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🌕最終夜 僕と私の後悔
「本当にありがとうございました」
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*
その週の土曜――わたしは彩に連れられて、彼女がお兄さんたちと住んでいるという、わたげ荘に来ていた。
魔女の掟を破った彩は、罰として今日、魔力を奪われるのだそうだ。つまり、魔女ではなくなるということ。
――そばにいてほしいんだ。
もちろん寂しさはあるけれど、彼女が今朝、わたしに言ってくれた言葉のほうが、何十倍も嬉しくて。
わたしたちは、隣同士でダイニングの椅子に座り、そのときを待っていた。
私服姿のわたしに対し、彩は見慣れたマント姿で懐中時計を腰にさげ、左脇には例の本を抱えて、さっきから何度も深呼吸を繰り返している。
その首には、いつも隠されていた小瓶が光り、わたしが秘密の森をきちんと歩けるようにと固くつないできた手を、いまだに離そうとしない。
「ねぇ、ほんとにやらなきゃダメ? 今回は厳重注意ってことで……」
「ダメです。ルールはルールですから」
「うぅ……」
やがて、準備が整ったようで、二階のほうから女性とハルトさんのそんな会話が聞こえてくると、つないだ手にますます力が込められる。
先ほど、女性――マダムがわたげ荘へやって来た瞬間、野花兄妹は一斉に立ち上がって、一礼。
ハルトさんは「お忙しい中、お呼び立てして申し訳ありません」とうやうやしく気遣い、今こそわたしたちと距離を取るように出入り口付近の壁にもたれかかってだるそうに立っているショウゴさんでさえ、背筋を伸ばしていた。
その様子に、私も思わず遅れて立ち上がり、会釈したほどだ。
よほど厳格な方なのかと思ったが、ハルトさんの一言には「いいのよ。これも仕事なんだから」なんて気さくに返していたし、わたしにも「あなたがサナさんね。お噂は少しばかり」と微笑んでくれた。それに、たった今聞こえてきた会話からして、お茶目な一面もあるらしい。
「彩」
いつになく強張った表情の彩に、そっと声をかける。
「そんなに緊張しなくて大丈夫。魔女じゃなくなっても、彩は彩だから」
心から伝えると、彼女の顔とつないだ手から、すっと力が抜けた。
お互い微笑んでうなずき合ったとき、
「それじゃ、始めましょうか」
部屋の出入り口からマダムがそう言ったので、つないだ手はそのままに、ふたり並んで彼女の向かい側に立つ。
「サナさんは、アヤが作ったマントで行動をともにしていたのよね?」
唐突に熱い眼差しと口調で尋ねられ、少々気圧されながら「えっ、えっと、はい……」と答えた。
彩との不思議な日々を証明してくれるマントは、今も自室のハンガーラックにかけられてお留守番している。――ちゃんときれいに洗濯して、アイロンをかけて。
「隠れ身マントを仕立てられる魔女は、希少なのよ。それを、アヤみたいな下級者がさらっとやってのけちゃうだなんて。しかも、期間限定の契約まで」
そうだったのか。
絶賛の言葉にも、当の本人はきょとん顔だ。そのやり取りから、彩がいかに優秀な魔女だったか、どれほどマダムに期待されていたかが分かる気がした。
「残念だわぁ。逸材なのに……」
ひとり嘆くマダムに、傍らのハルトさんが、「早く本題に入ってください」とでも言いたげにわざとらしく咳払いする。
「分かってるわよ」
マダムは憤慨したように返して、「えー」と切り出した。
「魔女の掟に背いた罪により、あなたを花魔女一派、および魔女に関する一切の団体から破門とします」
落ち着いた声色で告げ、片手を差し出すマダム。
そこで初めて、彩の右手がわたしから離れた。
そしてマダムの手の上にゆっくりとのせられ、そこにマダムのもう片手が重ねられる。――なんだか懐かしい光景だ。
二、三秒待ってマダムの手が離れると、彩の薬指にあったはずの彼岸花が――消えていた。
続けて小瓶に触れたかと思えば、それいっぱいに宝石のように輝いていた液体が、少量の赤黒い血へと変わる。今回の場合、本当は戻ると言ったほうが正しいのだろう。
状況をあらためて理解するように、しばらく彼岸花がなくなった爪を眺めていた彩だったが、
「そうだ。あの、これ」
ふいにはっとして、脇に抱えていた本を差し出し、手渡そうとする。
しかし、マダムは「あー、いいのいいの」と軽い口調で制し、本に触れた。
すると、表紙の文様が消え去り、大きさも、持ち運びやすそうな片手サイズにきゅっと縮まる。
わたしたちが息を呑んでいる間に、次は彩に向って指を鳴らした。
「はい、完了。こうすれば、あなたの書はただの手帳よ。サイズも小さくしておいたから、かさばらないでしょう?」
どこか自慢げなマダムに、彩もさっそく本を開いて「ほんとだ。真っ白」と呟いている。
「それと、マントと懐中時計からも魔力を消失させておいたわ」
その一言に、今度はふたり揃って視線を巡らせた。
マントのほうは特に代わり映えしないが、懐中時計のほうは、小瓶と同じように神秘的な輝きが少し弱まった気がする。
「取り外すと荷物になるだろうし、そのまま全部身につけていきなさいな。餞別の品よ」
彩はマダムの提案にうなずき、小さくなった本を懐にしまい込んだ。
「思ったよりお別れが早くなってしまって寂しいけれど、これでよかったのかもしれない。ミアは昔から、自分に子供ができたら、普通の人間として育てたいって言っていたもの。事の流れで、ワタシが引き入れてしまったけどね。寿命も元に戻しておいたわ。あなたの贖罪は生きることよ。日比野彩として」
そんなことを言って優しく微笑むマダムに、たまらずじんわりしていると、
「サナさん」
「はっ、はい」
またも唐突に話しかけられ、反射的に姿勢を正す。
「アヤと出会ってくれてありがとう。あなたのおかげで、この子は道を外れずに済んだの。母親に似て、こうと決めたら突っ走っちゃう子だから、これからもしっかり見張っていてくれると嬉しいわ」
予想外のお願いに、くすりと笑って「もちろんです」と答え、
「わたしこそ、彩に出会えてよかったです」
と言い添えた。
彼女と出会わなければ経験できなかったことが、訪れなかった変化が、たくさんある。
「今日まで、本当にありがとうございました」
最後に、彩がマダムに向かって深々と頭を下げたとき、
「元気でね。彩」
ハルトさんが歩み出てきて、彼女の髪にポンと手を置いた。
「帰れる場所があるなら、早く帰るべきだよ。それって、とっても素敵なことだから」
色白の手で彩の髪をくしゃくしゃと撫でながらそう言い残した彼と、入れ替わるようにふらふらやって来たのはショウゴさん。
「じゃーな、チビ彩。二度と戻ってくんじゃねぇぞ。ここはぼっちの集い場だ」
彼の手は色黒で節くれ立っていて、撫で方も荒い。
「うるさいなもう。チビじゃないって言ってんじゃん……」
か細い声で反論した彩が、床にひと粒のしずくを落としたのを、わたしは見逃さなかった。
その週の土曜――わたしは彩に連れられて、彼女がお兄さんたちと住んでいるという、わたげ荘に来ていた。
魔女の掟を破った彩は、罰として今日、魔力を奪われるのだそうだ。つまり、魔女ではなくなるということ。
――そばにいてほしいんだ。
もちろん寂しさはあるけれど、彼女が今朝、わたしに言ってくれた言葉のほうが、何十倍も嬉しくて。
わたしたちは、隣同士でダイニングの椅子に座り、そのときを待っていた。
私服姿のわたしに対し、彩は見慣れたマント姿で懐中時計を腰にさげ、左脇には例の本を抱えて、さっきから何度も深呼吸を繰り返している。
その首には、いつも隠されていた小瓶が光り、わたしが秘密の森をきちんと歩けるようにと固くつないできた手を、いまだに離そうとしない。
「ねぇ、ほんとにやらなきゃダメ? 今回は厳重注意ってことで……」
「ダメです。ルールはルールですから」
「うぅ……」
やがて、準備が整ったようで、二階のほうから女性とハルトさんのそんな会話が聞こえてくると、つないだ手にますます力が込められる。
先ほど、女性――マダムがわたげ荘へやって来た瞬間、野花兄妹は一斉に立ち上がって、一礼。
ハルトさんは「お忙しい中、お呼び立てして申し訳ありません」とうやうやしく気遣い、今こそわたしたちと距離を取るように出入り口付近の壁にもたれかかってだるそうに立っているショウゴさんでさえ、背筋を伸ばしていた。
その様子に、私も思わず遅れて立ち上がり、会釈したほどだ。
よほど厳格な方なのかと思ったが、ハルトさんの一言には「いいのよ。これも仕事なんだから」なんて気さくに返していたし、わたしにも「あなたがサナさんね。お噂は少しばかり」と微笑んでくれた。それに、たった今聞こえてきた会話からして、お茶目な一面もあるらしい。
「彩」
いつになく強張った表情の彩に、そっと声をかける。
「そんなに緊張しなくて大丈夫。魔女じゃなくなっても、彩は彩だから」
心から伝えると、彼女の顔とつないだ手から、すっと力が抜けた。
お互い微笑んでうなずき合ったとき、
「それじゃ、始めましょうか」
部屋の出入り口からマダムがそう言ったので、つないだ手はそのままに、ふたり並んで彼女の向かい側に立つ。
「サナさんは、アヤが作ったマントで行動をともにしていたのよね?」
唐突に熱い眼差しと口調で尋ねられ、少々気圧されながら「えっ、えっと、はい……」と答えた。
彩との不思議な日々を証明してくれるマントは、今も自室のハンガーラックにかけられてお留守番している。――ちゃんときれいに洗濯して、アイロンをかけて。
「隠れ身マントを仕立てられる魔女は、希少なのよ。それを、アヤみたいな下級者がさらっとやってのけちゃうだなんて。しかも、期間限定の契約まで」
そうだったのか。
絶賛の言葉にも、当の本人はきょとん顔だ。そのやり取りから、彩がいかに優秀な魔女だったか、どれほどマダムに期待されていたかが分かる気がした。
「残念だわぁ。逸材なのに……」
ひとり嘆くマダムに、傍らのハルトさんが、「早く本題に入ってください」とでも言いたげにわざとらしく咳払いする。
「分かってるわよ」
マダムは憤慨したように返して、「えー」と切り出した。
「魔女の掟に背いた罪により、あなたを花魔女一派、および魔女に関する一切の団体から破門とします」
落ち着いた声色で告げ、片手を差し出すマダム。
そこで初めて、彩の右手がわたしから離れた。
そしてマダムの手の上にゆっくりとのせられ、そこにマダムのもう片手が重ねられる。――なんだか懐かしい光景だ。
二、三秒待ってマダムの手が離れると、彩の薬指にあったはずの彼岸花が――消えていた。
続けて小瓶に触れたかと思えば、それいっぱいに宝石のように輝いていた液体が、少量の赤黒い血へと変わる。今回の場合、本当は戻ると言ったほうが正しいのだろう。
状況をあらためて理解するように、しばらく彼岸花がなくなった爪を眺めていた彩だったが、
「そうだ。あの、これ」
ふいにはっとして、脇に抱えていた本を差し出し、手渡そうとする。
しかし、マダムは「あー、いいのいいの」と軽い口調で制し、本に触れた。
すると、表紙の文様が消え去り、大きさも、持ち運びやすそうな片手サイズにきゅっと縮まる。
わたしたちが息を呑んでいる間に、次は彩に向って指を鳴らした。
「はい、完了。こうすれば、あなたの書はただの手帳よ。サイズも小さくしておいたから、かさばらないでしょう?」
どこか自慢げなマダムに、彩もさっそく本を開いて「ほんとだ。真っ白」と呟いている。
「それと、マントと懐中時計からも魔力を消失させておいたわ」
その一言に、今度はふたり揃って視線を巡らせた。
マントのほうは特に代わり映えしないが、懐中時計のほうは、小瓶と同じように神秘的な輝きが少し弱まった気がする。
「取り外すと荷物になるだろうし、そのまま全部身につけていきなさいな。餞別の品よ」
彩はマダムの提案にうなずき、小さくなった本を懐にしまい込んだ。
「思ったよりお別れが早くなってしまって寂しいけれど、これでよかったのかもしれない。ミアは昔から、自分に子供ができたら、普通の人間として育てたいって言っていたもの。事の流れで、ワタシが引き入れてしまったけどね。寿命も元に戻しておいたわ。あなたの贖罪は生きることよ。日比野彩として」
そんなことを言って優しく微笑むマダムに、たまらずじんわりしていると、
「サナさん」
「はっ、はい」
またも唐突に話しかけられ、反射的に姿勢を正す。
「アヤと出会ってくれてありがとう。あなたのおかげで、この子は道を外れずに済んだの。母親に似て、こうと決めたら突っ走っちゃう子だから、これからもしっかり見張っていてくれると嬉しいわ」
予想外のお願いに、くすりと笑って「もちろんです」と答え、
「わたしこそ、彩に出会えてよかったです」
と言い添えた。
彼女と出会わなければ経験できなかったことが、訪れなかった変化が、たくさんある。
「今日まで、本当にありがとうございました」
最後に、彩がマダムに向かって深々と頭を下げたとき、
「元気でね。彩」
ハルトさんが歩み出てきて、彼女の髪にポンと手を置いた。
「帰れる場所があるなら、早く帰るべきだよ。それって、とっても素敵なことだから」
色白の手で彩の髪をくしゃくしゃと撫でながらそう言い残した彼と、入れ替わるようにふらふらやって来たのはショウゴさん。
「じゃーな、チビ彩。二度と戻ってくんじゃねぇぞ。ここはぼっちの集い場だ」
彼の手は色黒で節くれ立っていて、撫で方も荒い。
「うるさいなもう。チビじゃないって言ってんじゃん……」
か細い声で反論した彩が、床にひと粒のしずくを落としたのを、わたしは見逃さなかった。
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