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🌕最終夜 僕と私の後悔
「満月の夜に」
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*
翌日も、ママが帰ってくる前に、早めに起きて出かける準備開始。
ぱぱっと着替え、トーストで手短に朝食を済ます。
もう彩がうちの中に戻ってこなくてもいいように、あらかじめ荷物も持っていってもらわなくてはならない。
「荷物、持って歩くの面倒でしょ? ごめんね。こっちの都合に合わせてもらってばっかりで」
「全然。一泊ぶんで軽いから。楽しかったし」
そんな会話をしつつ、自室で彩が荷物をまとめるのを手伝う。
楽しかったという言葉通り、彼女はとても晴れやかな顔をしていた。――昨日の涙なんて、嘘みたいに。
「ならよかった」
触れるべきではないと分かっていながらも、胸の片隅でうずく己の探求心に蓋をして、にこりと微笑んだとき、彼女が突然手を止める。
怪訝に思って視線をたどると、
「あ……」
壁掛けのハンガーラックに、わたしの薄紫色のマントが吊るされていた。
彼女と会うときは、任務前にもたつかないよう、こうしてあらかじめ用意しておく。
今回は不要だったのだけれど、いつもの癖でつい出してしまっていた。
「マントがどうかした……?」
あまりにもじっと見ているので、何か不審な点でもあったのかと問いかける。
「もしかして、返したほうがいい?」
考えてみれば、彼女とは今日を最後に、次の満月まで会わない。その間、マントを使用する機会もないだろう。
特殊な力が宿ったものだから、素人が理由もなく所持するのは、よくないかもしれない。
やたら心配するわたしに、
「ううん。それなら大丈夫。迷惑じゃなければあげるよ。沙那の魔力が消滅するのと一緒に、あれも普通のマントになるから」
彼女はそう答えて、「ただ」と続けた。
「アイロンくらいかけてあげればよかったかなって」
「えっ、アイロン?」
「そう。毎回じゃないんだけど、重大な任務が終わった後なんかは、洗濯して天日干ししてアイロンかけて、きれいにしてあげるんだ。お疲れさまって気持ちを込めてね」
――彩の言葉に、大事なことに気づかされた気分になる。
最近はまたママに見られたりしたくないから、基本的にチェストの奥にしまいっぱなし。
羽織ものだから洗濯もろくにしないし、ましてや衣類をねぎらうなんてこと、考えもしなかった。
わたしは立ち上がってマントに歩み寄り、
「そうだね。お疲れさま」
そっと触れながら、語りかける。
このシルクのような感触に守られることは、もうないかもしれない。
どうしてだろう。昨日からやけに終わりを意識してしまう。
わたしはマントから手を離すと、ラックからハンガーごと取り外して、出窓を開け放った。
そして、少し背伸びしてカーテンレールにハンガーを引っかける。マントは晴天の下、秋風を受けて気持ちよさそうにはためいた。
今は時間がないのでこれくらいしかしてあげられないけれど、チェストの奥や薄暗い室内に閉じ込められているよりはマシなはず。
帰ったらちゃんと洗濯してあげようかな、なんて考えながら視線を横に移したとき、ちょっとしたハプニングに気がついた。
「やだ。このてるてる坊主、逆さまになってる」
レールの端に吊るした黒てるてる坊主が、上下逆になっていた。これではいよいよ雨乞いだ。輪ゴムをセロハンテープで止めただけなので、重心が安定しないのだろう。
夜じゃないからまだいいけど、のっぺらぼうだし、黒いせいもあってやっぱりちょっと不気味だな……などと思って苦笑しつつ元通りにかけ直した直後、彩がバッグのファスナーを閉めて立ち上がる音がした。
「お待たせ。行こうか」
どこに行くかは特に決めていなかったので、近所のショッピングモールで時間を潰すことにした。
といっても目的がないのは変わらずで、当てもなく店内をふたりでぶらついていたら、
「あっ……かわいい」
ふいに、彩が足を止めた。
彼女が見つめる先には、小さなカワウソのマスコットキーホルダー。
「カワウソ、好きなの?」
尋ねると、ちょっぴり恥ずかしそうにうなずく。
その姿がなんだか微笑ましくて、せっかくだから毛色の違うものをお揃いで買おうと提案した。
彩のはスタンダードな灰色で、わたしのは少し茶色がかっている。
彼女は「僕」なんて言うわりに、独特な感性で物を大切にするし、案外かわいいものが好きで。
それに、強くて優しくて、繊細だ。
心の根っこの部分は、わたしなんかよりずっと「女の子」だと思う。
買い物をして、フードコートでお昼を済ませた後は、思い出の場所を巡回しながらゆっくりと帰った。
少々強引に訪れた折原家。
ハルカさんに連れてこられたコンビニ。
タカシさんと歩いた田舎道。
どれもほんの数週間前のことなのに、遠い昔のように感じられた。
「じゃあ、また満月の夜に」
「うん。満月の夜に」
夕暮れの中、彩の口調につられておしゃれな合言葉みたいに言い合い、同時にくすりと笑って、家の前で別れる。
「じゃあね」
もう一度言って、背を向けた彼女のボストンバッグには、買ったばかりのカワウソが揺れていた。わたしも後でかばんに付けよう。
満月は四日後。――それで、わたしの未来が決まるんだ。
蜜色に照らされながら遠ざかっていく彩の後ろ姿は、いつにも増して眩しかった。
翌日も、ママが帰ってくる前に、早めに起きて出かける準備開始。
ぱぱっと着替え、トーストで手短に朝食を済ます。
もう彩がうちの中に戻ってこなくてもいいように、あらかじめ荷物も持っていってもらわなくてはならない。
「荷物、持って歩くの面倒でしょ? ごめんね。こっちの都合に合わせてもらってばっかりで」
「全然。一泊ぶんで軽いから。楽しかったし」
そんな会話をしつつ、自室で彩が荷物をまとめるのを手伝う。
楽しかったという言葉通り、彼女はとても晴れやかな顔をしていた。――昨日の涙なんて、嘘みたいに。
「ならよかった」
触れるべきではないと分かっていながらも、胸の片隅でうずく己の探求心に蓋をして、にこりと微笑んだとき、彼女が突然手を止める。
怪訝に思って視線をたどると、
「あ……」
壁掛けのハンガーラックに、わたしの薄紫色のマントが吊るされていた。
彼女と会うときは、任務前にもたつかないよう、こうしてあらかじめ用意しておく。
今回は不要だったのだけれど、いつもの癖でつい出してしまっていた。
「マントがどうかした……?」
あまりにもじっと見ているので、何か不審な点でもあったのかと問いかける。
「もしかして、返したほうがいい?」
考えてみれば、彼女とは今日を最後に、次の満月まで会わない。その間、マントを使用する機会もないだろう。
特殊な力が宿ったものだから、素人が理由もなく所持するのは、よくないかもしれない。
やたら心配するわたしに、
「ううん。それなら大丈夫。迷惑じゃなければあげるよ。沙那の魔力が消滅するのと一緒に、あれも普通のマントになるから」
彼女はそう答えて、「ただ」と続けた。
「アイロンくらいかけてあげればよかったかなって」
「えっ、アイロン?」
「そう。毎回じゃないんだけど、重大な任務が終わった後なんかは、洗濯して天日干ししてアイロンかけて、きれいにしてあげるんだ。お疲れさまって気持ちを込めてね」
――彩の言葉に、大事なことに気づかされた気分になる。
最近はまたママに見られたりしたくないから、基本的にチェストの奥にしまいっぱなし。
羽織ものだから洗濯もろくにしないし、ましてや衣類をねぎらうなんてこと、考えもしなかった。
わたしは立ち上がってマントに歩み寄り、
「そうだね。お疲れさま」
そっと触れながら、語りかける。
このシルクのような感触に守られることは、もうないかもしれない。
どうしてだろう。昨日からやけに終わりを意識してしまう。
わたしはマントから手を離すと、ラックからハンガーごと取り外して、出窓を開け放った。
そして、少し背伸びしてカーテンレールにハンガーを引っかける。マントは晴天の下、秋風を受けて気持ちよさそうにはためいた。
今は時間がないのでこれくらいしかしてあげられないけれど、チェストの奥や薄暗い室内に閉じ込められているよりはマシなはず。
帰ったらちゃんと洗濯してあげようかな、なんて考えながら視線を横に移したとき、ちょっとしたハプニングに気がついた。
「やだ。このてるてる坊主、逆さまになってる」
レールの端に吊るした黒てるてる坊主が、上下逆になっていた。これではいよいよ雨乞いだ。輪ゴムをセロハンテープで止めただけなので、重心が安定しないのだろう。
夜じゃないからまだいいけど、のっぺらぼうだし、黒いせいもあってやっぱりちょっと不気味だな……などと思って苦笑しつつ元通りにかけ直した直後、彩がバッグのファスナーを閉めて立ち上がる音がした。
「お待たせ。行こうか」
どこに行くかは特に決めていなかったので、近所のショッピングモールで時間を潰すことにした。
といっても目的がないのは変わらずで、当てもなく店内をふたりでぶらついていたら、
「あっ……かわいい」
ふいに、彩が足を止めた。
彼女が見つめる先には、小さなカワウソのマスコットキーホルダー。
「カワウソ、好きなの?」
尋ねると、ちょっぴり恥ずかしそうにうなずく。
その姿がなんだか微笑ましくて、せっかくだから毛色の違うものをお揃いで買おうと提案した。
彩のはスタンダードな灰色で、わたしのは少し茶色がかっている。
彼女は「僕」なんて言うわりに、独特な感性で物を大切にするし、案外かわいいものが好きで。
それに、強くて優しくて、繊細だ。
心の根っこの部分は、わたしなんかよりずっと「女の子」だと思う。
買い物をして、フードコートでお昼を済ませた後は、思い出の場所を巡回しながらゆっくりと帰った。
少々強引に訪れた折原家。
ハルカさんに連れてこられたコンビニ。
タカシさんと歩いた田舎道。
どれもほんの数週間前のことなのに、遠い昔のように感じられた。
「じゃあ、また満月の夜に」
「うん。満月の夜に」
夕暮れの中、彩の口調につられておしゃれな合言葉みたいに言い合い、同時にくすりと笑って、家の前で別れる。
「じゃあね」
もう一度言って、背を向けた彼女のボストンバッグには、買ったばかりのカワウソが揺れていた。わたしも後でかばんに付けよう。
満月は四日後。――それで、わたしの未来が決まるんだ。
蜜色に照らされながら遠ざかっていく彩の後ろ姿は、いつにも増して眩しかった。
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