結婚三箇条

文月 青

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五月三日の午後にお義母さんがいらっしゃいました。以前彼女が住んでいた家でもあるので、特に室内を案内する必要はなく、現在お茶の間で休んでいます。無駄ににこにこする方ではありませんが、表情が柔らかいのでどうやら機嫌は悪くなさそうです。第一関門突破。ピンクのお茶の間はセーフでした。

反対に柿崎さんは昨日仕事だったので、かなり疲れているらしく顔色が冴えません。私は食事も睡眠もたっぷり取っているのですこぶる元気です。ちなみに夕食はお義母さんも一緒に作ると言ってくれたので、恐れ多いですと首を振ったら、

「柊子さんはまだ若いのに、こんなくたびれたおじさんと結婚してくれたんだから、無理して出ていかれたら困るのよ」

あっはっはとお義母さんは豪快に笑いました。小柄なのに迫力満点です。

「たまに会った息子にくたびれたはないだろう」

お茶を啜りながら不愉快さを隠さない柿崎さん。自分の親のせいなのか少し甘えているように見えます。

「一生独身かと嘆いていたところに、こんな可愛いお嫁さんが来てくれたのよ。あんたみたいな本の虫に次はないからね。大事にしなさいよ」

きっと叔父さんが結婚したら、うちの祖母も同じことを言うのでしょう。三十半ばの大人が説教されている姿は新鮮です。

「ついでに孫も早くね」

にやっと口の端を吊り上げたお義母さんに、コーヒーを飲みかけていた柿崎さんがげほげほ咽ました。背中を擦ろうかと一瞬手が伸びかけましたが、体に触れると怒られそうなのでやめました。

当然ですが昨夜までの四日間、私と柿崎さんの間には何も起こりませんでした。

「そこから奇跡が生まれるのが真骨頂なのに」

真帆は落胆するし、

「心と体は別物の筈なのに性欲ないの。どんだけお母さん一筋なのよ」

姉に至ってはますます変態扱いです。

私も多少期待外れな気持ちもありますが、でもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんみたいな関係に、ときめきの要素が入っただけでも結構満足だったりします。

「その様子だと、そっちの方は心配要らなさそうだね。安泰安泰」

恨みがましい表情の柿崎さんを余所に、お義母さんはとても楽しそうでした。




夕食はご馳走がたくさん並びました。お義母さんの好物を作ろうと思っていたのですが、彼女は柿崎さんの好物を私に教えたかったらしく、野菜の切り方から味付けまでいろいろ伝授して下さいました。正直自分の夫の好みも把握していなかったので、これは非常に助かりました。

「懐かしいな、これ」

お義母さんオリジナルの煮物や炒め物に柿崎さんも舌鼓を打っています。この家の庭で様々な野菜を作っていたので、必然的に肉や魚よりは野菜料理が多かったのだそうです。

「おじさんは体を鍛えないとねぇ」

にんまりとするお義母さんを再び柿崎さんは睨んでいます。でもやはり母親には勝てないのですね。私もおかしくなって声を上げて笑ってしまいました。日中は土の耕し方や苗の植え方も習ったので、ぜひ畑作りにチャレンジしようと思います。

「疲れたんじゃないか?」

床に就いてから柿崎さんがこちらを窺います。手には相変わらず文庫本。本好きは子供の頃からだったそうです。家の床が抜けるんじゃないかと、家族全員で心配していたそうです。そんなエピソードを知ったせいか、柿崎さんが今日はとても身近に感じられたいい日でした。

「最初は緊張しましたが、面白かったです」

でも疲れてはいたのでしょう。もう頭が半分夢の中です。

「ありがとう。でも無理してあのペースに合わせることはないからね」

柿崎さんの労いの言葉もどこか遠くで聞こえます。そういえばお義母さんの前で、うっかり何度か柿崎さんと呼んでしまいました。大丈夫だったでしょうか。

そうしているうちにぐっすり眠り込んでいたようです。次に目が覚めたとき、私は限りなく柿崎さんに近い位置で横になっていました。同じ布団で寝ていたわけではありません。お互いの布団の隙間みたいな場所に転がって、たまたまこちらを向いている柿崎さんと、顔を合わせる形になっていただけです。

ぎゃー! 悲鳴を上げそうになって慌てて口元を押さえます。何が起こっているのか分からないというより、自分が柿崎さんの寝込みを襲ったととっさに浮かぶあたり、私の思考回路も割と病んでいます。とにかく落ち着こうと手を胸に当てて呼吸を整えました。

小丸球が点いているだけの薄暗い室内。間近で見る旦那様の寝顔は起きているときより少し幼いです。妻としてはあるまじき行為かもしれませんが、私は柿崎さんより先に寝落ちしますし、朝も彼の方が早く目を覚ましているので、ちゃんと寝顔を目にしたのは初めてなのです。

「香苗…さん」

ふと柿崎さんの唇から母の名が零れました。これも初めて聴く寝言です。お約束を違えない人ですね。定番の展開ですが、これでは明日の朝私は姿を消す予定になりますよ。もっとも寝室を別にした本当の理由はこの辺にあるのでしょうか。

無意識に母を重ねてしまうから。




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