結婚三箇条

文月 青

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それは結婚した二人にとって、初夜と表現される時間帯のことでした。翌日の新婚旅行に備え、挙式をしたホテルの一室で荷物の確認をしていた私に、夫となった柿崎省吾かきざきしょうごさんが淡々と述べました。

「一つ。俺は身の回りのことは自分でする。無駄に世話を焼かないように。一つ。夫婦生活は行わない。よって子供は作らない。一つ。君は専業主婦になること。バイトも禁止」

思わず目を瞬きました。それは家事も育児も仕事もしなくていい、でも養ってあげるという意味なのでしょうか。

「これから我々が円満にやっていく為のいわゆる三箇条だ。この三つを守り、警察のお世話にならぬよう、常識の範囲で暮らしてくれれば、後は好きにして構わない」

要するに夫と妻として同じ家で共に暮らしはしますが、お互い関わりを持たずに生きていきましょう、と。そのように解釈する私はひねくれ者? ですが逆に言えば私達が結婚する必要性を全く感じないのですが。

ちなみに当然私達は恋愛結婚ではありません。

「嫁ぎ先が決まったぞ」

ある日突然父からそう宣言され、もはやお見合いですらないただの食事会が催されたと思ったら、挨拶のとき以外は私の顔を見ようともしなかった柿崎さんと、嫌がる間もなくこの春結婚する運びと相成ったのです。我が井坂いさか家は資産家でもなければ名家でもない、ついでに家のローン以外は借金もない、ごく一般のサラリーマン家庭。身売りとは少々考えにくいです。

しかも柿崎さんは三十五歳。高校を卒業したばかりの十八歳の私より、一回りどころか十七歳も年上です。外見は若々しく、短く切った髪はさらさらで、とても清潔感のある方ですが、私にしてみれば明らかにおじさんです。父の勤務先の部下に当たる人物で、

「柿崎くんの方から熱心に結婚の申し込みがあったんだ」

父はそのように説明しましたが、先程の話から判断する限り、何故私を選んだのかと問いたくなる程、こちらに関心がありません。大学生とはいえ我が家には二つ上の姉もいるので、そちらの方が年齢的にもまだ釣り合いが取れたのではと首を傾げると(ところでこの場合も専業主婦というのでしょうか?)、

「どこかで柊子しゅうこを見初めたらしい」

社内では優良物件だったらしい柿崎さんを手に入れた父は、ほくほくと呑気に笑っているだけでした。

そもそも大学に進学するつもりで、ひたすら勉学に励んできた私は、当初の目標も初めての一人暮らしという楽しみも、本来なら幸せの代名詞であろう結婚によって変更を余儀なくされてしまったのです。なのにおつきあいも知り合う時間も省いた挙句に待っていたのは、結婚三箇条。

「辛かったらいつでも帰ってくるのよ」

柿崎さんとの結婚が決まってから挙式直前まで、一貫して表情が暗かった母は、花嫁の母とは思えぬ言葉を何度も繰り返しました。

「とりあえず頑張ってみて、駄目だったら退散してくるから」

私は顔だけはお淑やかな母似ですが、性格は単細胞の父似。納得できないなりに、まずは柿崎さんとの結婚に身を投じることにしたのです。案ずるより産むが易しというやつですね。

「明日も早い。柊子くんも休むといい」

今夜だけは致し方ないと、ダブルベッドの端に滑り込んだ柿崎さんは、こちらに背を向けて小難しい本を読んでいます。私もお年頃なので少女漫画や恋愛ドラマのような恋に憧れがあります。もちろんそれなりの情報も仕入れています。

「大人のHがどうだったか教えなさいよ」

友達からもそんな期待をかけられています。ですがこれは噂の愛のない結婚というジャンルになるのでしょうか。まぁ大人の柿崎さんが子供の私に妙な気を起こすとは確かに考えられません。もしかして一生清いままですか、私。

「おやすみなさい」

反対側からベッドに潜り込んだ私は、境界線はどこなのかなと真面目に白いシーツ睨みつつ、朝からの疲れもあってあっさり眠りに落ちたのでした。こうして新しい門出に胸を膨らませて…もいませんでした私の未来は、降って湧いた珍婚生活で幕を開けることとなったのです。




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