フツーさがしの旅

雨ノ森からもも

文字の大きさ
上 下
21 / 22
⛄冬

二十歩目 猫たちとなみだの夕暮れ

しおりを挟む

 *

 待ってて。今、助けるから。
 マノルはそれだけを心の中でくり返し、まだ雪がとけ残る日暮れ道をかけ抜けます。冷たい風にふかれながら、アスファルトを力いっぱい走り、パン屋の前で急ブレーキをかけました。
 お店のドアは閉まっています。夢中でひっかいて知らせます。
 ナツキ。ボクだよ。マノルだよ。大変なんだ。
 しかし、どんなにはげしくひっかいても、ナツキが応えてくれることもなければ、ドアが開く気配もありません。まさか、今日もお店に来ていないのでしょうか。
 いやな予感を打ち消すように、がむしゃらにドアをかきむしっていると、
「あら、早いのね。猫ちゃん」
 後ろで優しげな声がしました。――ナツキです。
 バッとふり向いてかけ寄ると、彼女は立ったままマノルを見下ろして「でも、ごめんね」と苦笑しました。
「私、これからお仕事しなきゃいけないんだ。それが終わってからじゃないと、パンは――」
 ちがうんだ!
 マノルはあわててさえぎります。今日はパンをもらいにきたわけではありません。
 あのねっ、ドライトがねっ、
 友だちが、大変なんだ!
 ハアハアって、苦しそうに息してて!
「どうしたの、そんなに鳴いて」
 どれだけがんばって伝えても、やはりナツキには鳴き声にしか聞こえないらしく、不思議そうに首をかしげるばかりです。猫は人間の言葉が分かるのに、どうして相手には伝わらないのでしょう。もどかしいったらありません。
「――!」
 マノルはたまらず、ドライトが待つ噴水のほうに向かってさけびます。
「え? 向こうに何か――」
 ナツキの気を引いたところで、一気に走り出しました。
「あっ、待って! 猫ちゃん」
 無事についてきてくれたようです。スピードを合わせている余裕はありません。ドライトが、待っているのですから。来た道を、さっきと反対方向にかけ抜けていきます。
「ドライト!」
 噴水までたどり着くと、マノルは彼の名前をさけんで、そばに腰を下ろしました。返事はありません。ただ、あらい息をしたまま、苦しそうに顔をゆがめています。
 後ろをふり返ると、遠くに小さくナツキの姿が見えました。
「――!」
 合図するように、もう一度大声で鳴きます。
「もうちょっとだから!」
 マノルはドライトを懸命にはげましながら、背中をさすり続けました。この背中のわずかな動きが、彼が生きているという証になります。
 お願いだから――
 いのる思いがはち切れそうになったとき、
「待ってってばー」
 不満げな声と一緒に、せかせかとあせったような足音が近づいてきて、二匹の前でぴたりと止まりました。
「もう、どうしたの。さっきから」
 声のしたほうに目をやると、ナツキが肩で息を切らしながら立っています。マノルは状況を伝えるため、彼女の足もとでもう一度ひかえめに鳴きました。
「一体何が――」
 肩で息をついていたナツキが、つと、言葉をつまらせました。大きく開かれたひとみは、アスファルトにぐったりとたおれこんだ灰色の猫をじっと見つめています。
「ドライト……?」
 ぽつりとこぼされた言葉に、耳を疑いました。
 どうしてナツキが彼の名前を……?
「ねぇ……ドライトなの?」
 彼女はおそるおそる問いかけるように言いながら、ゆっくりとドライトに歩み寄り、その場にしゃがみこみます。
「……ナツ……キ?」
 苦しそうな息つぎのすきまからしぼり出すような、か細いドライトの声を聞いたとき、ようやく、はっとしました。
 ――飼われてたって言っても、三ヶ月だけだけどな。
 ――ドライトって名前は、そいつがくれた。
 いつか聞いたドライトの言葉とともに、記憶の糸がするするとほどけて、ひとつにつながります。
 ――あぁ、そうか。
 マノルは、心の底からこみあげてくるあたたかい感情に、顔をほころばせました。
 ――キミは、ドライトの家族だったんだね。
 と、みつ色にかがやくアスファルトの上に小さなしずくが落ち、じわりとシミを作ります。マノルではありません。ナツキです。ナツキが、泣いているのです。
「もう、もう……会えないと思ってたのに……」
 なみだぐんでふるえた声。目の前の出来事が現実であることを確かめるように、ドライトの背中にふれようとした白い手は、毛並みをなでる寸前でぴたりと動きを止めます。彼を苦しめている傷に気がついたのでしょう。小さく息をのむと、たずねるようなまなざしをマノルに向けます。
 そうです。もしも――もしもここで、ドライトが息絶えてしまったら、せっかくの再会も悲しいものになってしまうのです。
 マノルはのぞきこむようにして、ナツキの切なげにうるんだ黒いひとみのおくをじっと見つめます。すると彼女は強くうなずき、なみだでぬれた顔をゴシゴシとこすりました。
「いい? ドライト。私の腕の中で死んだりしたら、許さないんだからねっ!」
「――」
 ドライトの精いっぱいの返事を聞き届けると、しかりつけるような口調とは裏腹にそっと彼をだきあげ、走り出します。温かそうな胸にだかれた彼が、ぎゅっとくちびるをかみしめているのは、痛みや苦しさのせいばかりではないのでしょう。マノルも急いで後をおいます。
 ひとりと一匹のかげが雪どけ道に長く伸びて、遠ざかっていきました。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

お兄ちゃんが私にぐいぐいエッチな事を迫って来て困るんですけど!?

さいとう みさき
恋愛
私は琴吹(ことぶき)、高校生一年生。 私には再婚して血の繋がらない 二つ年上の兄がいる。 見た目は、まあ正直、好みなんだけど…… 「好きな人が出来た! すまんが琴吹、練習台になってくれ!!」 そう言ってお兄ちゃんは私に協力を要請するのだけど、何処で仕入れた知識だかエッチな事ばかりしてこようとする。 「お兄ちゃんのばかぁっ! 女の子にいきなりそんな事しちゃダメだってばッ!!」 はぁ、見た目は好みなのにこのバカ兄は目的の為に偏った知識で女の子に接して来ようとする。 こんなんじゃ絶対にフラれる! 仕方ない、この私がお兄ちゃんを教育してやろーじゃないの! 実はお兄ちゃん好きな義妹が奮闘する物語です。 

大好きだ!イケメンなのに彼女がいない弟が母親を抱く姿を目撃する私に起こる身の危険

白崎アイド
大衆娯楽
1差年下の弟はイケメンなのに、彼女ができたためしがない。 まさか、男にしか興味がないのかと思ったら、実の母親を抱く姿を見てしまった。 ショックと恐ろしさで私は逃げるようにして部屋に駆け込む。 すると、部屋に弟が入ってきて・・・

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

連れ子が中学生に成長して胸が膨らむ・・・1人での快感にも目覚て恥ずかしそうにベッドの上で寝る

マッキーの世界
大衆娯楽
連れ子が成長し、中学生になった。 思春期ということもあり、反抗的な態度をとられる。 だが、そんな反抗的な表情も妙に俺の心を捉えて離さない。 「ああ、抱きたい・・・」

知ったかぶりのヤマネコと森の落としもの

あしたてレナ
児童書・童話
ある日、森で見つけた落としもの。 動物たちはそれがだれの落としものなのか話し合います。 さまざまな意見が出ましたが、きっとそれはお星さまの落としもの。 知ったかぶりのヤマネコとこわがりのネズミ、食いしんぼうのイノシシが、困難に立ち向かいながら星の元へと落としものをとどける旅に出ます。 全9話。 ※初めての児童文学となりますゆえ、温かく見守っていただけましたら幸いです。

女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男

湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。 何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。

処理中です...