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六月も二週を過ぎた。最初は雨ばかり降って肌寒い日が続いていたのに、梅雨の時期が近づいてきた途端やけに気温が高くなり、傘の出番が減ると同時にひたすら蒸し暑い。もはやこのまま夏に突入するのではないかというような、例年とは一味違った天候に見舞われていた。

「いい加減諦めて了承してよ、姉御」

さっきまで乗っていた食器が片付いたところで、塩見さんがべたっとテーブルに突っ伏した。

「何故人生を諦めねばならんのだ」

食後のコーヒーを味わいながら、麻友さんが平然と言ってのける。私は笑いを堪えながら向かいに座る二人を眺めていた。ショッピングモール内にあるファミレスで、勤務終了後に三人で食事をしていたのだが、いつまで経ってもプロポーズに応えてくれない麻友さんに、塩見さんは少々参っている様子。

「まあでも、私がおばさんになる前にとの配慮には、一応感謝しとく」

ぺしっと塩見さんの後頭部を叩いた麻友さんに、彼はむくっと起き上がって不機嫌を顕にした。

「おばさんになる前って、どういう意味?」

「行き遅れるのを心配してくれたんでしょ」

「ご冗談。俺にそんな気遣いができるもんか」

台詞とは裏腹に尊大に構える塩見さん。

「俺は今すぐ麻友が欲しいだけ。誰にも渡したくないの」

疑いようのない直球に私は胸中で歓声を上げた。さすがの麻友さんも言葉を失っている。ナイスですよ、塩見さん。

「全くこんな所で……! 馬鹿なんだから」

我に返った麻友さんが赤くなって窘めているのが可愛い。珍しい光景だ。

「結婚は当人同士だけの問題じゃないのよ。当然お互いの家族も絡むの」

結婚願望を持てない理由その二がこれだと、麻友さんはカップを置いてため息をつく。何でも塩見さんは五人家族で、両親と姉が二人いるのだそうだ。ちなみに二人とも麻友さんより年上で独身。

「可愛がっている末っ子長男を奪う女なんて、敵以外の何者でもないわよ」

嫁姑、ついでに小姑の争いが勃発することを懸念しているらしい。考えてみれば塔矢も塩見さんと環境が似ている。四人家族で両親と八歳上の姉が一人。

「俺が高校生のときに結婚して、もう子供もいるんだけど、性格がきつくて義兄さんが気の毒でしょうがない」

おまけに俺が子供の頃の要らない情報をたんまり持っているから、非常に怖ろしい存在だと塔矢が嘆いていた。犬の件といい、やはり塔矢と塩見さんには共通項が多い。ここに塔矢がいたら手を取って塩見さんを慰めるに違いない。そう思うと何だかおかしかった。




結局麻友さんが首を縦に振らないまま、へこむ塩見さんを励まして解散となった。二人は塩見さんの車で一緒に帰ろうと声をかけてくれたが、方向が違うこともあり私はあっさり辞退した。が、駅に着いてからやはり年長者の意見には従うべきだったと後悔した。

「奇遇ですね。僕も今日は早上がりなんですよ」

送迎用に三十分のみ使える駐車場に車を駐めた店長が、運転席側のドアに寄りかかってにこやかに手を振っている。

「それはお疲れ様でした」

一旦足を止めて深々とお辞儀をしてから、私は脱兎の如く駅の中に向かって駆け出した。けれど混み合う時間を過ぎて人が少なかったのが災いし、ものの数秒であっさり前に回り込まれてしまった。おっとりしているようで素早い。

「何故逃げるんです?」

「本能が危機を察知したもので」

「ああ、いい傾向ですね」

更に目尻を下げて微笑む。喜ぶところがずれていないかと訝しむと、彼はぴたぴたと私の頬を軽く叩いた。

「僕を男として意識し始めた証拠です」

「どちらかといえば変質者に近いんですけど」

麻友さんよろしく店長の手を払ってため息をつく。

「構いませんよ。印象が強く残っているということですしね。さあ帰りましょう」

そんな私を余所に店長は当然のように私の手を引いた。駅の外に出ようとしているのが分かったので、私はその場に踏ん張った。

「お手軽に男の車に乗るなと注意したのは、確か店長だったと思いますが」

「僕以外の男、と訂正します。僕は小林さんが好きなので、あなたに無体な真似はしませんから」

「充分無体だと……え?」

振り解こうとした手が宙に浮いた。まるでフォークダンスを踊ろうとしているようで滑稽だ。改札に急ぐ人達もすれ違いざまにこちらを眺めてゆく。でも私はそれどころではなかった。まんまるなんてもんじゃない。こんなに瞬きをしなかったのは、初めてじゃないかというくらい目をひん剥いた。

「そんなに驚くことですか?」

憮然として店長が息をつく。

「僕は小林さんが高梨さんを想っていてもいいと、許せるとはっきり伝えましたよ」

「ヘタレな部下を慰めていたんじゃないんですか?」

「ずいぶんな解釈ですね。さすがに傷つきます」

しょんぼり肩を落とす仕草がわざとらしくて、こんなときなのに私はぷっと吹き出した。

「その方が小林さんらしいですよ」

そっと呟いて店長は繋がれたまま浮いていた手を下ろした。



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