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日和編
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日曜日のお昼前、凩さんは約束通り私の部屋にやって来た。シャツと細身のチノパンという出で立ちの彼は、普段よりも若々しくて驚いたが、右手には私の希望で決まった、昼食のチキンドリアの材料が入ったエコバッグが握られ、左手にはオーブントースターが抱えられていた。うちにはレンジしかないので、凩さんが使っていない物があるからと、わざわざ持ってきてくれたのだ。
「冷蔵庫が少し手狭になりましたね」
食材を冷蔵庫に詰めながら、凩さんが背後の私を振り返った。これまでマヨネーズやケチャップ、ご飯のお供の住処だった冷蔵庫は、特化した機能が無い一人用の中でも小さい物だった。それでも隙間だらけだったのに、昨日から野菜や凩さん手作りのおかずで賑わっている。
「お昼を食べたら、一緒に新しい冷蔵庫を見に行きましょう」
「お金がないから無理です」
第一立派な家電を揃えても自分では何もできない。だからうちのテレビもレンジも洗濯機も、とにかく動けば良しという安物ばかりだ。
「壊れたときの為にですよ。今のうちから見繕っておけば、いざというとき焦らずに済みます」
「そういうことなら」
にっこり答える私に凩さんは真顔で頷き、持参した黒いエプロンを着けて昼食作りを始めた。鍋にバターを溶かして薄切りの玉ねぎを炒める。鶏もも肉を加えて更に炒め、続けてしめじを投入。そこに小麦粉を振り込み、ダマがなくなったら牛乳を数回に分けて入れる……。
「家で一から作れるものなんですね」
オーブントースターに並んだ、やがて焼き上がるであろう二つのドリア様を私はうっとりと眺める。
「料理雑誌を丸暗記した成果です」
何の感動もなく返して、凩さんはさっさと窓拭きに移った。時間は有限ですからと、歯ブラシで窓枠やさんの黒ずみを落としてゆく。汚れが無くなったところで布団を干し、手でバシバシと叩きつけると埃が舞った。そりゃあもう魔法のランプの煙並みに。
「長閑さんは掃除機をお願いします」
咳き込んでいる私に指示を出すと、自分はトイレとお風呂の掃除に向かう。
「部屋の隅に沿って、四角くかけて下さいね」
適当に部屋の真ん中のごみを吸い取っていた私に、しっかり注意を喚起することも忘れない。実は透視でもできるのだろうか。
凩さん特製のチキンドリアを堪能した後、私達は連れ立って家電量販店に足を運んだ。初めて乗った凩さんの車は、彼らしい静かな走りをする乗用車だった。私も運転免許を持っていると明かすと、次はあなたの運転で買物に行きましょうと言われた。もちろんペーパーですが。
「どのようなタイプの物をお探しですか?」
面白半分で展示してある冷蔵庫の扉をパカパカ開けていると、優しそうな女性の店員さんに声をかけられた。私と凩さんを微笑ましそうに眺めている。
「いずれお子様がお生まれになることも考慮しますと、サイズは大きめの方がよろしいかと思いますが」
桃太郎じゃあるまいし、冷蔵庫を開けたらおぎゃーということはないだろうと首を傾げていたら、凩さんは困ったように私を一瞥した。
「いえ、我々はそういった関係ではないので」
律儀に店員さんに説明する。
「申し訳ございません。お似合いでしたもので。大変失礼を致しました」
彼女は深々と頭を下げてこの場を去った。そこで初めて私は自分と凩さんが夫婦だと間違われた事実に気づいた。お洒落な服など一着もないので、大抵Tシャツとジーンズを着ているのだが、どうやら今日の凩さんの服装と合っていたらしい。肩までの髪を後ろで一本に結んでいるのが、いつもよりだらしなさを隠してくれたとか?
「何を笑っているんです?」
「凩さんと私、お似合いなのかなって」
購買意欲を煽る為のお世辞だとしても、何故なのかセット扱いされたことが擽ったい。スキップしながら先程の店員さんお勧めの冷蔵庫に近づくと、凩さんは確かに利便性が云々と呟いてからため息をついた。
「長閑さんは奇特な方ですね。私のようなおじさん相手に喜んでいるんですか?」
「凩さんだから嬉しいんですよ」
それが助けを請う人を見捨てられない性分でも、興味本位の親切からくるものでも、あのとき私に手を差し伸べてくれたのは凩さん一人だった。その後の展開は想定外過ぎてびっくりの連続だったけれど、自業自得とはいえ本当は心細かったから。
「ですから男にそういうことを言ってはいけません」
「凩さんは勘違いしないんでしょう?」
「当然です」
「じゃあノープロブレム。他の男の人なんてどうでもいいです」
笑顔の私とは裏腹に、凩さんは不服そうに何度も眼鏡のずれを直している。考えてみれば何もできない、ついでに貧乏な私とお似合いだなんて、彼には迷惑以外の何者でもないだろう。
「ごめんなさい。凩さんは嫌でしたよね」
「別に。長閑さんが不快でなければ、こちらも取り立てて騒ぐほどのことはありません」
澄ました表情で珍しく視線を泳がせる凩さん。また蜘蛛の巣を見つけたりしていなければいいけれど。
「冷蔵庫が少し手狭になりましたね」
食材を冷蔵庫に詰めながら、凩さんが背後の私を振り返った。これまでマヨネーズやケチャップ、ご飯のお供の住処だった冷蔵庫は、特化した機能が無い一人用の中でも小さい物だった。それでも隙間だらけだったのに、昨日から野菜や凩さん手作りのおかずで賑わっている。
「お昼を食べたら、一緒に新しい冷蔵庫を見に行きましょう」
「お金がないから無理です」
第一立派な家電を揃えても自分では何もできない。だからうちのテレビもレンジも洗濯機も、とにかく動けば良しという安物ばかりだ。
「壊れたときの為にですよ。今のうちから見繕っておけば、いざというとき焦らずに済みます」
「そういうことなら」
にっこり答える私に凩さんは真顔で頷き、持参した黒いエプロンを着けて昼食作りを始めた。鍋にバターを溶かして薄切りの玉ねぎを炒める。鶏もも肉を加えて更に炒め、続けてしめじを投入。そこに小麦粉を振り込み、ダマがなくなったら牛乳を数回に分けて入れる……。
「家で一から作れるものなんですね」
オーブントースターに並んだ、やがて焼き上がるであろう二つのドリア様を私はうっとりと眺める。
「料理雑誌を丸暗記した成果です」
何の感動もなく返して、凩さんはさっさと窓拭きに移った。時間は有限ですからと、歯ブラシで窓枠やさんの黒ずみを落としてゆく。汚れが無くなったところで布団を干し、手でバシバシと叩きつけると埃が舞った。そりゃあもう魔法のランプの煙並みに。
「長閑さんは掃除機をお願いします」
咳き込んでいる私に指示を出すと、自分はトイレとお風呂の掃除に向かう。
「部屋の隅に沿って、四角くかけて下さいね」
適当に部屋の真ん中のごみを吸い取っていた私に、しっかり注意を喚起することも忘れない。実は透視でもできるのだろうか。
凩さん特製のチキンドリアを堪能した後、私達は連れ立って家電量販店に足を運んだ。初めて乗った凩さんの車は、彼らしい静かな走りをする乗用車だった。私も運転免許を持っていると明かすと、次はあなたの運転で買物に行きましょうと言われた。もちろんペーパーですが。
「どのようなタイプの物をお探しですか?」
面白半分で展示してある冷蔵庫の扉をパカパカ開けていると、優しそうな女性の店員さんに声をかけられた。私と凩さんを微笑ましそうに眺めている。
「いずれお子様がお生まれになることも考慮しますと、サイズは大きめの方がよろしいかと思いますが」
桃太郎じゃあるまいし、冷蔵庫を開けたらおぎゃーということはないだろうと首を傾げていたら、凩さんは困ったように私を一瞥した。
「いえ、我々はそういった関係ではないので」
律儀に店員さんに説明する。
「申し訳ございません。お似合いでしたもので。大変失礼を致しました」
彼女は深々と頭を下げてこの場を去った。そこで初めて私は自分と凩さんが夫婦だと間違われた事実に気づいた。お洒落な服など一着もないので、大抵Tシャツとジーンズを着ているのだが、どうやら今日の凩さんの服装と合っていたらしい。肩までの髪を後ろで一本に結んでいるのが、いつもよりだらしなさを隠してくれたとか?
「何を笑っているんです?」
「凩さんと私、お似合いなのかなって」
購買意欲を煽る為のお世辞だとしても、何故なのかセット扱いされたことが擽ったい。スキップしながら先程の店員さんお勧めの冷蔵庫に近づくと、凩さんは確かに利便性が云々と呟いてからため息をついた。
「長閑さんは奇特な方ですね。私のようなおじさん相手に喜んでいるんですか?」
「凩さんだから嬉しいんですよ」
それが助けを請う人を見捨てられない性分でも、興味本位の親切からくるものでも、あのとき私に手を差し伸べてくれたのは凩さん一人だった。その後の展開は想定外過ぎてびっくりの連続だったけれど、自業自得とはいえ本当は心細かったから。
「ですから男にそういうことを言ってはいけません」
「凩さんは勘違いしないんでしょう?」
「当然です」
「じゃあノープロブレム。他の男の人なんてどうでもいいです」
笑顔の私とは裏腹に、凩さんは不服そうに何度も眼鏡のずれを直している。考えてみれば何もできない、ついでに貧乏な私とお似合いだなんて、彼には迷惑以外の何者でもないだろう。
「ごめんなさい。凩さんは嫌でしたよね」
「別に。長閑さんが不快でなければ、こちらも取り立てて騒ぐほどのことはありません」
澄ました表情で珍しく視線を泳がせる凩さん。また蜘蛛の巣を見つけたりしていなければいいけれど。
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