顔を引きつらせ、冗談じゃないと身を引こうとした。
 いくら美しい外見のロシュの姿でも、あからさまに変態的なセリフを吐かれるのは気分が悪くなりそうだ。
 まだ十代の少年には刺激が強過ぎる。
「あぁ、この気持ち悪い言い方も完全にロシュ様っぽいですね…本当、嫌な気分にさせられる位の最悪な言葉使いだ…」
 流石のオーギュもドン引いてしまう。
「全くだね。一体誰に似たのか」
 ロシュに一番影響を与えている本人の口から、しれっと他人事のような発言が飛び出る。オーギュはあなたがそれを言うのかと突っ込みたくなったが、ぐっと堪えた。
「…オーギュ。君はロシュの本体を探してくれないかな?私はこちらのロシュを締め上げる事にしよう。そのうち白状してくれるだろうしね。ここはさっきとは違って魔力の質が違うようだ。何かあっても君の魔法で対処出来るだろう」
「分かりました」
 リシェは完全に影のロシュに拘束されて依然身動き取れないまま。レナンシェに言われた通り、自分が気分が悪くなる空間内でロシュを探すしかない。
 幸い、この場は先程の空間より漂う魔力の質が自分に近いものを感じる。ロシュが神聖な環境を強引に歪ませた事により、魔法の制限が解除されたようだった。
『引き戻そうとしているんですか?全く無駄な事を』
 魔法陣からの妨害を受けつつ、ロシュは本体を探そうと動くオーギュに対して捨て鉢に言う。
 スッと目を細めるオーギュは当然でしょうと言い返した。
「戻って貰わないとこっちが困るんです。別にあなたの為にではない。自分の為でもあるしリシェの為でもある。大袈裟に言えば、アストレーゼンの為に戻って貰わないと」
『…堕落した司祭に何の価値があるのか。せいぜい頑張るといいですよ』
 そう言いながら、ロシュはまだ自由がきく上半身を強引に動かしてリシェの身を抱き締めようと手を伸ばした。
『私はリシェさえ居ればいいですから』
 はぁ…とレナンシェは深く溜息を吐いた。同時に魔法陣の威力を更に強め、円陣の回転が激しさを増す。
『…ぁあああああああ!!』
 魔法の力で描かれた円陣はミシミシと影の身を締め付け、窮屈にしていく。リシェに伸ばそうとしていた手を引っ込めながら、彼は苦痛の悲鳴を上げた。
 リシェは影とはいえロシュの苦しむ姿につい顔を背けてしまう。
「お喋りが過ぎる子だね。さっさと本人が居る場所を吐いてくれればいいのに、この調子だと延々無駄話を繰り返しそうだ。オーギュ、こっちの方は放っておいて構いませんから早くあの子を探しに行ってくれないか?」
「…分かりました。少し待ってて下さい。必ずあの人を引き摺り出してきますよ」
 面倒だが、彼が出て来ないと困る。
 レナンシェに促され、オーギュは周囲を探索する事から始めた。このいかにも化け物が出てきそうな、薄気味悪い空間のどこかに居るはずだ。
 閉じ込められているロシュを救い出せば、異質な環境からも脱せるだろう。
 足をそのまま進めていくにつれ、地の底から這い出てくるような低い声が耳に入ってきた。あの影のロシュが言うように再契約に失敗し、抜け出せない司祭の魂が入り組んでいるのだろう。
 ここは立ち合う司祭も手を伸ばす事すら不可能な、完全に救えない場所なのかもしれない。神聖な場所であるはずなのに、堕ちると永遠に罰を与えられてしまう。一度禁忌を破った者への救済は、それ位厳しいものである事を見せつけられた気がした。
「ロシュ様!!どこに居るんです」
 淀む空間の中でオーギュは声を張り上げた。
 唐突にぐにゃりと頭上が歪む。
 あちこちで聞こえて来た呻きや叫び声が一層近くなる。とにかく不快な環境だ。
 オーギュは声を上げるものの、様々な声に邪魔されて返事が聞こえてこない。いっその事、この場を魔法で吹っ飛ばして粗方片付けてから探してやろうかとすら思えてくる。
 枯れかけた木や草が立ち並び、その木々にはどす黒い卵のような物が付着している。稀に卵か繭か分からない物が上からぶら下がり、更に蜘蛛の巣も張り巡らされていた。
 堕ちた場所として生み出されてから、相当時間が経過している場所のようだ。ただ、ここは一体誰が作り上げたものなのだろう。
 堕ちた司祭の終着点とはいうものの、あまりにも厳しい仕打ちをするものだ。失敗すれば、もう生きて帰れないと言わんばかりではないか。
 地面も進んでいく度に泥濘みを感じる。
 先端の尖った革靴が汚れそうになり、潔癖症の片鱗が出現したオーギュは思わず眉を顰めた。
 何が悲しくてロシュはこんな場所に引っ張り出されていったのか。仕方無いとはいえどこまでも手間をかけさせてくる司聖だと思った。
「………」
 しばらく散策していると、やがて上からぶら下がっている大きな繭が目に付いた。それはまだ真新しく、少しずつ糸のようなものを発生させては外殻の厚みを増やしている。他にも似たようなものがあったが、新しいせいか目障りに見えた。
 鬱陶しい、とオーギュは魔力を軽く放出させる。
 根元に光弾をぶつけてやると、それは意外に脆くメキメキと音を放ちながら下にドスンと落下した。
 中には何が入っているのだろう。
 気になったものの、やはり不気味過ぎて触る気にもなれなかった。オーギュはそれを一旦スルーし、再び先を進もうと足を動かした。
 気付けば、先程の大きな繭のようなものがあちこちにぶら下がっている事に気付く。真っ白な物があれば、古くなって茶色く変色しているものまで種類は多数。
 顔を上げたままで、異様な光景に閉口していると何処かから小さく呻くような声が聞こえてきた。
『…れ、だ』
『つい…溶け…』
 不意に足を止め、その声に耳を傾ける。その声は一ヶ所だけではなく、他方向から交互に聞こえていた。
「誰か、閉じ込められているのですか?」
 ここに拘束されているかつての司祭が、まだ生存しているのだろうか。それならば救わなければならない。
 オーギュは詠唱し、自らの杖を出現させると改めて「どちらにいらっしゃるのですか?」と声の主に問いかけた。
 するとすぐ横の黒く荒廃した木の一部と同化している繭の一部分が蠢く。
『誰…か。居る…か』
「…はい。あなたも司祭様ですか?」
 足元で蠢く繭は、内部から軽く突いたように一ヶ所だけ膨らむ。
『あぁ、そう…だ。ここに、収められてずっと時間が経過しているだろう。そのうち、お前も私達と同じようにここに取り込まれるはずだ。堕落した司祭の流刑地のようなものだから』
「…私は司祭ではありません。ここに私の仲間が取り込まれてしまったので、その為に迎えに来たのです」
 オーギュの言葉を受け、足元の繭は驚いたのか一瞬言葉を途切れさせた。
『司祭でもない者が、この場に入り込むなど…』
「私で良ければ、あなたを救いだしますが」
『…救えるものか。生憎、私は完全にこの中に取り込まれてしまった。体がもう、動かない。時間もかなり経過している。…外に出ればきっとドロドロに溶解してしまうだろう。それに』
「………?」
『もう私はとうに寿命は超えているだろう。外部では生きてはいけない。救われても、結局この身は破滅する。生きていても苦しいだけだ』
 ここで無事に生還しても同じという結果になるのか。それを聞き、オーギュは構えていた杖を収める。
 救う事は可能だが、いずれにせよ無意味だという訳か。
「…そうですか…」
『可能ならば、その仲間を救った後で構わない。私をこの状態のまま、完全に跡形も無く燃やして欲しい。司祭ではないのだろう?』
 自ら殺してくれという願いに、オーギュは驚き目を見開いた。
『ここに取り込まれたら最後、堕落した司祭は諦めるしか無い。未来永劫ずっとこの場で腐っていくだけだ…お前の探している仲間はまだ救われるだろう。放置されればされる程、外部には出られなくなってしまう。きっと私以外の司祭も、同じ事を思っているに違いない。ここで時間をかけて溶かされる位なら、いっそ死にたいと』
 …まだ人として意識出来るうちに、生涯を閉じたいと願い続けてきたのだろう。
 彼がこの罰を受け入れたまま、一体どれ程の年数を要してきたのか。このまま緩やかに命を削られる位なら、一思いに死んだ方がマシだと結論付けたのかもしれない。
 オーギュは彼の気持ちを察し、哀しさを覚えた。
「…あなたは何をされてここに堕とされたのです?聞いた感じでは相当冷静な方だと思うのですが」
 そんなに堕落した司祭が居るものだとは思いもしなかった。このエリアに存在する繭の数だけ、司祭が取り込まれているのだろうか。
 にわかには信じ難い光景だった。
 足元の繭は自嘲気味に含み笑いすると、禁を破るのは簡単だと答える。
『難しいのはそれを守り続ける事。こちらも普通の人間だ。感情に左右されてしまう位、私が未熟だっただけだ』
「………」
 不意に来た道の方向から、パキンと異音がした。
 オーギュは一瞬振り返る。
『…ふん。お前、仲間がすぐそこに閉じ込められているのに気付いていなかったのか?』
「え?」
『中身が見えないから仕方あるまいか…一旦戻って確認してみるがいい』
 言われるまま、湿ったような緩い道を引き返してみる。足を踏み入れた時から感じた腐臭に顔を顰めつつ進むと、数分前に自分が根元を断ち切った真新しい繭がまだ蠢いていた。
 色合いも新しく見えるが、年季の入ったような巨大さを誇っている。
「…ロシュ様?」
 繭はガリガリと中から引っ掻くような音を上げていた。確実に、中に誰かが居るのは確かだ。やがて引っ掻いていた場所だったのか、外殻に小さな穴が発生する。
 ごくりと唾を飲み込んだ後、オーギュはその前に膝を付いて穴に触れてみた。
「私の声が聞こえますか?」
 繭らしいふんわりとした感触と、人間の体温のような暖かみがあった。汚れの無い白さを保っている球体は、ごそりと声に反応したかと思うと詰まったような声を発する。
『…ーュ、オーギュ…?』
 それは嫌になる程聞いてきた幼馴染の声。
 オーギュは安堵と共に、とにかく中から引きずり出さないとという義務感に襲われた。
「ロシュ様!!」
『何でこ…に』
 衰弱しているのか、口調に強さが無い。
「待ってなさい、この殻を割りますから」
『………』
 自分のような魔導師には全く繭が絡みついてこないのが不思議だったが、どうやら反応するのは司祭の持つ聖なる魔力に対して異常に触手を伸ばしてくるようだ。
 オーギュは微かに開かれた穴に指を入れると、力任せに引き裂く。
 積み重なった繊毛は意外に硬く、次第に面倒になったのか少しずつ魔法で焼き切っていった。バチバチと小気味の良い音を立て、繊維が燃える。
「…ロシュ様!」
 ようやく繭の中から彼の姿が解放される。衰弱しきったロシュは、繊毛によって体半分を覆い尽くされていた。
 引っ張られ、ロシュは残り僅かな体力を振り絞りながら上半身をゆっくり動かし始める。
「…すみ…ません」
 あまり声が出せなかった理由は繊毛によって阻害された為らしい。堕落の証の部分に反応しているかのように、びっしりと真っ白な毛のようなものがくっついていた。
 けほっと軽く咳き込み、全身に纏わり付く繊毛を払う。
「安心しました。ご無事で良かった」
「良くここが分かりましたね…」
 まさか魔導師である彼が、この場に足を踏み入れる事が出来るとは思っていなかったようだ。
 オーギュはふっと軽く微笑むと「レナンシェ殿のお陰ですよ」と返す。
「あのお方が居なければ、私はここに来る事は出来ませんでした。お礼ならレナンシェ殿に言って下さい」
 仮に自分ではなく、レナンシェがここに侵入したとしても、彼もロシュと同じように繭に取り込まれてしまったかもしれない。
 来てよかった、と内心ホッとした。
 ロシュを求めるかのように、切り離された繭の中の繊毛が再び絡もうと先端を伸ばしてくる。食事の扱いなのかもしれない。
 オーギュはロシュを引き離して舌打ちすると、「邪魔です!!」と一気に炎を放つ。まだ新しかった繭は、バチバチと端から端までゆっくり燃え広がっていった。
 しつこく絡んで来ないように魔法の膜を作り上げ、ロシュの身に纏わせる。
 ぐったりと寄り掛かってくるロシュに対し、オーギュはまだ魔力はありますか?と聞いた。疲労困憊のロシュは頭を押さえながら、あまり無いっぽいですと小さく呟く。
 相当な量の魔力を吸収されてしまったらしい。
 どうやら彼のように高位司祭の高魔力は、相当な養分になるようだ。
「あなたを抱えるだけ力はありませんからね。少し分けて差し上げますよ」
「…有難うございます」
 オーギュはロシュの首の後ろにそっと手を当てると、自分の持っている魔力を少しだけ注いだ。魔力の分散という補助の魔法だが、普段は旅の術者位にしか需要は無いものだ。
 魔力が無ければ術者はたちまち体力も失ってしまう為、緊急事態に陥った際の回避の手段として使われている。魔法を使う人間が最初に覚える初歩の魔法の一つだった。
 オーギュの手からじんわりと温かいものが流れ込んでいく。
「はぁ…この位で大丈夫ですよ。少し回復出来れば」
 少しだけ魔力が回復出来れば、ロシュは自分の魔法を使って体力の回復も可能になる。オーギュはそうですかと注入を止めると、彼から得た魔力と元手に自分の魔法で消耗した体力を回復を試みた。
 オーギュがロシュにかけた魔法の膜の効果で、触手を跳ね返せるので体力の消耗は回避出来る。僅かばかりの回復だが、自力で立てるようになった。
「さて…いつまでもあなたのお世話になる訳にもいきませんからね」
「そうですね。元々は私のような部外者が入り込める場所ではありませんから。司祭様の力を奪う環境に居るという事は、レナンシェ殿も危ないかもしれない。早々に戻らなければ」
 オーギュはそう言うと、助言をくれた繭の方に目を向ける。そして再び足を進めた。
 過程が分からなかったロシュは、不思議そうに首を傾げオーギュの名前を呼ぶ。
「どうしましたか?」
 ドロドロに溶かされたような道を進み、オーギュは振り返るとお礼を言わなければと答えた。
 堕落した司祭の成れの果て、と言うには言葉が過ぎるかもしれない。だがそうなってしまったのは、彼らにも理由があっただろう。
 気配を察したのか、繭の中で司祭が蠢いた。
「ありがとうございます。見つかりました」
『…そうか。それは良かった』
「…本当に助けなくてもいいのですか?もしかしたら元に戻れるかもしれない」
 このまま自分が彼の命を奪ってもいいのか、オーギュは不安になってくる。安易に命を奪える魔法の力を持っているものの、同じ人間を相手にするのは気が引けてしまう。
 本人は既に諦めているのだろうが、もしかしたらという一縷の望みに賭けてもいいのではなかろうか。
 戸惑いを見せている様子のオーギュに対し、繭の中の司祭は怖気付いたか?と嘲笑した。
 オーギュはそれもありますと正直に告げる。
 今まではこちらに敵意を剥き出しにしてくる魔物の類を相手にしてきたので躊躇いは無かったが、反撃の意思を持たぬ無抵抗の相手に同じ魔法を放ってもいいものだろうか。
 迷いが生じてしまった魔導師に、司祭は『お前の仲間にさせる訳にもいかないだろう?』と返す。
『司祭は無闇に生ける者を傷付ける事など出来ない。そうなればまた、ここに堕とされてしまうだろう』
「………」
『そうさせる訳にもいかないだろう?だからお前に頼んでいるのだ』
 オーギュの後に付いてきたロシュは、目の前に転がる大きな繭を見下ろし言葉を失っていた。自分もこの中に入っていたのかと驚く。
 戸惑いを隠し切れないのか、ロシュは「この中にもどなたかが入っているんですか?」とオーギュに問う。
「…ええ。かなりの年数をこの中で過ごされていたようです。こちらとしては助けて差し上げたいのですが…」
 ロシュは神妙な顔で繭の前に膝を着き、その感触を確かめるべく優しく触れてみた。
まだ温かい。内部からの体温が伝わってくるような気がした。
『早くここから出ていくがいい。魔力が尽きればまた取り込まれてしまうぞ』
「…まだあなたは生きています。中から救い出す事は可能ですか?」
 ロシュの問い掛けに対し、中の司祭は『無駄だろう』と切り捨てた。
『そこの魔導師に言ったように、私はもう相当な年月をこの中で過ごして来た。もう人間としての身も中と完全に同化していて、身動きが出来ない』
「………」
『このまま完全に同化してしまう位なら、まだ人間として生きている状態のまま息の根を止めて欲しいと頼んでいたのだ。私の事を考えてくれるなら、このまま殺してくれ』
 自ら殺してくれと頼んでくる相手に、ロシュは閉口した。
 そしてオーギュに目を向ける。
「オーギュ」
 どうにか救えないものかと思ったが、本人の意思は固そうだった。ロシュの体力を考えれば、彼を説得する時間も残されていない。
 思わず解決の道は無いかとオーギュの知恵を求めた。
「…無事に戻られたとしても、相当な時間が経過しているので人としての生活が出来るかも分からないそうです。人間としての原型が残っていないかもしれない。無闇に繭から出そうものなら、体が溶けきっている可能性もあると」
「そんな」
 この中に入り込めば本当に最後だという事なのか。
 ロシュは愕然とし、肩を落とす。
「どうにも出来ないというのですか…」
 あまりにも残酷な現実だ。
「…あなたは再契約でここに来たのですか?」
『そんな事を聞いてどうする?』
「再契約の為にここに堕とされるにはあまりにも条件が厳しいのではないかと思ったのです。…結局、生きて帰っては来れないじゃないですか」
 単なる契約の結び直し程度なら無事に終わると思っていた。単に魔法の禁を破った程度で、こんな残酷な場所に入り込むとは思わなかった。
 神聖な場所には似つかわしくない環境下に置き去りにされてしまうのはどうも負に落ちないのだ。
『禁を犯したのは事実。再契約が成功する人間も居れば、こうして失敗する者も居る。私やここに閉じ込められた者は、運が悪かったのだろう。そもそも禁忌を犯す事自体許されない事だ』
 魔法の使い方には一番気を配らなければならない職種なのは分かっているだろう?と逆に問われる。
「ですが…納得いきません。誰がこんな残酷な空間を作り上げたのか」
 司祭はふう、と一息吐いた。
そして間を置いてから再び言葉を放つ。
『今まで閉じ込められて抜け出せなくなった司祭の念のようなものが蓄積されたのだろう。ただでさえ高魔力を持つ司祭達の成れの果てが溜まる場所だ。悔しさや悲しみ、妬みが時間の経過によって蓄積されてしまう。この場にいる者は既に司祭ではなく、飼い殺しにされたままの傀儡のようなものだ。私もじきにそうなるだろう。だからその前に、そこの魔導師に殺して欲しい』
 オーギュはそれまで黙っていたが、やがてふっと瞼を軽く伏せると「…分かりました」と承諾した。
「オーギュ…!?まさか」
 ロシュは思わず声を張り上げた。彼が頷いたという事は、この捕らえられた司祭の命を奪うという事だ。
 司祭の立場から言えば、そのような残酷な事を看過する訳にはいかない。それも自分の仲間である同じ司祭だ。
 オーギュはいつもの落ち着いた様子でロシュにあなたは先に戻って下さいと告げる。
「ですが、助かるかもしれないのに」
「もう助からないとご本人は言っているのです。この方ももう覚悟の上でしょう」
「あなたは同じ人間に手をかけるのですか!?」
 声を張り上げてしまうも、体力が消耗しすぐに息を切らす。叫んだ後、彼は疲労の吐息を漏らしていた。
 繭の中の司祭は『そう感情的になるな』と同じ司祭であるロシュを叱咤する。
『私が望んだ事だ。お前が手をかける必要も無い。それに、私はもう人間ではない。傀儡の一部だ。人としての感情があるうちに、早く殺してくれ』
 オーギュは自らの杖を手に魔法の詠唱を始めた。
「ロシュ様。早く戻りなさい」
「オーギュ!?本気ですか」
「分かってないですね。仮に、私がここに閉じ込められて少しずつ人では無いものにさせられる位なら、一思いに殺される道を選びます。あなただって嫌でしょう?私が来なければこの方と同じになってしまったかもしれませんよ」
 確かに、彼が助けに来なければあの温かい繭の中で誰にも気付かれず吸収されていただろう。
「あなたの気持ちも分かります。ですが、このまま人ではないものに変えられていく彼の気持ちも考えて下さい」
「………」
 自分にもっと司祭として救える力があれば。
 オーギュに諭され、ロシュはうなだれる。
「どうしても生還の道を選べないというのですか…」
「彼の命をどうこう言える立場ではありませんよ。意思が無いのに、無理に生かそうとしたいと思うのはあなたのエゴでしかありません」
 確かにそうなのだ。自分らがどうこう言える事では無い。それは分かっているが、まだ生きているにも関わらず手をかけてしまう事に抵抗を感じてしまう。
 自分のようにうまく助けられないものなのか、と。
 まだ何か言いたげなロシュに対して、司祭は『私の事でそんなに悩む必要は無い』と静かに告げた。
『むしろ、もう人間と話をする事が無いだろうと思っていた。化物に同化しかけていたのに、自分は人間だったのだと思い出させてくれたのだ。それだけでも有難い…人として死ねる事が嬉しいのだ。まだ人として自分を認識出来るうちに私は死にたい。これ以上は何も望まない。だから私の事は気にするな』
 オーギュは繭の中で僅かに蠢く司祭に視線を向けたまま、さらに魔法の力をさせていく。
「ロシュ様。あなたは先に戻っていなさい。分けた魔力も僅かでしかない。魔法の膜の効果が切れるとまた繭に取り込まれてしまいますよ」
『…そこの魔導師の言う通りだ。命が消える瞬間を見るのは、職業柄耐えられないだろう。お前だけはここから立ち去るといい』
 …完全に覚悟を決めている。
 ロシュは悲しそうな顔をしたまま、分かりましたと承諾する。それは今まで見た事が無いような悲痛な面持ちだった。
 同じ司祭がこのような場所で永遠に閉じ込められ、無情にも時間をかけて人間ではないものに変化させられてしまうとは誰が想像出来ただろう。
「…では、先に戻ります。オーギュ、どうかこの方が少しでも楽になれるようにお願いします」
 これ以上何も言う事は無い。本人の気持ちが変わらぬ以上はどうする事も出来なかった。
 ロシュはよろよろとした足取りで来た道を引き返す。途中ちらりと背後を見たが、すぐに前を向いた。
「………」
 オーギュはロシュが無事に元の真っ白い空間に戻ったのを確認した後、再び朽ちかけた木の下にくっついたままの繭を見下ろす。
「最後に言いたい事がはありますか?」
 相手はしばらく考えたが、やがて『いや』とだけ返した。
『時間も相当経過しているだろう。私を知る血縁者も居ないはずだ。…こうして、他の人間と最後に会話出来るだけでもう思い残す事は無い。自分もかつて人として生きてきたのだと、思い出せたのだから』
 やっとだ。やっと死ねるのだ。そう彼は言うと、オーギュに問いかけた。
『お前の名前を聞くのを忘れていたな。最後に、他にも捕らえられている司祭達も同じように弔ってくれ』
 足元に出現する真っ赤な魔法の円陣を激しく回転させていくオーギュは、ふっと微笑むと分かりましたと返す。
「オーギュスティン=フロルレ=インザークといいます」
『オーギュスティンか。…この終わりの見えない空虚な時間を断ち切ってくれる事に礼を言う。最後にお前と会えて良かった』
 ありがとう。
 そう彼が告げた後、オーギュの作り上げた炎は司祭が入っている繭を直撃し一気に燃え上がる。
 バチバチと激しい音と共に、堕とされた司祭を拘束する柔らかで残酷な牢獄を激しく焼き尽くしていった。

「ロシュ様!」
 黒い影にひたすら絡まれていたリシェは、淀んでいた空間からゆっくりと抜け出してきたロシュの姿を見るなり声を張り上げていた。
 レナンシェは目を細め、随分と時間がかかったねと言う。
 見知った仲間の姿を見てどっと疲れが湧いたロシュは、出入口付近でがくりと両膝を着いた。
 与えられた魔力で回復をしたものの、やはり消耗が激しかったようだ。
「大丈夫ですか、ロシュ様」
『…ふん、二度と戻って来ないと思ったんですけどね』
 ロシュを模った影はリシェに抱き付きながら毒を吐いた。
「くっつくな!!」
 魔法陣に拘束されたままの窮屈な状態にも関わらず、彼はひたすらリシェに絡みついてくる。なかなか身動き取れないので流石に鬱陶しくなってきたようだ。
 レナンシェはロシュの元へ近付くと、彼の前に膝を突きながらぐったりとする身を支える。
「ロシュ」
「すみません。…ご面倒をおかけしました」
「オーギュは?」
 ようやく戻って来てくれたのは良かったものの、オーギュの姿が見えない。何故一緒ではないのかと不思議に思っていると、浮かない様子を保ったままのロシュは「今戻られますよ」と返す。
 レナンシェは周辺を見回してオーギュを探しながら、次第に異質な空間が薄れている様を確認する。そして消えかかっていると判断すると「あの子は何をしているんだ?」と怪訝そうに呟いた。
 ふん、と影は馬鹿にするかのように鼻で笑う。
『彷徨っているんじゃないですか?そのうち空間と共に入口も塞がれる。あの魔導師も今までの司祭崩れ同様、腐食繭に捕われ…』
 非情な言葉を言いかけたその瞬間、数メートル離れた先でボフン!と爆発音が鳴り響いた。
 空気が激しく揺れ、体が風圧で一瞬ぐらつく。まるで奥から突き出すような暴発を目にしたロシュは安心した様子で胸を撫で下ろした。
 暴発の先にはオーギュが居る。軽く咳き込みながら飛び出した拍子でバランスを崩し床に膝を着いていた。
「良かった。消える前に戻ってくれましたね、オーギュ」
 一方で納得いかない様子のもう一人のロシュは、ぐぐっと悔しさを剥き出しにしていた。
『戻ったですって…!?』
「…戻ってはいけなかったのですか?」
 依然座り込んだままだが、ロシュは分身した自分に問いかけた。彼は端正な顔を引き攣らせ、髪を振り乱しながら怒鳴り始める。
 信じられないと言わんばかりに。
『あそこから無事に戻れるなどとあり得ない!!お前達が無様に堕ちる様を見たかったのに!!』
 レナンシェはそれが一番の本音かと呆れ果てていた。
 忌々しげにこちらを見回した後、彼はずっとくっついていたリシェの身を強引に引き寄せる。
 うわ!と叫び声を上げる彼を完全に両腕で捕らえると、妖艶に微笑んだ。ギラギラとした目でリシェを眺めてふうっと軽く吐息を吹きかけ、低い声で威嚇を始めた。
『こうなったらこの子を道連れにしてやりますよ』
「!?」
『愛するリシェと一緒に閉ざされた閨で一緒に過ごすのです。ああリシェ、誰からも邪魔をされず、永久に離れないように縛り付けてあげる。美しい姿のままでずっとずっと一緒に』
 絶対に嫌だ、とリシェははっきり言いながら影から逃れようともがく。
 この意味の分からない世界で閉じ込められてしまうなど死んでも御免だ。自分達には自分達のあるべき場所があるのだ。枷を付けられ、動けないまま一生を終えるなど考えたくもない。
 だが影のロシュは『許しませんよ』と余裕の笑みを浮かべた。彼の手はもぞもぞとリシェの服の中に入り込み、僅かに刺激していく。
 その甘い刺激に未だに慣れないリシェは、思わず声を漏らしてしまった。
 元々同一人物の為か、彼が反応する場所を熟知しているかのような手つきだ。ううっと苦痛の表情を見せていく。
「君がここの住民なのは分かった。だが相手を無理矢理留めさせるのは感心しないな」
 レナンシェは立ち上がり、往生際の悪い影を見下ろしながら説得を試みる。
『リシェは私を愛している。私もリシェを愛している。何の問題もありませんよ?…ねぇ、それでも引き裂きますか?禁じられた魔法を使ってでも私達を引き裂きますか?ふん、出来ないでしょう、また堕落しますからねぇ!?あっはは、やれるものならやってみなさいよ。さあ、やりなさい!!ここは司祭にとって特別な場所でありながら最悪の墓場のようなものだ!奇跡的に助かったとしても、また魔法を使えばあなた方はまた堕落した司祭に逆戻りなんですか…』
 自分が有利だと思い込んでいるのか、影はリシェを抱き締め叫ぶが、途中で会話を途切れさせていた。
 リシェは自分に纏わり付く影の異変に気付き、実体の無い相手からの手を再び振り払おうとする。今まで払おうにも掴めず、虚しくひたすら空を切るばかりだったが今回は違った。
 影のロシュは自分の胸元を掻き毟る仕草をし、忌々しげに呻き声を発する。
『…っのれ…何をする気で』
 ロシュはレナンシェをちらりと見上げた。だが、彼は無表情のままで首を傾げる。
「はて」
 その口調はどこかとぼけたようなニュアンスだった。
 厚みのある法衣の裾を揺らしながら、自分の杖を軽く鳴らす。ベテランの司祭とあり、威厳のある様子を醸し出していた。
「何の事かな」
『私の体に何を仕込んだぁああっ!?』
 影は明らかに苦しみだしていた。胸を掻き毟りながら絶叫に近い声を張り上げる。
「私達は何もしていないよ。何しろ、司祭だから攻撃的な魔法は一切使えないからねぇ。『少しばかり魔力の流れを感じた』だけで。ねぇ、ロシュ?」
 意味深にくすくすと上品に笑い、ロシュに同意を求めた。一方でロシュもそんなレナンシェの発言に弱々しく苦笑いを交える。
「確かにそうですね。私達は何も出来ません。司祭ですから」
 ぐぬぬと影は胸を押さえ、では何なのかと苛立つ。
『しらばっくれるな!浄化の魔法か何かを仕込んだのか!?体が熱い、裂けそうだ!!何かしら私の体内に埋め込んだのだろう!?何とかしろ、一刻も早く消せ!私が消えてしまう、私が!!止めろ、体が焼け…』
 影が全身の異常を訴え悶絶している間、レナンシェの手が強引にリシェの身を引き離した。
『離れるなぁああっ!私のものだ、リシェ!!私と一緒に…私の、わたしの…ぉあああああ!!』
 断末魔が響くと同時に、彼の体内から何かが一気に膨れ上がり爆発する。
 ひ、とリシェは思わず引き寄せてくれたレナンシェの腕にしがみついていた。
 影はまるで黒い紙片のように粉々に散り、火薬のような匂いを発生させていた。かつてロシュの影だったものの哀れな末路を、一行は黙って見届ける。
 しばらく間を開けて、ようやくレナンシェが口を開いた。
「やっぱり君から出てきただけあるね、ロシュ。最初から最後までリシェ君に執着していたなんて」
 散り散りになった影は、ひらひらと地面に散らばった後でじわりと浄化されていく。ロシュは自分の分身が消える様を見るのは複雑なのか、気持ちのやり場が無い様子でここまで酷くは無いですよと弁明した。
 リシェはしがみついていた相手がレナンシェだと知るや、すぐにぱっと手を離す。そしてロシュに駆け寄ると、彼の体を優しく支えた。
「ロシュ様」
「リシェ。大変だったでしょう?」
 主人の言葉に、リシェは首を振るとご無事で良かったと安堵の笑みを浮かべた。
 ロシュの頬は完全に堕落の証が消失している。証を打ち消した段階で、再契約は完了したようだ。
「しかしまあ、よく遠隔で魔力の火種を飛ばせたものだよ。これは相当難しいんじゃないかな、オーギュ?」
 レナンシェは感心しながら近付いてくる魔導師を労う。
 爆発の名残でまだ喉に違和感があるのだろう。オーギュは軽く咳き込み、簡単な事ですよと杖を魔法の力で隠した。
「何事も応用です。あの影の中心に火種を飛ばした後で魔力を少しずつ送っただけですよ。ただ、気付かれないように魔法の流線を隠すのが面倒でした」
「ふふ…君ならどんな魔法も難無く使いこなせるだろうに。でも、これでロシュも助かった」
 オーギュはリシェに支えられているロシュに目を向けた。
「本当に終わったんでしょうか」
「勿論だよ。それまで半減していた能力も大分回復しているように感じる。私も司祭の端くれだからね、それは信じて貰っても構わないよ」
 レナンシェのお墨付きならばもう心配する事は無いだろう。オーギュは安心し、それなら良かったとだけ言った。
 これでまだ解決しないのなら完全に手詰まりになってしまう。
「オーギュ、レナンシェ」
 支えられ、ゆっくりと立ち上がるロシュは二人に話しかけた。まだ疲れがある様子だが、これから戻る為に水中に潜らなければならない。更に疲労が蓄積されるだろう。
 彼は通常よりも体力があるはずだが、今回ばかりは繭に取り込まれ魔力を吸収された為に相当消耗していた。
 もう少し休めば、水中に耐えうる体力も回復するだろう。
 上昇するだけならばそれほど力も使う事も無いはずだ。
「有難うございました。あのままだと、私はずっと中に取り込まれていただけだった」
 気付かれずに放置されていたらと思うとゾッとした。
 ただ、あの中は暖かく羽毛に包まれているかのように居心地が良かった。それも罠の一種なのだろう。これまで再契約に訪れた司祭達も、恐らく自分と同じだったのかもしれない。
 抵抗を試みようにも完全に拘束されたまま、ゆっくりと内部で半永久的に溶かされていったのだろう。
 ロシュは伏し目がちにしながら、「あの司祭の方は」と続ける。
「ご自分の最期に納得していたのでしょうか」
あの中にずっと取り込まれたままで、生涯を終える事に。
 未だに自分の中で納得いかないままのロシュに、オーギュはまだ言いますかと呆れる。
司祭の立場として、そう思っても仕方無いのだろう。
「あのお方にはもうああするしかありませんでしたよ。最後に彼のご希望に応える位しか、してあげられる事はありません。人間じゃないものになってまで生き延びたくは無いとはっきり言っていましたからね…」
 中で一体何があったのだろうと話を聞いているリシェはきょとんとして両者を見上げていた。
「そうですか…」
 やはり残念そうに神妙な表情でロシュは溜飲を下げる。
 もうこれ以上議論めいた事を繰り返すのも野暮だ。
「さて…あまりしんみりするのも良くないだろう。早く戻って休みたい」
 レナンシェは会話を切るように軽い口調で言うと、空間の出入口の淀んだ部分に触れた。触れた先がぶわりと歪みながら広がり、真っ青な泉の奥の光景が見え隠れしてくる。
「戻ろうか。ロシュ、これに懲りて魔導師の魔法は使わないように気を付ける事だね。もうここには来たくないだろう?」
 揶揄うようにレナンシェが微笑むと、ロシュも苦笑いでそうですねと返す。
「乗っ取られないように気をつけます」
「ふふ、あくまで自分のせいじゃないと言わんばかりだね。まぁ、今回は不慮の事故のようなものだから仕方無いかもしれないね。さあ、戻ろうか」
 コツリと足音を響かせ、数歩前進する。出入口となる淀みはレナンシェの手に反応するかのように際限無く揺れ、外側の水中へと誘った。
 リシェはロシュを支えながら前に進む。
「ロシュ様」
 優しい口調で主人を促した。彼はふふっとリシェの頭を撫でると同時に華奢なその体を胸元に引き寄せる。
「一気に上がりますから我慢して下さいね」
 息を止めなさい、と準備させた後にレナンシェとオーギュにお先に失礼しますとフロアから出て行った。入口はごぼりと空気を含んだ音を立てた後、また穏やかな淀みに戻る。
 レナンシェは何も無い真っ白い空間を見つめていたオーギュに向かって、どうしたのかと問いかける。
 オーギュは静かに向き直った後、闇の部分に囚われた司祭達の事を思い出しながら首を軽く振った。
「あの影の言うように、ここは司祭にとっては地獄と紙一重の場所なんですね」
 薄気味悪い異空間の中に響く阿鼻叫喚の叫びは、かつて人間として生きてきた司祭の救いを求める声だった。
 堕落した者として与えられる試練にしては、あまりにも難易度が高過ぎる。
 一人ではきっと、抜け出せない場所だ。
 入り込んでしまった司祭は堕落した自覚を持っていたから、その境遇に堕とされても受け入れるしか無いのだろう。
「司祭になる為に最初に魔導師としての魔法を学ばなければならないのは理由がある。人に危害を与える魔法を持ちながら、それを一切使わず一生我慢し続けられるか。自分を制御しながら生きていける覚悟を持たないと、司祭になる資格は無い。全ての生ける者に対し、破壊の力を持ちながら無害で居続ける事が司祭の一番の条件なんだ。堕落の証は元々、魔導師の名残が具現化された物。制御出来なかった魔力が形になったものだ」
「…制限の無い魔導師で良かったとつくづく思いますよ」
 率直なオーギュの感想に、レナンシェはふふっと笑う。
「むしろ性格で考えれば、ロシュよりも君の方が向いていたんじゃないかな…勉強熱心で真面目だからね」
 自分が司祭になるなど、考えた事もない。
「私が司祭になれば、すぐに堕落の証を付けられそうです」
 最初は親の期待に添えようとして学者になるつもりでいたが、結局魔導師として道を選んでいた。魔法の魅力に取り憑かれた今では、別の方向は考えていない。
 期待を裏切ったが、現状に満足している。
「ふふ…どちらを選ぼうが、君は優秀だから間違いは無いよ。さあ、戻ろうか。向こうでロシュ達が待ってる」
 そうですね、とオーギュは淀みに手を突っ込んだ。
 足を踏み出した直前に、不意に彼は背後をちらりと振り返る。
「私の魔法で、閉じ込められた方々が浮かばれると良いのですがね…」
 本来ならば司祭の手によって浄化されるべきであろう。自分の業火に焼き尽くされただけで、果たして供養となるのだろうか。
 オーギュには自信が無かった。
 悪く言えば、彼らを手に掛けてしまったのだから。
「残酷だが、ここではそのようにするしか無いよ。君は出来る範囲の事をしただけだ。彼らはあの地獄から解かれただけでも、君に感謝しているだろう」
「それなら、いいのですけどね」
 レナンシェの言葉に少しばかり気持ちが軽くなったオーギュは、ふっと微笑むと泉の中へと飛び込む。
 真っ白な空間を後に、続けてレナンシェも脱出した。

 流石にこれからまた仕事をさせる訳にもいかず、オーギュはリシェにロシュを休ませて差し上げなさいと命じた。
「え、本当にいいのですか?」
 意外な監視役の計らいにロシュはつい声を張り上げてしまった。
 日頃の疲れも蓄積されているだろう。
 構いませんよ、と答えると彼は嬉しそうな様子を見せる。
「で、では!リシェと一緒にいちゃいちゃしま」
「駄目です」
 目を輝かせながら言いかけるロシュに、すかさずオーギュは切り捨てた。
「体力が無くなってるんですから休みなさい」
「そ、そんな」
「その為に休めと言った訳ではありませんよ。さっさと戻って寝なさい。…リシェ、お願いしますね」
 がくりと沈むロシュの腕を、リシェは優しく掴みながら分かりましたと承諾した。
 浄化の泉の鍵を返却した後、中庭へ戻るとレナンシェがオーギュを待ち構えていた。
「やあ」
「レナンシェ様、お疲れ様でした。ロシュ様の分も含めてお礼を申し上げます」
 改めて礼を告げながら頭を下げる。
 レナンシェは少しばかりの小皺を目立たせながら穏やかに笑みを浮かべて「あの子の為なら出来る事はやるさ」と言うと、昼を超えて夕刻に近い空を見上げる。
 部分的にガラス張りの天井から降り注いでくる穏やかな光を眩しそうに目を細めて見た後、彼は二度は無いように願いたいねと軽く頭を掻いた。
 オーギュも頷く。
「ええ。こりごりです」
「さて。用事も済ませたし、私もゆっくり休む事にしようかな。ロシュはリシェ君に連れて行かれたからね」
「…レナンシェ様。リシェにやけに突っかかっていたような気がしましたが…」
 指摘されたレナンシェは、ふふっと吹き出した。
「大人げ無いと思ったかな?私も自分でそう思っているからね。あの子がロシュの前に立って、必死に大人振ろうとしているのがいじらしくてね…つい揶揄いたくなるんだよ」
「はあ…」
「同時に少しばかりの嫉妬もある。ロシュに好きなだけくっついて、とにかく生意気な子だとね…まあ、前回は沢山苛めすぎたからね。今回ばかりは花を持たせてあげないと」
 前回何があったのかは知らないが、リシェと同じくこちらもわだかまりがあるようだ。お互いがお互いを牽制し合っている様子に見える。
 二人の間に確執がある様子だが、話し振りから察する事が出来るので詳しくは聞かないようにした。
「そうだ」
 話題を変えた方がいいかなと考えていたオーギュは、不意に口走る。レナンシェは突然声を張り上げる彼を不思議そうな面持ちで首を傾げた。
 オーギュはにっこりと微笑むと、レナンシェに「美味しいお酒にご興味がありますか?」と問いかけた。酒はとても好きだよ、とレナンシェは話に乗ってきた。
 それを聞き、オーギュは内心ホッとした。彼はお酒はそこそこ飲めるだろうと踏んでの問い掛けだったのだ。
 仕込んでいたローストビーフも沢山作り過ぎてしまったので都合が良い。
 自分とファブロスだけでは捌き切れなかった。
「実は沢山ローストビーフも仕込んでて、楽しくて作り過ぎてしまったんですよ。宜しかったら、私の部屋にご招待しますよ。今回のお礼も兼ねて…如何ですか?」
 私のファブロスも一緒で良ければ、と前置きして。
 レナンシェはいいねぇと嬉しそうに微笑むと、それならお邪魔しようかなと誘いを受け入れた。
「ああ、良かった。助かりますよ。では行きましょうか」
「晩ご飯は何にしようかと考えていた所だ。君が作る料理はさぞ美味いだろうね」
「お疲れでしょうから、ゆっくり寛いで下さいね」
 レナンシェはそれだけでも来た甲斐があるねと戯ける。
 終始穏やかな会話を交え、二人の術者は少しずつ人気が少なくなってきた中庭を後にした。

 早々と熱い湯に浸かり、完全にリラックスした格好のロシュは流石に体力も底に尽きたらしく大きな天蓋付きのベッドに横になっている。
 リシェは彼の法衣を畳んで洗濯用の箱に収納した後、横たわる主人に近付いた。湯上がりの石鹸の香りを室内中に漂わせながら、ロシュは大好きな相手の名前を呼ぶ。
「リシェ」
「はい、ロシュ様」
 枕元に身を寄せたリシェは、はだけていたロシュの羽毛布団をしっかり掛けた。
 温まったせいか、眠気に負けそうな彼の頬を優しく撫でるとゆっくりお休み下さいと静かに告げる。
「あなたも、一緒に…」
「俺はまだ湯に入ってませんから。少しだけ、やる事も残ってます。でもここに居ますから」
 ここに居るという言葉を受けて彼は安心したのか、次第に瞼が落ちていく。
「リシェ…リシェ。ここに、居て」
「はい。ずっと居ます。ロシュ様、ですから休んで」
「ん…リ…シェ…」
 やがて彼は寝息を立て始める。それを見届け、リシェはずっと頬を撫で続けた。
 …お風呂上がりでも、完全に堕落の証が消えている。
 リシェは安心した。元の美しいロシュの顔を眺めながら、これでひと段落したと。
 大人なのに子供のようなロシュの寝顔を眺める。
 リシェは彼の前髪を指先で寄せ、軽く撫でた。まだ湯冷めしていないせいかとても温かい。
 風邪を引かないように後で窓も閉めてあげないと、と寝顔をしばらく堪能する。
「お休みなさい、ロシュ様。…ゆっくり休んで下さいね」
 リシェはそう告げた後、再び同じ場所に口付けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

処理中です...