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氷の魔法使い
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ユキさんの住まいは、我が家から徒歩で十分ほど行ったところにある、二階建ての賃貸アパートだった。
彼の姿こそ見かけないが、買い物のときなんかに、建物の前は何度か通ったことがある。
出会った場所と話の流れから、さほど遠くないのだろうとは思っていたけれど、想像以上にご近所さんじゃないか。
「部屋、どこですか?」
『105』
「了解です」
部屋番号を聞き出してから通話を切り、万が一ヤバイ展開になったらとにかく大声で叫びながら走って逃げよう、と決意しつつ前に立つと、インターホンを鳴らすより先に鍵の開く音がした。
「いらっしゃい」
ドアが開いて、彼が姿を見せる。
「どうも。昨日はありがとうございました」
礼を言って、借りていたマフラーを差し出す。もちろん、きちんとネットに入れて洗濯して、小さめの菓子折りと一緒に、ちょっとしゃれた紙袋に入れてある。
どういたしまして、と受け取った彼は、
「あ、そうそう」
思い出したように呟くと、部屋の奥に引っ込んでいった。
ややあって、何かを手に玄関へと戻ってくる。
「はい。例の、いいもの」
あぁ、そういえばそんなことも言っていたな、と何気なく彼の手もとを覗き込んで、
「わぁ……」
思わず感嘆した。
彼が持っていたのは、深型の青いトレー。厚い氷が張られ、その中央には、大きな雪の結晶が描かれていた。
輪郭を太くして丸みを持たせ、かわいらしくデフォルメされた緻密な六角形が、まるで宝石を守るみたいに、氷の中に閉じ込められている。
「これ、ユキさんが……?」
「うん。もう溶けちゃったけど、他にもいろいろ作ってるんだ」
彼は心なしか自慢げに答えて、スマホに残されている写真を見せてくれた。
花びらの一片一片、葉っぱの模様に至るまで、繊細に再現されたバラ。とある企業のロゴマーク。中には平面でなく、立体的に彫られた白鳥や竜もあった。
「……すごい」
安直だけど心からの称賛が、自然とこぼれ出る。いろんな感情がめぐりめぐって、最後の最後に残った、シンプルな一言。
「いつからやってるの?」
「んー、二年くらい前かな? 場所も手間も取るから、君が今見てる、立体系の大がかりなやつは、たまにしかできないけどね」
なんだろう、この気持ち。魅了という言葉が似合う、のめり込むような感覚。
「――たい」
「えっ?」
「私も作ってみたい!」
気づけば叫んでいた。
簡単なことじゃないのは、一目見ただけで分かる。でも、それでも、この世界に触れてみたい。ほんの少しでいいから。
そんなふうに思っている自分に、たぶん、頭の片隅にいるもうひとりの冷静な自分が、一番驚いていた。
言ってしまった後で、渋い顔をされるだろうかと構えたが、彼は目を丸くして、それから意外にもやわらかく微笑んだ。
「分かった。明日は無理だけど、来週末にできるように準備しとく」
「本当!? 約束だからねっ!」
快諾に驚いて念を押せば、力強いうなずきが返ってきた。
「俺、嘘はつかないよ」
公園で出会った不思議な彼は、不審者なんかじゃなくて、氷の魔法使いだった。
*
つい、勢いで約束してしまった。べつに後悔はしてないけど。
生あたたかい湯気に包まれながら、浴槽の中で来週末のことについて思案する。
一番手っ取り早い氷アートは、生花やドライフラワー、木の実などを容器に並べ、水に浸して凍らせるやり方だが、彼女はそれでは納得しないだろう。「小学生じゃないし……」とか言っていじけそうだ。
俺も、実物を入れるのはあんまり好きじゃないし、せっかくなら、彼女にまつわるものをモチーフにしてちゃんと彫りたい。――となると、やはりあれだろうか。
難易度は一気に上がるが、土台を小ぶりにしておけばどうにかなるだろう。
それにしても、やけにサバサバして勝気な子かと思っていたのに、突然あんな、子犬みたいな顔されたら――
「……たまんねぇだろ」
って、おいおい。
口をついた一言に自分自身で引いて、わけも分からず頭まで浴槽に浸かった。
今日は、のぼせるのが早そうだ。
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