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凩編
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がっつきたいのは山々だっだが、日和の腹が飯がまだだったことを知らせたので、とりあえず簡単な物で胃袋を満たすことにした。こいつはいつも肝心な場面で空腹を訴える。ロマンチックもくそもない。なのに毎日ドキドキしっ放しの三十男(笑)。
ーーキス一つで動揺させられるとは。
美味そうに飯を頬張る日和を眺めながら、自然に眦が下がってゆく。挨拶代わりというか、やることやる前の通過儀礼というか、唇が合わさった程度の認識で、これまでは何の感慨もない行為だった。女の方からしてきたことも何度もある。
ーーこの破壊力は日和ならでは。
大人も子供も関係ない。きっと惚れた女の前では、据え膳男も童貞に戻るのかもしれない。
「あの、長閑さん」
キッチンで食べ終えた食器を洗っていた日和が、手を止めて隣の俺を見上げた。予告なしに四角くも若者仕様にもなる俺にすっかり慣れた彼女は、きょとんとした様子で次の言葉を待っている。
「さっき私から離れたくなるときは来ない、と言ってくれましたよね?」
断言する日和に柄にもなく涙が出そうになった。一方で小さな引っかかりも感じる。
「はい」
「その根拠を伺ってもいいですか?」
散々好き勝手に生きてきた俺が一人の女を求めるのと、これから降るように出会いがある日和が、知り合って二ヶ月やそこらの男を一人として決めてしまうのは、意味が違うし無理があるだろう。
「お母さんが言ってたんです」
次に布巾で皿を一枚ずつ拭き、食器棚に収めてから日和は口を開いた。要領が良いタイプではないが、教えたことは時間をかけて身につけている。その証拠に水滴も拭き跡も残さなくなった。
「ここまで日和を想ってくれる人、この先現れるかしら」
やめてくれ、顔から火が出そうだ。俺は誤魔化すようにコーヒーを淹れ始める。
「案外共に過ごした時間の長短なんて、関係ないのかもしれないって」
淡々と語る日和は、稀に見せる大人の雰囲気を醸し出して、訳もなくたじろいでしまう。
「怠惰を絵に描いたまんまの私ですけど、前の会社にも気にかけてくれる人はいたんですよ?」
当然男だろう。つまり前の彼氏あたりか。少し落胆しつつも、二つのカップを持ってリビングに移動する。ソファに座ってコーヒーを口に含み、日和に続きを促した。
「でもその人の手を取ることは考えられなくて。意地なのか何なのか、一人で頑張りたかったし頑張れましたし」
「無理していたのではないのですか?」
「その頃は本当に一人で平気だったんです。でも凩さんの場合は違いました」
柔らかな表情で日和が微笑んだ。
「だらしないところを目撃されて、全然にこりともしてくれなくて。けれど会ったばかりの人に、捨てられたと泣きべそかくくらいには、慕っていたのだと思います」
「長閑さん……」
「だから凩さんのマンションと会社が近いことを、内緒にされていたときは堪えました」
あれはただでさえ自覚のない嫉妬で苛々していた中、初めて当の篠原と日和が二人でいる姿を目の当たりにして、衝撃を受けた日のことだったか。
日和に教える義務はないし、他人に自分の領域に踏み込まれるのが嫌だから、必要な人にしか明らかにしていない……そんなふうなことを答えた記憶がある。
「凩さんは私なんか要らないんだなって」
誤解だ日和。お前が必要ないんじゃなくて、押しかけてくる不特定多数の女のことだ。
「当然ですよね。道端で拾ってもらった後も、図々しくお世話になっていたんですから」
誤解その二。心配ではあったが今にしてみれば、世話を焼くのも楽しかったが、放っておいて他の男に取られるのが嫌だった。
「うちに来ますかと問われたときも、子供の我儘の為に無理をしてくれているんだと……なのでどうしても対等に扱われるようになりたかったんです」
ーーあのとき日和が大人びていたのは、無意識のうちに俺に一人の女として見られようとしていたからなのか。
「総合した結果、凩さんがいないと駄目なんだな私、という次第であります」
びしっとおかしな敬礼をして、日和は話を締め括る。俺は我慢できずに彼女を抱き寄せた。いつも微妙に空いている隙間を埋めるようにぴったりと。
「く、くるし……や、今度は擽った……え? 待っ、凩さあん」
俺の腕の中でもがく日和をソファに押し倒し、首筋に唇を這わせ、着ていた服を一気に剥いでゆく。噛みつくようなキスをすれば、ただ翻弄されるだけの日和。
「選ばせてやる。リビングと風呂、どっちがいい?」
眼鏡を外して選択を迫ると、何を想像したのか日和はますます羞恥に染まった。
「お風呂に入りたい、です。でも実況……しない?」
もう下着しか残っていないのに、必死に体を隠そうとする仕草がまた煽る煽る。
ーーどっかーん! 頭も下半身も最早暴発寸前であります(笑)。
「それはできない相談だな」
上から退いて日和を抱きかかえる。
「お前の領域に踏み込む準備を、時間をかけてやってやるからな」
「やだ、凩さん、もしかして」
怯えたようにしがみつく日和に構わず、ゆっくり浴室に向かう。スーツのまま二人でシャワーを浴び、湯に負けない熱い想いを耳元で囁いた。
「俺の為だけに濡れろ」
ーーキス一つで動揺させられるとは。
美味そうに飯を頬張る日和を眺めながら、自然に眦が下がってゆく。挨拶代わりというか、やることやる前の通過儀礼というか、唇が合わさった程度の認識で、これまでは何の感慨もない行為だった。女の方からしてきたことも何度もある。
ーーこの破壊力は日和ならでは。
大人も子供も関係ない。きっと惚れた女の前では、据え膳男も童貞に戻るのかもしれない。
「あの、長閑さん」
キッチンで食べ終えた食器を洗っていた日和が、手を止めて隣の俺を見上げた。予告なしに四角くも若者仕様にもなる俺にすっかり慣れた彼女は、きょとんとした様子で次の言葉を待っている。
「さっき私から離れたくなるときは来ない、と言ってくれましたよね?」
断言する日和に柄にもなく涙が出そうになった。一方で小さな引っかかりも感じる。
「はい」
「その根拠を伺ってもいいですか?」
散々好き勝手に生きてきた俺が一人の女を求めるのと、これから降るように出会いがある日和が、知り合って二ヶ月やそこらの男を一人として決めてしまうのは、意味が違うし無理があるだろう。
「お母さんが言ってたんです」
次に布巾で皿を一枚ずつ拭き、食器棚に収めてから日和は口を開いた。要領が良いタイプではないが、教えたことは時間をかけて身につけている。その証拠に水滴も拭き跡も残さなくなった。
「ここまで日和を想ってくれる人、この先現れるかしら」
やめてくれ、顔から火が出そうだ。俺は誤魔化すようにコーヒーを淹れ始める。
「案外共に過ごした時間の長短なんて、関係ないのかもしれないって」
淡々と語る日和は、稀に見せる大人の雰囲気を醸し出して、訳もなくたじろいでしまう。
「怠惰を絵に描いたまんまの私ですけど、前の会社にも気にかけてくれる人はいたんですよ?」
当然男だろう。つまり前の彼氏あたりか。少し落胆しつつも、二つのカップを持ってリビングに移動する。ソファに座ってコーヒーを口に含み、日和に続きを促した。
「でもその人の手を取ることは考えられなくて。意地なのか何なのか、一人で頑張りたかったし頑張れましたし」
「無理していたのではないのですか?」
「その頃は本当に一人で平気だったんです。でも凩さんの場合は違いました」
柔らかな表情で日和が微笑んだ。
「だらしないところを目撃されて、全然にこりともしてくれなくて。けれど会ったばかりの人に、捨てられたと泣きべそかくくらいには、慕っていたのだと思います」
「長閑さん……」
「だから凩さんのマンションと会社が近いことを、内緒にされていたときは堪えました」
あれはただでさえ自覚のない嫉妬で苛々していた中、初めて当の篠原と日和が二人でいる姿を目の当たりにして、衝撃を受けた日のことだったか。
日和に教える義務はないし、他人に自分の領域に踏み込まれるのが嫌だから、必要な人にしか明らかにしていない……そんなふうなことを答えた記憶がある。
「凩さんは私なんか要らないんだなって」
誤解だ日和。お前が必要ないんじゃなくて、押しかけてくる不特定多数の女のことだ。
「当然ですよね。道端で拾ってもらった後も、図々しくお世話になっていたんですから」
誤解その二。心配ではあったが今にしてみれば、世話を焼くのも楽しかったが、放っておいて他の男に取られるのが嫌だった。
「うちに来ますかと問われたときも、子供の我儘の為に無理をしてくれているんだと……なのでどうしても対等に扱われるようになりたかったんです」
ーーあのとき日和が大人びていたのは、無意識のうちに俺に一人の女として見られようとしていたからなのか。
「総合した結果、凩さんがいないと駄目なんだな私、という次第であります」
びしっとおかしな敬礼をして、日和は話を締め括る。俺は我慢できずに彼女を抱き寄せた。いつも微妙に空いている隙間を埋めるようにぴったりと。
「く、くるし……や、今度は擽った……え? 待っ、凩さあん」
俺の腕の中でもがく日和をソファに押し倒し、首筋に唇を這わせ、着ていた服を一気に剥いでゆく。噛みつくようなキスをすれば、ただ翻弄されるだけの日和。
「選ばせてやる。リビングと風呂、どっちがいい?」
眼鏡を外して選択を迫ると、何を想像したのか日和はますます羞恥に染まった。
「お風呂に入りたい、です。でも実況……しない?」
もう下着しか残っていないのに、必死に体を隠そうとする仕草がまた煽る煽る。
ーーどっかーん! 頭も下半身も最早暴発寸前であります(笑)。
「それはできない相談だな」
上から退いて日和を抱きかかえる。
「お前の領域に踏み込む準備を、時間をかけてやってやるからな」
「やだ、凩さん、もしかして」
怯えたようにしがみつく日和に構わず、ゆっくり浴室に向かう。スーツのまま二人でシャワーを浴び、湯に負けない熱い想いを耳元で囁いた。
「俺の為だけに濡れろ」
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