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私への好意を自覚したところで、柿崎さんにはどうすることもできませんでした。上司の娘、年齢差、そういったもの以上に大きかったのが、母の存在。かつての憧れの女性であり、信頼する上司の妻となったその人の娘の私。
私に気づくきっかけですら、母に似ているという現実の前に、どれだけ私を好きだと言おうと、母の代わりだと指摘されるのではないか、実際そんな錯覚を起こしているのではないかと、内心ではかなり葛藤したそうです。
もちろん面識のない私と、すぐにどうこうなろうとは考えていなかったので、しばらくは秘かに想うだけで満足だったらしいのですが、
「いい青年がいる。いずれ娘のどちらかと一緒にさせたいんだ」
ある日の父の一言で、状況を変えざるを得なくなりました。
「下のお嬢さんと結婚させて下さい」
よほど動転していたのでしょう。うっかり私がまだ高校生だということを忘れ、父にストレートに結婚を申し込んでしまったのだそうです。
「どこで柊子を?」
一方的に私を見初めたという部下に不審を抱き、事細かに事情を訊ねてくる父に、柿崎さんはあえて包み隠さずに全てを打ち明けました。父にも私にも精一杯誠実に臨んだ結果です。
しかし子供の頃の話とはいえ、父にとっては自分の妻に懸想していた男が、娘と結婚を希望しているのですから、かなり複雑な心境だったようです。柿崎さんも反対されるのは覚悟の上でした。
ところが父が決めたのは、誰も傷つかずに真実を見極める方法として、柿崎さんに一年間娘に触れないという、無謀な条件を呑ませてまでの結婚でした。
「正直驚いたよ。例え手を出さないと約束しても、破らないという保証はない。なのに結婚を許可してくれたのだから」
「でも柿崎さん、顔合わせのとき、私の方を見もしませんでしたよね?」
初対面での食事会。柿崎さんは体すら私の方を向けてはくれませんでした。
「当然だよ。それまで声をかけることもできなかった相手が、近い将来の花嫁として隣にいるんだ。ずっと緊張しっぱなしだったよ」
しかも、と柿崎さんは続けます。
「初夜の態度、最悪だっただろ? あのままそれこそ君の言う成田離婚になったらと、生きた心地がしなかった」
「私に興味がないのだとばかり思っていました」
何故私を見初めたのか、その理由もよく分かっていませんでしたし。
「自業自得だな。そう思われるように仕向けたのは俺だ」
父の提示した結婚の条件を守るためと、後で事実を知られて軽蔑されるのを避けるため、私に淡々と接していた柿崎さんですが、父との関係を疑われたことで早々に母のことを話した際、内容をかなり婉曲させてしまったことを悔やんでいたそうです。
「今でも少しは観賞成分あります?」
「冗談きついな、君も」
少し躊躇してから意を決したように柿崎さんは口を開きます。
「こんな表現は君のご両親には失礼だが、観賞用なのはむしろ香苗さんなんだよ。綺麗な花は愛でても手折りたいとは思わないだろう?」
「では私は手折りたいのですか?」
「結婚した日から熟睡できた日は一日だってないよ。初夜も母さんが泊まったときも昨日も全く眠れなかった。おそらく今日も」
どうせ君はぐーすか眠ってしまうんだろうがと、柿崎さんは力なくため息をつきます。心底悩まし気なその様子に、私は胸がどきどきして仕方がありません。なので気持ちのまま不意打ちで柿崎さんに突進しました。
「こ、こら! 離れるんだ。うわっ?」
殆ど突き飛ばされる形で押し倒された柿崎さんは、焦ったように自分の上に乗っかっている私を退かそうと試みます。けれど至近距離にある私の顔に、信じられないと目を閉じてしまいました。私は私で徐々に伸びてきた妙なものを発見しました。
「柿崎さん?」
「な、何だ?」
「足の間に如意棒があります」
俺は猿かと柿崎さんは嘆きましたが、ある意味正解かと苦笑して私をそっと抱きしめました。
翌日曜日の朝、我が家には相変わらず叔父さんと工藤さんの姿がありました。父が言っていた通り二人ともご機嫌で、ついでにお茶の間で朝食も一緒に食べています。
「美味いぞ、柊子」
叔父さんが満足そうにお味噌汁を飲んでいます。
「本当に。これならいつでもお嫁に行けるよ」
工藤さんも真顔で頷いています。褒めてくれるのはありがたいのですが、私は既に柿崎さんのお嫁さんなのだと分かっている筈ですが。
「お前は長生きするよ、片倉」
私の両隣を占拠する二人に、柿崎さんは疲れたようにため息をつきます。私はぐっすり眠って今日も元気ですが、柿崎さんは予言通り寝不足状態です。ちなみに昨夜の如意棒は元のサイズに引っ込むことはなく、あまりにも活躍したがっていたので、
「見てもいいですか?」
興味津々でお願いしたら、すかさず却下! と叫ばれてしまいました。
「じゃあちょっと触るのは」
「絶対禁止!」
これならと提案したことも断られ、交流を深める機会を失った次第です。
「おやおやお疲れのようだな、柿崎。昨夜は励んだか」
勝ち誇ったように高笑いする叔父さんに、嫌味かとぼやいて柿崎さんは箸を置きます。そこで工藤さんの目がきらりと光ったような気がしました。
「分からないことはないか? 柊子。訊いてくれれば昔のように俺が教えてあげるからね。手取り足取り」
さすが兄代わりです。世間知らずの私のために、学校の勉強をみてくれていたときのように、知識を授けてくれるというのですね。では早速。
「実は如意」
お茶碗を持ったまま工藤さんに向き合った途端、柿崎さんがもの凄い勢いでストップをかけました。
「食事をしながらする話じゃない! いやそれ以前にそんなこと外で口にしない!」
「家の中ですが」
きょとんとする私と、「にょい?」と首を傾げる工藤さん。にやにやとほくそ笑む叔父さん。三人を順繰りに眺めた柿崎さんは、何の呪いだと零して頭を抱えてしまったのでした。
私に気づくきっかけですら、母に似ているという現実の前に、どれだけ私を好きだと言おうと、母の代わりだと指摘されるのではないか、実際そんな錯覚を起こしているのではないかと、内心ではかなり葛藤したそうです。
もちろん面識のない私と、すぐにどうこうなろうとは考えていなかったので、しばらくは秘かに想うだけで満足だったらしいのですが、
「いい青年がいる。いずれ娘のどちらかと一緒にさせたいんだ」
ある日の父の一言で、状況を変えざるを得なくなりました。
「下のお嬢さんと結婚させて下さい」
よほど動転していたのでしょう。うっかり私がまだ高校生だということを忘れ、父にストレートに結婚を申し込んでしまったのだそうです。
「どこで柊子を?」
一方的に私を見初めたという部下に不審を抱き、事細かに事情を訊ねてくる父に、柿崎さんはあえて包み隠さずに全てを打ち明けました。父にも私にも精一杯誠実に臨んだ結果です。
しかし子供の頃の話とはいえ、父にとっては自分の妻に懸想していた男が、娘と結婚を希望しているのですから、かなり複雑な心境だったようです。柿崎さんも反対されるのは覚悟の上でした。
ところが父が決めたのは、誰も傷つかずに真実を見極める方法として、柿崎さんに一年間娘に触れないという、無謀な条件を呑ませてまでの結婚でした。
「正直驚いたよ。例え手を出さないと約束しても、破らないという保証はない。なのに結婚を許可してくれたのだから」
「でも柿崎さん、顔合わせのとき、私の方を見もしませんでしたよね?」
初対面での食事会。柿崎さんは体すら私の方を向けてはくれませんでした。
「当然だよ。それまで声をかけることもできなかった相手が、近い将来の花嫁として隣にいるんだ。ずっと緊張しっぱなしだったよ」
しかも、と柿崎さんは続けます。
「初夜の態度、最悪だっただろ? あのままそれこそ君の言う成田離婚になったらと、生きた心地がしなかった」
「私に興味がないのだとばかり思っていました」
何故私を見初めたのか、その理由もよく分かっていませんでしたし。
「自業自得だな。そう思われるように仕向けたのは俺だ」
父の提示した結婚の条件を守るためと、後で事実を知られて軽蔑されるのを避けるため、私に淡々と接していた柿崎さんですが、父との関係を疑われたことで早々に母のことを話した際、内容をかなり婉曲させてしまったことを悔やんでいたそうです。
「今でも少しは観賞成分あります?」
「冗談きついな、君も」
少し躊躇してから意を決したように柿崎さんは口を開きます。
「こんな表現は君のご両親には失礼だが、観賞用なのはむしろ香苗さんなんだよ。綺麗な花は愛でても手折りたいとは思わないだろう?」
「では私は手折りたいのですか?」
「結婚した日から熟睡できた日は一日だってないよ。初夜も母さんが泊まったときも昨日も全く眠れなかった。おそらく今日も」
どうせ君はぐーすか眠ってしまうんだろうがと、柿崎さんは力なくため息をつきます。心底悩まし気なその様子に、私は胸がどきどきして仕方がありません。なので気持ちのまま不意打ちで柿崎さんに突進しました。
「こ、こら! 離れるんだ。うわっ?」
殆ど突き飛ばされる形で押し倒された柿崎さんは、焦ったように自分の上に乗っかっている私を退かそうと試みます。けれど至近距離にある私の顔に、信じられないと目を閉じてしまいました。私は私で徐々に伸びてきた妙なものを発見しました。
「柿崎さん?」
「な、何だ?」
「足の間に如意棒があります」
俺は猿かと柿崎さんは嘆きましたが、ある意味正解かと苦笑して私をそっと抱きしめました。
翌日曜日の朝、我が家には相変わらず叔父さんと工藤さんの姿がありました。父が言っていた通り二人ともご機嫌で、ついでにお茶の間で朝食も一緒に食べています。
「美味いぞ、柊子」
叔父さんが満足そうにお味噌汁を飲んでいます。
「本当に。これならいつでもお嫁に行けるよ」
工藤さんも真顔で頷いています。褒めてくれるのはありがたいのですが、私は既に柿崎さんのお嫁さんなのだと分かっている筈ですが。
「お前は長生きするよ、片倉」
私の両隣を占拠する二人に、柿崎さんは疲れたようにため息をつきます。私はぐっすり眠って今日も元気ですが、柿崎さんは予言通り寝不足状態です。ちなみに昨夜の如意棒は元のサイズに引っ込むことはなく、あまりにも活躍したがっていたので、
「見てもいいですか?」
興味津々でお願いしたら、すかさず却下! と叫ばれてしまいました。
「じゃあちょっと触るのは」
「絶対禁止!」
これならと提案したことも断られ、交流を深める機会を失った次第です。
「おやおやお疲れのようだな、柿崎。昨夜は励んだか」
勝ち誇ったように高笑いする叔父さんに、嫌味かとぼやいて柿崎さんは箸を置きます。そこで工藤さんの目がきらりと光ったような気がしました。
「分からないことはないか? 柊子。訊いてくれれば昔のように俺が教えてあげるからね。手取り足取り」
さすが兄代わりです。世間知らずの私のために、学校の勉強をみてくれていたときのように、知識を授けてくれるというのですね。では早速。
「実は如意」
お茶碗を持ったまま工藤さんに向き合った途端、柿崎さんがもの凄い勢いでストップをかけました。
「食事をしながらする話じゃない! いやそれ以前にそんなこと外で口にしない!」
「家の中ですが」
きょとんとする私と、「にょい?」と首を傾げる工藤さん。にやにやとほくそ笑む叔父さん。三人を順繰りに眺めた柿崎さんは、何の呪いだと零して頭を抱えてしまったのでした。
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