バツイチの恋

文月 青

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瞼を上げると空が薄っすらと白み始めていた。今日も暑くなるのかなとぼんやり考えたところで、頭がやけに重たいことに気づく。そうして徐々にクリアになってゆく視界に、ここが修司さんの車の中で、一晩明かした事実に目を見開く。

しかも私は修司さんの肩に頭を乗せ、その上に彼の頭が乗っている。指の関節が固まっているんじゃないかというくらい、しっかり手も繋がれている。至近距離で届く規則正しい寝息に、私の心臓が急にドキドキ音を立て始めた。

「朝か…」

動いていいやら悪いやら迷っていると、やがて目を覚ましたらしい修司さんが呟く。ゆっくり頭をもたげて慌てたように身を起こした。まだ眠たげな寝起きの顔は、普段の不機嫌さとは遠い幼さがある。

「悪い。重かっただろ」

首を振る私にがしがしと髪を掻きむしる。寝癖という程ではないけれど、ぴんと跳ねた箇所に自然に笑みが洩れた。朝の涼しい気温の中に鳥のさえずりが聞こえる。

「それに仕事だよな? ごめん。その、こんな時間まで」

申し訳なさそうに唇を噛む仕種が可愛い。

「いいえ。実は結構熟睡していました」

「ああ、そういえば」

そこで修司さんもふっと眦を下げた。

「こんなときなのに俺も寝てたんだな」

そう言って繋いだままの手をやおら持ち上げる。

「理屈抜きで安心できた。これのお陰かな」

揶揄われているわけではないのに、いざ目の前に翳されると恥ずかしさが半端なくて、私は一気に頬が赤らむのを感じた。これでは手汗をかいてしまう。

「そそそ、それは、ようござんした」

黙っているのも妙なので俯いて返したら、修司さんは手を揺らしながら吹き出した。

「あんたいつの時代の人だよ」

「うわあ、すみません」

おそらく動揺しているのがもろばれている。だってさっきから動悸が止まらない。かつて結婚していたことがあるのに、男の人と手を繋いだだけでこんなに取り乱すだなんて、自分でも予想外でどうしていいのか分からない。おまけによく考えたらお風呂にも入っていないし、化粧も落としていない。臭いわ汚いわできっと今とんでもない状況になっている筈。

一人気を揉む私をどう捉えたのか、修司さんは強く手を握って続けた。

「おはよう」

まるで体を重ねた翌朝の挨拶のようで、私はますます顔を上げられなくなってしまった。今年三十路の女の言動じゃない。

「おはよ、ごじゃります」

またしてもおかしな答えに、修司さんは堪え切れずに爆笑した。





「みっともない姿、見せちまったな」

すっかり明るくなった外の景色を眩しそうに眺める。桜屋の宿泊客だろうか。朝食前の散歩を楽しむ年配の二人連れがいた。私達の手ももう離れている。

「我ながら情けない」

ふっと息を吐いて肩を落とす修司さん。とっくに電源を入れていたスマホには、富沢くんや香さんからの電話やメールの記録がたくさん残っていた。それを一つ一つ確かめて彼は苦し気に眉根を寄せる。

「修兄が帰って来ないんだけど、一ノ瀬さんにも連絡ない?」

富沢くんからは私にもメールが来ていて、心配をかけていたことにようやく思い至った。でもずっと一緒にいたとは誤解を与えそうで言えない。

香さんのメールは殆どが謝罪と修司さんの安否を問うもので、「ごめんなさい」と「どこにいるの」という文言が並んでいたそうだが、彼は返事を返せないでいる。

「笑っていて欲しいなんて偉そうなこと言って、結局俺が困らせてんだもんな」

自分ではとっくに決着をつけていたつもりだったのに、と嘆く。

「でも何だか羨ましいです」

「羨ましい?」

腑に落ちないという表情で修司さんが繰り返した。

「恋愛感情ではなくても、富沢さんと香さんはお互いを必要としていますから」

自分が大変なときに修司さんの身を案じるくらい、香さんにとってその存在は大きくて大切なもの。友達でも恋人でもなくて、ただの姉弟でしかなくても、やはり特別なことには違いない。例え修司さんが渇望する「必要」ではなくても。

「そっか…そうだな」

修司さんはそっと目を閉じた。再び開けた双眸には生き生きとした夏の緑が、フロントガラス越しに映し出される。

「俺さ、自分はずっと一人で平気だと思ってた。誰かと慣れ合うのなんて面倒だし、まして女絡みなんて冗談じゃないし」

何を言おうとしているのか掴めなくて、私は黙って耳を傾ける。

「でも、今、あんたがいてくれてよかった」

時が止まったような気がした。それは私がずっと誰かに言ってほしくて、誰にも言ってもらえなかった言葉。

「私、富沢さんの力になれましたか?」

ようやく絞り出した声は震えていたかもしれない。

「ああ」

そうして頷いた修司さんの唇が、信じられないことに一つの名前を形どった。

「なぎさ」

驚いて瞠目する私に優しく微笑む。

「ありがとな」

涙腺が決壊した。馬鹿で何の取柄もなくて両親に疎まれ続けた私に、いてくれてよかったと。この言葉に勝るものなど何もない。あなたの心に他の女性が住んでいようとも、私の想いはもう充分報われた。

「こちら、こそ」

泣きながら笑う私の頭を、修司さんがぽんぽんと撫でる。ありがとう。あなたのお陰で私はほんのちょっとだけ、自分を好きになることができそうです。




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