錦と氷、やがて春

雨ノ川からもも

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いってらっしゃい

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 ――センター試験行く途中で、うちに寄ってくれないかな。渡したいものがあるから。
 車に揺られながら、彼の言葉を思い出す。
 昨日の夜に突然、しかも電話で直々に言われたものだから、母にあわてて頼み込んだ。「あの、春川サクラからのお願い」という切り札がなければ、またやり合う羽目になっていたかもしれない。彼が聞いたら嫌がりそうだが。
 目的地に到着し、興奮気味の母を無理やり車内に残して車から降りると、彼はすでにアパートの前で私を待っていた。
「渡したいものって、なに?」
 小走りで歩み寄りながら尋ねる。悪いが、そんなにゆっくりしている暇はないのだ。
 晴れたので道は問題なさそうだが、それでも試験会場までは一時間以上かかる。
 すると、彼は「これ」とシリコン製の型から何かを取り出した。
 太陽の光を受けて輝く、氷の――
「指輪……?」
 思わずこぼすと、彼は小さくうなずいてしゃがみ込み、「右手、出して?」と促す。
 従うと、
「集中して試験に臨めますよーに」
 言いながら、きゅんと冷たい指輪を、私の右手人差し指にはめた。
 予想外の位置と一言に、ちょっと気が抜けたのは秘密だ。
「前にも言ったけど、君は急いで大人になろうとしすぎてる。それも、きれいなね」
 彼はそう呟いて立ち上がり、眩しそうに空を仰ぐ。
「でも、そんなの無理だよ。大人って、時が経てば経つほど穢れていくし、ただ歳を取れば立派になれるわけでもない。大事なのは重ね方だから、無駄に焦らなくていい」
 そして、すっとこちらを見つめる。
「君は、氷の中の金魚にはなれないし、なっちゃダメだ」
 言ってくれるじゃないか。なら、私だって。
 励ましと、静かな対抗心が入り混じったような感情を抱きながら、私は「ねぇ」と優しく指輪に触れた。
「氷って、こうやって撫でる――慈しむと、少しずつ溶けていくでしょ? お母さんはユキさんに、そういう人になってほしかったんじゃないかな。誰かの心の氷を溶かすような、あったかい人」
 私に、そうしてくれたみたいに。
「素敵な考えだけど、あの人にそんな学はないと思うな」
 苦笑交じりで否定する彼に、
「都合のいいように思い込んでたほうが、気楽なこともあるよ」
 重ねると、今度はすべてを悟ったように、少しかなしげに微笑んだ。
「さて、そろそろ行かなきゃ」
 私はそっと指輪を外す。
「これ、しばらくユキさんが持ってて」
 託せば、彼は「えっ?」と心なしか戸惑った様子で受け取った。
「車の中で溶けたら大変じゃん。母に見られたくないし。試験終わったら、また取りに来るから」
 言い加えると、その表情がふっとやわらぐ。
「じゃあね」
 背を向けて数歩進んだとき、
「アカネ!」
 ふいに呼び止められる。
 振り返ると、
「いってらっしゃい」
 満面の笑み。
「――いってきます」
 答えて走り出せば、吹く風に、かすかに春を感じた。
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