結婚三箇条

文月 青

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ただ今もの凄い山の中におります。どちらを向いても緑だらけで感激です。空気も澄んでいます。ゴールデンウィークの最終日、柿崎さんは約束通り家から二時間ほどの所にある温泉宿に連れてきてくれました。さすがに露天風呂付きというわけにはいきませんでしたが、せめてゆったりランチができるよう、知人の高橋さんという方が個室を準備して下さったのです。

「噂には聞いていたが、こりゃマジ犯罪だ、柿崎」

到着後、お部屋まで案内してくれた高橋さんは、苦笑しながら犯罪の部分を強調していました。柿崎さんはすかさず足払いをかけましたが、さっとかわされて悔しそうです。

「柊子ちゃんだっけ? 旧館だから古くて申し訳ないんだけど、のんびりしていってね」

「とんでもないです」

高橋さんの言葉に慌てて首を振ります。確かに古いですが、掃除が行き届いた気持ちの良いお部屋です。古いのと汚いのは別だとよく分かります。

「お掃除の手解きを受けたいくらいです」

最大の賛辞を贈ったつもりでしたが、高橋さんは柿崎さんの背中をばしばし叩いて、大笑いしながら戻っていきました。何かおかしなことを言ったでしょうか。

「先にひとっ風呂浴びてくるか」

腕時計を外しながら柿崎さんが声をかけてきます。

「一緒に入れなくて残念でしたね」

着替えようと浴衣に手を伸ばしながら答えると、柿崎さんは困ったように頭を掻きました。

「また君は。意味も考えずにぽんぽ…!」

おそらくぽんぽんの途中で止めたのでしょう。いきなりチュニックを脱ぎ出した私に、柿崎さんはくるっと回れ右しました。

「俺、洗面所で着替えてくる」

項垂れて浴衣片手に退場していきます。柿崎さんはこういうところが奥ゆかしいです。井坂家ではたまに両親が一緒にお風呂に入るので、そこに恥ずかしさはないのです。が、この話は柿崎さんがショックを受けるといけないので、秘密にしておいた方が良さそうです。

「男の前で簡単に服を脱いじゃいけないよ。食べられても文句は言えないからね」

着替えて大浴場まで並んで歩きながら、柿崎さんがお父さんよろしく説教しました。ちょうどチェックアウトの後なので、館内は空いていてお風呂もゆっくり入れそうです。

「他の人の前ではそんなことしませんよ。柿崎さんは旦那様ですから」

当然のことなのにと首を傾げてしまいます。柿崎さんは私を何だと思っているのでしょう。失礼ですね。

「嬉しいやら悲しいやら。君は俺を破壊する気か」

謎の文言を吐いて柿崎さんは男湯の暖簾の奥に消えました。




広々とした大浴場には、普通の大風呂と、寝湯と、水風呂と、ジャグジーがありました。大きな窓の外には岩風呂も付いています。一つ一つ試していたら、空いていた場内が徐々に混み合ってきました。観光シーズンは通りすがりに羽を休めてゆくお客さんが多いのだそうです。

岩風呂から一人青い空と白い雲、ぐるっと周囲を囲むような山並みを眺めていると、日常の喧騒が嘘のように静かです。

そういえば昨日は私の不用意な一言で、叔父さん達をパニックに陥入れてしまいました。工藤さんは姉の婿候補。てっきり家族公認の話だと認識していたのですが、お父さんから伝えられていたのは私だけでした。

「お父さんに担がれたんじゃないの? 叔父さんの存在を受け入れられる程度には、ふざけた人だし」

どういう意味だと叔父さんが姉を睨んでいます。そう断言されると自信がありません。高校生の娘の結婚を突然決めてしまう人ですから。

「その話はいつ訊いたの? 柊子」

顎に手を当てて、考え事をしながら工藤さんが呟きました。

「柿崎さんとの縁談を知らされたときに一緒に」

相手のことを褒めちぎった後、少し淋しそうに笑んでから、

「橙子の婿には工藤くんをと思っている。彼ならしっかりしているし、叔父さんが入り浸っても心配ない。おそらくそんな人格者はこの先現れないだろうから」

お前は安心して柿崎くんの元にきなさい。父はそう締めくくったのです。私にはふざけているようには見えませんでした。

「なるほど。井坂さんの意見はもっともだ」

「確かに。私の婿の来てはないに等しいものね。誰かさんのせいで」

二人はじーっと叔父さんに妙な視線を送ります。

「俺が一体何をした。愛情深いだけだぞ」

真実がどこにあるにせよ、父に確認するしかありません。でも夕方になっても両親は帰宅しなかったので、私は柿崎さんの待つ家に帰ることにしました。往路と同じくバスを使うつもりでしたが、遅いからと半ば強引に工藤さんの車に乗せられてしまいました。

「井坂さんが婿の話に触れたとき、柊子はどう感じた?」

乗り馴れた助手席に身を預けたところで、工藤さんが前を向いたまま問うてきました。時刻は十七時四十分。外はまだ明るいです。

「自分の結婚で混乱してたからなぁ。でも工藤さんなら実の兄同然だし、叔父さんのことも上手く御せるし、抵抗はなかったよ」

そうか、とぽつりと零す工藤さん。

「婿として認められることも、家族として信頼されることもありがたいが、俺は橙子に恋愛感情はないし、橙子もないよ」

「私と柿崎さんも似たようなものだけど、結構楽しくやってるよ?」

少なくとも柿崎さんは、私との暮らしを気に入っていると言ってくれました。

「そうか」

けれどやはり目線を固定したまま、工藤さんは苦笑いしただけでした。



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