そらのとき。~雨上がりの後で~

雨ノ川からもも

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🌈2nd time 開花予報、のち

望まぬキスは

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 *

 誰かが、手を握ってくれている。
 志歩――ではない。
 少し骨ばった、男の子の手。知っている。どこか懐かしい、この感覚。

 結乃は倦怠感けんたいかんと苦しさに抗いながら、ゆっくりと目を開ける。
 次第にはっきりしてくる視界の中、

「……大和くん?」

 そばにいたのは、心のどこかでずっと恋しく思っていた、彼だった。

「あっ……目、覚めちゃったか。大丈夫? 吐き気とかしない?」

 すぐさま目覚めたことに気づいて、心配そうにこちらを見つめてくる彼に、小さくうなずく。優しげなぬくもりを感じて手もとに視線を移せば――思った通り。
 あらかじめ分かっていたはずなのに、いざ実際の光景を目の当たりにしたら、顔が火を噴いたように熱くなる。
 彼は、一瞬不思議そうな表情をしたが、その意味が分かると、重大な罪でも犯したかのように焦って――

「ちっ、違うの!」
 離そうとした手を、結乃は強く握りしめた。自分の叫び声が頭に響いて、鈍い痛みを残していく。

「い、嫌じゃない……ので、離さないで……ください」

 痛み、そして恥ずかしさとたたかいつつ、控えめながら懸命に訴える。すると、彼は黙って窓のほうを向き、熱っぽい手を再び握り返してくれた。
 安心感から、自然と顔がほころぶ。

「……なんでここに? お姉ちゃんは?」

 そういえば、志歩の姿が見えないなと思って尋ねると、

「夕飯買いに行ってる。帰ってくるまで一緒にいてあげてって言われて」

 彼は相変わらず窓の外を眺めながら答えた。 

 いつも夜勤前は母が夕飯を作り置きしていってくれるのだが、今日は家事の傍ら結乃を看病したり、病院に連れていったりしていたせいで時間がなかったのかもしれない。

「もう、お姉ちゃんたら心配性なんだから」

 結乃はちょっぴり不満に思いながら唇を尖らせた。
 熱に浮かされる妹をひとりにするのは不安だと、わざわざ部活を休んで帰宅した上に、大和まで巻き込むとは。
 気遣ってくれるのはありがたいけれど、あまり過保護だと子供扱いされているようで、少し複雑な気持ちになる。

「それくらい愛されてるってことだよ」

 彼は微笑み交じりに言うが、目線の先はやはり窓だ。どうしてだろう。さっきから目を合わせてくれない。

「そういえばさ」

 彼の優しい低音が、静まり返った部屋に落ちる。陽暮れのオレンジと群青ぐんじょうがとけ合った幻想的な空に、その横顔はよく似合った。

「髪、ちょっと長くなったよね。また伸ばすの?」

 ふいに、ときめきを含んだ喜びが、胸の奥を甘くしめつける。

「うん……そのつもり」

 言いながら、なぜこんなことを訊こうと思ったのか、自分でも理解できない。嬉しさのあまり羽目を外したのか、

「ねぇ……」

 それとも、熱に酔っていたのか。

「キスって、したことある?」

 瞬間、つないだお互いの手に力が入るのを感じた。

「ないよ」

 即答に胸を撫でおろす一方で、ある疑問が残る。

「付き合ってる人いたのに?」

 ふたりの仲むつまじい姿を、どんな想いで見つめていたかなんて、きっと彼は知らないだろう。

「せいぜい何度か手つないだだけ。今考えると、あれを『付き合ってた』って言っていいのかもよく分からない」

 呆れたような声が返ってくる。交際一ヶ月足らずなんて、そんなものなのだろうか。

「結乃は? したことあるの? キ、キス……」

 そのまま同じ質問を返されて、言葉に迷う。
 彼だけには知られたくなかったけれど、種をまいたのは他でもない自分だ。しかたがない。

「した、っていうか、強引にされたことなら、あり……ます」

 すると、彼がようやくこちらを振り返る。その驚きの表情には、恐怖にも、怒りにも似た色が滲んでいた。

「あっ、でもでもっ! そんなちゃんとしたのじゃなかったよ。こう、頬に相手の……が、ちょっと触れちゃった、みたいな!」

 ちゃんとしたのってなんだ、と胸の内で自問したとき、一気にまくし立てたせいか、激しく咳き込んでしまった。どうもたんが絡んでいるらしく、今日は鼻よりも喉の調子が悪い。

「あぁ、ほら……そんな急いで喋るから」

 あたふたしながらも、彼はこちらにすり寄り、つないでいないほうの手でゆっくりと背中をさすってくれた。
 そのかすかなぬくもりに支えられ、息苦しさと、咳き込むたび同時に襲ってくる鈍い頭痛に耐えながら、

 ――ごめん、大和くん。

 と、心の中でむなしく呟く。

 さっきの言葉に偽りはない。ただ、唇が重ならなかったのは、結乃がとっさに顔を背けたからだ。つまり、相手は――
 様々な感情にさいなまれながらも、少しずつ呼吸が落ち着いてきたところで、

「それって……」

 ためらいがちに、大和が口を開く。それきりつぐんでしまったけれど、何を飲み込んだかは分かった。

 ――そう、直人だ。

 今から一年前の夏、新垣直人は、まだ恋心など知らなかった結乃に、キスを強要したのである。それも、あろうことか、学校の廊下で。
 咳はだいぶおさまってきたが、大和はまだ背中をさすり続けてくれている。小さく息を吐くと、結乃は慎重に言葉を継いだ。

「キスされた後、ありもしない噂が広まって、冷やかされて、すごく辛かった」

 多感な時期の男女たちにとって、「キス」という単語と行為は、刺激が強すぎたのだろう。結乃は周りの子供たちから、たちまち好奇の目を向けられることになった。

「でも、そんなときね……」

 この苦い経験が、結乃の奥底に眠っていた感情を、目覚めさせたのだ。

「なんでか、大和くんに助けてほしいって思ったの。もし同じことされて、同じようにからかわれても、大和くんとなら全然嫌じゃないのにって……」

 そこまで言って、気づく。

 ――何を、何を言っているんだ、私は。これは、もう……

 とたんに両頬が熱くなったのは、きっと風邪のせいではない。

 はっとして彼の顔を見る。けれど、その表情は眉ほどまで伸びた前髪に隠されて、よく分からなかった。
 発熱って、恐ろしい。

「ごめん。今の、忘れて……」

 あわててそっぽを向き、涙が滲む直前のような震える声でそう言った。

「やだ」

 まさかの返答に耳を疑う。反射的に彼のほうへ向き直ろうとしたとき――ほっそりとした手が伸びてきて、いたわるように優しく、頬に触れた。

「聞いちゃったからにはちゃんとするよ。結乃が、嫌じゃないなら」

 背中から聞こえる、思ったより落ち着いた彼の声。予想もしなかった展開に、心臓がうるさいくらいに大きく、激しく、リズムを刻んでいた。
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