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きみと
しおりを挟む女の子は困ったように笑いました。
「元気でね」
そう小さな声で言って、僕たち兄弟をおいていってしまいます。
「ねぇ、どうして行っちゃうの」
一生懸命呼びかけても、女の子はふり向いてくれません。
「やめときな」
一匹の兄弟が言いました。
「捨てられたのよ。私たち」
別の兄弟が冷たい声でつけ足します。
「どうして?」
きくと、兄弟はあきれたようにタオルの上にこてんと転がりました。
「そういうもんなのさ。あの人間たちの力だけでは僕たち六匹はとても育てられない」
「よく分らないけど、私たちにごはんを食べさせるためには『おかね』ってものがいるみたいよ?」
末っ子の子猫が言いました。
「それにしたってひどいと思わないか?」
「ここにあるカリカリとミルクがなくなったら、どうすればいいの?」
「食べなかったら死んじゃうってお母さんが言ってた」
他の兄弟たちも口々にさけびます。
「しー、しずかに」
さいしょに僕に声をかけた一番上の子猫が、声をひそめます。
「そうだ。僕たちはまだひとりでは生きていけない。だから、新しい居場所を見つけるんだ。せいいっぱい鳴いて、アピールして、誰かに拾ってもらうのさ。さいごまで僕たちをかわいがってくれるやさしい人間に」
次の日から僕たちの「新しいお家さがし」が始まりました。
かんかん照りつける真夏の太陽の下で、一日中鳴き続けました。
みんなの注目を集めるため、ときどきかわいいしぐさをしたり、くりくりした丸いおめめで人間を見つめたり。それぞれ思い思いに色々なことをしましたが、誰も僕たちを連れて帰ってはくれませんでした。
「こんな調子で大丈夫かなぁ」
「新しいお家は見つけられなかったけど、クッキーもらったよ!」
今夜はまだ、六匹みんなで寝られます。
お家さがし二日目。
「ねえ、もう昨日みたいにするのはやめようよ」
「あんなにがんばったら、お家が見つかる前にたおれちゃいそう」
二匹の子猫に続いて、僕も言いました。
「僕もそうしたい」
みんなの意見に、二番目の子猫がうなずきます。
「そうね。自然にしていたほうがかえって拾ってもらえるかもしれないわ」
その日はみんなでいっぱい遊びました。決して無理をせず、たくさんじゃれ合ったり、お話したりしました。
そうして時間が過ぎていき――
辺りがオレンジ色に染まる頃、ひとりの女の子がやってきました。
「お母さん、早く~」
後から女の人もついてきました。お母さんのようです。
「ゆみちゃんが言ってたのって、きっとこの子たちのことだよ!」
女の子が目をかがやかせます。
「……いいでしょ?」
「しかたないわね。でも、一匹だけよ?」
お母さんの一言に、みんなはハッとしました。そろって女の子を見つめます。
「うーん」
最初のチャンスです。
「じゃあ、この子にする!」
そう言って女の子が手を伸ばしたのは、末っ子の子猫でした。
「わーい、楽しみだなぁ! 新しいお家」
ニコニコえがおの末っ子を、みんなでうらやましく見送ります。
仲間がひとり旅だちました。
それから兄弟たちは、つぎつぎに拾われていきました。
「じゃあね。がんばるのよ」
しっかり者の二番目が拾われ、
「やったぁ! これでたくさん食べられる~」
食いしん坊な四番目が拾われ、
「よかった。これで安心ね」
心配性の五番目が拾われた夜、小さな箱の中には、みんなのリーダーだった一番目と僕だけがのこされました。
「さむくないか?」
一番目が僕にたずねました。
「すこし」
小さな声で答えて、一番目にすりよります。
僕の毛並みをなでる風は、日に日に冷たくなってきました。もうすぐ秋がくるようです。
「僕より先に、お前が拾われるといいな」
目を丸くすると、一番目は空にまたたく星を見つめて言いました。
「お前も知っているだろ? あの家を出る前、僕は母さんに狩りの腕をほめられた。だからひとりでも何とかやっていける。だけどお前は――」
言いかけて一番目は口を閉じました。
「もう寝ようか」
そうです。僕は弱いのです。
狩りだってへたっぴで、毛の色だってくすんだ灰色で。兄弟の中で一番みにくい、三番目に生まれたオス猫です。
まるで、いつか聞いた童話の主人公のように。
「……」
くやしさで、やさしい光を放つ月がぼんやりとにじみました。
次の日。
「ごめんな。お別れみたいだ」
一番目が人間の腕の中であやまります。
「ううん、いいんだ。僕もがんばるよ」
とうとう僕は、ひとりぼっちになりました。
強がってみたけれど、やっぱりさみしくて、広くなった箱の中でぽつんと丸くなりました。
カリカリもミルクも、もう空っぽです。
何かひんやりしたものが鼻の先をつつきました。
目を開けて立ち上がり、空を見上げると、僕と同じ色をしています。
次の瞬間、また冷たいつぶが頭の上に落ちてきました。それに続くようにして、またひとつぶ、またひとつぶと地面をぬらしていきます。
それはだんだん強くなり、気がつけばお風呂のシャワーのようにざーざーと音を立てるようになりました。
あたたかいお風呂だってきらいなのに、空からふってくる雨は冷たくて変なにおい。お風呂よりもっと苦手です。
僕はぶるっと体をふるわせ、もういちど丸くなりました。ほかの場所へ行きたいけれど、行くあてもなければ、外にとび出す勇気もありません。
弱虫な僕の居場所はここだけです。この小さな箱の中だけが僕の世界です。
と、辺りが急にうす暗くなりました。ぱっと顔を上げると、ひとりの男の子が立っています。今まで見た男の子の誰よりも背が高くて、まるで巨人に見下ろされているよう。思わず毛が逆立ってしまいました。
「あっ、ごめん。びっくりさせたな」
もしかして――
じっと男の子を見つめます。かわいい声でちょっと鳴いてみました。
「お前、捨て猫か?」
けれど男の子は青い傘を片手に少しかがんだだけ。僕を抱き上げてはくれません。
かわりに細くてやわらかい指で僕の頭をなでながら、
「ざんねん。うちじゃ飼ってやれないなぁ」
僕をおいていった女の子みたいに、顔をくしゃくしゃにして笑いました。
「誰がおいていったか知らないけど、もうちょっと考えてやればいいのに。段ボールなんて雨にぬれたらすぐダメになる」
男の子は、まゆをひそめて空になったカリカリとミルクのお皿を順にながめます。
「おまけにエサも水もない」
深いため息をついたかと思うと、自分の傘を箱に立てかけました。
「たいして役に立たないだろうけど、ないよりマシだろ」
そう言うと立ち上がって、僕にもういちど微笑みかけます。
「じゃあな」
大きなカバンを頭にのせて、雨に打たれながら走っていきました。
夜が明けると、昨日の雨がうそだったかのように青い空が広がっていました。すがすがしい風も吹いて、おひさまも顔を出しています。
あまりの気持ちよさにうとうとしていると、ふいに足音が聞こえました。
何だろうと音のしたほうを向いたら、人間が走ってくるのが見えました。昨日の男の子です。
男の子は僕にかけ寄って、にっこり笑いました。
「傘とりにきた! っていうのは口実で――」
そう言ってうれしそうに差し出した手の中には、小さな缶詰めがにぎられています。
「シーチキン」
しー、ちきん?
男の子の言葉を頭の中でくり返してみましたが、さっぱり分かりません。僕が知っているのは、カリカリとミルクとサクサクしたクッキーぐらいです。
男の子は缶詰めを開けて「しーちきん」を手のひらの上にとり出すと、僕の口元までそっと近づけました。
すこしだけ、なめてみます。
「どうだ?」
僕は鳴いて「おいしいよ」と言いました。ちょっとしょっぱいけれど、カリカリよりもずっとおいしいです。
そのまま手の上の「しーちきん」をたいらげました。
「そうかそうか。うまいのか」
満足げに笑った男の子は、のこりの「しーちきん」をカリカリが入っていたお皿にうつしました。
「あと、これ」
きれいで冷たいお水も、となりのお皿にそそがれます。
「また持ってきてやるからな」
男の子は僕の頭をなでると、傘を持って鼻歌を歌いながら行ってしまいました。
それから毎日、男の子は僕にいろいろなものを持ってきてくれました。
「にぼし」に「ちくわ」「まぐろのさしみ」まで、みじめな僕にはもったいないくらいおいしいものを、それはもうたくさん。
もちろん、冷たいお水もいっしょです。
男の子は僕が食べ終わるのを見届けると決まって「また明日」と笑い、僕の頭をくしゃくしゃなでて帰っていきました。
そうして、どれくらいの時がすぎたでしょう。
その日、空から白くてふわふわしたものがふりました。雨は知っているけれど、こんなものは初めて見ます。
何でしょう?
僕の体に当たったそれは雨のように冷たく、雨よりすこしかたい感じがします。
ふしぎに思っていると、あの男の子が走ってきました。あたたかそうな服を着ています。
「おい、ゆきだぞ! ゆき!」
どうやらこれは「ゆき」と言うようです。
男の子はしばらく「ゆき」をながめてから、思い出したように手をたたきました。
「そうだ。おやつだったな」
今日のおやつは僕の大好きな「しーちきん」です。
夢中になって食べる僕を見つめながら、男の子がぽつりとつぶやきました。
「本当はずっとそばにいてやれたらいいんだけど……」
今日の男の子はなんだか元気がありません。
「毎日お前の好きなところに行って、おいしいものをたくさん食べて、こんな日はいっしょにコタツで丸くなってさ」
「どうしたの?」と男の子の手をやさしくなめます。
すると男の子は小さく笑って、僕の頭をくしゃくしゃに、くしゃくしゃになでました。
ゆきはくる日もふり続きました。毎日ふっては地面を、僕の毛を、白くそめていきます。
男の子はふりつもるゆきにも負けず、僕に会いにきてくれました。
まっ白なゆきの上に、大きくて力強い足あとをつけながら。
そして、僕に食べものをめぐんでは、頭をなでて帰っていきます。
「また明日」
この言葉を僕はあと何度きけるのかな?
遠ざかっていく背中を見送りながら、ぼんやりそう思いました。
今日はゆきがたくさんふっています。いつもより強く、風といっしょに吹きあれます。
そんなゆきから僕を守ってくれるものは、なにもありません。僕はゆきに押したおされるようにして、へなへなと横になりました。
お母さんのにおいがついていたはずのタオルは、すっかり冷たくなってしまっています。
とってもさむいです。
なんだか頭がボーっとして、息まで苦しくなってきました。さむくて苦しくて、意識が遠ざかっていきます。
せめて――
重たいまぶたを必死になって開けていました。
今眠ってしまえば、もう男の子に会えなくなります。僕は知っていました。
だからせめて、もう一度だけ――
と、人間の足音が聞こえました。元気よく雪を踏みしめていた足音は、僕が入っている箱の前でぴたりと止まりました。
きっと男の子でしょう。立ち上がって出迎えたいけれど、その力すらもう僕にはのこされていません。
「おーい、今日も――」
箱をのぞいて何か言いかけた男の子の表情が、とたんにくもりました。
「……お前、大丈夫か?」
最後の力をふりしぼって「大丈夫だよ」と鳴きました。
もう、お別れをしなくてはなりません。
そのときでした。
「待ってろ。今病院っ……」
泣きそうな声でそう言って、男の子が僕を抱き上げたのです。
「もうちょっとがんばれ。がんばってくれ!」
男の子は全速力で走り出しました。
「がんばれ! がんばれ!」
何度も、何度も、僕をはげましながら。
「ごめん。ごめんな」
何度も、何度も、僕にあやまりながら。
「もうちょっとだからな」
僕はなんて幸せな猫なんだろう。遠ざかっていく意識の中で、そんなことを思いました。
「がんばれ――」
さいごに大好きな人の腕の中で眠れるなんて。
「――ばれ」
みんなと形は違ったかもしれない。大変なこともたくさんあったかもしれない。
「――れ」
それでも、それでも僕は、
「 」
幸せでした。
僕は、しずかに目を閉じました。
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