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体が火照ってまるで機関車にでもなったような気分です。ついでに頭からポッポーと蒸気も吹き出しそうです。血圧が上がるという表現がありますが、このくらくら加減は正しくその状況に違いありません。そんな私の異変に気づかないのか、柿崎さんは話の続きを始めます。
「前にも説明したけど、香苗さんに対しては子供の頃の憧れの名残しかないから。柊子くんが彼女に似ているからといって、会いたくなったり思い出して辛くなったりすることはない」
口調は柔らかいのに断言しています。確かに三箇条を設けた理由は、ここにきてかなりぐらついています。一つ目と三つめはともかく、二つ目は父から柿崎さんへの条件でした。でも柿崎さんは私の外見が欲しくて結婚したと、真実の愛が生まれることはないと言っていた筈です。
「自分勝手だとは思うが、柊子くんに触れることができない以上、傍にいるのは避けるべきだと考えたんだ。下手に親しくなるのも」
だからあえて遠ざけるような言葉を吐いただけで、それは本音とはほど遠いものなのだと、痛ましげな表情で柿崎さんが呟きました。
「酷いことをしたと分かっている。なのに君は俺の迷いなんかどこ吹く風で、愛のない結婚がどうとか、発情しても二階に押しかけない努力をするだとか、全く予想外の方向から攻めてくるものだから、面白すぎて無視ができなくなったんだよ」
この子の頭の中にはどんな妄想の種がストックされているのだろう、次は一体どんなことをして驚かせてくれるのだろう。いつの間にか期待する自分がいて誤魔化せなくなったのだそうです。
「年齢差もあるし、気持ちも体も繋がっていない。そんな状況で共に暮らすのは、そのうち君の方が辛くなるだろうと、いつか出ていかれてしまうんじゃないかと、後ろ向きだった最初の頃が嘘のように楽しくなった」
気のせいでしょうか。あの柿崎さんの双眸から、ハート形の光線が出ているように見えます。おまけに自分がそれに撃ち抜かれて、更に逆上せたような錯覚に陥っています。
「だから香苗さんは関係ないし、俺はこの先もずっとここで君と一緒に笑っていたい。繰り返すけど俺にとっての君は、他の誰でもない柿崎柊子だ」
容量オーバーで私は座卓に突っ伏しました。柿崎さんは危険人物です。恋愛感情が皆無の相手に、甘い毒をまき散らしています。叔父さんよりも性質が悪いです。
「柊子くん?」
心配そうに訊ねる声にのろのろと顔を上げます。柿崎さんと目が合ってまた体が熱を持ちました。
「すみません。熱が出たみたいです。季節外れのインフルエンザかもしれません」
恨みがましく上目遣いに睨めば、柿崎さんは慌てて隣に移動してきたものの、額で熱を測る動作に躊躇しているのか、手を伸ばしたり引っ込めたりしています。そのおろおろぶりに、徐々に私の熱は引いていきました。
「どうして急にそんな話をしたんですか?」
「工藤くんが積極的になったから」
意味不明です。叔父さんの部下であり、私の兄代わりである工藤さんを、柿崎さんは初対面のときから意識していました。
「くどいようだが言っただろう? 仮面夫婦でもちょっとは妬くって」
「だから工藤さんは母のことなど何とも思っていませんよ?」
「その発想はあるのに、何故自分に当てはめることができないのか理解に苦しむ」
大仰に息を吐いて柿崎さんは苦笑しました。
「触れるというのはどこまでを指すんでしょうか」
引っ込めるのを忘れたらしい、中途半端に浮いた手に視線を向けて訊ねます。柿崎さんはその手を一度ぎゅっと握り、やがて力なく膝の上に置きました。
「おそらく抱く行為に沿ったもので、額に触るぐらいなら問題はないと思う。ただ」
「ただ?」
「情けないけど俺がそこで止められる自信がない。一応今部屋に二人っきりだし」
困ったように頭を掻く柿崎さん。私も再び毒が回って妙な痺れを感じています。このままでは呼吸困難になってしまいそうです。
「分かりました、柿崎さん。解決しましょう」
ばしっと座卓を叩いてから、私は柿崎さんの手に自分のそれを重ねました。ぎょっとして柿崎さんが逃れようとしましたが、私はすっぽんのように食いついて離しません。
「柿崎さんが私に触れられないなら、私が柿崎さんに触れればいいんですよ」
「は?」
「私は父とは約束していませんから、ルール違反にはなりません」
柿崎さんがごくっと息を呑む音がはっきり聞こえました。これまでにない程狼狽しています。
「あのね、柊子くん。本当に分かってる…いやその前に君はやり方、えーと、その、一つになる方法を知っているのかな?」
「何と、なく?」
実は全く知りません。真帆おすすめのロマンス小説で、シチュエーションはばっちりなのですが、肝心のとどめ、いえ要の部分が今一つ。
「だったら柿崎さんが言葉で誘導して下さい」
名案とばかりに私は微笑みました。
「触れなければいいわけですから、そこを右! 左! という具合に。運動会の玉入れみたいなものですね」
「頼むからそれは勘弁してくれ」
良かれと思っての提案でしたが、泣きそうな表情の柿崎さんに弱々しく却下されてしまいました。男と女って難しいです。
「前にも説明したけど、香苗さんに対しては子供の頃の憧れの名残しかないから。柊子くんが彼女に似ているからといって、会いたくなったり思い出して辛くなったりすることはない」
口調は柔らかいのに断言しています。確かに三箇条を設けた理由は、ここにきてかなりぐらついています。一つ目と三つめはともかく、二つ目は父から柿崎さんへの条件でした。でも柿崎さんは私の外見が欲しくて結婚したと、真実の愛が生まれることはないと言っていた筈です。
「自分勝手だとは思うが、柊子くんに触れることができない以上、傍にいるのは避けるべきだと考えたんだ。下手に親しくなるのも」
だからあえて遠ざけるような言葉を吐いただけで、それは本音とはほど遠いものなのだと、痛ましげな表情で柿崎さんが呟きました。
「酷いことをしたと分かっている。なのに君は俺の迷いなんかどこ吹く風で、愛のない結婚がどうとか、発情しても二階に押しかけない努力をするだとか、全く予想外の方向から攻めてくるものだから、面白すぎて無視ができなくなったんだよ」
この子の頭の中にはどんな妄想の種がストックされているのだろう、次は一体どんなことをして驚かせてくれるのだろう。いつの間にか期待する自分がいて誤魔化せなくなったのだそうです。
「年齢差もあるし、気持ちも体も繋がっていない。そんな状況で共に暮らすのは、そのうち君の方が辛くなるだろうと、いつか出ていかれてしまうんじゃないかと、後ろ向きだった最初の頃が嘘のように楽しくなった」
気のせいでしょうか。あの柿崎さんの双眸から、ハート形の光線が出ているように見えます。おまけに自分がそれに撃ち抜かれて、更に逆上せたような錯覚に陥っています。
「だから香苗さんは関係ないし、俺はこの先もずっとここで君と一緒に笑っていたい。繰り返すけど俺にとっての君は、他の誰でもない柿崎柊子だ」
容量オーバーで私は座卓に突っ伏しました。柿崎さんは危険人物です。恋愛感情が皆無の相手に、甘い毒をまき散らしています。叔父さんよりも性質が悪いです。
「柊子くん?」
心配そうに訊ねる声にのろのろと顔を上げます。柿崎さんと目が合ってまた体が熱を持ちました。
「すみません。熱が出たみたいです。季節外れのインフルエンザかもしれません」
恨みがましく上目遣いに睨めば、柿崎さんは慌てて隣に移動してきたものの、額で熱を測る動作に躊躇しているのか、手を伸ばしたり引っ込めたりしています。そのおろおろぶりに、徐々に私の熱は引いていきました。
「どうして急にそんな話をしたんですか?」
「工藤くんが積極的になったから」
意味不明です。叔父さんの部下であり、私の兄代わりである工藤さんを、柿崎さんは初対面のときから意識していました。
「くどいようだが言っただろう? 仮面夫婦でもちょっとは妬くって」
「だから工藤さんは母のことなど何とも思っていませんよ?」
「その発想はあるのに、何故自分に当てはめることができないのか理解に苦しむ」
大仰に息を吐いて柿崎さんは苦笑しました。
「触れるというのはどこまでを指すんでしょうか」
引っ込めるのを忘れたらしい、中途半端に浮いた手に視線を向けて訊ねます。柿崎さんはその手を一度ぎゅっと握り、やがて力なく膝の上に置きました。
「おそらく抱く行為に沿ったもので、額に触るぐらいなら問題はないと思う。ただ」
「ただ?」
「情けないけど俺がそこで止められる自信がない。一応今部屋に二人っきりだし」
困ったように頭を掻く柿崎さん。私も再び毒が回って妙な痺れを感じています。このままでは呼吸困難になってしまいそうです。
「分かりました、柿崎さん。解決しましょう」
ばしっと座卓を叩いてから、私は柿崎さんの手に自分のそれを重ねました。ぎょっとして柿崎さんが逃れようとしましたが、私はすっぽんのように食いついて離しません。
「柿崎さんが私に触れられないなら、私が柿崎さんに触れればいいんですよ」
「は?」
「私は父とは約束していませんから、ルール違反にはなりません」
柿崎さんがごくっと息を呑む音がはっきり聞こえました。これまでにない程狼狽しています。
「あのね、柊子くん。本当に分かってる…いやその前に君はやり方、えーと、その、一つになる方法を知っているのかな?」
「何と、なく?」
実は全く知りません。真帆おすすめのロマンス小説で、シチュエーションはばっちりなのですが、肝心のとどめ、いえ要の部分が今一つ。
「だったら柿崎さんが言葉で誘導して下さい」
名案とばかりに私は微笑みました。
「触れなければいいわけですから、そこを右! 左! という具合に。運動会の玉入れみたいなものですね」
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