3 / 30
日和編
3
しおりを挟む
翌日の朝六時。私は一定の間隔で鳴らされるチャイムで目が覚めた。凩さんのおかげでお腹が満たされ、綺麗な部屋で眠る栄誉を与えられた私は、まだまだベッドにいたい気持ちを我慢して、ドア外に向かってどちら様ですかと声をかけた。
「おはようございます。凩です」
驚いてすぐドアを開けると、そこには大きな紙袋を抱えた凩さんが、昨日と違わぬスーツ姿と生真面目な顔で立っていた。
「おはようございま……って、どうしたんですか?」
凩さんにとって私は通りすがりの行き倒れ。偶然でもない限り、もう二度と会うことはないだろうと思っていたのに、この自然なまでの訪問は一体何なの。
「朝食と昼食を作ってきました。また倒れては大変ですので」
保護者よろしくそう言って、凩さんは私に荷物を渡す。
「え?」
「電子レンジはあるようなので、ちゃんと温めてから食べて下さい」
「ちょ、ちょっと、凩さん?」
「私はこれから出勤しますので、夕食は仕事帰りに作りに来ます。ご飯だけは炊いておいて頂けると助かります。では」
「はい、いってらっしゃ……じゃなくて、凩さん!」
つられて見送りしかけて名前を呼ぶ。けれど凩さんは規則正しいペースで駐車場に向かい、きちんと隅に駐めた車に乗って走り去ってしまった。
「行動まで木枯らしだ」
ため息をついて私はドアを閉めた。テーブルに紙袋を置いて中を覗く。レンジ対応のタッパーに、おにぎりやサンドイッチ、梨やりんごといった果物が、綺麗にきっちり詰められていた。おまけにデザートのシュークリームまで。
「あの人はサンタクロースか」
昨日ここでご飯を作ってもらわなければ、美味しそうな料理の数々は、凩さんのお母さんの差し入れだと思ったことだろう。理由は分からないが、せっかく頂いたご馳走を冷蔵庫に並べながら、ふと凩さんは独身なのか気になった。
いくら私が二十歳の小娘でも、一応女には違いない。成り行きで助けたことはともかく、奥さんがいたら例え心配でも、こうして訪ねては来ない筈だ。では恋人はどうだろう。恋人……彼女……ガールフレンド……女友達……。
すぐに限界がきた。駄目だ。何というか必ず角を直角に曲がりそうな、向きを変えるときは回れ右をしていそうな凩さんが、女の人と愛を語らう姿を想像できない。
「五分後にキスします」
五分前行動ではないが、わざわざ予告してドン引きされていそうな予感。いやいや、こんな見ず知らずの私に親切にしてくれた人だ。料理も上手いし掃除も得意。もしかしたら尽くすタイプかもしれない。きっとモテる。
なのにやはり女の人とは結びつかないのは何故だ。
その日の夜。仕事帰りに買物したらしい凩さんが、エコバッグを二つ下げて現れた。仕事が長引いて遅くなりましたと謝られたが、そもそも彼が頭を下げる理由がない。お世話になっているのは私の方なのだ。エコバッグを持ち歩いていることにはびっくりしたが。
「ちゃんと食事は取れたんですね」
水切り籠に伏せてあった空のタッパーを見て、凩さんは満足そうに頷いた。はい。何だかんだほざきながらしっかり完食しました。ちゃっかりご飯も炊きました。
「美味しかったです。ありがとうございます」
お世辞ではなく本当に美味しかったので、私は素直にお礼を口にした。もっともご飯パワーに背中を押されて張り切って出かけた職探しは、今日も空振りに終わったのだけれど。
「希望の職種や具体的な目標、取得したい資格等はないのですか?」
「考えたことがないです。とにかく私に務まる仕事を見つけて、生活を賄うことで精一杯でしたから」
「そうですか。ではすぐに夕食の支度に取りかかります」
疲れているだろうに凩さんは手際よく準備を進めてゆく。トントンとリズミカルな音と共に、ベーコンや人参、玉ねぎがまな板の上で角切りになる。下手に手伝うと大惨事を引き起こすので、横に並んで何を作っているのか眺めると、やがて材料が水の入った鍋に投入された。
「野菜のスープご飯です。簡単なものですが」
凩さんには簡単でも私にとってはご馳走だ。ぐつぐつ煮えた鍋にスープの素が仲間入りし、ふんわり漂う柔らかな匂いに、たちまち胃が空腹を訴え始める。
「その様子だと体調は落ち着いたようですね」
表情筋まで硬いのか昨日からにこりともしない凩さんだが、眼鏡の奥の目が一瞬柔らかくなったような気がした。やがて鍋にご飯と塩胡椒、チーズを加えてできあがり。いつのまにかグレープフルーツのサラダまで添えられている。
「凩さんはいつでもお嫁に行けますね」
「私は男なのですが」
狭い部屋の中で脱力する私に、凩さんは困ったように眉を寄せた。出来上がったスープご飯をローテーブルに運び、
「では、私はこれで」
すっとお辞儀をして玄関に向かう。
「え? 帰るんですか?」
「二十一時になりますから」
ご飯を作った人が手をつけずに去る事態に焦り、当然のように呼び止める私も私だが、凩さんの答えもかなり的外れだ。確かに昨日もこの時間に帰っていたけれど。まさか門限?
「おやすみなさい」
躊躇なく凩さんはドアの外に消えた。
「あなたは十代ですか」
残された私は呆気に取られつつ、テーブルのスープご飯を一口掬い、素材が持つ味わいに不思議にほっこりした。
「おはようございます。凩です」
驚いてすぐドアを開けると、そこには大きな紙袋を抱えた凩さんが、昨日と違わぬスーツ姿と生真面目な顔で立っていた。
「おはようございま……って、どうしたんですか?」
凩さんにとって私は通りすがりの行き倒れ。偶然でもない限り、もう二度と会うことはないだろうと思っていたのに、この自然なまでの訪問は一体何なの。
「朝食と昼食を作ってきました。また倒れては大変ですので」
保護者よろしくそう言って、凩さんは私に荷物を渡す。
「え?」
「電子レンジはあるようなので、ちゃんと温めてから食べて下さい」
「ちょ、ちょっと、凩さん?」
「私はこれから出勤しますので、夕食は仕事帰りに作りに来ます。ご飯だけは炊いておいて頂けると助かります。では」
「はい、いってらっしゃ……じゃなくて、凩さん!」
つられて見送りしかけて名前を呼ぶ。けれど凩さんは規則正しいペースで駐車場に向かい、きちんと隅に駐めた車に乗って走り去ってしまった。
「行動まで木枯らしだ」
ため息をついて私はドアを閉めた。テーブルに紙袋を置いて中を覗く。レンジ対応のタッパーに、おにぎりやサンドイッチ、梨やりんごといった果物が、綺麗にきっちり詰められていた。おまけにデザートのシュークリームまで。
「あの人はサンタクロースか」
昨日ここでご飯を作ってもらわなければ、美味しそうな料理の数々は、凩さんのお母さんの差し入れだと思ったことだろう。理由は分からないが、せっかく頂いたご馳走を冷蔵庫に並べながら、ふと凩さんは独身なのか気になった。
いくら私が二十歳の小娘でも、一応女には違いない。成り行きで助けたことはともかく、奥さんがいたら例え心配でも、こうして訪ねては来ない筈だ。では恋人はどうだろう。恋人……彼女……ガールフレンド……女友達……。
すぐに限界がきた。駄目だ。何というか必ず角を直角に曲がりそうな、向きを変えるときは回れ右をしていそうな凩さんが、女の人と愛を語らう姿を想像できない。
「五分後にキスします」
五分前行動ではないが、わざわざ予告してドン引きされていそうな予感。いやいや、こんな見ず知らずの私に親切にしてくれた人だ。料理も上手いし掃除も得意。もしかしたら尽くすタイプかもしれない。きっとモテる。
なのにやはり女の人とは結びつかないのは何故だ。
その日の夜。仕事帰りに買物したらしい凩さんが、エコバッグを二つ下げて現れた。仕事が長引いて遅くなりましたと謝られたが、そもそも彼が頭を下げる理由がない。お世話になっているのは私の方なのだ。エコバッグを持ち歩いていることにはびっくりしたが。
「ちゃんと食事は取れたんですね」
水切り籠に伏せてあった空のタッパーを見て、凩さんは満足そうに頷いた。はい。何だかんだほざきながらしっかり完食しました。ちゃっかりご飯も炊きました。
「美味しかったです。ありがとうございます」
お世辞ではなく本当に美味しかったので、私は素直にお礼を口にした。もっともご飯パワーに背中を押されて張り切って出かけた職探しは、今日も空振りに終わったのだけれど。
「希望の職種や具体的な目標、取得したい資格等はないのですか?」
「考えたことがないです。とにかく私に務まる仕事を見つけて、生活を賄うことで精一杯でしたから」
「そうですか。ではすぐに夕食の支度に取りかかります」
疲れているだろうに凩さんは手際よく準備を進めてゆく。トントンとリズミカルな音と共に、ベーコンや人参、玉ねぎがまな板の上で角切りになる。下手に手伝うと大惨事を引き起こすので、横に並んで何を作っているのか眺めると、やがて材料が水の入った鍋に投入された。
「野菜のスープご飯です。簡単なものですが」
凩さんには簡単でも私にとってはご馳走だ。ぐつぐつ煮えた鍋にスープの素が仲間入りし、ふんわり漂う柔らかな匂いに、たちまち胃が空腹を訴え始める。
「その様子だと体調は落ち着いたようですね」
表情筋まで硬いのか昨日からにこりともしない凩さんだが、眼鏡の奥の目が一瞬柔らかくなったような気がした。やがて鍋にご飯と塩胡椒、チーズを加えてできあがり。いつのまにかグレープフルーツのサラダまで添えられている。
「凩さんはいつでもお嫁に行けますね」
「私は男なのですが」
狭い部屋の中で脱力する私に、凩さんは困ったように眉を寄せた。出来上がったスープご飯をローテーブルに運び、
「では、私はこれで」
すっとお辞儀をして玄関に向かう。
「え? 帰るんですか?」
「二十一時になりますから」
ご飯を作った人が手をつけずに去る事態に焦り、当然のように呼び止める私も私だが、凩さんの答えもかなり的外れだ。確かに昨日もこの時間に帰っていたけれど。まさか門限?
「おやすみなさい」
躊躇なく凩さんはドアの外に消えた。
「あなたは十代ですか」
残された私は呆気に取られつつ、テーブルのスープご飯を一口掬い、素材が持つ味わいに不思議にほっこりした。
0
お気に入りに追加
175
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
【1/21取り下げ予定】悲しみは続いても、また明日会えるから
gacchi
恋愛
愛人が身ごもったからと伯爵家を追い出されたお母様と私マリエル。お母様が幼馴染の辺境伯と再婚することになり、同じ年の弟ギルバードができた。それなりに仲良く暮らしていたけれど、倒れたお母様のために薬草を取りに行き、魔狼に襲われて死んでしまった。目を開けたら、なぜか五歳の侯爵令嬢リディアーヌになっていた。あの時、ギルバードは無事だったのだろうか。心配しながら連絡することもできず、時は流れ十五歳になったリディアーヌは学園に入学することに。そこには変わってしまったギルバードがいた。電子書籍化のため1/21取り下げ予定です。
婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
【完結】婚約者が好きなのです
maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。
でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。
冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。
彼の幼馴染だ。
そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。
私はどうすればいいのだろうか。
全34話(番外編含む)
※他サイトにも投稿しております
※1話〜4話までは文字数多めです
注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる