彼女はいつも斜め上

文月 青

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彼女はいつも斜め上

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過去につきあった女は一人。高校一年生の時だった。明るく朗らかで誰とでもすぐ仲良くなれるその娘は、隣りの席の俺にも屈託なく話しかけてきた。もともとあまり愛想がなく、加えて人見知りをする俺は、その距離感のなさに驚きつつも嬉しかったのだろう。珍しくすぐに打ち解けた。唯一の女友達と認めるほどには大切な存在だったと思う。

そんな相手からつきあってほしいと告げられたのは冬休みの直前。彼女に好意はあったけれど、それが恋愛感情からくるものなのか判別がつかなかった俺は、ただ学校の外でも一緒にいられたら楽しいかもしれないという気持ちから、あまり深く考えずに首を縦に振っていた。

たぶんそれが良くなかったのだ。これまで男友達とばかりつるんでいた俺は悉く彼女の期待を裏切ってしまったらしく、二ヶ月後にはあっさり振られていた。すぐに新しい彼氏を作った彼女を遠巻きに眺めながら、振られた事実よりも友達を失くしたことに胸が痛んだ。

でも理解できなかったのだ。悪いところがあったら教えてねというから指摘すれば、怒って逆に俺の欠点を喚き出したり、特に用もないのにおはようだのおやすみだの、毎日メールのやり取りをしないと口をきかなくなったり、休日に少年野球の試合に連れて行ったら激怒していきなり帰ったりする彼女の行動が。

断っておくが努力はした。一方的に責められても彼女に必要なことは進言したし、メールは例え「おはよう」の四文字だけでも毎日送った。突然デートしたいとごねられたから、先約だった弟が出場する少年野球の試合にも急遽連れていった。なのに何故機嫌を損ねてしまったのか。全くもって謎だ。

後に彼女が俺の悪評をあることないこと広めているのを知り、別れても親しみを持っていた同級生のその豹変ぶりに衝撃を受けた。ただ察してほしかっただけなのかもしれないが、悪評はともかく、望んでいることを一度も伝えてくれないまま俺を避けていることに。

以来俺は女という生き物と関わるのをやめた。皮肉なことに俺の外見は年々女の目を引くように変わっていったらしいが、誰に何度告白されても友人経由でつきまとわれても、

「人の意見は聞かないが自分の我は通す、用がなくても毎日連絡を取り合わないと癇癪を起こす、どこかに連れていけというから連れていけば、こんな所は嫌だと騒いだ挙句いきなり帰る。こんな謎の生き物は真っ平ご免だ」

容赦なくぶった切った。自分でも偏っている自覚はある。だがもう女に振り回されるのは懲り懲りだったのだ。




あれから五年。相変わらずの日々を送っていた俺の前に、自分の分身ではと疑いたくなるような女が現れた。そいつの名前は水島葉菜みずしまはな。同じ大学に在籍する友人の妹だ。近隣の女子校の二年生になったばかりだという水島は、一見読書好きのこれといった特徴のない女だが、

「人の都合は無視しても自分の都合は無理強いする、無意味なメールを日に何通も送り付けてくる、理由もないのにやたらと会いたがってこちらの貴重な時間を潰す。こんな厄介な生き物面倒臭くてご免です」

初対面でどこかで聞いたような台詞を吐いたため、珍しく一発で俺の印象に残った。特に男嫌いというわけではなく、あくまで自分の考えに該当する男が苦手らしい。

何でも高校に入学して間もなくつきあった男が、「友達から」と前置きしたにも関わらず、憧れの恋人生活とやらに浸りたがり、体調が悪いと言っているのにあちこち連れまわしたり、試験勉強中にどこぞのケーキを食べたとかラブラブな映画があるとか、どうでもいいメールを十分おきに送ってきたり、勝手に家に遊びに来ては読書の邪魔をするので、ぶち切れてしまったんだとか。つくづく憶えのある話だ。

「マイペースで周囲に流されない反面、些か情緒面に欠けるというか、人の気持ちに疎いんだよね」

友人は妹をそう評していたが、たぶん俺にも共通しているのだろう。何故なら友人が俺達を会わせたのは、両極端なだけに逆にプラスの効果が生まれるかもと面白がっていたからだ。

確かに最初は度肝を抜かれた。

「戦車に乗ってみたくはないですか」

例の台詞を吐かれた数日後に、いきなりそんな誘いを受けたからだ。俺の女嫌いの事情を知って共感、もしくは安心したのが発端らしいが、どうして前後の脈絡なく突然戦車なのかと呆気に取られた。次の休日に家から車で一時間ほどの所にある自衛隊の駐屯地で、戦車に体験搭乗させてくれるイベントがあるというのだが、そんなイベント自体初耳だ。そもそも自衛隊の敷地に一般人が入っていいのか。

「当日は一般開放です」

結局訳が分からぬまま引きずられるようにして戦車に乗せられてしまったのだが、他にも普段近くでお目にかかれないような装備車が展示されていたり、音楽演奏なんかも聴けたりして、甚だ不本意だが俺は相手が女だというのに結構楽しんでいた。

仏頂面の自分が言うのもなんだが、水島もかなり表情が乏しい。イベントに参加している間もさほど喜んでいるようには見えず、むしろ淡々とプログラムを追っている印象だった。誘った側がその態度かと腹が立ちかけたが、本人曰く非常に楽しかったそうで、自分は好奇心旺盛であちこちにアンテナを立てているのに、感激の度合いが顔にも態度にも出にくく、相手を不安にさせることもしばしば。

「相方の態度が悪いと気が楽です」

無表情のまま放った一言はとんでもなく失礼だった。帰宅後になし崩し的に連れていかれた水島の部屋同様、無駄に飾り気のない性格ではあるのだろう。頼んでもいないのに関連書を見せると言って室内に引っ込んだ彼女の周囲には、ぬいぐるみや小物といった甘めの装飾は一切なく、代わりに本棚に収まり切らない膨大な量の本が所狭しと置かれ、その種類が多岐に渡る事実からも住人の気質がありありと窺えた。

それは水島の俺の呼び方にも表れている。俺の名前は脇坂雅人わきさかまさとというのだが、彼女は「兄の友人の脇坂さん」と妙に長ったらしい言い回しをしていた。

「まどろっこしいから端折れ」

俺の説明も悪かったのかもしれない。だが水島はそれ以来「脇坂」と呼び捨てにするようになった。誰が聞いても端折りすぎである。年下の女の分際でと舌打ちしてみたものの、年上の男性がすることではありませんねといなされてしまい、もはや訂正する気も失せて今日に至る。

女のくせに変な女だ。



県営球場という実に不似合いな場所で水島に遭遇したのは、高校野球の地方大会まっ最中の七月後半だった。今年は予想外に雨が多く、試合がかなり順延されている。そのせいかスタンドで調整に忙しい応援団やブラスバンドの面々も、ようやくの晴れ間に明るい表情を浮かべていた。そんななか三塁側の内野指定席に陣取り、徐々に埋まってゆく観客席を眺めていたら、斜め前の先に彼女が座っていたのだ。

「奇遇ですね」

俺の隣の席が空いているのを認めると、水島は躊躇なく一人でこちらに移動してきた。眉を顰めて周囲を見回したが他に煩い連れはいないので、とりあえずは咎めずにおく。

「一人なのか」

確認を取ると当然のように頷いた。驚いた。母校が初の準々決勝に勝ち進み、友人と一緒に観戦する予定だった俺も、女に呼び出されたと朝一でキャンセルを食らって一人だった。だが男はともかく女の一人は珍しい。

「野球好きの友達と来る予定でしたが、先程キャンセルされました。彼氏に負けたようです」

また同じ穴のむじなかよ。俺は妙にげんなりした。水島とは戦車の一件以降特にどうということはなく、友人宅を訊ねた際に顔を合わせれば、お互い挨拶くらいはするがそれだけだった。が、ここは球場。鬼門というのは大げさかもしれないが、過去の失敗から例え変わり者の水島とはいえ、女と並んでいることに抵抗がある。

元の彼女と行ったのは地元の少年野球の試合だった。会場も市営グラウンドなら観客も身内ばかり。見る人によっては学校の運動会に毛が生えたようなものだろう。だから退屈なのは理解できた。でもそれを承知で着いてきたのは彼女自身なのに、つまらない、暇だと連発した挙句、こんな所に屯している人の気がしれないと暴言を投げて帰られたのでは、その場に残された俺も居たたまれない。

試合後に関係者には謝罪して渋々許してもらったけれど、スタメンで出場していた弟からはしばらく口をきいてもらえなかったし、機嫌が直ってからも「女の趣味が悪い」とぼやかれた。ごもっともですと頭を下げるしかなく、そんな経緯からまた同じようなことを繰り返すのは勘弁して欲しかった。

「お前、野球は分かるのか?」

居座るつもりだろうかと隣りの水島に視線を移す。母校の後輩達が練習に励んでいるグラウンドを、相変わらずの無表情で凝視していた水島は、応える代わりにさりげなくスコアボードの方を指さした。

「野球は九回までなんですね」

それすらも把握していないのかとため息が洩れる。彼女の本棚にバレーボールや陸上の解説書は揃っていたから、スポーツは嫌いではないのだろうが、野球に関する知識は皆無のようだ。

「あぁ。ただ延長やコールドもあるけどな」

だったらとっとと帰れ。喉元まで出ていた台詞を辛うじて飲み込んで頷いた。

「コールド?」

小柄な水島がこちらを振り仰いで問う。いつも結んでいる髪が熱を持って肩のあたりに落ちている。帽子を被ってくるのを忘れたのか、眩しそうに翳した手がやけに白かった。

「コールドというのは」

うっかり野球用語の説明を始めそうになったところで、両校の選手がバックネット前に整列した。ざわついていた場内が静寂に包まれる。やがて試合開始の号令と共に熱戦の火蓋が切られたので、俺はそのまま口を噤みグラウンドに集中することにした。ルールもろくに知らない女にそこまでしてやる義理はない。

「ところで脇坂、ゲッツーとは何ですか?」

試合開始後からずっと黙っていた水島が、二回が終わった後すぐに訊ねてきた。チェンジになる間際に後ろの親父さん達が喋っていたのを聞いていたのだろう。面倒臭い。

「一挙にアウトを二つ取ること、と言って通じるか?」

俺自身本格的な野球の経験はないから、感覚で分かっているルールは説明し辛い。弟が和製英語だかゲットツーの略だとか教えてくれたような記憶もあるが定かではない。

「理解不能です」

案の定水島は頭を振った。じゃあ聞くなよ。ところが一度答えてしまったのが仇になったのか、その後も水島は分からないプレーについてちょこちょこ質問してくるようになった。無意識にしても各回の終了後を選んでいるのは評価しないでもないが、なまじ接戦で緊迫状態なうえに、説明しても結局伝わらないので、横槍を入れられているようで俺は徐々にむかついてきた。

「ところで脇坂」

そしてノーアウト三塁から点を取れずに六回を終えたときには、怒鳴りこそしなかったがとてつもなく低い声で唸っていた。

「何でも人に聞いて済まそうとするな。これだから女は」

口から飛び出た本音にはっとした。過去の場面が脳裏に浮かび、まさかこんな場所で揉め事は起こさないよなと焦りつつ、でも横にいるのは仮にも女だと、奥歯をぎりっと噛みながら水島に目をやる。幸い彼女の様子には特に変化はなく、泣きも暴れもしなければ毒も吐かない。ただ黙って顎に手を当てたまましばし俯いていた。

「席を外します」

やがて何事もなかったようにすっと立ち上がると、こちらに軽く頭を下げて身を翻した。その行動に呆然としているうちに、小さいながらもやけに堂々とした背中は混み合う人波をすり抜けてゆく。その姿が見えなくなったところで俺は髪を掻きむしった。

「やはり野球は鬼門だ」

せっかくの野球観戦だというのにまたケチがついてしまった。そもそも約束もしていないのに、許可も取らずに一緒に観戦しておいて、たかだか質問に答えないだけのことでへそを曲げてこれまた勝手に帰るというのは、人としてどうなんだと言いたい。だから女なんかと関わりたくないのだ。大体野球のやの字も知らないくせに、球場に足を運ぶ奴が悪い。

そう納得して再び試合に没頭することにした。が、何故かさっきまでのようにはのめり込めない。フェンスの向こうで後輩達が必死にボールに食らいついているのに、しっかり声援を送りたいのに、自分でもよく分からないけれど無性に苛々する。

絶対水島のせいだ。

「間に合い、ません、でしたか」

ふいに途切れ途切れの声が頭上に降ったのは、母校が勝利を手中に収め、初の準決勝へと駒を進めてスタンドが盛り上がっていたときだった。誰彼構わず近くの者と喜びを分かち合っているなか、その雰囲気に逆らうようにゆっくりと隣りの空席に腰を下ろしたのは、汗だくで息を切らす帰った筈の水島だった。面食らう俺を余所にうっとおしそうに首に張り付く髪を払うと、額から流れる汗をハンカチで拭い、売店で買ってきたのかペットボトルのお茶をがぶ飲みする。一体何なんだ、この豪快な女は。

「帰ったんじゃ、なかったのか」

それまで支配されていた得体の知れない苛々も忘れ、気づけばひとり言のように零していた。お茶を飲み干してようやく落ち着いたのか、水島は軽く息をついてから訝し気に首を捻った。

「席を外すと言いましたが」

あの断りがそのままの意味だったことに俺は脱力した。間違った解釈をしたのは確かに自分だが、あの場合多少理不尽さは感じるものの、帰ったという解釈は正しいのではなかろうか。

「トイレにしては長かったぞ」

面白くないので小さな反撃を試みる。

「トイレは早かったです。その後買物に行きました」

「何を」

「本です」

「どこに」

「書店です」

何だこの不毛な会話は。しかも書店とは場内の売店ではなく、正真正銘本を取り扱う店のことか。じゃあ試合途中に球場を出てわざわざ本を買いに行ったというのか。一体何のために。

「一理あると思ったんです」

試合途中に書店に行くという意味不明な展開に、心底首を傾げている俺の前で、水島は鞄から文庫本サイズの本を取り出した。鼻先に突き付けられた本の表紙には、「絵で見る野球教室」というタイトルが書かれてあった。手に取って内容を確かめてみれば、写真やイラストがふんだんに使われた子供向けの野球指南書だった。

「脇坂が言うところの、何でも人に聞いて済まそうとするな」

涼しい表情で続ける水島に俺は言葉を失った。彼女は俺が怒りに任せて口にした台詞を真に受けて、野球のルールを覚える為だけに、わざわざ球場に一番近い書店に行ってきたというのだ。母校の試合中の帰還を目指したはいいが、久しぶりの全力疾走に足が耐えられず、休み休み戻ってきたら試合が終了していたが。

「次までにしっかり頭に叩き込む予定です」

へこたれるどころか静かに闘志を燃やす水島に、俺はなす術もなくがっくりと項垂れた。正直頭の中が混乱して考えが纏まらない。突拍子もなくて、後先考えなくて、ということは計画性のない馬鹿で。でも不思議なことに嫌悪感は涌かなくて。何より「これだから女は」の一言に全く反応しない。本当にこんな変な女は初めてだ。

「敗けた」

きっとこいつは今日にでも実行に移すのだろう。これから大いに役立つであろう本を持ち主に返しながら、悔し紛れにため息を洩らすと、水島は至って真面目にとんちんかんなことを指摘した。

「試合は勝ちましたよね」




八月も半ばを過ぎた。ここ数年毎年昨年を上回る暑さだとニュースで流れていたが、今年はいまだに雨が降り続け、気温は例年より低いものの、過ごしやすさとは無縁のじめじめとした湿気に泣かされている。

「水島、水島いるか」

どんよりとした曇り空の下、午前中に友人宅を訪ねると、彼は庭先で父親の車を洗っていた。小遣い稼ぎに時々引き受けるので慣れているらしく、傍で見ていても手際がいい。天候不順でしばらく放っておいたので、ひとまず汚れを落としたいのだそうだ。これで雨が降ったらやり切れない。

「僕なら目の前にいるけど?」

笑いを噛み殺しながら友人は一旦水道の蛇口を閉めてホースを置いた。湿った土にちょろちょろと水が流れて止まる。

「妹の方の水島だ」

俺は憮然として答えた。友人は名前で呼べばいいのにとか何とか揶揄いつつ、肩を震わせて玄関のドアを開けた。俺は促されるまま二階の階段を上がり、ノックをして水島の部屋の前で息を整える。そんな俺の様子に友人は両手で口元を覆い、我慢できないとばかりにさっさと踵を返した。

先日の野球観戦以来、俺は二日おきくらいに水島家を訪問している。最初は水島が欲しがっていた本を見つけたので、それを届けに来ただけだったのだが、ついでに夏休みの宿題や苦手な教科を教えていたら、結果頻繁に足を運ぶ形になった。顔を突き合わせているからといって、女相手に会話が弾むわけでもないし、早めに勉強が終わってもお互い背を向けて読書に耽っているだけなので、よくよく考えたら無駄な時間の使い方をしているような気もするが、
友人はそんな俺の姿がおかしくてたまらないと腹を抱えて笑う。どこに笑える要素があるのかさっぱり分からない。

「ちょうどいいところに」

エアコンが利いた部屋から現れた水島は、数学の教科書片手に俺を室内に招き入れた。その顔色は健康的だ。日焼け止めを塗らずに球場で長時間過ごしたあの日、林檎もかくやというほど真っ赤に日焼けした水島は、しばらく触れることもできないほどの痛みに苛まれた。頬をタオルで冷やしつつ、次こそはと語る彼女はつくづく変な女だ。ちなみに俺の母校は準決勝で敗退した。残念。

「難問でもあったか」

机に座った水島の背後から訊ねると、脇坂次第ですと妙な含みを持たせてから、教科書ではなくいきなり自分のスマートフォンを俺に差し出した。

『久しぶりね、雅人』

受け取った途端、甘ったるい声が俺の名前を呼んだ。一瞬にして二度と関わりたくない人物の顔が浮かぶ。女嫌いの元凶。俺はこれでもかという凶悪な面構えで水島を睨みつけた。

「真っ赤な偶然です」

水島は悪びれもせずに肩を竦める。その間も電話の向こうの女、元の彼女は元気、会いたい、格好良くなったねと勝手なことをべらべら喋り続けている。俺は文明の利器を床に叩きつけたい衝動を辛うじて抑え、無言のまま通話を終わらせた。

「どういうことだ」

友人ならいざ知らず水島と元の彼女に接点などない筈だった。

「妹だったんです」

水島は徐に切り出した。話はこれまた例の野球観戦に遡る。何と水島が約束していた友達の姉が元の彼女だというのである。突然約束を破った妹に頼まれ、その日水島に返す予定だった本を預かって皮肉にも球場に現れた元の彼女は、そこで元々面識のあった水島と連れ立っている俺を見かけたらしい。その後おそらく周囲に探りを入れたのだろう。

「今頃友達経由で連絡が来ました」

間髪入れずに再び着信を知らせる魔の音が響いた。

「このドタキャン姉妹が!」

名字を確認するなり憎々し気に毒づくと、驚くことにあの水島が目をまん丸にして吹き出した。心から楽しそうな柔らかい笑みに視線が釘付けになる。

「お前でも笑うんだな」

思いっきり馬鹿にしてやるつもりが、どうしてなのか声が掠れて脈も早くなった。知らず知らずのうちに手に力がこもる。

「脇坂には言われたくありません」

水島が更に笑みを深くしたところで、懐かしさの欠片もない存在が割り込んだ。

『酷いわ雅人。お詫びに明日は映画に連れていってよ。それから連絡先もちゃんと教えなさいよ』

うっかりタップしてしまうとは痛恨の極み。しかもどの辺が酷くて、どの辺がお詫びの対象なんだ。相変わらず図々しい。これだから女は。

あまりの馴れ馴れしさに躊躇なく通話を遮断し、電源を落としてほしいと頼みながらスマートフォンを水島に渡す。不機嫌な俺に比例するように、いつのまにか水島もいつもの無表情に戻っている。自分がしたことを忘れてずけずけ踏み込んでくる元の彼女と、垣間見せた予想外の水島の笑顔と、くどいようだがどうしてなのか消えたそれを淋しく感じる自分に俺はこっそり呟いた。

「不可解だ」






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