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🐾変化の夏 揺れる想いと君の秘密
愛の証
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家族みんなで川の字になって眠った最後の夜のことは、今でもよく覚えている。
「ねぇパパ。パパがいなくなっちゃうのは、ふうかのせい? ふうかが、びょうきだから?」
左隣に寄り添う父のほうを向いて尋ねると、父は哀しそうに眉を下げた。
「それは違うよ。ふうか」
「じゃあ、どうして? ねぇ、なんで?」
納得できず縋るように訊き返せば、「パパの言う通りよ」と反対側から母の声。
はっとして、今度は母のほうに寝返りを打つ。
「ママがいけないの。一緒にいると、パパを傷つけちゃうから」
母はそう言って「ごめんね……」と震える声で謝り、優しく抱きしめてくれた。背中から、ふわりと父のぬくもりが重なる。
私の心臓は、物心ついたときから欠陥品だった。
生後間もない頃に医師から告げられたという。いまだ原因が解明されていない難病で、完治する方法は臓器移植しかないらしい。
ちょっと走っただけで息が切れ、大きな発作が起きるたびに死が脳裏をよぎる。そんな体では、当然、他の子供たちと同じ生活は望めなかった。
小学校に上がると、一緒にぬいぐるみで遊んでいた友だちが、グラウンドを駆け回るようになった。体育の授業ではリレーや鉄棒をし、夏になれば、広いプールで気持ちよさそうに泳いで、水をかけ合ってはしゃいだ。
でも、私には全部、できなかった。
――みんなと同じことができない。私は、みんなと違うんだ……
いつからか、悪い種が芽吹くように生まれた疎外感は、心身の成長とともにその存在を大きくし、まだ無垢な私の心を押し潰していった。
私本人だけではない。ゆっくりと確実に進行していく病魔は、家族の気持ちや関係さえも次第に壊していった。
母がヒステリックに癇癪を起こし、父はわけも分からず謝りながら、困ったようにそれを見つめている。そんな光景も、気づけば日常になっていた。
そして小学二年の冬、ついに父が家を出ることになったのだ。きっと私のいないところで、何度も話し合いを重ねていたのだろう。
両親のあたたかさに包まれた私は、目の奥が熱くなり、鼻の奥がつんとするのを感じた。
――いけない。ないちゃダメだ。ないたらパパとママがこまっちゃう。
目尻までせり上がってきた涙を、必死になってこらえる。
「でもね、ふうか。これだけは信じて。ママは別に、パパのことが嫌いになったわけじゃないの」
母の言葉に、涙声で「パパも? パパもおんなじ?」と問うと、当たり前だとでも言いたげに、背中でふっとやわらかな吐息が聞こえた。
「もちろん。ママのこともふうかのことも、大好きだよ」
それならどうして行ってしまうのだと、当時はそればかり思っていたけれど、今なら分かる。大好きだからこそ、愛しているからこそ、私たちは距離を置く必要があったのだ。
嫌いになってしまわないように。これ以上、壊れないように。
「ほら。だから、サヨナラじゃないのよ?」
「みんなが元気になったら、また一緒に暮らせるから。それまで少しだけ、ね?」
その夜は、やっぱり我慢できずに、ちょっとだけ泣いた。
ちょっとだけのつもりだったのに、パパとママが優しくてあったかいから、涙が止まらなくなってしまった。
結局、その夜は泣きながら眠った。
翌朝は、家の中が妙に静まり返っているように感じた。
玄関で靴を履く父。
その背中を見つめながら、時が止まってしまえばいいのに、なんて思った。
でも、小さな私の小さな願いは、届かない。
やがて父は立ち上がってゆっくりと振り返り、
「いい子にするんだよ」
そう言って、玄関先で見送る私の頭を撫でた。
荷物は、右手に握られた茶色いトランクひとつだけ。たったそれだけが、私には、父がものすごく遠い場所へ行ってしまう証明のように思えた。
幼い子供には、ちょっとした違いが必要以上に大袈裟に映ってしまうものだ。
「ママを困らせないように」
穏やかな口調を崩さず言う父に、
「うんっ!」
精一杯、元気な返事をする。
昨日たくさん泣いたから、今日は絶対泣かないんだと、そう心に決めていた。
悲しいのは私だけじゃない。それを、強く感じたから。
私ばかりいつまでもメソメソしているのは、ずるい。
そんな私に、父は少し切なげに微笑むと、
「あっ、そうだ」
思い出したようにコートの内ポケットを探りだす。
「お守り」
差し出されたのは、赤いチェック柄にリボンがあしらわれた小袋。
私はそれを、少し不思議に思いながら受け取る。
「ありがと。……開けてもいい?」
今度は自然と明るい声が出た。突然のプレゼントは、悲しい気持ちをほんのちょっぴりやわらげてくれた。
父も嬉しそうにうなずくのを見て、私はいそいそと、でも丁寧に封を開けた。
中から顔を出したのは、シンプルでいてどこかおしゃれな、デニム生地のポシェットだった。
私は嬉しさでぽっと頬が上気するのを感じ、さっそくそれを肩から斜め掛けすると、
「にあう?」
モデルのようにくるりと一回転してみせた。
「うん。とっても」
父は満足そうに答えて、もう一度私の頭を撫でた。
そして、本当に行ってしまった。
いつか、必ず帰ってくるから。――そんな誓いを最後に。
悲しかったし寂しかったけれど、ポシェットの魔法のおかげで泣かずに済んだ。父の誓いを信じて、笑顔で痛くなるほど手を振った。
きっとまた会える。笑って一緒に暮らせる。
昨日の夜に聞かされたことを、心の中で何度も繰り返しながら。
でも、あの日から十年が経とうとしている今も、現状は変わらないままだ。
ときには、あの夜の言葉も父の誓いも、すべては大人の建前だったのではと疑うこともあった。けれど事実として籍は抜いていないようだし、父とは月に一度は面会をする。発作で倒れれば、血相を変えて飛んできてくれる。
それらは私にとって、どんなにきらびやかなアクセサリーや、甘く優しい言葉より信頼できる、紛れもない愛の証だった。
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