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私の価値は
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「印税やらなんやらは全部母親が握ってたから、金もなくてさ。最初のうちは友だちの家に転がり込んだりして、二年間バイトで浪費した。いっそ死のうかなって思ったこともあったけど、あんな人たちに負けたんだって考えると、それも悔しくて」
ずっと自嘲するようなトーンで話し続ける彼に、どんな言葉をかければいいか分からなかった。彼は数奇な運命によって、他より早く大人にならざるを得なかったのかもしれない。
「毎日がむしゃらに生きてるうちに、気づいたら二十歳の誕生日が来て、さすがにまずいって、このままじゃ俺もダメな大人だって思ったんだ。手に職つける気にはなれないけど、せめて趣味のひとつでも見つけて、昔みたいに極めようって」
そんなとき、真冬のアパートの屋根から垂れ下がる氷柱に惹かれ、メグさんの言葉を思い出した。そうしていろいろ模索した結果、氷彫刻にたどり着いたのだという。
「ふたりで金魚作ったときも軽く話したけど、名前ってよっぽどの事情がないと変えられないじゃん? だから、自分を表すものくらい、好きになる努力を、みたいな。銀髪にしたのもその一環。正直、春川サクラっていう過去の自分を忘れたい気持ちもあったし、ただの天邪鬼かもしれないけどさ」
天邪鬼でもなんでもいい。彼が強い人で本当によかった。
「この前の女性はそのメグさんだよ。彼女、三十歳を機に独立したんだって。また一緒に書いてくれないかって誘われたんだ」
彼は「まあ断ったけどね」と苦笑した。
「今でこそ、あの後任編集者も純粋に面白いって感じてくれてたのかなと思えなくもないけど、あんな経験は二度とごめんだ。俺、皮肉にもそこそこ売れっ子だったから、中古品はいまだに出回ってるだろうし、十字架は背負ったままなんだよな。もう書く気も、それを売る気もないよ」
あの夜は、メグさんと会ったことで過去の諸々を思い返してしまい、むしゃくしゃして飲んでいたらしい。
彼の本をよく目にしたのは五、六年ほど前。私が中学生、もしくはまだ小学生だった頃だ。だとしたら話の辻褄も合う。
消えた天才高校生作家、というわけか。
それはまた、彼が苦手とする部類の大人たちが食いつきそうな話題だ。本人が苦しみ続けるのも無理はない。
でも、
「――すごいと思う」
ようやくひと声発した私を、彼はきょとんと見つめた。
「だって、お世辞でも褒められたら嬉しくない? それに、不純な目的があるって分かってても、私だったら、求められる限りずるずるやっちゃいそうだもん。理由はどうあれ、ダメだって思って、スパッとやめられるのはすごいと思う。全然流されてないよ」
すると、彼はそっぽを向いて二、三度咳払いした後、
「で? 俺は全部白状したけど、君は? なんで二週間も音沙汰なしだったのさ。しかも既読だけつけて」
そう言って、じっとりと責めるような眼差しを向けてくる。
「あぁ」
なんとなく居住まいを正し、
「年末年始だったっていうのもあるんだけど……」
ためらいがちに切り出すと、彼の視線がきつくなった。
はぐらかさないから、そんなに怒らないでくださいよ……
「母をね、説得してたの」
「説得?」
「そう。やっぱり美術系の勉強がしたいって」
言うと、彼が再び目を見開いた。
つい先日までは、とくにやりたいこともなかったし、母と同じ国語教師の道に進むつもりでいた。母の背中を追いたいというわけではなく、むしろ文字通り反面教師にして、理想の在り方を見せつけてやろうと、くだらない意地を張っていた。
だけど、彼に出会って、新しい世界に触れてしまったから。
突然の進路変更に、母は当然難色を示した。美術なんて将来安定しないでしょ? と問答無用で却下された。
だから、説得し続けた。毎日のように話し合って、彼とのことも打ち明けて、一時的な心変わりなんかではないのだと、ひたすらに訴え続けた。
その甲斐あって熱意は認めてもらえたものの、時期的に今から進学先を変更するのは厳しいし、芸術系は先行きが不安だという母の思いも変わらない。
結局、教員免許取得の条件付きで、学部を文学部から芸術学部に変えるということで折り合いがついた。
「メッセージにはすぐ気づいてたんだけど、いろいろ落ち着いてからちゃんと会って報告したいなって思ってたら、いつの間にかこんな時期になっちゃって」
センター試験は来週に迫っているし、チャンスは今日しかない! と意気込んで連絡したのだ。
「大変だったけど、話の決着がついたときに、母が言ってくれたんだ。やりたいことがあったなんて知らなかったから、嬉しいって」
――あなたには、しっかり教養を身につけて、自分の足で歩いていってほしいの。できれば、安全な道をね。誰かのために生きるのも大切だけど、そればっかりになっちゃうと、悩んだときや失ったときに、どうすればいいか分からなくなってしまうから。
――わたしってダメね。自分でも気づかないうちに、また、大事なものを手放そうとしてたのかもしれないわ。
その言葉を聞いたとき、ふと思った。
母にとっての私の価値は、優秀なことではなく、「娘であること」そのものなのかもしれないと。
別々の人間同士だから、ぶつかり合うこともたくさんある。もしも私が罪を犯したら、泣いて喚いて叱るだろう。
だけどきっと、世界中が私を憎んでも、母だけは味方でいてくれる。見捨てないでいてくれる。
そんなことを、ただ純粋に、恥ずかしげもなく思った。
「まだ漠然とだけど、やりたいことは見つかったし、親子関係はちょっぴり修復された気がするし、全部、ユキさんのおかげだよ。ありがとう」
素直な感謝の気持ちを述べると、彼は突然、「う~……」とうなって背を向け、掛布団に潜り込んでしまった。
「おぉぉ、どうしたどうした、頭痛い?」
「違う。痛いけど、違う」
「えっ、なに? どっち?」
困惑していると、彼は布団をガバッと剥がし、
「君って、なんで高校生なのかなーって」
ふて腐れたように吐き捨てて、また潜る。
「はっ? へっ? どういう意味!?」
それからは、潜ったままで一度、「もういい!」と叫んだきり、何も答えてくれなくなった。
相変わらず、面倒くさい男だ。
*
――四つなんてたいした年の差じゃないよ。だって、あたしとはその倍あるじゃない。頑張って。
「それが結構大きいんですよ。メグさん」
俺は、カーペットの上に大の字になって、むなしく呟いた。
たかが四つ。されど四つなのだ。
彼女が世間的に、大人と認められるまでは。
それに、彼女の気持ちも定かではない。懐いてくれているとは思うが、俺と同じ類かどうかは分からない。変なとこ鈍感だし。
ひとりで舞い上がったら単なる変態だ。犯罪者だ。
気を引き締めて。
本音を言えば、進学したら都外に出るみたいだからあんまり会えなくなるし、今までと違って女子校じゃないからハイスペックなやつが山ほどいるだろうし、こちらとしてはさっさと唾をつけておきたいところなのだが……俺の金魚だぞーって。
でもやっぱり、大人たるもの、我慢しなきゃダメか。
あぁ、大人って、しょっぱい。
俺は深いため息をついて起き上がり、キッチンまで行くと、冷凍庫からあるものを取り出した――とたんに不安になった。
待てよ? これ、ギリギリアウトか? ヤバイ人認定されちゃうやつか?
いや、いいよな。すぐ溶けてなくなるし。願掛けの意味もあるんだし。つける位置さえ考えれば。
そもそも、これで引かれるようなら、最初から勝ち目なんてないのだ。
きっと鈍感な彼女には、これくらいしないと伝わらない。
せめてもの牽制。
男になるんだ、俺。
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