バツイチの恋

文月 青

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六月も半ばになり、ぐずついた天気が続いていた。空を見上げればどんよりと雲が低く垂れ込め、いまにも大粒の雨が降ってきそうな気配だ。さすがにこの時期は桜屋の宿泊客も少なく、私はこれまで潰れた分を取り戻すように、ゆっくり休ませてもらっている。

「雰囲気が変わったね、なぎさ」

平日の夕方、私は仕事帰りの友人・熊谷綾江くまがいあやえと待ち合わせて、久し振りにファミレスで食事を楽しんでいた。子供の頃からのつきあいで、私の実家についてもよく知っている彼女は、私に馬鹿じゃないと言い続け、尚且つ修司さんとの出会いを生んでくれた人物である。

「いい意味で愛想が悪くなった」

到底褒めているとは思えない台詞に、デザートのケーキを口に運ぼうとしていた私は、危うく落っことしそうになった。そんな私を綾江は嬉しそうに眺めている。

「それも富沢さんのお陰なのかな」

「どうだろう」

私はわざとらしく首を傾げてケーキを食べた。まださほど混んでいない店内には、いつもと変わらない音楽が静かに流れ、時々飲み物のおかわりにお客が歩いている。

牛丼店で四人で食事した日の帰り、車で私のアパートまで送ってくれた修司さんは、その古さに予想以上に驚いていた。そういう反応をされるのが分かっていたので、これまでは道が狭いことを理由に近くで降ろしてもらっていたのだ。

「家賃の都合もあるんだろうし、実家住みの俺が言えた義理じゃないけど、あんたはもう少し自分を大切にしろ」

確かに築年数四十年の木造二階建て。壁は薄いし湿気は酷いし虫も出る。幸い私は二階の部屋を借りられたが、稀に変質者が出没するとも聞いた。

「私なんかにはこのくらいが分相お…」

うっかりへらっと答えたところで、その日二度目の拳骨が落とされた。

「次の飯代、本当に払わせるからな」

頭を押さえて痛がる私に、修司さんは厳しい顔つきで続けた。

「あのな、誰にでも愛想がいいってことは、誰にも愛想が良くないってことなんだよ。あんたとちゃんと向き合おうとしている人間まで、作り物の笑顔で拒絶する気か?」

冷水を浴びせかけられたような気がした。とっさに二の句が継げなくて、恐る恐る修司さんを窺う。彼はそこで表情を和らげた。

「気持ちのままでいいんだよ。今みたいに」

怖かったら怖がれ、悲しかったら泣け、腹が立ったら怒れ。そして嬉しいときや楽しいとき、本当に笑いたいときに笑え。

「少なくともあんたの友人や俺の前で、ろくでもない態度は取るなよ?」

急には無理だろうけどさ、修司さんはそう笑って締めくくった。

修司さんの車を見送って部屋に入った後、私はひとりでに込み上げてくる涙を抑えられなかった。泣くのを我慢していたわけじゃない。でもこんなふうに自分のためだけに泣いたのは、もしかしたら中学生以来だったかもしれない。

そうして訳もなく泣き続けて涙が渇いたときには、まるで溜まっていた膿を全て洗い流したかのように、身も心も軽くなっていた。

「富沢さんとはおつきあいはしないの?」

自分もチーズケーキにフォークを差しながら、にまにまと口元を緩める綾江。合コン会場から二人で姿を消した経緯は伝えてあるのに、その後重なった偶然を恋愛に結びつけたい彼女は、私と修司さんに進展がないか気を揉んでいるのだ。

「まさか。富沢さんにとって私は、弟の同僚でしかないもの」

そもそも約束をして会ったことはない。お客としてお風呂に入りに来たついでに、富沢くんと一緒にいる私にも声をかけてくれているだけだ。

「でも会社でも浮いた噂一つないそうよ」

結婚していたくらいだから、特に女嫌いではないのだろうが、仕事以外で女性と接触しないというのが、会社での修司さんのスタンスらしい。遊びやデートの誘いはおろか、合コンも紹介も一切受け付けず、騙して会場に連れていっても逃げ帰る。

「そういえば女を押しつけられるのが面倒ってぼやいてたかな。私も二度ほど脱走のお手伝いをしたことがある」

ならば離婚したばかりだし、別れた奥さんのことを引きずっているのかと思えば、同期の男性陣がそれはないと一斉に否定するのだという。どちらかと言えば喜んでいる節があると。

「たぶん未練はなさそう」

ついでに奥さんのことを特に好きだったわけじゃないと、相手と夫婦になるつもりがなかったから、一度も抱かなかったと吐露するくらいだから。

「なぎさはずいぶん富沢さんのこと詳しいのね」

「たまたま。同じバツイチだし、お互い頷ける部分があるのかな」

「そうか。じゃあ残るは好きな人がいるという説ね」

好きな人という言葉に一瞬どきりとする。

「心に秘めた人がいるから、誰にも振り向かないんじゃないかって。もっともこれは女性社員の一部が、流行りのテレビドラマに当てはめて騒いでいるだけみたい」

修司さんがいつも女性を避けていたから、想像したこともなかったけれど。私なん…私にもあれだけ手を差し伸べてくれる人だ。特別な人がいない方がおかしい。

「なぎさ?」

いつの間にか俯いていたらしい。友人に呼ばれてゆっくり顔を上げると、薄暗い空からちょうど雨が降ってきたところだった。





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