結婚三箇条

文月 青

文字の大きさ
上 下
38 / 40

38

しおりを挟む
私への好意を自覚したところで、柿崎さんにはどうすることもできませんでした。上司の娘、年齢差、そういったもの以上に大きかったのが、母の存在。かつての憧れの女性であり、信頼する上司の妻となったその人の娘の私。

私に気づくきっかけですら、母に似ているという現実の前に、どれだけ私を好きだと言おうと、母の代わりだと指摘されるのではないか、実際そんな錯覚を起こしているのではないかと、内心ではかなり葛藤したそうです。

もちろん面識のない私と、すぐにどうこうなろうとは考えていなかったので、しばらくは秘かに想うだけで満足だったらしいのですが、

「いい青年がいる。いずれ娘のどちらかと一緒にさせたいんだ」

ある日の父の一言で、状況を変えざるを得なくなりました。

「下のお嬢さんと結婚させて下さい」

よほど動転していたのでしょう。うっかり私がまだ高校生だということを忘れ、父にストレートに結婚を申し込んでしまったのだそうです。

「どこで柊子を?」

一方的に私を見初めたという部下に不審を抱き、事細かに事情を訊ねてくる父に、柿崎さんはあえて包み隠さずに全てを打ち明けました。父にも私にも精一杯誠実に臨んだ結果です。

しかし子供の頃の話とはいえ、父にとっては自分の妻に懸想していた男が、娘と結婚を希望しているのですから、かなり複雑な心境だったようです。柿崎さんも反対されるのは覚悟の上でした。

ところが父が決めたのは、誰も傷つかずに真実を見極める方法として、柿崎さんに一年間娘に触れないという、無謀な条件を呑ませてまでの結婚でした。

「正直驚いたよ。例え手を出さないと約束しても、破らないという保証はない。なのに結婚を許可してくれたのだから」

「でも柿崎さん、顔合わせのとき、私の方を見もしませんでしたよね?」

初対面での食事会。柿崎さんは体すら私の方を向けてはくれませんでした。

「当然だよ。それまで声をかけることもできなかった相手が、近い将来の花嫁として隣にいるんだ。ずっと緊張しっぱなしだったよ」

しかも、と柿崎さんは続けます。

「初夜の態度、最悪だっただろ? あのままそれこそ君の言う成田離婚になったらと、生きた心地がしなかった」

「私に興味がないのだとばかり思っていました」

何故私を見初めたのか、その理由もよく分かっていませんでしたし。

「自業自得だな。そう思われるように仕向けたのは俺だ」

父の提示した結婚の条件を守るためと、後で事実を知られて軽蔑されるのを避けるため、私に淡々と接していた柿崎さんですが、父との関係を疑われたことで早々に母のことを話した際、内容をかなり婉曲させてしまったことを悔やんでいたそうです。

「今でも少しは観賞成分あります?」

「冗談きついな、君も」

少し躊躇してから意を決したように柿崎さんは口を開きます。

「こんな表現は君のご両親には失礼だが、観賞用なのはむしろ香苗さんなんだよ。綺麗な花は愛でても手折りたいとは思わないだろう?」

「では私は手折りたいのですか?」

「結婚した日から熟睡できた日は一日だってないよ。初夜も母さんが泊まったときも昨日も全く眠れなかった。おそらく今日も」

どうせ君はぐーすか眠ってしまうんだろうがと、柿崎さんは力なくため息をつきます。心底悩まし気なその様子に、私は胸がどきどきして仕方がありません。なので気持ちのまま不意打ちで柿崎さんに突進しました。

「こ、こら! 離れるんだ。うわっ?」

殆ど突き飛ばされる形で押し倒された柿崎さんは、焦ったように自分の上に乗っかっている私を退かそうと試みます。けれど至近距離にある私の顔に、信じられないと目を閉じてしまいました。私は私で徐々に伸びてきた妙なものを発見しました。

「柿崎さん?」

「な、何だ?」

「足の間に如意棒があります」

俺は猿かと柿崎さんは嘆きましたが、ある意味正解かと苦笑して私をそっと抱きしめました。


 

翌日曜日の朝、我が家には相変わらず叔父さんと工藤さんの姿がありました。父が言っていた通り二人ともご機嫌で、ついでにお茶の間で朝食も一緒に食べています。

「美味いぞ、柊子」

叔父さんが満足そうにお味噌汁を飲んでいます。

「本当に。これならいつでもお嫁に行けるよ」

工藤さんも真顔で頷いています。褒めてくれるのはありがたいのですが、私は既に柿崎さんのお嫁さんなのだと分かっている筈ですが。

「お前は長生きするよ、片倉」

私の両隣を占拠する二人に、柿崎さんは疲れたようにため息をつきます。私はぐっすり眠って今日も元気ですが、柿崎さんは予言通り寝不足状態です。ちなみに昨夜の如意棒は元のサイズに引っ込むことはなく、あまりにも活躍したがっていたので、

「見てもいいですか?」

興味津々でお願いしたら、すかさず却下! と叫ばれてしまいました。

「じゃあちょっと触るのは」

「絶対禁止!」

これならと提案したことも断られ、交流を深める機会を失った次第です。

「おやおやお疲れのようだな、柿崎。昨夜は励んだか」

勝ち誇ったように高笑いする叔父さんに、嫌味かとぼやいて柿崎さんは箸を置きます。そこで工藤さんの目がきらりと光ったような気がしました。

「分からないことはないか? 柊子。訊いてくれれば昔のように俺が教えてあげるからね。手取り足取り」

さすが兄代わりです。世間知らずの私のために、学校の勉強をみてくれていたときのように、知識を授けてくれるというのですね。では早速。

「実は如意」

お茶碗を持ったまま工藤さんに向き合った途端、柿崎さんがもの凄い勢いでストップをかけました。

「食事をしながらする話じゃない! いやそれ以前にそんなこと外で口にしない!」

「家の中ですが」

きょとんとする私と、「にょい?」と首を傾げる工藤さん。にやにやとほくそ笑む叔父さん。三人を順繰りに眺めた柿崎さんは、何の呪いだと零して頭を抱えてしまったのでした。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

愛人契約は双方にメリットを

しがついつか
恋愛
親の勝手により愛する者と引き裂かれ、政略結婚を強いられる者達。 不本意なことに婚約者となった男には結婚を約束した恋人がいた。 そんな彼にロラは提案した。 「私を書類上の妻として迎え入れ、彼女を愛人になさるおつもりはございませんか?」

好きだった人 〜二度目の恋は本物か〜

ぐう
恋愛
アンジェラ編 幼い頃から大好だった。彼も優しく会いに来てくれていたけれど… 彼が選んだのは噂の王女様だった。 初恋とさよならしたアンジェラ、失恋したはずがいつのまにか… ミラ編 婚約者とその恋人に陥れられて婚約破棄されたミラ。冤罪で全て捨てたはずのミラ。意外なところからいつのまにか… ミラ編の方がアンジェラ編より過去から始まります。登場人物はリンクしています。 小説家になろうに投稿していたミラ編の分岐部分を改稿したものを投稿します。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ
恋愛
王太子妃に選ばれるのは公爵令嬢であるエステルのはずだった。結果のわかっている出来レースの王太子妃選。けれど結果はまさかの敗北。 父からは勘当され、エステルは家を飛び出した。頼ったのは屋敷を出入りする商人のクレト・ロエラだった。 無一文のエステルはクレトの勧めるままに彼の邸で暮らし始める。それまでほとんど外に出たことのなかったエステルが初めて目にする外の世界。クレトのもとで仕事をしながら過ごすうち、恩人だった彼のことが次第に気になりはじめて……。 純真な公爵令嬢と、ある秘密を持つ商人との恋愛譚。

タイムリープ〜悪女の烙印を押された私はもう二度と失敗しない

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
<もうあなた方の事は信じません>―私が二度目の人生を生きている事は誰にも内緒― 私の名前はアイリス・イリヤ。王太子の婚約者だった。2年越しにようやく迎えた婚約式の発表の日、何故か<私>は大観衆の中にいた。そして婚約者である王太子の側に立っていたのは彼に付きまとっていたクラスメイト。この国の国王陛下は告げた。 「アイリス・イリヤとの婚約を解消し、ここにいるタバサ・オルフェンを王太子の婚約者とする!」 その場で身に覚えの無い罪で悪女として捕らえられた私は島流しに遭い、寂しい晩年を迎えた・・・はずが、守護神の力で何故か婚約式発表の2年前に逆戻り。タイムリープの力ともう一つの力を手に入れた二度目の人生。目の前には私を騙した人達がいる。もう騙されない。同じ失敗は繰り返さないと私は心に誓った。 ※カクヨム・小説家になろうにも掲載しています

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

処理中です...