錦と氷、やがて春

雨ノ川からもも

文字の大きさ
上 下
6 / 8

叱ってほしかったのに

しおりを挟む
 *

「ねぇ、もうすぐ死ぬの?」
 玄関まで出てきた彼を見て、新年の挨拶より何より真っ先に、縁起でもない質問を投げてしまった。
 だって最近、会うといつもひどい顔をしているから。
 私の言葉に、彼は「そんなにヤバそうに見える?」なんて苦笑して、
「二日酔いだって言ったじゃん。頭痛いだけだよ」
 表情を崩さず、「どうぞ」と私を室内へ通す。
 よかった。思ったよりも元気みたいだ。
 とはいえ、私に言われなくてもおとなしくベッドに向かったあたり、重だるさはあるのだろうけれど。
「二日酔いに効きそうなヨーグルトとかスポーツドリンクとか買ってきたけど、どうする?」
「ありがと。でも今はやめとこうかな。万が一、吐き気がぶり返したら困るし」
「おーけー。じゃあ、冷蔵庫に入れとく」
 言って、見舞い品をキッチンの冷蔵庫にしまい、
「起き上がらなくていいからね」
 そう前置きしながら、あらかじめベッドの傍らに用意されていたダイニングチェアに腰をおろす。
 それからしばらく、お互いにどう切り出したものかと悩むような沈黙が続いたが、
「……春川サクラって作家、知ってる?」
 やがて、こちらに背を向けていた彼が仰向けに姿勢を変え、ゆっくりと口を開いた。
「あっ、うん。私は読んだことないけど、たしか、母が好きで」
 数年前によく読んでいた気がする。まだ高校生なんですって、なんて言いながら。
 書店でも、何度か平積みにされているのを見かけたことがある。
「光栄だな」
「えっ? 何が?」
「それ、俺なんだ」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……マジ?」
「うん。マジ」
 作者名から女性だと思い込んでいたし、にわかには信じがたい話だが、先日でもあるまいし、こんなときにおふざけは言わないだろう。彼が小説を書いている姿は……まあ想像できなくもない。
「でも、ここ何年も新刊出てないよね? なんで?」
 母が残念がっている姿が、うっすら記憶に残っていた。
「やめたんだ。――うんざりしたから」

 *

 俺は昔から、変わった子だと言われることが多かった。
 保育園の頃から、ブロックで遊ぶより空を眺めたり絵本を読んだりするほうが好きで、仲のいい友だちは女の子ばかり。
 成長とともに孤立しないよう空気を読むことを覚え、男子とつるむことも増えたが、野球も秘密基地も、別段楽しいとは思えなかった。
 でも、わざわざ断る理由もないから、誘われれば仲間に入って、一緒に騒いで。
 学力は中の上。遊び人な母親とのことを除けば、人間関係も概ね良好。流されるままに生きるのは、楽だけどなんだかつまらなかった。
 味気ない自分の人生に転機が訪れたのは、高校一年のとき。部活にも入っていなかったので、夏休み中に時間を持て余して読書に明け暮れるうち、自分でもやってみたくなって、衝動的に一作書き上げた。
 せっかくだからどこかに応募しよう。
 締め切り近いからここでいいや。
 ペンネームは……自分の名前が嫌いだから、真逆のあったかそうな感じで。
 そんな軽い気持ちで送った作品が、どういうわけか特別賞に引っかかり、そのままデビューが決まった。
 受賞作が恋愛あり家族愛ありの青春ものだったこと、ペンネームが女性的だったことから、イメージ保持のために素顔と性別は非公開。
 だが、そのわりに現役高校生であることはやたらアピールするし、受賞者インタビューで、
「この作品を書いたきっかけはなんですか?」
 と訊かれ、
「なんとなくです。夏休み中暇だったので、書いてみようかなと。単に、普段から思ってる不満や疑問を、誰にでも分かりやすい形に落とし込んだっていうか」
 と答えたら、「高校生作家」の前に、「天才」の枕詞がつけられるようになった。
 意味が分からない。
 夜遅くまで身勝手に遊び歩いていた母親も、家で俺の帰りを待っているようになったし。
 大人って、変な生き物だ。
 拭えない不信感を抱きながらも、俺が筆を折らなかったのは、担当編集者である栗本くりもと恵美めぐみ――メグさんの存在があったからだ。
 ある日の打ち合わせで、デビュー作が発売したら作家を引退しようと思っていることを何気なくこぼすと、彼女は「えー、もったいない!」と叫んだ。
「だって、もともと書くのがそんなに好きだったわけじゃないし……」
 そのときに聞かされたのが、例の「好き嫌い理論」だった。
「まずは踏み込んでみようよ。きちんと向き合った上で、ハルくんがそれでも嫌いだって思うなら、やめればいいからさ」
 最初こそ、「やけに暑苦しい人だな」とか、「彼女もどうせこの会社の人間なんだから、腹の中ではよからぬことを考えてるんだろうな」なんて思っていたが、一緒に仕事をするうちに、情の深さに気づかされた。
 俺の文章をより伝わりやすく添削し、俺の妄想でしかないキャラクターを、まるで生きた人間のように慈しんでくれる。シーンひとつひとつを丁寧に読み込んで、ときに涙し、ときに熱く語り合う。締め切りに追われて手を抜いた部分は、すぐに見透かされてしまう。
 これは後から聞いた話だが、彼女は最終選考の手前で落ちかけていた俺の作品を猛プッシュし、担当も自ら名乗り出てくれたのだそうだ。
 ひとりのファンとして作品を敬愛してくれる彼女と、切磋琢磨していけるのが、作家として成長していけるのが、何よりの喜びだった。
 この人の誠意に、全力で応えたい。ただその一心だった。
 だけど、満ち足りた日々は、突然終わりを告げる。
 デビューして二年が過ぎた頃、人事異動の関係で担当替えがあった。
 今度の人はこの道十年のベテラン男性で、本人曰く、「褒めて伸ばすタイプ」らしい。
 いざメールで原稿を提出してみると、言葉通り、誤字脱字以外の欠点をまったくと言っていいほど指摘せず、称賛の嵐で。
 これはこれで心地いい――とは思えなかった。
 久しぶりに沸き上がってきた大人への猜疑心。
 俺はその直感に従い、本命が校了したタイミングを見計らって、三十分ほどで書き殴った短編を送ってみた。
 数日後、
『作風変えたの? いいね。今までのは文芸寄りだったけど、うちはラノベレーベルも持ってるし、読者層変更すればいけると思うよ。なんてったって春川サクラが書いたんだし』
 返信の文面を読んで、開いた口が塞がらなかった。
 ……はっ? なんだよそれ?
 ちょっと読めばわかるだろ。適当に書いたってことくらい。
 俺が書けばなんでもいいのかよ? 売れればなんでもいいのかよ?
 叱ってほしかったのに。
 メグさんなら、「全然キャラに寄り添えてない!」って、「らしくないよ」って、言ってくれただろうに。
 ――あぁ、思い出した。大半の大人って、こんなもんだ。
 それからは、心の糸がぷつんと切れたように、何をするにも無気力になってしまって。
「反りが合わなかっただけだよ。また担当替えてもらえばいいじゃない」
 メグさんはそう言って励ましてくれたけど、ここにいてもあなた以上の人とはめぐり合えない気がすると伝え、出版社との契約を解除した。
 母親は、作家という看板を失った息子にすっかり興味を示さなくなり、以前のように逆戻り。追い討ちをかけるように、自分の誕生に関して想像のはるか上を行く事実を聞かされたのも、この頃だ。
 それまで、父親がいないことについては、あえて触れないようにしてきた。母親の性格上、ろくな理由じゃないことだけは察しがついたから。
 周囲からときたま、「目の色が変わってる」だの、「顔立ちが日本人離れしてる」だのと言われることはあった。
 でもまさかと思っていた。日本人でも端正な顔立ちの人はいるし、ちょっと色素が薄いだけだろうと。
 なのに。
 なんなんだよ、この仕打ちは。俺が何をしたっていうんだ。
 身も心もボロボロな状態で、高校卒業と同時に家を出た。
 なんのために生きているのかも、分からないまま。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

おれは農家の跡取りだ! 〜一度は捨てた夢だけど、新しい仲間とつかんでみせる〜

藍条森也
青春
藤岡耕一はしがない稲作農家の息子。代々伝えられてきた田んぼを継ぐつもりの耕一だったが、日本農業全体の衰退を理由に親に反対される。農業を継ぐことを諦めた耕一は『勝ち組人生』を送るべく、県下きっての進学校、若竹学園に入学。しかし、そこで校内ナンバー1珍獣の異名をもつSEED部部長・森崎陽芽と出会ったことで人生は一変する。  森崎陽芽は『世界中の貧しい人々に冨と希望を与える』ため、SEEDシステム――食料・エネルギー・イベント同時作を考案していた。農地に太陽電池を設置することで食料とエネルギーを同時に生産し、収入を増加させる。太陽電池のコストの高さを解消するために定期的にイベントを開催、入場料で設置代を賄うことで安価に提供できるようにするというシステムだった。その実証試験のために稲作農家である耕一の協力を求めたのだ。  必要な設備を購入するだけの資金がないことを理由に最初は断った耕一だが、SEEDシステムの発案者である雪森弥生の説得を受け、親に相談。親の答えはまさかの『やってみろ』。  その言葉に実家の危機――このまま何もせずにいれば破産するしかない――を知った耕一は起死回生のゴールを決めるべく、SEEDシステムの実証に邁進することになる。目指すはSEEDシステムを活用した夏祭り。実際に稼いでみせることでSEEDシステムの有用性を実証するのだ!  真性オタク男の金子雄二をイベント担当として新部員に迎えたところ、『男は邪魔だ!』との理由で耕一はメイドさんとして接客係を担当する羽目に。実家の危機を救うべく決死の覚悟で挑む耕一だが、そうたやすく男の娘になれるはずもなく悪戦苦闘。劇団の娘鈴沢鈴果を講師役として迎えることでどうにか様になっていく。  人手不足から夏祭りの準備は難航し、開催も危ぶまれる。そのとき、耕一たちの必死の姿に心を動かされた地元の仲間や同級生たちが駆けつける。みんなの協力の下、夏祭りは無事、開催される。祭りは大盛況のうちに終り、耕一は晴れて田んぼの跡継ぎとして認められる。  ――SEEDシステムがおれの人生を救ってくれた。  そのことを実感する耕一。だったら、  ――おれと同じように希望を失っている世界中の人たちだって救えるはずだ!  その思いを胸に耕一は『世界を救う』夢を見るのだった。  ※『ノベリズム』から移転(旧題·SEED部が世界を救う!(by 森崎陽芽) 馬鹿なことをと思っていたけどやれる気になってきた(by 藤岡耕一))。   毎日更新。7月中に完結。

シン・おてんばプロレスの女神たち ~衝撃のO1クライマックス開幕~

ちひろ
青春
 おてんばプロレスにゆかりのOGらが大集結。謎の覆面レスラーも加わって、宇宙で一番強い女を決めるべく、天下分け目の一戦が始まった。青春派プロレスノベル『おてんばプロレスの女神たち』の決定版。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

恬然として居座れ、茅屋の隅に

根本外三郎
青春
恋愛に興味が持てない川野光彦の青春物語

私の隣は、心が見えない男の子

舟渡あさひ
青春
人の心を五感で感じ取れる少女、人見一透。 隣の席の男子は九十九くん。一透は彼の心が上手く読み取れない。 二人はこの春から、同じクラスの高校生。 一透は九十九くんの心の様子が気になって、彼の観察を始めることにしました。 きっと彼が、私の求める答えを持っている。そう信じて。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

【6】冬の日の恋人たち【完結】

ホズミロザスケ
ライト文芸
『いずれ、キミに繋がる物語』シリーズの短編集。君彦・真綾・咲・総一郎の四人がそれぞれ主人公になります。全四章・全十七話。 ・第一章『First step』(全4話) 真綾の家に遊びに行くことになった君彦は、手土産に悩む。駿河に相談し、二人で買いに行き……。 ・第二章 『Be with me』(全4話) 母親の監視から離れ、初めて迎える冬。冬休みの予定に心躍らせ、アルバイトに勤しむ総一郎であったが……。 ・第三章 『First christmas』(全5話) ケーキ屋でアルバイトをしている真綾は、目の回る日々を過ごしていた。クリスマス当日、アルバイトを終え、君彦に電話をかけると……? ・第四章 『Be with you』(全4話) 1/3は総一郎の誕生日。咲は君彦・真綾とともに総一郎に内緒で誕生日会を企てるが……。 ※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。(過去に「エブリスタ」にも掲載)

処理中です...