結婚三箇条

文月 青

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午後にお客様の訪問があるからと、お義母さんはお昼前に帰っていきました。早朝から自室にこもっていた私に気づいていたらしく、台所で並んで朝食を作っているときに、柿崎さんと喧嘩でもしたのと訊ねられました。

「かき…省吾さんにとっては、私が子供すぎて喧嘩にもなりません」

事実柿崎さんが感情を荒だてたことは一度もありません。まるで小学生に言い含めるように、穏やかに私の間違いを質します。

「年齢差から訳ありだとは思っていたんだけどね」

卵焼きを手際良く焼きながら、お義母さんは小さく笑います。

「今までいくら縁談を勧めても、省吾は全く見向きもしなくてね。それなりにつきあう相手はいたようだけど、紹介してくれる気配はないし」

まな板の上にぽんと卵焼きが置かれました。ほやほやの黄色いそれに涎が出そうです。すっと包丁が入り、とろりとした断面が現れました。お皿に乗せたら完成です。

「なのに急に結婚すると言い出したものだから、気になって様子を見にきてみたの」

お義母さんはあえてゴールデンウィークを選んで、お邪魔したいと告げたと吐露しました。外出すると断ってきたら、初めての連休を二人で過ごしたいということだから問題はなし。姑の頼みなのでと渋々了承するのもまず大丈夫。でも二つ返事で了承したら…。

「せっかくの休みにごめんなさいね。でも女の人絡みなの?」

お義母さんはすぱっと切り込みます。私は頷いてよいものか迷いました。柿崎さんが結婚しなかった原因も、あえて私と結婚した理由も、どちらも母への好意によるものです。確実に女性絡みですが、表向き浮気しているわけでもなく、かといって母の名前も出せません。

「正直な娘ね」

どうも私の表情から何かを読み取ったのか、お義母さんはそれ以上は突っ込みませんでした。

「もしも困ったことがあったら、いつでも話しにいらっしゃい。少しはすっきりするでしょ?」

その言葉に頷いて、私は卵焼きのお皿をお茶の間に運びました。切り落とした端っこを摘ませてもらったら、ほのかに甘くて優しい味でした。




「片付けるのか?」

二階から自分の布団を下ろしていると、階段の途中で柿崎さんが受け取ってくれました。

「お義母さんが帰るまでという約束でしたから」

柿崎さんは車で駅までお義母さんを送って行ったので、既に昼食も私が作ったご飯は食べていません。

「無事に三箇条復活ですね」

先回りして自室の襖を開ける私。ゆっくり足を踏み入れた柿崎さんは、隅の方に布団を置いて苦笑しました。

「女の子って感じがするね」

そういえばこの部屋に柿崎さんが丸ごと入ったのは初めてです。せいぜいが入口止まりでしたから。お茶の間よりも更にピンクだらけの室内に、きっと笑うしかないのでしょう。

一方の柿崎さんの部屋は、機能性重視というのでしょうか。無駄な物を一切省いた、必要な物だけに囲まれている感じです。

うーん。この表現の仕方だと、自分まで無駄な物にカウントされたようで複雑です。もっとも必要かと問われても、首を縦に振ることはできませんが。

「母さんが柊子…くんによろしくと。ずいぶん気に入ったようだよ」

「それなら良かったです」

私は笑顔で返しました。ですが柿崎さんが部屋から出て行く様子がありません。夕食まで少し休みたいのですが、まさか出ていってとも言えません。

「連休中ずっと家だったし、日帰りで近場にでも行こうか?」

お義母さんを招いたからでしょうか。気を使ってくれているようです。

「柿崎さん」

「何だ?」

「私は偽物なんですよ?」

昨夜の寝言が耳の奥に蘇ります。

「一緒にいて辛くないですか」

たぶん予想もしていない言葉だったのでしょう。柿崎さんは瞠目しています。でも無意識に名前を呼ぶくらい母を想っているのなら、私と一緒にいる時間が長ければ長いほど、その違いが明らかになると思うのです。観賞用としての意味がなくなります。

「ごめんなさい。黙っているつもりでしたが」

隠さねばならない関係でもありません。私はあっさり事実のみを伝えました。

「昨夜寝言で香苗さん、と」

さすがの三十代男子も動揺しています。険しい表情で額を押さえました。

「だから一階したに降りていたのか」

私が早朝部屋を抜け出したことに、お義母さんだけではなく、柿崎さんも気づいていたようです。

「その、済まない」

あまりにも申し訳なさそうな態度に、少しだけ苛つきました。柿崎さんの本心は分かっています。だから責めているわけでも、謝って欲しいわけでもありません。

「大丈夫です。私は柿崎さんが好きではありませんから」

気持ちのまま吐き出してしまいました。柿崎さんはとても悲しそうに私をみつめています。

「母の顔で今の言葉は酷いですよね。すみません」

我に返ってすぐに頭を下げましたが、柿崎さんは無言で私の部屋を出ていきました。何ということをしてしまったのでしょう。自己嫌悪です。



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