そらのとき。~雨上がりの後で~

雨ノ川からもも

文字の大きさ
上 下
15 / 38
🌈2nd time 開花予報、のち

真夜中の再会

しおりを挟む

 *

 ――咳、止まらないな。

 大和は、同じ布団の中で寄り添っていることよりも、結乃の容態が落ち着かないことに焦りを感じていた。
 咳き込むたびに背中をさすってやるのだが、そこにはしぼれそうなほどじっとりと汗が滲んでいて、パジャマの上からでも体が保っている熱を感じ取ることができる。胸もとにかかる吐息さえ熱い。

 こんな調子では、きっと眠りも浅いだろう。そんな結乃とは対照的に、志歩はすやすやと眠りこけていた。
 彼女も、夕方から慣れないことの連続で疲れがたまっていたのだろう。結乃の看病を引き受けたのは自分だし、文句を言うつもりはないけれど、その違いに心が痛んだ。

 何とかならないものかと思いながら、高熱のために潤んだ結乃の目尻を指先で拭う。――そのとき、ふと、眩しさを感じた。
 目を細めてそちらに視線をやると、宙で白く淡い雪玉のような光が踊りだし、舞い降りるようにひとりの少女が姿を現す。
 白いドレス調の服をまとい、あでやかな黒髪をなびかせる彼女は――
 叫ぼうとした寸前で唇に押し当てられた人差し指は、触れそうで触れない。よく見ると、顔も体も薄く透けている。

 こんな、こんなことって……

「ちっす! 久しぶり」

 驚きを隠せない大和をよそに、純白のドレス姿に似合わず軽々しい挨拶をした栞奈は、少し切なげにも見える苦笑を浮かべて、言った。

「びっくりしたのは分かるけど、あんまり大声出さないでね。みんなが起きちゃう」

 いろんな人に見られちゃうとまずいから、と囁いて、彼女は結乃の額に左手をかざす。
 そうか。もう忘れかけていたけれど、彼女は左利きだったのだ。

「うーん、これはかなり辛いねぇ。待ってて。今、楽にしてあげるから」

 そう口にした直後、自らの発言に問題を見出したのか、「あっ」と呟いてあごの下に手を当てた。

「自分が死んでるからって道連れにしたりはしないよ。ただ、熱下げてあげるだけ」

 ちょっとおどけた様子ではにかんで、大和に手振りでその場から離れるように指示する。
 状況が呑み込めないまま、言われた通り布団から出て、栞奈の傍らでひざを折った彼。
 死んでいる、と彼女は言った。それは理解している。数ヶ月前、儚い命が尽きる瞬間を、この目で見届けたのだから。
 じゃあ、今まさに目の前にいる彼女は、「幽霊」なのだろうか。というか、これは夢……?

「あの……」
「シッ! これから大事なとこ」

 緊張した面持ちで注意され、あわてて口をつぐむ。
 栞奈は再び結乃の額に左手のひらをかざすと、小さく息を吐いて、すでに冷たさを失ってしまっただろう冷却シートの上に、それを重ねた。
 そしてゆっくり目を閉じる。すると、彼女の身を包むドレスの輪郭や、周りでふわふわと踊る雪玉たちが、優しい青みを帯びた。
 その不思議な光に悪いものを吸い取られていくように、結乃の表情から、少しずつ険しさが消えていく。

 静かに目をつむりながらその様子を見守る栞奈の姿は、幽霊なんておぞましいものとは程遠い。今の彼女が人間でないとすれば、「天使」とでも言うべきだろうか。そんな形容が恥ずかしくないほど、上等な美しさと上品さを放っていた。
 青白い光の中で波打つ漆黒しっこくの髪も、閉じたまぶたから覗く長いまつげも、すべて生前のままで、この子は本当に死んでいるのかと疑いたくなる。

「……もう大丈夫だと思うよ」

 そう言って彼女が目を開けると、髪はなびくのをやめ、優しげな青色は薄れて、もとの落ち着いた雪色が彼女の周りに降りた。

「いやぁ、それにしてもびっくりだよね。来てみたらおんなじ布団で添い寝してるんだもん」

 楽しげに指摘され、初めて恥ずかしさが込みあげてくる。

「いや、これはその、何ていうか……」

 頭の後ろを掻きながら、言葉を濁す。曖昧な返答に、栞奈は「そんなに照れなくてもいいじゃん!」と鈴を転がしたような声で笑った。やっぱり、あの頃と変わっていない。何ひとつ。

「なんかさ、幸せじゃない? そういうのって」

 天井を見上げながら、そんなことをしみじみ呟く横顔も。
 たとえ遠くに旅立ち、触れられない存在になってしまっても、栞奈は栞奈なのだ。

「さーて、そろそろ戻らないと。あんまり長居してると怒られちゃう」

 怒られるって誰に、なんてさして重要でもない疑問が頭をよぎったとき、

「でーもその前にっ!」
 甘えるような明るい声とともに、ふわりとしたあたたかさに抱きしめられる。
 似ている、と思った。結乃に同じことをされた、あのときに。

「……じゅうでん」

 切なげな囁きが耳もとをくすぐる。
 背中に回された両腕は、やはり触れない。触れないけれど、そこには確かなぬくもりがあった。栞奈がいた。

「あっ、そういえばお兄ちゃん、私に対してアレルギー反応起こすんだっけ? こんなにくっついて大丈夫?」

「よく知ってるね」

 言うと、彼女は「今の私は何でも知ってるんです」と静かに笑う。
 大和も微笑み返して彼女の背中に腕を回し、ふたりはしばらく夜の静寂の中に溶け込んだ。
 きっと、このひとときを明太子模様が邪魔してくることはないだろう。
 拒絶する理由なんて何もない。むしろ、幸せだから。

 言いたいことならたくさんあった。助けてあげられなくてごめんとか、あの日――最期の朝に、結乃に何を告げ口したのかとか。
 でも、そのどれもが喉の奥に引っかかって、うまく言葉にならない。
 やっと声に出せたのは、

「……また、会える?」

 一番聞きたくて、一番聞きたくないことだった。

「……分かんない。お兄ちゃん次第かな」
「どういうこと?」
「フフッ、教えてあげなーい」

 茶化すようなその答えは、はっきりと否定されるよりも、はるかに救われた。

「私が風邪引いて寝込んだときも、『姿が見えるところにいて』ってわがまま言ったら、こんなふうに二段ベッドのそばに布団敷いて寝てくれたよね?」
「あったっけ? そんなこと」
「あったよ。さすがに添い寝じゃなかったけど」

 栞奈はまたからかうように言って、小さく笑う。

「ちゃんと生きなきゃダメだよ」

 唐突に告げられた一言が、別れの時を知らせる。

「見てるからね」
「うん」
「結乃ちゃんのこと泣かせたら、許さないからね」
「うん」

 力強い返答を聞き届けると、栞奈は安心したように吐息を漏らし、大和の右肩にあごを預けたまま、まばゆい光とともに消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

強制フラグは、いりません! ~今いる世界が、誰かの二次小説の中だなんて思うかよ! JKと禁断の恋愛するなら、自力でやらせてもらうからっ!~

ハル*
ファンタジー
高校教師の俺。 いつもと同じように過ごしていたはずなのに、ある日を境にちょっとずつ何かが変わっていく。 テスト準備期間のある放課後。行き慣れた部室に向かった俺の目の前に、ぐっすり眠っているマネージャーのあの娘。 そのシチュエーションの最中、頭ん中で変な音と共に、俺の日常を変えていく声が聞こえた。 『強制フラグを、立てますか?』 その言葉自体を知らないわけじゃない。 だがしかし、そのフラグって、何に対してなんだ? 聞いたことがない声。聞こえてくる場所も、ハッキリしない。 混乱する俺に、さっきの声が繰り返された。 しかも、ちょっとだけ違うセリフで。 『強制フラグを立てますよ? いいですね?』 その変化は、目の前の彼女の名前を呼んだ瞬間に訪れた。 「今日って、そんなに疲れるようなことあったか?」 今まで感じたことがない違和感に、さっさと目の前のことを終わらせようとした俺。 結論づけた瞬間、俺の体が勝手に動いた。 『強制フラグを立てました』 その声と、ほぼ同時に。 高校教師の俺が、自分の気持ちに反する行動を勝手に決めつけられながら、 女子高生と禁断の恋愛? しかも、勝手に決めつけているのが、どこぞの誰かが書いている某アプリの二次小説の作者って……。 いやいや。俺、そんなセリフ言わないし! 甘い言葉だなんて、吐いたことないのに、勝手に言わせないでくれって! 俺のイメージが崩れる一方なんだけど! ……でも、この娘、いい子なんだよな。 っていうか、この娘を嫌うようなやつなんて、いるのか? 「ごめんなさい。……センセイは、先生なのに。好きに…なっちゃ、だめなのに」 このセリフは、彼女の本心か? それともこれも俺と彼女の恋愛フラグが立たせられているせい? 誰かの二次小説の中で振り回される高校教師と女子高生の恋愛物語が、今、はじまる。

如月さんは なびかない。~片想い中のクラスで一番の美少女から、急に何故か告白された件~

八木崎(やぎさき)
恋愛
「ねぇ……私と、付き合って」  ある日、クラスで一番可愛い女子生徒である如月心奏に唐突に告白をされ、彼女と付き合う事になった同じクラスの平凡な高校生男子、立花蓮。  蓮は初めて出来た彼女の存在に浮かれる―――なんて事は無く、心奏から思いも寄らない頼み事をされて、それを受ける事になるのであった。  これは不器用で未熟な2人が成長をしていく物語である。彼ら彼女らの歩む物語を是非ともご覧ください。  一緒にいたい、でも近づきたくない―――臆病で内向的な少年と、偏屈で変わり者な少女との恋愛模様を描く、そんな青春物語です。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

ナツキス -ずっとこうしていたかった-

帆希和華
ライト文芸
 紫陽花が咲き始める頃、笹井絽薫のクラスにひとりの転校生がやってきた。名前は葵百彩、一目惚れをした。  嫉妬したり、キュンキュンしたり、切なくなったり、目一杯な片思いをしていた。  ある日、百彩が同じ部活に入りたいといい、思わぬところでふたりの恋が加速していく。  大会の合宿だったり、夏祭りに、誕生日会、一緒に過ごす時間が、二人の距離を縮めていく。  そんな中、絽薫は思い出せないというか、なんだかおかしな感覚があった。フラッシュバックとでも言えばいいのか、毎回、同じような光景が突然目の前に広がる。  なんだろうと、考えれば考えるほど答えが遠くなっていく。  夏の終わりも近づいてきたある日の夕方、絽薫と百彩が二人でコンビニで買い物をした帰り道、公園へ寄ろうと入り口を通った瞬間、またフラッシュバックが起きた。  ただいつもと違うのは、その中に百彩がいた。  高校二年の夏、たしかにあった恋模様、それは現実だったのか、夢だったのか……。      17才の心に何を描いていくのだろう?  あの夏のキスのようにのリメイクです。  細かなところ修正しています。ぜひ読んでください。  選択しなくちゃいけなかったので男性向けにしてありますが、女性の方にも読んでもらいたいです。   よろしくお願いします!  

【完結】その同僚、9,000万km遠方より来たる -真面目系女子は謎多き火星人と恋に落ちる-

未来屋 環
ライト文芸
――そう、その出逢いは私にとって、正に未知との遭遇でした。 或る会社の総務課で働く鈴木雪花(せつか)は、残業続きの毎日に嫌気が差していた。 そんな彼女に課長の浦河から告げられた提案は、何と火星人のマークを実習生として受け入れること! 勿論彼が火星人であるということは超機密事項。雪花はマークの指導員として仕事をこなそうとするが、日々色々なことが起こるもので……。 真面目で不器用な指導員雪花(地球人)と、優秀ながらも何かを抱えた実習生マーク(火星人)、そして二人を取り巻く人々が織りなすSF・お仕事・ラブストーリーです。 表紙イラスト制作:あき伽耶さん。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

優等生の裏の顔クラスの優等生がヤンデレオタク女子だった件

石原唯人
ライト文芸
「秘密にしてくれるならいい思い、させてあげるよ?」 隣の席の優等生・出宮紗英が“オタク女子”だと偶然知ってしまった岡田康平は、彼女に口封じをされる形で推し活に付き合うことになる。 紗英と過ごす秘密の放課後。初めは推し活に付き合うだけだったのに、気づけば二人は一緒に帰るようになり、休日も一緒に出掛けるようになっていた。 「ねえ、もっと凄いことしようよ」 そうして積み重ねた時間が徐々に紗英の裏側を知るきっかけとなり、不純な秘密を守るための関係が、いつしか淡く甘い恋へと発展する。 表と裏。二つのカオを持つ彼女との刺激的な秘密のラブコメディ。

処理中です...