結婚三箇条

文月 青

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結婚して一週間が過ぎました。年度末という時期の為、柿崎さんは仕事がとても忙しいらしく、新婚旅行は鄙びた温泉に一泊しただけだったのですが、風情があるというのでしょうか。そういうしっとりした所は初めてだったので、本を読んでばかりの柿崎さんを余所に、私は何度も温泉に入ってお肌も艶々です。

そういえば露天風呂付きの部屋だったので、嬉しくてそそくさと服を脱いだら、柿崎さんに思いっきり嫌な顔をされました。

「君には慎みというものはないのか」

でも部屋には柿崎さんがでんと鎮座していますし、トイレで脱いだところで結局目の前を通るのです。断っておきますがすっぽんぽんじゃありませんよ。タオルは巻いています。まぁ所詮は子供の裸。気に入らないなら見ないで貰えると助かるのですが。

「まさか犯罪者紛いの気分になりますか?」

何気なく訊ねたら大袈裟にため息をつかれてしまいました。

「学校でどんなことを習ってきたのやら」

もしかして私は自分の家でもこそこそ着替えないといけないのでしょうか。そういえば柿崎さんは私の前では着替えません。上着を脱いだりはしますが、基本お風呂やシャワーの際に済ませているようです。大人の男の良さなど解さない、高校出たてのお子様にはきっと目の毒だからなのでしょう。

私は共学校の出身ですが、周囲にいる柿崎さんの年齢の男性となると学校の先生くらいです。ただその年代の先生は大抵結婚してお子さんがいるので、柿崎さんよりもはるかにおじさん…いえ落ち着いて見えます。宿泊した宿でも親子とまではいかなくても、訳ありなのではないかと疑っているような視線を感じました。

「これはもしや逃避行?」

手に手を取ってというやつですね、と一人わくわくしていたら、

「ただの旅行だし、明日には家に帰るから」

あっさり一刀両断されてしまいました。もはや新婚の二文字さえも省かれています。何故ですか? 夫婦って難しいです。結局お風呂もご飯も私一人が満喫しただけで終わりました。柿崎さんはつくづく本の虫です。本と結婚できたら良かったでしょうにね。

さて柿崎家は一軒家です。亡くなった柿崎さんの祖父母が建てた家で、和風家屋と申しますか六室ある部屋は全て畳です。小さいけれど菜園を作れる程度の庭と駐車場も備わっています。柿崎さんのご両親は別に家を建てており、兄夫婦と既に同居しているので、柿崎さんがこの家を譲り受けたのだそうです。お洒落なマンションに住んでいるイメージの柿崎さんが、少々田舎で古い家に住んでいた事実は正直かなり意外です。

柿崎さんはトイレやお風呂以外は一階にあまり用が無いので、二階を自分の居住スペースに定めています。一部屋は本で埋まっていたので驚きました。なので私は一階の二部屋をお茶の間と自室として宛がい、残り一部屋を客間に設えることにしました。

はい。キッチンという名の調理するだけのスペース、いわゆる台所というものはあっても、リビングやダイニングなるものは存在しないのです。トイレやお風呂はリフォーム済みで、そのゆったりした広さに凄く寛げます。

「こんにちは」

二階から降りてきた柿崎さんに挨拶されて、台所で冷凍ピザが焼けるのを待っていた私は首を傾げました。これは日曜日の昼に家の中で顔を合わせた夫婦の挨拶としては、果たして正しいのでしょうか。

「こんにちは」

腑に落ちなくても一応挨拶はちゃんと返します。柿崎さんは頷いてトイレに向かいました。そっけない面はありますが、彼は本来意地の悪い性分ではないようで、無駄な会話はしませんが私を無視したりもしません。さすがに「こんにちは」にはびっくりですが、声をかけてもらえるのはやはり嬉しいです。

それにしてもうち、いえもう実家ですね、の父のスウェット姿とは違う、ラフなシャツと細身のパンツがよくお似合いです。家の中でも気を抜かないのですね。学校ジャージの私は拙いでしょうか。思わず頭を抱えてしゃがみ込みます。でも私達の間には百年どころか、一秒の恋もありませんものね。

「焼けてるぞ」

トイレを済ませて戻ってきた柿崎さんが、オーブントースターを指差しました。ちなみにこのトースターは元々柿崎家にあったものです。殆ど使っていなかったみたいで、新品同様の状態でした。

「ありがとうございます」

立ち上がってピザの焼け具合を覗きます。柿崎さんはそのまま二階に行ってしまいました。ところで貴方は朝にしろ昼にしろ、胃に何か入れているのでしょうか? とりあえず出るものは出しているようですが。我が夫ながらその生態は謎です。





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