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その3 新連載はじまります③

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「せめてよろしく、くらいは言いなさいよ。これからお世話になるんでしょうが。それに“れいら”のキャラデザ、あんたも絶賛してたじゃない。これから千早くんの協力必要なんでしょ、ほれっ!」

橘さんはおもむろに立ち上がり、ぐいとくれあ先生の頭を押して無理やり頭を下げさせた。

「ぐ…ぐあ…。」

くれあ先生の首に強烈に負担がかかっているのが傍目にもわかる。



でも“れいら”ちゃん、あれで良かったんだ。嬉しい。



正式にアシスタントと言われた日、僕はひとつ課題を課せられた。



“なにひとつ不足のない高校一年生女子のキャラクターデザイン”

新連載に使うため。ストーリーは全く知らされていない。れいら、という名前以外は身長体重髪の長さや色の指定も一切なかった。でも代わりにか具体的なのか抽象的なのかよくわからないコメントがやたらと書かれていた。



“全てあとひとつ加えれば、ずば抜けてしまう。ギリギリ踏みとどまっている。それでも素材のよさを隠しきれない。本人が頑張っているという部分は、“歯磨きをする”程度の周囲にとっては当然すべき部分であるため、頑張ってるうちに入らない。”



散々悩んで、授業そっちのけで描いた甲斐がありました。



「あっ!」

橘さんが叫んだ。



くれあ先生が顔を上げたからだ。



「…れ…れいらは任せるから…頼む。さい・・しょ・・初回から出るから。」



…苦しげにせつなげに、なんか妙にセクシーな声。



顔を上げたその一瞬、前髪の隙間から、綺麗な目が見えた。澄みきった、だけど親に置いていかれてひとりぼっちになることを恐れているような子供みたいな目。



さみしそうな…。



「ちょっ、夕凪!」

 橘さんが抗議めいた声を上げたけれど、くれあ先生はためらうことなく、ものすごい勢いでその場から去った。



バタン、とドアを力一杯閉める音が響くと、橘さんは、はああ、と大きくため息をついて立ち上がった。



なにがなにやら、よくわかんないし、わかっちゃいけないぽいけど。



夕凪くれあはイケメンで、部屋は別だろうがアシスタントに入る日は基本2人きりなんだ。

2次元と3次元のイケメンに囲まれて、原稿最初に見て、お金が入るって、一挙両得、いや三得。



「どうぞ。ここ今ルイボスティしかなくて悪いけど。好みの飲み物があれば持ってきて、必要経費として払うから。」



目の前のテーブルにソーサーに乗ったカップが置かれた。ほんわか湯気が漂う。



「あれが夕凪くれあ。わかったでしょうけどコミュニケーション能力ゼロだから他人との関わりは最小限なの。」

橘さんはネコの絵のついたマグを持って、そう言うとまたため息をつく。



「本当はあなたとも会わないまま仕事をするつもりみたいだったから、時間をごまかして強制的にやったんだけど。」

僕はルイボスティをすすった。



「…もう一度だけ聞くね、不安ならキャンセルを。」

橘さんは口をつけることなく、マグをテーブルに置いた。僕に尋ねつつも、橘さんの方が間違いなく不安いっぱいの顔をしている。



 まあ、どう言い訳されようがコミュニケーション取るのが簡単そうでないのは明らか。

 そして僕の想像していたのとは遥かにかけ離れてて、確かに近づきすぎたらぶん殴られそうではあるのだけど。



 けどけど。



 「キャンセルはしません。だって、れいら頼まれたし。」

 あんな少年通り越してちっちゃな子供みたいな目で言われちゃったし。そういうの、断れない性格なんだよね、僕。



 「い・・いいの?本当に?」

 橘さんは間違いなく僕がキャンセルすると思っていたらしく、動揺した様子で早口に言った。僕は分かりやすく大きく頷く。



 「はい。でもひとつだけ教えてください。」

 でも、今見たあんなに人とのかかわりを避けたがる人が“夕凪くれあ”なのだとしたら。



 「・・なに・・?」

 橘さんが困ったような顔をする。



 「僕がくれあ先生の作品好きなの、絵やストーリーは勿論なんですけど、登場人物の心理描写がとっても繊細なところなんです。ちょっとした視線とか、手や指先の動きとか、短いセリフも、ああ、これこれ、もう適格すぎて足すとこない、くらいにぴったりしたのを持ってくるでしょ?それを今お目にかかった“あの”くれあ先生が全部描かれてるんですか?橘さんが細かく指示しているんじゃ・・。」

 だとすれば、メインは今会ったイケメンであっても、“夕凪くれあ”は橘さんとイケメンのユニット、2人で1人なんじゃないのかな。



 でないと、あんなにたくさんの人物の細かい差や感情の描写をかき分けられるかな?



  大好きな“夕凪くれあ”の作品に関わるんだもん。そこは大切なところ。

 

  橘さんが微笑んだ。



「間違いなくあいつが全部夕凪くれあ。あいつには昔からひとつのセリフや誰かのちょっとした癖から物語を作る才能があるの。そして人の思いを感じとる能力ちからがある。感じ取りすぎちゃうから、あいつは人との関わりを最小限にして生きてるんだ。」



  ・・・今日2度目のなにがなにやら、よくわかんないし、わかっていいものなのやら。



 「【Secret scissors】も今行ってる美容師さんの言葉から出来た作品だしね。うっとおしすぎて自分で前髪切っちゃって、美容師さんから“僕の切り方じゃない。ちゃんと後々のこと考えて切ってたのに”って頭抱えられてそこから作った話。この階に入って・・る・・1人貸し切り美容室・・。」



 ・・・それ、ものすごーくいいとこで出てきた超絶絶妙なセリフだったんだけど・・元ネタそれ?



 この階の美容室って、そう言えば店というか扉があったっけ・・。ずいぶん身近すぎるところからネタ掴んでるんだなあ。



 「・・・いた・・いたた・・。」

 目の前の橘さんがお腹を両手で抱えるようにしながら、顔をしかめている。

 「えっ!」



 もうすぐ生まれるっていう妊婦さんのこの状態は?!



 「いっ・・。」

 額に脂汗のようなものまで浮かんでいる。

 これって、間違いなく陣痛だよね?!



 「あっ・・あのタクシー呼んで・・。」

 目をぎゅっとつむり、痛みをこらえているような表情で橘さんは言った。片手でソファを手すり部分を掴んでいる。

 「はっ、はいっ!ゆ、夕凪先生は?!」



 「あいつはムリ・・。役に立たないから・・タクシーと田所さんに。」

 「はっ・・はい!」



 憧れの夕凪くれあの事務所における僕の初仕事は、なぜか妊婦さんを病院に届けることでした。
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