フツーさがしの旅

雨ノ川からもも

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🌞夏

九歩目 子猫と突然の雨

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 *

 街を出たときは夕日がまぶしいくらいだったのに、とちゅうから急に雲行きがあやしくなってきました。あたたかなオレンジの空を、厚いなまり色の雲がぬりつぶしていきます。
 雨が降ってくる前に帰らなくては。マノルは朝来た道を大急ぎでかけ抜け、ドライトが待つテリトリーに飛びこみました。
「た、ただいまー!」
 息を切らしながら言うと、狩りをしていたらしいドライトがこちらをふり向いて、
「おう、お帰り」
 と、元気な声を返してくれました。
「雨、降ってきそうだね」
 マノルは、すっかり雲におおわれてしまった空を見上げながらつぶやきます。ドライトも狩りをやめて、マノルと同じように首を持ち上げました。
「そうだな。突然くずれてきた」
 そう言ったかと思ったら、ふいにやんちゃな笑みをうかべてマノルにたずねます。
「どうだったんだ? 初めてのひとり旅は」
 聞かれて、マノルは少し恥ずかしくなりました。
「そんな……旅なんてたいしたものじゃないよ」
 うつむきながら小声で言うと、
「お前にとってはじゅうぶん旅だっただろ」
 と、彼は笑います。
 話しているうちにマノルは、ナツキに会えたときの喜びを思い出しました。彼女の指先のやわらかさが、はっきりとよみがえってきます。
 女の子にもう一度会えたこと、そして彼女の名前を覚えられたこと。全部、ドライトにも伝えなくてはなりません。
「あのね、パンをくれた女の子に――」
 言いかけたとき、ドライトの顔からすっと笑みが消えました。
「……どうしたの?」
 なんだか怖くなって問いかけると、彼は「シッ!」と言って、遠くのほうをにらみつけます。
「だれか来る」
 声をひそめてそう言われ、おそるおそる耳をそばだててみると、さっきマノルが通ってきたほうから、足音が聞こえてきました。足音はだんだんと近づき、大きくなっていきます。
「下がってろ」
 ドライトの一言に、マノルは後ずさって、彼のかたわらに身をかがめました。あまりの緊張にごくりとのどを鳴らしたとき、冷たい水が前足に落ちてきて、思わずさけんでしまいそうになります。
 雨が降ってきたようです。最初こそぽつり、ぽつりとひかえめな音を立てていたしずくは、あっという間に大きくなり、激しく地面を叩き始めました。
 風があれくるう中で、雨水に打たれながら、足音の主が姿を現します。
 ――猫です。
 赤茶色の毛並みに、しっぽまできれいにしま模様が入ったキジ猫でした。ノラとは思えないほど大きくて丸々と太った体をゆらしながら、その猫はドライトに歩み寄っていきます。
「よう。久しぶりやな、ドライト」
 キジ猫は、少しなまった口調でドライトに話しかけました。彼と知り合いのようです。意地悪そうに細められた目が、あの日の兄弟たちと重なって、じわりと汗がにじみます。
「お前……なんの用だ」
 そう返したドライトの声は、今までにないくらい低いものでした。
「まあそう怖い顔せんと。順番に話そうやないか」
 キジ猫はやんわりとした口調で言いましたが、目は何かをたくらんだように細められたままです。
「あんな、仲間のヤツが最近街でお前を見たって言うから、街にかすかに残ってたお前のにおいをたどってここまで来たっちゅうわけや。とちゅうで雨降ってくるし、大変やったんやで?」
 そこまで言って、キジ猫は「ん?」と顔をしかめました。するどい視線がマノルへと向けられます。
「……もしかして、お前のそばにかくれとるそのチビ、あれやろ、黒猫の兄弟の中で一匹だけ白く生まれたヤツとちゃうか? どっかで見たことある顔やなおもたら」
 マノルは顔を強ばらせました。どうしてキジ猫がそれを知っているのでしょう。
「野原で家族とおるところをたまたま見かけてな。そしたら、親も兄弟もみんな黒いのにそいつだけ白いんやもん。笑ってしもうたわ」
 怖さとおどろきで、足がすくみました。兄弟たちに言われたのと同じ言葉です。
「まさかお前がそんな変わったヤツと一緒におるとはな。目の色もちごうてるし、絶対なんか悪いもん持っとるで、そいつ」
 キジ猫はあざけるように笑いました。
「せやから兄弟たちにも――」
「やめろ」
 キジ猫をにらみつけながらも、だまって話を聞いていたドライトが、ようやく声を上げます。やっぱり背筋が寒くなるほどひどく低い声でした。
 キジ猫が言おうとしたことは、だいたい分ります。おそらく彼が兄弟たちに教えこんだのでしょう。マノルと一緒にいてもいいことがないと。だからあの日、兄弟たちはわざと突き放すような態度を取ったのです。
「まあそんなことはどうだってええねん」
 キジ猫はあきれたように言って、再びドライトに目を向けます。
「なあドライト。お前、戻ってくる気ないんか?」
 その言葉に、ドライトの緑のひとみに怒りの色がうかびました。
「分かりきった質問をするな」
 彼の答えに、キジ猫はフンと鼻を鳴らします。
「そんなにチビのことが大事なら、一緒に連れてきたってええんやで。狩りが上手くいかへん日があったら、オレの腹の中に入ってもらうかもしれんけどなぁ!」
 悪意たっぷりの笑顔を向けられ、さっと血の気が引いたとき、マノルを守るように立っていたドライトが、キジ猫に飛びかかっていきました。見たこともない、殺気立った目をして。
 キジ猫がおさえつけられる形になりましたが、彼も負けじと大きな体を起こしてやり返し、そのままケンカが始まりました。
 たおし、たおされ、ひっかいて――二匹はたがいに声を上げてもみ合いながら、雨にぬれた冷たい地面を転がっていきます。ドライトはキジ猫より体が小さいのに、まったく引けを取りません。
 たきのような雨が降る中で、空が一瞬まばゆい光を放ち、大きなかみなりの音が全身にまでひびきわたります。
 頭の中が真っ白です。今、マノルの目の前でくり広げられているものは、兄弟たちとの取っ組み合いとはわけがちがいました。迫力も、おそろしさも、何十倍に感じられます。
 やめて! そうさけぼうとしても、のどから空気がもれるだけで、ちっとも声になりません。
 そのとき、痛々しいひめいとともに、赤黒いしぶきが飛び散りました。
 見ると、キジ猫があお向けでドライトの下じきになり、苦しそうに顔をゆがめています。お腹に傷を負ったようです。
「もう、二度と来るな」
 ドライトはキジ猫をきつくにらみつけると、馬乗りになっていた猫の上からおりて、その場をはなれました。
 そして、小さくふるえ続けるマノルのそばにそっと座りこみます。大丈夫だ、というように。
 解放されたキジ猫はのろのろと起き上がりました。傷が深いのでしょう。まだお腹からしたたる液が、地面に赤いシミを作っています。
 キジ猫は、痛みをこらえながら、二匹にするどい視線を投げ、
「覚えときや」
 かすれた声でそう言うと、とぼとぼと来た道を戻っていきました。
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