花魔女とリグレット~あなたの未練、解消します~

雨ノ川からもも

文字の大きさ
上 下
20 / 40
🌙三夜目 頑固なおじいちゃんの未練

「ワシに付き合ってもらうぞい」

しおりを挟む
 *

「昨日のあれ、やっとくれ!」
  翌朝、いつものようにマント姿で抜け出した出窓の前。
 青いアクリル絵の具に浸したような秋空の下で、タカシさんは彩にはつらつと片手を差し出した。
「……はい?」
 対して、向かいの彩は昨日と同じ仏頂面だ。
「ほれ、体が重くなって、物も持てるようになるあれじゃよ」
 タカシさんはごまをするような甘い声で言う。どうやら、生身の人間に戻りたいらしい。
 それにしても、体が重くなる――この言い回し、前にもどこかで聞いたような……あっ。
 少し考えて、すぐに思い当たった。ダイチくんだ。
 たったそれだけで、目の前にいる頑固なおじいちゃんが、なんだかものすごくかわいく思えてしまった。
 意外と素直なところもあるのかもしれない。
「人間に戻ってどうする気ですか?」
 冷めた口調で訊く彩に、タカシさんは何やら企みを宿した目で、隣のわたしを見た。
「この娘がな、どんな小さなことでもいいから、やりたいことをやってみろとうるそうての。しかたなく従ってやることにしたんじゃが、こんな体では何もできんじゃろうて。お主らにはしばらく、ワシに付き合ってもらうぞい」
 その主張に、昨夜の含みある言葉の真意を理解した。もちろん、そういう意味で言ったわけではないのだけれど。
 うぅ……やっぱりかわいくないかも。
「――クソジジイ」
 んんっ? なんか今、聞いてはいけない単語を聞いてしまったような気が。けど、きっと気のせいだ。そういうことにしておこう。うん。
 彩は、心底面倒くさそうにため息をつくと、
「分かりました。そっちがその気なら、とことんやらせていただきます」
 仕事ですしね、と加えてこぼし、半歩タカシさんに歩み寄った。そして、
「でも、残念ながら手が逆です。僕の場合、魔力が宿ってるのは右手なので、魔女志願でもない限り、左手を出してもらわないと。特別ですよ。基本、ひとり一回なんですから」
 淡々と言いながら、腹いせのようにぐいと半透明の左手を引っ張った。
「いっ……!」
 もう昨晩からお馴染みになりつつある光景を横目に、わたしは彩の言葉を聞いてなんとなく自分の右手に視線を落とした。
 間違いない。小指の爪に描かれた彼岸花は、日に日に薄くなっている。絵具やマジックで書いたわけではないから、お風呂で流れ落ちてしまうなんてこともないだろうに。
 これも、なにか魔法と関係があるのだろうか?
 そんなことを考えているうちに、タカシさんは肉体を取り戻し、「これじゃよ、これ」なんて満足そうにウシシと笑い、意気揚々と先陣を切って歩き出す。
 彩は全身に憂鬱さを漂わせつつも、無言でフードをかぶると、のろのろと後に続いた。
 わたしもフードに手を伸ばし、小走りで追いついて彼女の隣に並ぶ。
「ごめんね、なんか」
 苦笑しながら顔の前で両手をこすり合わせれば、彩は恨めしげに前を見つめたまま答えた。
「べつにいいよ。ほんとのところは分からないけど、とりあえず根気よく相手するしかなさそうだし、沙那のせいじゃないから。そこのおじいさんがお子ちゃまなだけでっ!」
 最後の一言は嫌味たらしく強調したようだったが、タカシさんは聞こえているのかいないのか、鼻歌交じりで上機嫌に前を歩いていた。

 いったい、どこまで歩くつもりなのだろう。足が痛くなってきた。視線も、自然と下へ落ちている。
 秋は過ごしやすい季節だなんていうけれど、晴天の下に長時間いれば、さすがにじんわりと汗をかく。マントを羽織っているから余計にだ。
「あっつい!」
 たまらずフードをはねのけて顔を上げ、辺りを見渡すと、
「っていうか、ここどこ……?」
 そこにはいつの間にか、見慣れない景色が広がっていた。
 我が家の周辺より木々の背丈が高くなり、赤や黄の草花が足もとを彩っている。
 遠くには田畑が見え、民家らしきものも点在していた。ずいぶんとのどかなところまで来たようだ。
 そういえば、おじいちゃんって当てもなくずっと散歩してるイメージだな。まさか、このまま日が暮れるまでぶらついて、わたしたちを疲れさせようとかいう魂胆なんじゃ……
 そんなことを思って、ひとり不安になっていると、
「ん……?」
 同じくフードを脱いで隣を歩いていた彩が、小首をかしげる。
「どうかした?」
「ううん。なんでもない。たぶん気のせいだと思――」
「おっ!」
 と、彩が言い終わるや否や、何かを見つけたらしいタカシさんが、突然目にも留まらぬ速さで駆け出した。
「えっ、タカシさん!?」
「早っ……」
 あわてて追いかける。
 タカシさんはどんどんわたしたちを引き離して進み、やがて生い茂る草の向こうに見えなくなった。おじいちゃんとは思えない脚力だ。
 雑草をかき分けてどうにか追いつき、
「もうっ、びっくりするじゃないですかっ、急に……」
 肩で息をしながら顔を上げて、
「わぁ……!」
 思わず漏れた。
 視界の先に、おっきな川が横たわっていたから。
 だだっ広い河原。空の青をそのまま映した、穏やかな水面みなも
 こんな場所があったなんて、知らなかった。
 浅瀬では、すでにタカシさんが「川じゃ川じゃ!」とはしゃぎながら少年のように走り回っている。
 目の前の美しさに引っ張られるようにして、一歩踏み出そうとした、そのとき。
 隣の彩が、固まっていることに気がついた。
「……? どうしたの? 行こうよ」
 まるで、何かに怯えているみたいに、強張った表情。
「い、いや、僕はい――」
 ピシャァ。
 答えかけた彼女の顔面に、突如、少量の水しぶきが飛んできた。
 驚いて見やると、タカシさんがしたり顔で立っている。わたしにはかかっていないので、明らかにわざとだ。
 それを理解したとたん、彩は鋭く彼を睨みつけた。おまけに一瞬、こめかみのあたりに怒りマークが浮いた気がする。
 ――あっ、これひょっとして、まずいやつ?
 そう思ったのもつかの間、
「……やったなぁ!」
 彼女はマントと靴を脱ぎ捨ててズボンをたくし上げると、「待てこのー!」と心なしかたのしげに叫びながら、逃げ惑うタカシさんを追って、あっさり川の中へ入っていった。
「ちょっ、ふたりともずるーい! 置いてかないでよー」
 わたしも一拍遅れて参戦する。
 それからは、水をかけ合ってはしゃいだり。
 水切り対決をして、図らずも彩のドヤ顔を目にしたり。
 彩が、ころころと声を上げて笑っている。
 ――彩って、こんなふうに笑うんだ。
 こんなにも無邪気な彼女を見たのは、初めてかもしれない。
 冷たく澄んだ水は、疲れて火照った体に心地よかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

(完結)「君を愛することはない」と言われて……

青空一夏
恋愛
ずっと憧れていた方に嫁げることになった私は、夫となった男性から「君を愛することはない」と言われてしまった。それでも、彼に尽くして温かい家庭をつくるように心がければ、きっと愛してくださるはずだろうと思っていたのよ。ところが、彼には好きな方がいて忘れることができないようだったわ。私は彼を諦めて実家に帰ったほうが良いのかしら? この物語は憧れていた男性の妻になったけれど冷たくされたお嬢様を守る戦闘侍女たちの活躍と、お嬢様の恋を描いた作品です。 主人公はお嬢様と3人の侍女かも。ヒーローの存在感増すようにがんばります! という感じで、それぞれの視点もあります。 以前書いたもののリメイク版です。多分、かなりストーリーが変わっていくと思うので、新しい作品としてお読みください。 ※カクヨム。なろうにも時差投稿します。 ※作者独自の世界です。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...