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🐾エピローグ 出会いはめぐる
運命
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嬉しいような、ドキドキするような、ちょっぴりくすぐったいような……
私は今日も、なんだか不思議な気持ちで病室の前に立ち、ドアを三度ノックする。
奇跡的な再会を果たしてから数ヶ月。大学が夏休みに入り、この頃は毎日のように卓也のもとへ足を運んでいた。
開けたドアの隙間から顔を覗かせて、
「おはよう。卓也」
と声をかけると、ベッドの上でぼんやり前を見ていた卓也が、ゆっくりと振り返った。
「おはよ。ふうか」
答えてくれたのはもちろん、そこに名前が加わったこと、さらには表情までふっとやわらいだ気がして、嬉しくなる。
また一歩前進。
喜びを噛みしめながらさらにドアを開けたとき、
「あっ……」
ふと、卓也のそばに立つ人影に気がついた。
亜沙美さん――ではない。
五分刈りで色黒の、いかつい男性。
一度一方的に顔を見ただけだし、あのときと違って頭に何もかぶっていないので、雰囲気ががらりと変わったように感じるが、おそらくお父さんだ。
私はあわてて入室して出入り口を閉めると、
「はっ、はじめまして。島谷ふうかです」
ドアの前に立ってぺこりと頭を下げた。
初めて見たときの仏頂面の印象が強いせいか、少しばかり緊張してしまう。
「あなたが……」
けれど発せられた声は、感動を含んだような、意外にも穏やかなものだった。
「どうも。卓也の父です。亜沙美から話はよく聞いてます。こいつはあなたといるときが一番楽しそうだって」
そう言って、卓也のほうに視線を向けるお父さん。第一印象からは想像もできないほど、あたたかくて優しい眼差しだった。
たいして面識のない私がこんなことを思うのもおかしいかもしれないが、物腰もずいぶんとやわらかくなった気がする。
「いえ。そんなこと……」
なんとなくほっとしながら謙遜すると、「いやいや」とお父さんは微笑んだ。
「俺にはこんな顔、見せませんから」
言いながら息子の頭を愛おしそうにくしゃくしゃっと撫でると、私に会釈して出入り口へ向かう。ふたりきりになれるよう、気遣ってくれたのかもしれない。
こちらも今一度軽くお辞儀をし、退室を見届ける。
ドアが完全に閉まってから、いそいそとベッドに歩み寄って、傍らに置かれた丸椅子に腰かけた。
予想外の出来事に気を取られて頭がうまく働かず、何を話そうかと考えていたら、
「ふうか」
彼はあらためて名前を呼んで、私のひざに片手を置いた。
「ん? どうしたの?」
問いかけると、彼は何を言うでもなく、じっとこちらを見つめてくる。
時折、こんなふうにどきりとする瞬間があった。
彼が言葉をうまく話せないのも、私のことを忘れていたのも全部冗談で、いつか笑って驚かせてくれるんじゃないかって、馬鹿みたいなことを思う瞬間が。
彼に見つめられると、いろんな感情がごちゃ混ぜになってあふれてきて、うっかり泣いてしまいそうになる。
彼が生きていたこと、こうして隣にいてくれることはとても嬉しい。だけど、彼は私と過ごした日々を覚えていない。再会したときはそれだけで充分だと思ったのに、贅沢だ。命があるんだから、また初めから積み重ねていけばいいんだって、分かってはいるけど……
「……たっ、卓也。散歩行こうか。散歩」
たまらず話をそらして提案すると、彼は子犬みたいにぱあっと表情を輝かせ、「さんぽ!」と大きくうなずいた。
風のにおいが、変わった。
私は車椅子を押しながら、ゆっくりと、胸いっぱいに夏の空気を吸い込む。
「さくらっ!」
ふいに、卓也が病院の前に立つ青々とした桜の木を指さして、子供のように叫ぶ。
「おっ、言えるようになったの?」
彼の口から新しい単語を聞くたびに、心がぱっと明るくなる。
こうして散歩に出ては、「ほら。桜だよ~」と声をかけ続けたことが、功を奏したのだろうか。
医師や亜沙美さんいわく、私と再会してからというもの、彼は凄まじい回復ぶりを見せているらしい。
後から聞いた話だが、目覚めて半年くらいはほとんど喋らず、食事もろくに取らなかったのだという。
亜沙美さんには、「愛の力ね」なんてからかわれた。
お父さんもああ言ってくれたことだし、彼の力になれているのなら、それ以上に嬉しいことはない。
「ふうか。さくら」
彼はこちらに顔を向けて、もう一度繰り返す。
たしかに、近頃は名前を呼んでくれる回数も増えたし、再会した当初のような無感情さは薄れ、瞳にも少しずつ人間らしさが戻ってきたような気がする。
「うん。そうだね」
答えてから気づく。そういえば、今まで彼と一緒に見頃の桜を見たことがなかった。
「来年は満開のときに、一緒に見られるといいね」
いつもひとりで眺める桜は、妙に儚く感じるけれど、彼と見る桜はどんなだろう。
優しく和やかな桃色に包まれて、ふたりで笑い合っていたい、
来年こそは、きっと。
そう遠くない未来に想いを馳せながら、あぁ幸せだな、なんて青臭いことをしみじみ思う。
中学時代に、私と彼が味わった苦い経験も。
彼が、身を挺して私を救おうとしてくれたことも。
私に心臓を譲ってくれた、顔も知らない誰かの決断も。
そのすべてがなければ、私は今、ここにいなかったと思う。とっくの昔に死んでいたって、おかしくなかった。
中には、そんなのは結果を知った上だから言える綺麗事だ、と思う人もいるかもしれないけれど。
少なくとも、私にとってはそうじゃないから。
絶対に無駄なんかじゃない。無駄になんか、させない。
彼と以前のように心を通わせるためには、お互いに、とてつもない時間と努力が必要だろう。実際、さっきのようにやり場のない切なさに見舞われるときもある。
楽しいことばかりではないし、そこまでたどり着けるかどうかも分からない。
でも、たとえ何があっても、私はこの運命から目をそらさない。
いつか彼がそうしてくれたように、今度は私が彼を支える。
ひとつひとつ年を重ねて、穏やかな眠りにつく、その瞬間まで。
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