四角な彼は凩さん

文月 青

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日和編

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本当は自転車で帰ろうと思ったが、道重さんが送ってくれると言うので、結局お言葉に甘えてしまった。私のアパート付近に彼女の家がある篠原さんも、ちょうどいいからと一緒に降りる。今日は頑張れやと妙な励ましを寄越すものだから、私はむすっとして彼の足を蹴った。

「長閑さん?」

どうやらアパートの駐車場で待っていたらしい凩さんが、運転席の窓から私を呼んだ。

「じゃあな、ボケひよ」

篠原さんが子供をあやすように、ぽんぽんと頭を撫でて踵を返す。

「お疲れ様でした」

先輩の背中に挨拶してから、私は凩さんの元に駆け寄った。遅くなってごめんなさいと謝ろうとしたら、ひんやりした声に遮られた。

「残業ではなかったんですか?」

最初に連絡をしておくべきだった。いつもより帰宅が一時間も遅ければ、誰でも仕事が長引いていると想像するだろう。

「彼と、篠原くんでしたっけ? 会っていたのですか?」

「えーと、はい」

どう答えようか迷った挙句、嘘ではないので肯定すると、凩さんは少し間を空けて呟いた。

「そうでしたか」

怒っている素振りもなく、かといってそれ以上訊ねられることもない。一人納得したような凩さんに、私は自分が悪いのに胸の辺りがもやもやして、待たせたことを謝りそびれてしまった。

「すぐに食事にしますね」

二人で私の部屋に入ってからも、凩さんは通常運転。メニューも言わずに、キッチンでさくさくと料理を始める。

「わ、私も手伝います」

背中が大きな壁に見えて、今までろくに包丁を持ったことがないくせに、ありえないことを申し出ていた。

「急にどうしました?」

怪訝な表情で振り返る凩さん。よく考えたら狭いキッチンに、危険人物がいても邪魔なだけだ。

「こちらにいらっしゃい」

黙ったままの私に凩さんが手招きする。半歩譲って私に包丁を差し出した。

「サラダのきゅうりを切ってみましょう」

このくらいならとまな板の上のきゅうりを一刀両断(?)する。今日は揃えたようにTシャツとジーンズ姿の凩さんが、額を押さえていいですかと洩らす。その台詞に心臓がことりと音を立てたとき、背後から私を覆うように両腕が伸びた。柑橘系の香りにほんのり包まれる。

「これなら大丈夫です」

包丁を握る右手ときゅうりを持つ左手に、凩さんの手がそっと添えられ、とん、とんとゆっくり輪切りが出来上がってゆく。思わず凩さんを振り仰げば、彼は眼鏡の奥から静かに私を見下ろしている。

「凩さん」

「何でしょう」

「これが二人羽織というやつですね?」

しかし私の間抜けな問いのせいで、いつもの八の字眉になる。頭上からは微妙に違いますとちゃんと答が降った。




手伝う予定はいつの間にか家庭科の授業に取って代わり、凩さんにしごかれて野菜を切りまくっていたら、とっくに夜の八時を過ぎていた。テーブルの上にはかき揚げや酢豚、ポトフと共に、私の初めての作品であるサラダもどきがちんまりと乗っかっている。

「つい野菜ばかりを準備してしまいまして、バランスが悪くてすみません」

献立の大幅な変更を余儀なくされた凩さんは、私のせいだというのに申し訳なさそうな風情だ。

「私の方こそ余計なことをして。それに連絡もしないで待たせてしまってごめんなさい」

向かい合って座るなり私は床に頭を擦りつけた。自分でもよく分からないけれど、いつもかけている迷惑と今日の迷惑は、どこか違うような気がしたのだ。

「頭を上げて下さい。私は別に怒っていませんし、長閑さんには長閑さんのおつきあいがあります。でも、そうですね。用事があるときは予め知らせて頂ければ、こちらも遠慮しますので」

私はのろのろと面を上げた。無表情な凩さんからは何の感情も読み取れない。きっと本当に彼は怒っていないのだろう。良かった。良かったのだけれど、何だか突き放されたような淋しさを覚え、私はそんな自分にもやもや度をアップさせていた。

「冷めないうちに食べましょう。間もなく二十一時ですし」

沈んだ雰囲気を切り替えるように、凩さんは手元に視線を落として箸を取る。やはり無駄に長居をするつもりはないらしい。

「凩さんの家、ここから近いそうですね」

箸を取ってポトフのスープを飲むと、ほわんと体の中に温かさが浸透していった。

「会社も」

キャベツの甘みが美味しくて堪らないのに、口から出てくるのはおかしなことばかり。

「また道重ですか」

呆れたように凩さんは息を吐いた。

「どうして教えてくれなかったんですか?」

「長閑さんに教える義務はありませんでしたし、他人に自分の領域に踏み込んで来られるのは嫌なので、会社でも必要な人にしか明らかにしていないんです」

つまり道重さんには知っていて欲しくても、私には知られたくなかったということ。

「ですが長閑さんは……え? 長閑さん? どうしたんです?」

箸を止めて凩さんが瞠目している。馬鹿な質問をしてしまった。拾われた貧乏人のくせに、施しを受けている身分のくせに、道重さんと比べること自体おこがましい。だけど望まないのに涙腺が緩んでくる。

「凩さんのご飯が美味しくて、泣けてきそうです」

何とか声を絞り出したとき、室内にチャイムの音が響き渡った。




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