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🐾始まりの春 思わぬ出会いと苦い過去

ちょっとだけ、期待しといてやるよ

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 *

 その夜、
「私、今日は絶対、日付変わるまで起きてるから! 一緒に付き合って!」
 風呂から上がってくるなり、ふうかは朝と同じくパジャマ姿で布団の上に正座して、俺の背後からそう息巻いた。俺が猫へと戻る瞬間を、なんとしても見届けたいらしい。本当に起こるとは、到底思えないけれど。
「……おう。別にいいけどさ」
 ウィンとしての日課が抜けず、窓際に座って夜空を眺めていた俺は、今朝に引き続き、またも垣間見えた彼女の気迫に少しばかり押されつつ承諾する。
「けど、お前は大丈夫なのか?」
 顔だけで振り返って尋ねると、彼女は「いーの、たまには」と拗ねたように言った。
 ふうかの就寝時間は、一般的な高校生に比べるとかなり早い。入浴を済ませて髪を乾かすと、基本的にそのまま布団へ入る。そこからスマホをいじったり本を読んだりする時間を含めても、遅くて十時、早ければ八時や九時のときもある。小学生――もしかしたら幼稚園児並みかもしれない。
「ママにバレたら怒られるから電気は消すけどね」
 母親の目を気にしているあたり、やはり相当厳しくしつけられているようだ。
 我が家のように放任主義の家庭もあれば、きっちり管理したい親もいる。
 自由に育てられても俺みたいに歪むやつもいれば、厳しく育てられてもふうかのように真面目な子供もいる。
 人間というのは、よく分からない。結局、本人の心持ち次第なのだろうか。
 あれこれ考える俺をよそに、ふうかは修学旅行の夜のようなテンションで楽しげに消灯すると、スマホを手にして、俺の隣にひざを並べる。
「ほんとに起きてられんのかよ」
「まっかせなさーい。楽しい夜は寝られないものよ?」
 おどけたように言って胸を張り、最初こそ目を爛々とさせていたふうかだったが、一時間もしないうちに舟を漕ぎ始めた。
「眠いなら寝れば? つーかもう寝ようぜ? 俺も眠い」
 見兼ねてそう声をかけても、子供みたいにいやいやと首を振る彼女に、俺は「マジか……」と半ば呆れてため息をこぼす。
 姉もそうだったが、女はときどき妙なところに強いこだわりを持つのだ。それでいて、一度言い出したらかたくなに譲らない。
 こっくりこっくりするふうかの横顔を、困ったもんだと異生物でも見るような気持ちで眺めつつ、あくびを噛み殺した。
 不良たちとの夜遊びは徹夜がお約束と言っても過言ではなかったけれど、早寝早起きのサイクルが身についてしまった今となっては、それもきついものがある。
 と、ふいに肩のあたりを冷たいものがくすぐった――気がした。
 見ると、ふうかが肩をすり抜けて倒れかけ、はっと体を起こしたところだった。
 触れられなくてもなんとなく温度とか感触は分かるんだな、と思いながら、
「お前、今日ドライヤーし忘れただろ? 風邪引くぞ?」
 横目で忠告すると、彼女は眠そうな顔であどけなく笑う。
「あとでするー」
「はぁー?」
 夜中の十二時を回ってからボーボー騒音を立てたら、それこそ母親に怪しまれるんじゃないだろうか。
 そんな調子で時折会話を挟んだり、姿勢を変えたりしながら睡魔をごまかし、どうにか時間を潰した。
 ――ここまでする価値あんのか? これって。
 もはや眠気もピークを越え、ランナーズハイのような状態になり始めた頃、ふと、ふうかが足もとのスマホに視線を落とす。
「あとちょっとだよ」
 そこには、「23:55」の表示。
 終わる。あまりにも長い一日が、終わる。
 ほっと深く息をついた次の瞬間、やにわに強烈な眠気が襲ってきた。
 今までの比ではない、まるで外部から何かにあやつられているような。
 気を抜いたせいでとたんに限界がきてしまったのかと思ったが、どうやらそれはふうかも同じようだった。もはや抵抗するすべはないらしく、目をつむった状態で、振り子人形のように前へ後ろへと大きく体を揺らしている。
 これは、いったい……
 やがて俺たちは、催眠術にでもかかったようにぱたりと眠り込んでしまった。

 ――寒ッ。
 そう思って目覚めると、俺の体は、丸一日ご無沙汰していた小さなものになっていた。信じがたいが、ふうかの予想は的中したらしい。
 ということは、これまでの努力はすべて水の泡というわけか。でもまあいい。これでやっとぐっすり寝られるのだ。
 このまま二度寝したいのは山々だが、こんなところで何もかけずに寝たら、本当に風邪を引いてしまうだろう。しかたなく、床にうつ伏せの状態で眠りこけているふうかの顔をざらついた舌で舐めると、彼女は「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げて飛び起きた。ナイスリアクションだ。
「ウィン……」
 呟いた後、すぐさま状況を把握したらしい彼女は、寝ぼけ眼をこすりつつ布団まで這っていき、横になりながらこう言った。
「うーん、もうちょっとだったのに。なんで寝ちゃったんだろ? はっ、決定的瞬間を見られないように、眠りの魔法が発動したのかも」
 彼女は見かけによらず、なかなかのロマンチストである。
 やれやれと背伸びをし、俺も布団に潜り込む。
 もちろん気にならないわけではなかったが、ちゃんとふうかに寄り添って丸くなった。約束したから。
 胸もとにぬくもりを感じたのか、彼女は嬉しそうにふふっと笑みをこぼし、
「おやすみ。また夏に会えるといいね。――卓也」
 そう囁いて、俺の頭を優しく撫でる。と同時に、少し湿った毛先が鼻をくすぐった。結局、乾かす気はないようだ。
 ――あぁ、そうだな。俺もちょっとだけ、期待しといてやるよ。
 俺は控えめなひと鳴きを返すと、再びすっと眠りに落ちた。本当に密度の濃い一日だったから、思ったよりずっと疲れていたのかもしれない。

 翌朝。
「おはよー、ウィン……」
 目が覚めて最初に挨拶してきたふうかの様子を見て、引っかかるものがあった。
 ――お前、なんか元気なくね?
 寝不足というのもひとつの原因かもしれないが、おそらくそれだけではない。何かが、変だ。
 すると、彼女自身も異変に気づいたのか、布団から抜け出して立ち上がる。
 何をする気だろうと掛布団から顔だけ出して様子をうかがっていたら、彼女は部屋のどこからか体温計を持ち出してきて、また布団に潜り込み、それを脇に挟んだ。
 もう一度横たわったあたり、体がだるいのかもしれない。
 心配になって再び彼女に寄り添ったとき、小さな電子音が鳴った。
 俺がくっついているほうとは反対側の脇から体温計を取り出し、表示を確認したらしいふうかは、
「三十七度五分……」
 呟いて、布団に寝転がったまま「あはは……」と気の抜けた笑いを漏らす。
 そんな彼女の腕の中で、俺は白けた視線を投げた。
 ――あーあ。髪乾かさずに寝るからだろ? ったく。
 濡れた髪のせいで冷えてしまったのか、微熱が出たようだ。
「あっ」
 呆れる俺をよそに、ふうかは何か思い出したようにまたもや布団から抜け出し、机のペン立てからマジックを手に取ると、
「立夏まで、あと三ヶ月!」
 声高に宣言して、カレンダーの今日の日付――二月五日に、大きく「×」を付けた。具合が悪いんじゃなかったのか。
 ――そんなんいいから、病人はおとなしくしてろっての。
 本当にしょうがないやつだ。
 夜にはもう平熱に下がっていたし、ただのちょっとした風邪だったのだろうと、そのときはそう、思っていた。
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