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🌈First time 彼と、にわか雨
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昼休みが終わり、まばらに生徒が行き交い始めた廊下を、男子ふたりで肩を並べて歩いていた。
「あー、午後イチ体育とかきっついわー」
体操服姿で、いかにもだるそうにぼやいた慶太。
「数学とか国語よりはマシだろ」
同じく体操服を着た大和は、ぼんやり前を見たままそう返した。
すると彼は、「俺、寝れるからそっちのほうが楽」なんて悪びれもせずそんなことを言う。
「いや寝るなよ。志歩に怒られるぞ」
「爆睡はしないよ? ウトウトしてるだけ」
くだらない話をしてじゃれ合っていると、他のクラスから出てきたらしい列が通り過ぎていった。
大和は、その最後尾で微妙に距離を取りながら歩くひとりに視線を引っ張られる。――本当にわずかな期間、青春の甘いひとときをともにした、千夏だ。
ポニーテールと呼ばれるその名の通り、馬のしっぽみたいにひとつに束ねられて揺らぐ髪。それは付き合っていた頃の明るい栗色から一変して、濃すぎるくらいの黒になっていた。
こちらに気づいたのか、ふわりと微笑みを浮かべた彼女。が、次の瞬間、何かにおびえたような目をしてかたく口を結んだ。と思うと、あわてて背を向け、来た道を駆け戻っていってしまう。
内心で小首をかしげたとき、
「次って何?」
「理科」
「やだぁ、理科きらーい! 実験なんかしなくても生きていけるもんっ」
一見しただけで顔をしかめたくなるような、派手な身なりをした女子三人組とすれ違った。
「なんじゃ? あのギャル集団。俺ああいうの無理~」
慶太が顔だけで振り返って、彼女たちの背中を目で追いながら、呆れ果てた様子で呟く。
――何か、引っかかる。
「……ごめん。ちょっと先行ってて」
大和は唐突にそう言うと、「おっ、おう……」と不思議そうに答えた慶太を残して、踵を返した。
小走りで千夏が消えたほうへ向かってみる。
すると、彼女は階段前の曲がり角に背を預け、教科書やら筆箱やらを抱えたまま、息を殺して立ちすくんでいた。
声をかけようか悩んでいると、さっきのギャルたちの会話が聞こえてくる。
「てかさ、あのときヤバくなかった?」
「あっ、うんうん。もう一生関わらないでオーラ出てたぁ」
「今頃、ぼっちんなって痛い目みてんじゃね?」
耳障りな低音と威圧的な足音が徐々に近づき、鮮明になっていく。大和は千夏の傍らで隠れるように俯きながら、彼女たちがどこかへ消えてくれるのを待った。
「栞奈が死んでから、自分も死にかけみたいな顔してるし」
「たしかに」
「まぁ、あいつが生きてようが死んでようが、うちらにはさほど関係ねぇけど」
まさかの人物を話題に上げて繰り広げられ始めた非情な会話に、言葉が出ない。先ほどの慶太ではないけれど、怒りを通り越して呆れる。
「そんなこと言って。あんた、めっちゃ泣いてたじゃん」
「あれは、ただ便乗しただけっつーか」
「分かるぅ。後で浮くのやだもんねぇ」
我慢ならずため息をつこうとしたとき、突然、驚異的な何かが牙をむいた気がして、大和はさっと顔を上げた。
見れば、たたずんだままの千夏が、怒りに打ち震えている。ひどく殺気立った目をして。
「ダメだ」
とっさに、かたく握られたこぶしを右手で包み込んだ。彼女がはっとこちらを見上げる。
「ここで出ていったら、あいつらの思うツボだろ?」
あくまで冷静に、今にも殴り込みにいきそうな彼女の耳もとに囁いた。
「でも……」
言い淀んだ瞳は、まだ憤りと屈辱の色に染まっている。
包んだこぶしに、ほんの少しだけ力を注ぐ。行くなと、頼むから行くなと、強さで語りかける。
「あんなやつらに感情使うの、もったいないって思わない?」
もうどうしようもなくて本音を口にした瞬間、彼女の両目が驚いたように見開かれた。次第におぞましい色が消え去り、嬉しさと悲しさの入り混じったあたたかみを宿していく。
そして、ひとりの少女に戻った千夏は、一度深く息を吐き、ぽつりと切なげに、こんなことを呟いた。
「……やっぱり、兄妹なんだね」
それはあまりにも突然で、その言葉の意味のすべてを瞬時に理解することはできなかった。けれど、そこには確かな優しさが感じられて、大和は目を細める。「ありがと。栞奈のために怒ってくれて」
今、千夏の中の時計が動き始めた気がする。
いつか結乃が自分にそうしてくれたように、彼女の心の奥底で凍てついていた感情と時間を、溶かすことができたのだろうか。
少しずつでいい。僕だってまだ完全じゃない。
握っていた手をそっと離し、再び体育館に向かおうとして、足を止めた。
ゆっくりと振り返ると、千夏が澄んだ薄茶色の瞳でこちらを見つめている。
「詳しいことはよく分かんないけどさ」
余計なお世話かもしれないが、前へ進もうとしている彼女に、これだけは伝えておかなければならないと思った。
「独りになっちゃダメだよ」
栞奈もきっと、そんなことを望んではいないだろうから。
「じゃあ」
大和はもう一度、千夏に微笑みかけると、いつの間にか静まり返った廊下を走りだした。
体育館へ急ぎながら、ふと腕にかゆみを感じる。
視線を落とせば、もうお馴染みの明太子模様。
この程度でもか、と苦笑が漏れる。
これにお別れを告げるのは、もう少し先になりそうだ。
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