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⛄冬
十六歩目 子猫と真っ白
しおりを挟むドライトがいなくなって四日目の朝、ふと、冷たいものに鼻の先をつつかれ、マノルは小さなくしゃみをしました。なんだかふわふわしています。雨とは少しちがうようです。
まだねむけの残る頭でなんだろうと思いながら目を開けると、白い花びらのようなものが、はらはらと辺りを降っていました。
「雪だ……」
しずかに空からまい落ちてくるそれを、見るともなしに見ていたら、自然と感動の声がもれてしまいました。
その小さな、小さなかけらは、まるで冬の桜です。でも、本物の花のように地面に落ちて残ることはなく、何かにふれた瞬間、とけて魔法のように消えていきます。
「わぁ……!」
不思議な光景に楽しくなったマノルは、雪の中をかけ回り始めました。冬になると雪が降ることは知っていましたが、自分の目で見たのは今日が初めてです。こんなにきれいだなんて思ってもみませんでした。
「ねえ、見て! ドラ――」
言いかけて、はっと気づきます。そうでした。彼は今、いないのです。そう思ったとたん、はしゃいでいた気持ちが空気の抜けた風船みたいにしぼんでいって、その場に立ちつくしてしまいました。
そういえば、彼は出かける前「雪が降る前に引っこしたい」というようなことを言っていた気がしますが……
「……ちょっと、遅かったね」
つぶやいてみても、答えが返ってくることはありません。分かっているはずなのに、切なくて、胸のおくがぎゅっと苦しくなって、うまく息ができなくなります。
言葉にならないさびしさがなみだへと変わる前に、がむしゃらに首をふっておいはらいます。
ダメです。
ドライトはきっと命がけで戦っているのです。だからマノルも、弱い自分と戦わなければいけないのです。彼にとびきりの笑顔で「おかえり」と言うために。
雪の中、マノルは今日も街のパン屋に向かいました。雪が降っているからでしょう。ドアが閉められていたので、軽くひっかいてみます。
「あっ、猫ちゃん。ちょっと待ってね」
中からナツキの声がします。
以前は鳴かないと気づいてくれなかったのに、最近はマノルがお店のドアをこうしてひっかくだけで来てくれるようになりました。もうすっかり常連さんです。
しばらくすると、にぶい音を立てながらドアが開き、ナツキが姿を現しました。
「いらっしゃい。いよいよ降ってきちゃったね~」
ニコニコ話しかけながら、マノルの向かい側にしゃがみこみます。
「はい」
彼女がどこかほこらしげに差し出してきたパンのかけらは、いつもと正反対のものでした。なんだか、とってもやわらかそうなのです。
これって――
問うように上目づかいで見つめると、彼女はいたずらっぽい笑みをうかべ「シーッ」と桜色のくちびるの前に人差し指を立てます。
「今日、雪降ってて寒いから、あったかいほうがうれしいかなぁと思って」
そう言って、
「ナイショよ? こっそり温め直すの大変だったんだから」
とウインクしました。
どうやら、焼きたてというわけではないようです。売れ残りなのだから当たり前でしょう。
それでも、ナツキの手のひらにのせられたパンに口を近づけると、初めてパンを食べたときのことを思い出しました。
また、確認するように彼女を見つめます。すると、おかしそうにクスッと笑って答えてくれました。
「大丈夫。ちゃんと冷ましてあるから。ほどよく、ね」
そうです。初めてパンを食べたとき、熱いと知らずに舌をやけどしそうになったのです。
ナツキの言葉を信じて、ひとかけ食べてみます。
――おいしい。
ほどよいあたたかさを残して口の中に広がるパンの味。ほかにはないふわふわとした優しい食感。味わいながら、なつかしい気持ちがこみあげてきます。
「このところ、毎日来てくれるね」
パンをひとつひとつ、じっくりかみしめるマノルを見つめながら、ナツキが言います。そうなのです。マノルはこの四日間、毎日街に来ていました。
「ところで猫ちゃん、ちょっとやせたんじゃない? ちゃんと食べてる?」
落ちてくる雪をはらうようにしてマノルの背中をなでながら、ナツキは心配そうにたずねました。
その質問に対する答えは、いつだってノーです。いくら狩りをしてエモノをつかまえたって、ツメの先でしとめてしまえるようなアリやダンゴムシだけで、お腹が満たされるはずもありません。
だから、ときどき人間をたよるのです。ノラ猫たちはみんなそうやって、なんとか命をつないでいます。
事実、マノルが最近毎日ナツキのもとを訪れるのは、ドライトに会えないさびしさを埋めるためだけではありません。寒くなってから虫や鳥があまり姿を見せなくなり、狩りがうまくいかないからなのです。
いくらドライトから許可をもらっているからといって、こんなふうに最終手段にたよりきるつもりはありませんでした。今は、ナツキがわけてくれるパンだけが、ゆいいつの食事なのです。
「あっ、そうそう」
ナツキが突然、何かを思い出したように両手をたたきます。
「ごめんね。私、明日はバイトお休みなの」
……え?
はかったようにそんなことを言い出すものだから、マノルはおどろきのあまりかたまってしまいました。
「家族で出かける用事があって。だからお店には来ないんだ」
頭の中が真っ白になります。あんなにおいしかったはずのパンの味は、急に何がなんだか分からなくなってしまいました。ただパサパサしたものが、体中の水分をうばっていくばかりです。
「あなたの毛色、雪にそっくりだね」
ほほ笑み交じりで語りかけてくれるナツキの声も、マノルの耳にはもうほとんど届いていませんでした。
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