フツーさがしの旅

雨ノ川からもも

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⛄冬

十八歩目 子猫と幸せと

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 *

「死んじまったのかと思ったぞ、まったく」
 マノルが泣きやんでしばらく経ったころ、ドライトは苦笑いしつつ切り出しました。
「体中雪だらけで氷みたいに冷たくなってるし、名前呼んでも全然起きないし……」
「……ボクも、このまま死んじゃうのかなって思ってた」
 マノルも、まだなみだでうるんだ目を細め、困ったように笑って答えます。ひとりでいたときは一生の終わりのように思えたことも、ドライトとふたりだと笑って話せてしまうから不思議です。不思議で、幸せです。
 いつもより遅い時間だからか、今日の夜空は本当に真っ暗でした。月も星も出ていません。ドライトが帰ってきたとき、緑色のひとみだけがうかびあがって見えたのは、きっとこのせいでしょう。
「ごめんな」
 ドライトの申し訳なさそうな声に、マノルはぶんぶんと首を横にふり、
「おかえり、ドライト」
 ずっと言いたかった言葉を届けます。
 すると、彼もふっと笑みをもらして、もう一度「ただいま」と言ってくれました。
「ほんとは三日くらいで帰ってくるつもりだったんだが、ちょっと手こずっちまってさ……」
 そう説明する彼の表情からは、つかれと罪悪感がにじみ出ています。そんな顔は、ドライトらしくありません。
「気にしないで。だってほら」
 マノルは小さな使命感に突き動かされて、明るい声を出します。
「今はこうやってそばにいられるし、寄りそえるんだから――」
 平気だよ! と灰色の背中に体を預けたとき、ドライトが痛みをこらえるように、ぎゅっと顔をしかめました。
「あっ……ごめん。痛かった?」
 おどろいて素早く彼の体からはなれると、マノルの白い毛先がほんのり赤く染まっています。
 あらためてドライトの背中を見てみると、そこには、だれかにかまれたような傷が残っていました。そこだけピンク色の肉があらわになっていて、見ているこっちまで痛くなりそうです。
 ふれただけで赤がつくほどですから、まだ新しい傷なのでしょう。
 マノルの視線の先に気づくと、ドライトは弱々しくほほ笑みました。
「あぁ、それ……心配するな。たいした傷じゃない……」
 そう答えた声は、なんだか少し苦しそうです。
 暗やみに目が慣れるまで気づきませんでしたが、よく見ると、ドライトの体は傷だらけでした。背中にも、顔にも、足にも、あちこちに戦いの証が刻まれていたのです。
 マノルは悲しげにまゆを下げると、
「ちょっと痛いかもしれないけど、じっとしててね」
 あらかじめ忠告して、彼の背中に残った痛々しい傷に、そっと自分の舌を当てました。
「……っ! おい、大丈夫だって」
 ドライトは再び体に走った痛みにぴくりと反応し、顔をしかめます。
「大丈夫って言わないよ、こういうのは。傷だらけじゃないか」
 ちょっと意地悪そうに言うと、マノルは、真新しい傷をいたわるようにゆっくりとなめ始めました。
「すぐ終わるから」
 かたく目をつむり、必死で痛みにたえるドライトにそう話しかけつつ、ていねいに、ていねいに、にじんだ赤をなめとってあげます。
「引っこしはいつになるの?」
 背中の消毒が終わったタイミングでマノルはたずねました。今度は足です。
「天気がよければ明日にでも……いっ!」
 ついにガマンできなくなったのか、ドライトが声を上げました。背中の傷ほどひどくはなさそうですが、まだ痛みがあるようです。
「明日!?」
 思わずさけびながらも、最後に顔をなめてあげます。ほおの傷は、すでに治りかけていました。
「はい、終わったよ。痛くしてごめんね」
「いや、ありがとう」
 ちょっと照れくさそうにお礼を言ってくれたドライトに、マノルもえへへと笑います。
 そして、あわてて話題を戻しました。
「それにしても、明日って。まだ帰ってきたばっかりなんだから、ちょっと休んだほうがいいんじゃない?」
 説得するように言って、マノルはもう一度ドライトの背中に体を預けました。今度は傷にふれないよう気をつけながら。
「それに……ドライト、なんか具合悪そうだし」
 心配するマノルを、ドライトは愛おしそうに見つめ、まなざしで大丈夫だと伝えてきます。
「オレも休みたいのは山々なんだけどな。またいつ雪が降るか分からないし、あんまりぐずぐずしてると、せっかくの新しいテリトリーをだれかにとられちまうかもしれない。なーに、ちょっとつかれてるだけだ。ねりゃ回復するさ」
「でも……」
 マノルの胸の中でうずまく不安をぬぐい取るように、彼は顔をぺろりとなめてくれます。
「大丈夫だから」
 それだけ言い残して目を閉じたかと思うと、しばらくしておだやかなねいきが聞こえ始めました。マノルよりも先にねむってしまったようです。よほどつかれていたのでしょう。
 気持ちよさそうなねいきに耳をそばだてながら、マノルは「明日も、雪が降ってくれればいいのに」と心のかたすみで願いました。
「大丈夫だから、じゃないでしょ?」
 すやすやとねむる横顔に、小声でつぶやいてみます。たぶん聞こえていないでしょう。
 雪が降れば、引っこしはできなくなります。今日のようなふぶきが来たって、ふたり一緒ならきっと平気です。
 ドライトに、これ以上無理をさせるわけにはいきません。新しいテリトリーに向かうとちゅうでたおれたりしたら、それこそどうすればいいか分からなくなってしまいます。明日は少しでも休んでもらわなくては。
 このささやかな幸せが、こわれてしまう前に。
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